謎の隣人
日課を終えると、どうにも喉が渇いた。このところ酒を飲んでいない。久しぶりに酒を飲もう。そう思い立ち俺は冷凍庫に入っているはずのウィスキーの瓶を探した。しかし、瓶の中身は空だった。
軽く舌打ちをして壁の時計を確認すると丁度九時になったばかりだった。近所のスーパーはまだ閉まっていないはずだし買いに行こう。
重い腰を上げ、パソコンデスクの端に置いてあった部屋の鍵と財布をジーンズのポケットに突っ込んで部屋を出た。自室はアパートの一階にある出入口の目と鼻の先にある。引っ越し時の家具の運搬だとか、階段の上り下りが面倒に感じたから、この部屋を選んだのだ。部屋を出て、扉を閉め、アパートの出入口に目をやると金髪を整髪料で無造作に尖らせた、この辺では見ないような不良の雰囲気を醸し出した男がいた。
「やっと出てきやがったか。」
金髪の男は明らかに俺に対して話しかけてきた。当然、こんな輩なんぞ知り合いではない。絡まれたら難だし、面倒事は避けるに越したことはない。俺は踵を返して、自室のドアを開けようとした。
だがしかし、開かない。いくら力を込めて引いても開かないのだ。まだ鍵もかけていない。もちろんドアを開ける方向は間違っていない。頭の中が真っ白になった。
「おいおい、逃げようとしてもムダだぜ。あんたは知ってしまったんだ。だからさっさと連れて行かなきゃならねえ。痛い思いはしたくないだろ? 俺もムダな運動はゴメンだ。ウィンウィンと行こうぜ。」
金髪の男は唇の端を釣り上げて嫌な笑みを浮かべた。目は獲物を前にして爛々と輝いて見える。何だかわからないが、非常にヤバい。自室の扉は何故か開かない。完全にパニックに陥りながらも周囲を見回すと上の階に通じる階段が視界に入った。上へ逃げても行き止まりだとか、そういったことは考えず一目散に階段を駆け上った。二階に至ったところで、ふと、201号室にはふたつ年上の、そこそこ美人なお姉さんが住んでいる事を思い出した。慌てて201と白い文字で書かれた黒いドアを壊れんばかりに叩いた。
しかし、まったく反応がない。
「すみません、一階の古田です。変な男に追われてるんだ!」
叫んでも叩いても返事はなかった。ここまで騒げば住民の誰かが怒鳴りつけてきてもいいはずだった。アパートは俺以外にまるで人が住んでいないかのように静まり返っていた。扉を叩く音が虚しく残響した。
階段の方に目をやると、金髪の男は気だるそうに階段を上ってきたのが見えた。我に返った俺は意味のない逃走劇を再開した。男は自身の勝利を確信しており、急いで追ってくることはしなかった。
最上階の五階まで這う這うの体で辿り着いたが、そこにあるのは501号室と無機質な金属製の扉のみだ。何かを考える余裕もなく、目の前にある金属製の扉を開けた。扉は少し重かったが、鍵は開いていた。初夏のまだ冷たい夜風が流れ込んできた。夜風?
○
扉を開けると屋上に出た。そして、あまりに予想外な出来事だった為、「えっ」という言葉が不意に出た。このアパートに屋上は存在しないはずなのだ。扉の先にあるのはかび臭くて真っ暗な物置があるはずだった。ますます意味がわからなかった。
辺りを見回すと、ここはビルの屋上のような場所だった。端には転落防止用の高い金網フェンスが設置され、金網越しには街灯の灯りが見える。正面に目をやると、暗がりでよく見えないが、人らしき影がいた。
「何とか間に合ったようね。怪我はない?」
聞き覚えのある女性の声がした。背後で明滅する蛍光灯の灯りによって見えたその顔は、201号室に住むお姉さんだった。何故彼女が? パニックが治まらないまま、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「あの、どうして貴女がここに? そもそもここはどこですか? あの男は?」
「まあまあ、落ち着いて。彼は貴方がここに飛んだことはわからない。そして、ここはアパートからそう遠くないところにある廃ビルよ。」
「は、はあ。」
「何故、アパートの物置の扉からここに来たとか、あの男は誰かなんてことは今はどうでもいいの。聞いて。貴方はこの世の真理を知ってしまったのよ。」
何を言っているのかさっぱりわからなかった。何かのカルトじみた教団なのだろうか。この世の真理ってなんだ? 映画とか小説や漫画じゃあないんだぞ?
「すみません、何を言っているのかさっぱりわからないんですが……。」
「そうよね。だけどそういうことなのよ。いずれにせよこのままじゃ奴らに貴方は連れてかれるから、あたしについてきて。体中色々いじくり回されたくはないでしょ?」
見知らぬ相手ではないし、ここで途方に暮れていても仕方がない。渋々うなずいて、彼女に承諾のサインを送った。雲に隠れていた半月が露わとなり、月光に照らされた彼女の栗毛の髪と優しく微笑んだ顔がはっきりと見えた。
この後、悟はどうなるのか?
それは私にもわかりません。ご期待ください。