15
玖郎くんと私は、『このイチゴの恩は忘れないよー』と言いながらぶんぶん手を振る香苗さんに別れを告げ、クレープの車から少し離れた公園のベンチに並んで座って、デザートを頬張りました。
香苗さんのイチゴのクレープは、甘酸っぱくてとっても美味しかったです。
やがて。
美味しいデザートを食べ終わった頃、私は空を見上げて感じたことを、そのまま口に出していました。
「月が明るくて、あまり星が見えませんね」
私の言葉に、玖郎くんが首をかしげました。
「瑠璃、地平世界でも夜には月や星が見えるのか? ここから見るのと同じ、例えば金星とかが見えるのか?」
何気ない言葉に、私は頷きました。
「ええ。夜には、ここと同じように月も星も見えますよ。私は星についてはあまり詳しくありませんが、多分同じ星空だと思います。金星も土星も、お月様も見えますから」
と、それにしても。
「でも、突然、なんで金星なんです?」
私の問いに、玖郎くんはすっと指を差しました。
「一番星だ。宵の明星、つまり金星だ」
その言葉に、私は自分の表情が暗くなってしまうのを止められませんでした。あ、玖郎くんにも気づかれちゃったみたいです。
「瑠璃?」
心配そうに、私の顔を覗き込んできます。
「一番星って、あんまり好きじゃないんです」
私は、ぽつりとそう言いました。
「理由を聞いても良いか?」
玖郎くんの言葉は、普段と変わらず偉そうで、それなのに私を気遣う気持ちが声色にしっかり現れていました。
「玖郎くん、二番星はどれですか?」
空を見上げて返された私の問いに、玖郎くんは応えません。答えられません。
夜空には星がいくつも輝き始めています。夕方から光り輝くような一番明るい星は見つけられたとしても、二番目の星なんて、誰も知りません。知ろうともしません。どれが二番目か、三番目か、四番目か、そんなことはどうでも良いことなのです。
一番目でなければ。
しばらくの沈黙の後、玖郎くんは口を開きました。
「一番目の〈魔法少女〉は、どんな子なんだ?」
玖郎くんの言葉は、私が予想していたどの言葉とも違いました。
そして、それは、まさに私の考え事の核心でした。
一言も説明したことなんてなかったのに。
私の状況に、考え至ってしまったのです。
一番星が好きではない、という言葉。それから、どこかで口にしてしまった、私が二番目だということ。それだけのことから、今の質問が出てきたのです。
すごいです、玖郎くんは。
「一番目の〈魔法少女〉は、灯火・バーミリオン・茜。『火』の〈魔法少女〉で、地平世界の歴史中でも五本の指に入るほど強大な魔力を持っていて――元気で、明るくて、一緒にいる人達を笑顔にできる子です。私の、幼馴染で、親友です」
私は、玖郎くんの問いにそう答えました。
「幼馴染で、親友か。しかも、瑠璃はその茜のことが嫌いじゃない。好きなんだな」
ええ。
そうなのです。
一番星が嫌いなくらいに、茜のことが嫌いなら良いのですが。
そうすれば、きっと、もっと楽になるのに。
私の気持ちは正反対です。
茜のことを、好きなのです。
でも。
それでも。
「それでも、一番になりたい、か」
玖郎くんは、私の心を読み取ったようなタイミングで、静かにそう言いました。
私は頷きます。
それから、玖郎くんは私に尋ねました。
「瑠璃は、どうして女王になりたいんだ?」
【玖郎】
「瑠璃は、どうして女王になりたいんだ?」
それは、可能な限り早い段階で聞いておく必要のある問いだった。
瑠璃が女王になる手助けをするとして、手段を選ばず、あらゆる無理を通して、ただ女王にすれば良いという話ではない。
極論だが、瑠璃以外の王位継承権を持つ〈女王候補〉を全員亡き者にすれば、瑠璃が次の女王に決まるだろう。しかし、それは瑠璃の求めるところではないはずだ。
なぜ女王になりたいのか、どんな国にしたいのか、それらの点を確認した上での助けでなくてはいけない。
