16 第三章 2番目の魔法少女と1番目の魔法少女
【瑠璃】
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
私は、両手を合わせてそう言いました。
私が椎名小学校に転校してから一週間が経ちました。今日は週末で学校はお休みでしたが、琴子さんの誘いに甘えてお昼ご飯をごちそうになってしまいました。
玖郎くんの家で食べる琴子さんの料理は今日も美味しかったです。
地球世界のことを色々知りたくて試してみたコンビニのお弁当より美味しいのは言うまでもなく、地平世界の故郷の――お城の晩餐会で出る料理よりも、私は琴子さんの料理の方が好きかもしれません。
お肉やお野菜のバランスが良くて、脂っこくないのに、味がしっかりあるのです。琴子さんには『ダシが重要なの』と教えてもらいましたが、ぜひこの調理法を実家の料理人にも教えたいです。
「瑠璃ちゃんが来るようになって、ご飯の作り甲斐があるわ。玖郎は瑠璃ちゃんほど美味しそうに食べてくれないんだもの」
それはそうかもしれません。
うわー、すごーい、おいしー、とほっぺたを押さえる玖郎くんなど想像もできません。
私と琴子さんは、顔を見合わせて笑ってしまいます。
「妙な想像をするな」
うう、玖郎くんに怒られてしまいました。
「僕だって味わって食べている。瑠璃ほど表情に出ないだけだ」
「そう言えば、玖郎、瑠璃ちゃんを家に連れてきたあたりから、ちょっと表情豊かになったよね」
え? そうなんですか?
「む。いや、そんなはずは」
玖郎くんが、珍しく断言口調で否定しません。
本当にそうだとしたら、ええ、それはなんだか嬉しいことです。
「時々ね、玖郎ったら真面目な顔したままで、くるくる~って踊ってるんだから」
琴子さんが、そんなことを教えてくれました。
衝撃の内容でした。
玖郎くんがくるくる~って踊る。
踊る!?
「瑠璃、妙な想像をするなと言っている」
うう、また玖郎くんに怒られてしまいました。
「そうなの。右手をぐっと上げて、すいっと下ろして、そのままくるくる~よ」
「ふん」
琴子さんのからかうような口調にも、玖郎くんは鼻をならしただけでした。
つまり、本当に?
玖郎くんが、ぐっ、すいっ、くるくる~?
「妙な想像を――まあ良い。瑠璃、今日も午後から特訓に行くだろ?」
気を取り直して、玖郎くんはそう言いました。
私は当然頷きます。
「特訓? へー、何の特訓してるの?」
「日本の文化と風習だ」
玖郎くんは、誤魔化して琴子さんに答えますが、当然、特訓と言うのは、私の――私達の魔法の特訓です。
玖郎くんが私の協力者になってから、この一週間は初日以外は〈試練〉がありませんでした。
私は、さっそく〈仕事〉を探そうと提案しましたが、玖郎くんは、『特訓』をすることを主張しました。
空が飛べなかったことを例に、ちょっとした発想の転換でできることが飛躍的に増える可能性があり、また、今後の〈試練〉や〈仕事〉にそなえて、私が魔法でできることを把握したり、基本となる作戦や指示を打ち合わせする必要がある。というのが、玖郎くんが示した理由でした。
そして、まずは一週間。
〈試練〉がなかったのを良いことに、学校が終わるとすぐにキャンプ場のある森に向かって特訓することが日課になっているのです。
休日であっても、私に断る理由はありません。女王になるために、〈試練〉に勝つ、〈仕事〉をこなす、そのための特訓をする。
そのために、私はここにいるのですから。
それに。
そのおかげで、昨日は三人の同い年くらいの男の子達を助けることができました。
キャンプ場より山側に作った彼らの秘密基地が、不注意から火事になり燃えてしまいました。小屋の中に取り残されていた彼らの犬を、私の魔法で助け出すことができたのです。
