17
「五年一組で、瑠璃のクラスメートです。茜さんとは、同学年ですね」
「茜で良いよ。王位継承試験ではライバルになるけど、でも、仲良くしようね。よろしく」
僕の挨拶に、茜は気軽な様子でそう言った。
不躾にならない程度に髪や瞳を見る。なるほど、パッと見ただけでは黒く見えるのに、光の角度や加減によっては燃えるような赤に見える。
「珊瑚先輩もよろしく。六年生の留学生の噂は聞いていました。まさか、魔法の国から来ていたとは思いませんでしたけど」
僕はそう言って、右手を差し出した。友好の証、握手と言うわけだ。
「ああ。よろしくな」
珊瑚も握手を返してくれる。
さあ、ショータイムだ。
「さて、先輩――」
ぐっ、と握手した右手に握力を込める。そう、相手が痛いと感じるように。
敵意が、伝わるように。
「正直に言って、地平世界の人間が〈騎士〉をやってる状況が気に入らない。誰が見ても、公平性を欠いている。事前に留学してれば地球世界の人間か? ずいぶん都合の良いルールの解釈があったものだな」
口調も丁寧なものから一転、普段通りのものに切り替える。
「そういうことか。分かりやすくて良いな」
僕の意図に気付いた珊瑚が、負けじと握り返してくる。さすがに五年生と六年生、体格差も手伝って力比べは負け気味だ。けっこう痛い。
「先輩達のような振る舞いを、この世界では親の七光りと言うんだ。まあ、もっとも――」
ぎりぎりと睨み合いながら、お互いに力を込め合っている。異様な雰囲気は、すぐに二人の〈女王候補〉にも伝わったようだ。
「く、玖郎くん?」
「ちょっと珊瑚? 小泉くん?」
瑠璃と茜が、突然喧嘩腰になった僕たちについて行けずに疑問の声を上げる。
「もっとも、珊瑚先輩程度を〈騎士〉にしたところで、さほど有利とも思えないが」
僕は、握り合った手を振り解いた。
「見たところ、ずいぶんと無能そうだ」
「こいつ……!」
珊瑚の右手が、僕の胸ぐらを掴んだ。つかみ上げられて、僕の足が地面から離れかける。――僕の『ねらい通りに』。
「調子に乗るなよ。魔法も使ったことのない地球世界のガキが。そういうお前は、何が出来るんだ?」
「何が出来る、か。そうだな、例えば――」
僕は、息を止めた。
同時に、力と勢いをのせて僕の右手を、珊瑚の右手首に叩きつける。珊瑚の右手の、内側から手の甲へ向けて弾く形だ。
これは、基本的な護身術の本にも載っているような、胸ぐらをつかまれた時のふりほどき方だ。人体の構造上、力の入りにくい、抵抗しにくい力の方向というものがあり、それを利用したものだ。
珊瑚の手が外れ、僕の足が地面を踏みしめる。
「っ、こいつ!」
再度こちらへ伸ばしてくる珊瑚の右手首を、僕は右手で横からつかみ、空に向けるように持ち上げる。珊瑚は、反射的に抵抗して腕を下げようとする。
その力を逆に利用する形で、体の位置を変えながら、珊瑚の手首を固定したまま振り下ろす。
体を入れ替えた回転運動と、腕をふり下ろした動きで、珊瑚の重心の位置は崩れている――ほとんど力を必要とせず、僕は珊瑚の腕を背中側にひねりあげることに成功した。
さらに、半歩分体を回転させると、珊瑚の体は校庭の地面に倒れる。珊瑚の背中の中心を踏みつければ、これで身動きできなくなる。
「これ――『ぐっ、すい、くるくる~』です……」
瑠璃が呟いた。
そう、正解だ。
この時――『火』の〈騎士〉と最初に出会った時に使うことを想定して、調べて練習しておいた合気道の技だ。
母さんは何かの踊りだと勘違いしていたようだが、人目もはばからず繰り返し練習した『技』だ。狙い通りに、問題なく成功させることができた。
そこで、僕は止めていた息を吐き出し、呼吸を再開する。
「さて、魔法も使ったことのない地球世界のガキは、地平世界の王子様を地面に這わせることができる」