親が言うから、そのために努力するよう育てられたから、そんな理由ではないことを期待する。あまりに程度の低い動機だと、僕のモチベーションに影響するかもしれない。
いや、瑠璃に限ってそれはないか。
時折、女王になりたいと口にする瑠璃の表情は暗く、悲壮な決意が見え隠れしている。
早く確認すべき事項だと理解しながら、このタイミングまで問いを口にできなかったのは、瑠璃がそんな表情をする理由に踏み込む問いになるから――つまり、単純に僕の決心が足りなかったからだ。
正直に言って、言い出すタイミングがつかめなかったのだ。
「きっかけは、お母さんが領土の視察に行くのに、無理を言って同行したことでした」
瑠璃は、そう話し始めた。
「馬車の中から見る外の世界は珍しくて、私はお母さんに叱られても、窓の外を見続けました。そのうち、あまり治安の良くない場所を通りました。国のはずれにある、貧民街でした。そこで、その時の私よりも小さな子どもが倒れているのを見つけたのです」
瑠璃の口調は淡々としている。表情にも激しい感情は浮かんではいない。
瑠璃の瞳は、目の前の光景に焦点が合っておらず、遠い記憶の中のシーンを見つめている。
「私は、反射的に馬車から飛び降りて、その子どもに駆け寄りました。ひどく痩せていて、着ているものも服とは呼べないような布切れで、私が抱き起こすと、震える手をなんとか持ち上げて、水を欲しがりました」
それは、瑠璃の言葉から想像するだけでも歪な、言葉を選ばずに言うなら、皮肉な光景だったことだろう。その子どもとは対照的に、瑠璃の服装は文字通り国で一番美しく豪華なものだったろうから。
「私は、お母さんや護衛の者達に助けを求めました。でも、帰ってきた答えは、それはダメだと言うものだったのです」
女王に連なる貴族として、目の前の一人のためだけに何かをしてはいけない、と。
それは不公平だから、と。
「泣いて、駄々をこねたけど、ダメでした。私は、護衛の者達に連れられて、馬車の中に押し込められました」
瑠璃は、まぶたを閉じて淡々と続けた。
「すぐに馬車は動き出しましたた。その子を残して。私の視界にいるうちに、その子は死んでしまったのです。――確かめてはいないけど、きっと、死んでしまったのです」
いや、淡々と、ではなかった。間違いようもなく、瑠璃の声は、その芯の部分が震えていた。
そうか。
感情が浮かんでいない訳ではなかった。
何度も何度も繰り返し回想して、何度も何度も慟哭した結果、感情が摩耗して擦り切れてしまったのだ。
そんなことを想わせる声色で、瑠璃は続けた。
「瞳から光がなくなる直前まで、伸ばした腕が力を失って地面に落ちるまで、その子は私を見ていました。その子は呟きました、聞こえた訳じゃないけど、私にはハッキリと分かりました。『寒い。死にたくない』って」
僕は、すぐには返すべき言葉を見つけられなかった。
「私は、病気だったのかもしれないあの子に薬もあげられませんでした。怪我をしていたかもしれないのに、手当てもできませんでした。水を欲しがったのに、一滴の水もあげることができませんでした。最後の瞬間に手を握っていてあげることもできませんでした。思い返せば、私は、『大丈夫だよ』の一言すら、そんなものでさえあげられなかったのです――!」
それは、静かな叫びだった。
「玖郎くん、私は、優しくできる国を作りたいです。優しくすることが許される国を作りたいのです」
そうか。
優しい国ではなく、優しくできる国か。
僕に〈騎士〉になって欲しいと頼んだ時の瑠璃の言葉を思い出す。『優しくしたいのに、それを許してもらえない私』と、そう彼女は言っていた。
「抽象的な目標です。曖昧な目的です。それでも、私は、例え女王であっても目の前の一人に優しくできる国を作りたいと願っているのです」
それは、容易い道ではない。国で最も権力を持ったとしても、それで解決する問題ではない。