彼らの不幸を退け、幸せをもたらすことができました。
王位継承試験のに必要な、〈仕事〉の得点になったと思いますし、誰かを助けられたことが何よりも嬉しかったです。
「じゃあ決まりだな」
玖郎くんと私は、琴子さんに見送られて玖郎くんの家を後にしました。
キャンプ場までの道は、軽くジョギングしながら行きます。〈試練〉や〈仕事〉では体力勝負になることもあるだろうと予想してのトレーニングです。
実際に、昨日の秘密基地の火事への対応では、玖郎くんが短くない距離を走っていますし、やっておいて損はないと思います。
私は地平世界ではほとんど運動はしませんでしたが、体を動かすことは嫌いじゃないみたいで、軽いランニングは気持ちが良いです。
「今日は、どんな特訓をするのですか?」
駆け足で併走する玖郎くんに声をかけます。
「そうだな。瑠璃が苦手な〈生成〉か、そろそろ一番目の〈魔法少女〉と〈騎士〉を想定したシミュレーションをしても良いだろう」
〈生成〉の苦手が克服できるなら、そんなに心強いことはありません。
今、私が魔法を使おうとすると、どうしても水を確保するところから始める必要があります。
水を手に入れるために、池や川、水溜まりや貯水槽、水道を探すことが第一歩になってしまいます。地球世界には、ペットボトルという便利な容器が簡単に手に入るので、〈開門〉でしまってありますが、水を補給するためには時間と手間が必要です。
だから、〈生成〉で水を作れるなら、それが一番なのです。
それでも、それ以上に、玖郎くんが提案したもう一つ『一番目の〈魔法少女〉と〈騎士〉を想定したシミュレーション』というのはとっても魅力的です。
二番目ではなく、どうしても一番になりたい私にとって、抵抗できない甘い言葉なのです。
長期的な視点では、〈生成〉の特訓のような基礎力の底上げの方が重要だと頭で分かっていても。
「瑠璃はどっちが良い?」
「……シミュレーションに、興味があります」
駆け足を続けながら、私は正直にそう言いました。
「その回答はハズレだ。瑠璃はもっと長期的視野で物事を考えるように意識しろ」
うう、やっぱり玖郎くんに怒られてしまいました。
ハズレの選択肢があるのにどちらが良いか聞くなんて、それは罠です。
「ただ、対戦することを想定しておくのは悪くない。特訓は〈生成〉を重点的にやるとして、森までのランニングをしながらシミュレーションもしておくか」
正直なところ、軽い駆け足程度でも、話しながらとなると結構つらいものです。それでも、弱音をはくつもりはありません。
「それでは、まずは情報ですね」
私は、手始めに手持ちの情報を玖郎くんに伝えるところから始めようと思います。
「実は、茜の〈騎士〉も私のよく知っている人なのです。名前は――」
そこで。
「瑠璃姫!」
ぽん、と音を立てて、緑色のボールが目の前に現れました。
「わ、わ!」
慌てて足を止めますが、ボールとの衝突は避けられません。私は両手でそれをキャッチしてしまいます。
と、そこで気付きます。この緑色の毛だらけのボールは、ジャッ爺です。
「おや、目測を誤ってしまったかの。失礼しましたの。ふぉっふぉっふぉっ」
私の両腕に抱きかかえられた状態で、ジャッ爺はそう言いました。
あれ、なんだか、同じように足を止めた玖郎くんの目が冷たいです。なんでしょう。
「どうしたのですか、ジャッ爺?」
「〈試練〉のお知らせじゃよ。これからすぐに、椎名小学校に向かってくだされ」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸で予感が膨れ上がりました。
「競争型の〈試練〉じゃ。今回、瑠璃姫の対戦相手は――」
ええ。
多分、〈生成〉の特訓も、シミュレーションも間に合いません。
「――茜姫じゃ」
予感は、的中しました。