僕は、珊瑚に言ってやる。
分かりやすい挑発の言葉だ。
「で、偉大なる王子様は、何ができるんだ?」
馬鹿にした口調を心がけて言う。
これは、意味のない行為ではない。らしくない挑発も、わざわざ地面に押しつける形の技を用意したのも、全ては布石だ。
『火』の〈魔法少女〉と〈騎士〉――この二人が、最大のライバルだとするならば。
〈騎士〉相手に自分への怒りを向けさせ、顔を見るだけで冷静ではいられないように印象付けることができるとしたら、今後の勝利に対する大きな布石になる。
「何ができるか教えてやるよ。全力でガードしないと燃え尽きるぞ」
身動きできない状態のまま、珊瑚が吠える。
僕は、その言葉に思わず笑みをこぼしてしまう。
そう、鏡で確認するまでもない『悪い笑み』だ。
「〈生成〉っ!」
「ふん、〈盾〉」
わざわざ声に出して、聞こえるように〈騎士〉の魔法――〈盾〉を唱える。
当然、〈契約〉していない僕には、〈騎士〉の魔法など使える訳はないが――。
眼前に、圧倒的な炎が発生した。
火薬の爆発を思わせる衝撃と、燃料系の油を思わせる熱量。
これが魔法か。
エネルギー保存系の物理法則は完全に無視されている。どこからこれだけのエネルギーが発生しているというのか、まったく理不尽な現象だ。
だが。
理不尽はお互い様だ。
その業火は、僕には影響しない。衝撃も熱も知覚すらしない。温かいとも感じない。
発火時の閃光だけは見えたが、あらかじめ予期しておけば驚くこともない。
当然、〈騎士〉の〈盾〉ではない。
珊瑚の〈生成〉による炎が消えた。
「やれやれ、本当に無能なんだな。完全に〈盾〉で防いでしまったぞ」
わざわざ強調して言ってやる。
「なんだと? そんなバカな――」
背後が見えない珊瑚には、事実を確認する術がない。茜の位置でも、珊瑚の炎が邪魔になり、何が起きたか認識できなかっただろう。
だから、〈盾〉で防がれたと思ったはずだ。
信じ込んでしまうはずだ。
だが、事実はこうだ。
〈保護魔法〉による魔法の無効化――。
「あ、分かりました――」
瑠璃の呟きが聞こえた。
そう、ここにいるメンバーの中で、〈契約〉をしていないことを知っている瑠璃だけが、真実に考え至ることができる。
瑠璃の理解が、〈保護魔法〉による魔法無効化までだとしたら及第点だ。
〈騎士〉だと思わせるためにこの芝居を打ったところまで分かったとしたらなら合格点。
そして、この戦略が『〈騎士〉にはならない理由の一つ』だと気付いたとしたら満点だ。
「玖郎くんもう十分です。珊瑚くんを離してください」
瑠璃の言葉に、僕は珊瑚の背中にかけていた重心をずらし、腕も解放して距離を取った。
「いてて……くそ、何なんだよ」
起き上がり、肩を押さえて悪態をつきながら眉をしかめる珊瑚。
だが、その語調には勢いがない。
王族の〈生成〉が、〈騎士〉の〈盾〉に受けきられてしまったのが余程ショックだったのか。
「小泉くん、ケンカも乱暴もダメだよ」
さっきは珊瑚にからかわれて反発していた茜だが、気遣わしげに珊瑚の顔を覗き込んでから、僕に向かってそう言った。
凛と立つ『火』の〈魔法少女〉と、膝をついた〈騎士〉。
そして、対峙して立つ『水』の〈魔法少女〉とその協力者。
「私も、私達の契約はズルいんじゃないかと悩んだよ。でも、多分、小泉くんなら分かるんじゃないかな、私はそれでも女王になりたいの」
なるほど。
張り上げていないのに響く声、凛とした佇まい、愛すべき天真爛漫とした普段の姿と、意志の炎を宿して燃える赤い瞳。
これが、一番目の〈女王候補〉か。
カリスマと一言で表現するのは簡単だが、そんな一種独特の雰囲気が茜にはある。
瑠璃も時々似た気配を発するが、茜の持つそれのほうが苛烈で大きい。
「それでも女王になりたい、か。確かに、理解はできる。だから僕も、安い挑発をしたことを謝るつもりはない」
