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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

五年後からの手紙

作者: 道本幸也

 殺して頂戴。君は5年前、確かにここでそう言ったね。僕は今でも覚えているよ。君のまん丸の瞳から涙があふれていたことも、しっかりと覚えている。


 ここはとある橋の上。足元には海が広がっている。


 僕がここを訪れるのは何回目だろう。片手で数えられるくらいしかここにきていないような気もするし、星の数ほどここに来たような気もする。もうそれすらもよくわからなくなっていた。君のことはこんなにもしっかりと覚えているのに、なんでだろうね。


 あたりは静寂と暗闇に包まれていた。海の風がほど近いところからやってくるのがわかる。この風に乗って、どこかへ飛んで行ってしまいたい。誇張でなしに、僕は真実そう思った。


 僕が間違えたのはどこからだったのだろう。もう記憶は曖昧だけれど、君がいなくなってから、もうずいぶん時間は経っているけれど、思い出そう。この5年間ずっとかぶせ続けてきた記憶のカバーをゆっくりと取り外すように、僕は君がいなくなった、あの日のまでのことに思いを馳せる。


 僕は5年前、浪人生だった。親からは突き放されていた。いわゆる、親子の縁を切るというやつだ。当然、仕送りもなくなっている。当たり前のことだ。僕は大学合格が決まったその日、犯罪者になり、大学合格を取り消されたのだから。


 僕は合格が決まったその日、浮かれに浮かれていた。高校生活の半分以上を捧げ、受験勉強をしたことが報われたのだ。浮かれないわけがない。そして、その浮かれのせいで僕は犯罪者となった。


 僕は、合格が決まったことをあえて親に知らせずに、家にいるであろう親を驚かせてやろうと考えた。そして、考え付いたのが、ベランダに石を投げ込み外から合格を大声で叫ぶというやり方だ。もちろん、今にして思えばそれが危険なことだということはわかる。だが、浮かれていたその時の僕は、正常な判断が不可能になっていたのだ。


 近くにあった石を拾い上げ、僕は自分の家を探した。僕の両親の家は小さなアパートの3階にあった。1,2,3。下から数えれば自分の家はすぐに分かった。僕は勢いをつけ、わざと大きな声を出してその石を思い切り上に投げた。


 だが、その時に悲劇は起こった。僕は手が滑り、その石をあろうことか隣の家のベランダに投げ入れてしまったのだ。ガシャン、とガラスの割れる大きな音がした。


 僕はその場から急いで逃げ出した。家まで急いで戻り、鍵をがちゃりとかける。家に両親の姿はなかった。家の付近から自分の家に戻っただけなので、大した距離を走ったわけではなかったのだが、僕の呼吸はこれまでにないほど乱れていた。


 すぐに謝ろう。そう心では思っていたのだが、身体だけが全く反応を示してくれなかった。


 そうこうしているうちに、夜になってしまった。やがて、両親が帰ってきた。

 結果、どうだった。そう聞いてくる。

 うん、受かってた。そう答えた。

 よかったじゃない。

 うん。

 じゃあ、もうあとちょっとで大学生ね。

 スーツ買わなきゃだね。

 あら。そうね。あんまりあんた、似合いそうにないけどね。

 うるさいなあ。

 淡泊な会話をその後もつづけていた。その淡泊さが、僕のことを少しだけ安心させた。だが、その安心は一瞬のうちに壊されてしまった。

 

 遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきたのだ。その音は、僕等の住むアパートの前で止まった。

 僕は心臓が外に飛び出してしまいそうだった。どうしよう。どうしよう。いや、僕じゃない。僕が投げたものが、人にあたっているわけがない。僕は無理やり自分にそう言い聞かせた。


 だが、現実は残酷だった。一番最悪の結果が僕を待っていたのだ。救急車で搬送されたのは隣の部屋に住む女子高生で、その子の母親が買い物から戻ってきたところ、娘が頭から血を流しているのを見つけ、救急車を呼んだのだという。もちろんその原因は僕が投げた石だった。