私は、準備不足のまま、茜と最初の直接対決を向かえることになります――。
【玖郎】
僕と瑠璃は、椎名小学校に到着した。
休日のため、毎日通用口として使っている校門はきっちりと施錠されている。付近に防犯用の赤外線センサの類がないことをざっと確認して、校門を乗り越える。当然、瑠璃が魔法ですいっと飛び越えるのに対して、僕はよじ登ることになる。
立ち入り禁止と施錠された小学校に忍び込む訳だが、この程度なら問題にもならない。遠くない未来、と可能性の話をするなら――僕達は比較にならないほど危ない橋を渡ることもあるだろう。
校門を乗り越え、飛び降りて、難なく着地する。
そして、顔を上げた先に、その二人がいた。
『火』の――一番目の、〈魔法少女〉と〈騎士〉。
瑠璃の願いの前に立ちふさがる、最大の壁だ。
「瑠璃!」
〈魔法少女〉――灯火・バーミリオン・茜が、瑠璃を呼んで駆け寄った。
背中まで届く黒髪を、リンゴの髪飾りで一つにまとめている。その位置が少しだけ右にずれているのは、オシャレを狙っているのだろうか。前髪が元気に跳ねているが、それが寝癖を直し損ねたものだとするなら、髪留めのずれも単に失敗しているだけかもしれない。
瑠璃からの事前情報によれば、椎名小学校五年三組に瑠璃と同時期に転校してきた、僕達と同い年の少女だ。元気で、明るくて、一緒にいる人達を笑顔にできるような――瑠璃の親友だ。
そして、地平世界の歴史中でも五本の指に入るほど強大な魔力を持つ――『火』の〈魔法少女〉。
「会いたかったよ。隣のクラスなのに、全然話すチャンスがないんだもん。元気だった?」
茜は、そう言いながら瑠璃の両手をとって、ぶんぶんと振り回すように握手している。
「ええ。不思議ですね、なんだかとっても久し振りな気がしてしまいます。茜は、聞くまでもなく元気そうですね」
「うん! 元気一杯だよ」
瑠璃は茜と挨拶を交わしてから、火の〈騎士〉――灯火・バーミリオン・珊瑚に向き直った。
「珊瑚くん。本当に久し振りですね。すっごく背が伸びましたね」
瑠璃は、親しげに彼に声をかけた。
珊瑚はこの椎名小学校の六年生で、いかにもスポーツタイプといった雰囲気を持つ男子小学生だった。
背が高くて、手足が長い印象をうける。短くしているために逆立っている黒髪は、陽光を受けて一瞬だけ赤く燃え上がるように見えた。意思の強そうな濃い眉と、引き結んだ唇。サッカーの授業でシュートを決めれば、女子生徒が黄色い声を上げそうだ。
「ああ。瑠璃は相変わらずだな。お前の落ち着きを、茜に分けてくれよ。この怪獣が家に来てから、騒がしくてしょうがないんだ」
「ちょっと珊瑚っ! 怪獣って私のことじゃないでしょうね?」
「他に誰がいるんだよ」
そんなやり取りが示すように、瑠璃、茜、珊瑚は旧知の間柄だ。そもそも、茜と珊瑚の名字とミドルネームが同じ時点で分かりそうなものだが――ここに向かう道すがら、瑠璃から聞いた話によると、茜と珊瑚は従兄弟同士らしい。
そもそも男であるという理由で王位継承試験とは関係のない珊瑚は、小学校入学のタイミングに合わせて、両親ともども地球世界に移住している。
そして、地球世界に来た茜は、〈騎士〉として『たまたま』地球世界に住んでいた珊瑚を選んだ、と言うわけだ。
地平世界の王族である珊瑚は、当然のように魔法を使うことができるし、王位継承試験の事情にも明るい。まさに、現女王の権力を最大限に使った〈契約〉と言うわけだ。
それはともかく。
三人が知り合いだと言うならなら、ここで名乗る必要があるのは僕だけだ。
「はじめまして。瑠璃の〈騎士〉、小泉玖郎です」
「え……?」
瑠璃が思わず、といった様子で僕の顔を見た。
そう、僕達はまだ〈契約〉をしていない。僕は〈騎士〉ではないのだ。
それでも、僕は、敢えてそう名乗った。
瑠璃の〈騎士〉、と。