それから僕は、茜の目を真っ直ぐ見て、問いを発した。
「そうまで言うなら聞こう。茜は、何のために女王を目指す?」
茜は、まっすぐに僕を見返して応えた。
「私は、今の地平世界よりもっと、みんなが笑顔で暮らせる世界を作りたい。だから、私は女王になる」
ふん、博愛か。
それとも、王族特有の俯瞰的思考なのかもしれない。
どちらにせよ――。
「あやふやでつかみ所のない、漠然とした理由だな」
「うーん、そうなんだよ」
茜は、そう言って苦笑すると、ちらりと舌を出した。
「具体的には、考え中なんだ。小泉くんも良いアイデアがあったら教えて欲しいな」
「……覚えておこう」
少し毒気を抜かれてしまった。
能天気なのか、度量が大きいのか判断に迷うところだ。
「瑠璃も、アイデア募集中だから、よろしくね」
「分かりました。でも、良い考えがあるなら、自分で女王になって実現します」
「それもそうだね」
そして、僕たちは改めて対峙した。
「そろそろ〈試練〉を開始しようかの」
ジャッジメントが現れて、そう言った。
やり取りが落ち着くのを見計らったようなタイミングで出てきたな。
本来であれば〈試練〉とは無関係な僕の挑発行為も、王族に対する無礼も不問、か。
とすると、あのやり取りすら採点対象だと考えた方が良いだろう。
最初に感じた印象よりも、人を食ったシステムなのかもしれない、この王位継承試験は。
油断大敵、ということだ。
「今回は、競争形式じゃ。この〈精霊〉ハガネイカを、先に捕まえた方が勝ちじゃ。直接取り押さえても良いし、ある程度魔法でダメージを負わせれば捕獲相当と判定するからの」
ジャッジメントの言葉が切れるのに合わせて、空中にポンと別の〈精霊〉が現れる。
空飛ぶイカだ。サイズは、魚屋に並んでいるこの世界のイカより大きい程度。その体表が金属的に光を反射していなければ、この世界の生物でないとは――〈精霊〉だとは思わなかったかもしれない。
その胴体部分に、弓道の的のような二重の丸がついている。絵の具のような黒い線なので、後から描いたものかもしれない。
「この印が目標だという証拠じゃ。そもそもハガネイカは一匹しか連れて来ておらんが、まあ間違えないよう、念のためじゃ。こいつが逃げ回る範囲は、椎名小学校の校舎全体じゃ。屋上も含めて校舎から外に逃げないように、雷の魔法をかけるので、気をつけて下され」
なるほど。
さすがは高位の〈精霊〉、試験会場の整備のために魔法が使えるのか。
そう言えば、ジャッジメントの見た目は直感的には『木』だが、いかにも『水』の精霊であるクラゲやイカを操り、『雷』で範囲指定までできるらしい。
このマスコット的な外見にだまされずに、油断せずに力を見定める必要がありそうだ。
こちらも油断大敵、といったところだろう。
「さあ、始めますぞ。茜姫、瑠璃姫もよろしいかな?」
「珊瑚、肩痛くない?」
「大丈夫だ。俺はいつでも行けるぞ」
一言ずつ言葉を交わして、『火』の〈魔法少女〉と〈騎士〉は並び立った。
「〈開門〉」
茜の声に、彼女の足元から炎が吹き上がった。激しい光量の白い炎が膨れ上がり、一瞬で茜の全身を包み込んでしまう。
そして、唐突に炎がかき消えると、そこには〈魔法少女〉姿の茜がいた。
赤を基調とした、瑠璃のものと良く似た衣装。紅、橙、緋――赤系統の中に、目を引く白が差し色として要所を飾っていた。シャツとスカートとベスト、どれもフリルやリボンがあしらわれた、現実離れした――魔法的な衣装だ。
そして何より目を引き付けて止まないのは、茜の髪と瞳の色だ。自ら光を発しているかのように、燃えがあるかのような鮮やかな真紅。世界中のどの赤よりも鮮烈な赤が、そこにはあった。
これが。
彼女が――僕達の、倒すべき敵なのだ。