 その子は命に別状がなかったそうだが、頭に大きな傷を負ってしまったのだという。

 僕が投げたということはすぐにばれた。そして、合格取り消しをさせられ、両親は罰金を払い、前述の通りになってしまったのだった。

 

 君と出会ったのはそれから半年くらいたってからだ。そう、ここで僕が死のうかと橋の柵に足を引っ掛けていた時に君が現れたんだ。田舎町から東京のはずれまで上京してきて、そこでホームレスをやっていた僕にとって、これ以上堕ちる場所はどこにもなかった。だから死のうと思った。そしたら、向こうから君が歩いてきたんだ。


「やめてください」

 君は強い口調でそう言う。

「なんでだ」

「なんでだもなにもないです。死なないでください」

「死にたくなったんだ」

「そうですか」

「じゃあね。最後に話したのが君みたいな綺麗な子でよかった」


 僕はそのまま飛び降りようとした。「まってください」君は急いでいった。でも、その表情は長い髪に隠れてわからなかった。

「飛び降りるなら、私も死にます」

「……なんでだ? 君と僕はどんな関係がある?」

「強いて言うなら、死にたいと思っているくらいです」

 僕は言葉に詰まった。そして僕は、その言葉で死ぬことを思いとどまったのだった。


 そのあと、僕はなぜだか、ずっと君と一緒にいた。家のない僕は、彼女と一緒に公園で寝泊まりなどをした。ご飯は買いだめしていたカップラーメンで済ませていた。彼女は見たところどう見ても学生なのだが、僕に対しては、ずっと学校は通っていません。の一点張りだった。


 僕らが付き合い始めるのは、そう長い時間を要するものではなかった。

 付き合って一か月ほどたったころだ。僕は日雇いのバイトでためたなけなしの金を使って、安いホテルに君と入った。いわゆる、ラブホテルというやつだ。

 入っても、僕はそれをする気はしなかった。君とゆっくり話をするために僕はそこに入ったのだ。


「ねえねえ」僕は話しかけた。

「なんですか」

「君はさ、本当は学生だよね」

「違います」

「違わない。君は学生証を持っている」

「……カバンの中身、見たんですか」

「悪いとは思ったけどね」

「まあ、いいです」

「ありがとう。それでさ」

「はい」

「君は何で学校に行っていないんだい」

「というか、今はもうほとんど辞めたようなものです。親とも音信不通にして、上京してきてますから」

「そんなことしていいの?」

「だめかもしれませんね」

「まあ、ダメだろうね。それで、なんで上京してきたの?」

「知りたいですか」

「うん」

「……いじめられていたんです」

「なんで?」僕は勢いでそう聞いてしまった。このことを僕はのちに後悔した。

「この傷です。昔、石が当たって頭にこの傷ができてしまったんです。いつもは髪の毛で隠しているんですけど」


 そのあと、僕は君から逃げるように君を殺した。そう、この場所で。僕が初めて死のうとしたこの場所で。この橋から君を海に突き落としたんだ。何かから逃げるように。「殺して頂戴」もしかしたら、君はそんなこと、言っていなかったのかもしれない。すべては、僕の幻想だったのかもしれない。僕が逃げるためにそう思っていただけなのかもしれない。


 もうなにもかも僕にはわからなかった。ごめんなさい。僕はもう無理です。ばいばいばいばいばいばいばいばいばい。

 僕は橋から飛び降りた。今度は、だれも止めなかった。「一緒に死にます」といった君は、もう死んでいる。


 その直後、遠くから声がした。

「悲しいですね」

 そうかもね。僕はそう思った。君の声だった。

 自分の体が海に落ちていく音と、君が海に落ちる音が、頭の中で重なった。その瞬間、自分の意識は暗転した。


 5年前の君へ。さようなら。

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