それでも、その理由は。
たった一年間の日々に――王位継承試験に、死力を尽くして臨むのに十分な理由だ。
少なくとも、僕はそう思う。
それから、瑠璃は話題を少しだけ変えた。
「実は、私、昨日の朝にもこの公園に――玖郎くんに会う前にもここにいたのです」
ふ、と瑠璃の表情が和らいだ。こちらを見る瞳は、きちんと現実の僕に焦点を合わせている。
「僕に会う前。教室ではなくて、朝ぶつかった時か」
僕の言葉に、ふふ、と瑠璃は笑った。
「あんなに衝撃的な出会いだったのに、教室の玖郎くんはそっけなかったです。でも、覚えてくれたと分かって嬉しかったです」
衝撃的、か。確かに、自分で言うのもどうかと思うが、おでこはかなり痛かったことだろう。涙目になるほどだ。
「この公園の、そう、この木だと思います」
瑠璃はベンチから立ち上がると、公園に植えれた木を見上げて、何本目かの前でそう言った。
「この木の、あの高い枝です。あそこで、子猫が鳴いていたのです。多分、降りられなくなってしまったのだと思います」
瑠璃が指差す枝で、僕の想像の中の子猫が助けを求めて鳴いた。蝶を追うのに夢中になったのか、好奇心と勢いで駆け上ってしまったのか、ふと気づいた時には、自力で降りられる高さではなかったのだろう。
「私は、小さな子猫一匹、助けてあげられませんでした。助けてあげたかったのに。心配ないよ、って優しく抱き上げてあげたかったのに」
そこで、瑠璃は、すぐ近くにある水飲み用の水道まで歩くと、蛇口をひねって水を出した。
「〈操作〉」
周りを見回して人影がないことを確認して、瑠璃は魔法を使った。
蛇口から出た水が、まるで重力を知らないかのように、浮かび上がって空中に留まった。瑠璃が再度蛇口をひねって水を止めた。
「今なら――」
瑠璃はそう言うと、その場で軽くジャンプした。ほとんど膝を曲げない程度の軽い跳躍。けれど、瑠璃の体はそのままふわりと宙に浮かんだ。
〈操作〉による飛行。
僕の目では追いきれなかったが、先ほどの水が、瑠璃の足の下に移動して彼女を支えているのだろう。
「玖郎くんのおかげで、今は、こうして飛べます。今なら助けてあげられるのに。――やっぱり、もういないみたいです」
子猫がそのままそこにいることなどない、そう思いながらも、それでも瑠璃は枝を覗き込んで確認せずにはいられなかったのだろう。
気が済んだのか、瑠璃は、すとんと着地した。
「無事に自分で降りることができたのでしょうか。誰かに助けてもらえたのでしょうか。きっと――きっと、元気に、生きていますよね?」
それば、希望的観測だろう。あるいは、願いと言っても良いかもしれない。
きっと生きてる、きっと元気だ、瑠璃のためにそう言ってやるのは簡単だ。だけど、それは根拠のない気休めでしかない。
無事に木から降りられた可能性と同じくらい、逃げ場のない枝の上でカラスに襲われた可能性、無理に飛び降りてケガをした可能性、あるいは打ち所が悪くて死んでしまった可能性も存在する。
「私には、諦めることしかできませんでした。きっと、玖郎くんがそこにいたら、魔法の使い方を教えてもらって、ちゃんと助けられたと思います」
「それは違う」
僕は、静かな口調を心がけながらも、断言した。
ベンチから立ち上がり口を開く。
ごめん瑠璃。
これから言うことは、瑠璃にとって優しくない内容だ。それでも、瑠璃が目的を――優しくできる国を作るなんていう、途方もない夢を叶えるためには必要な言葉だ。
だから。
「僕が子猫を助けようとするなら、こうする」
そう言って、僕は空中を人差し指で押す。
「ピンポーン。突然すみません、高い木の枝に子猫がいて、降りられなくなっています。脚立があれば、貸していただくか、消防に連絡していただけないでしょうか?」
「あ……」
瑠璃は、それを理解した。
足りなかったのは、魔法の使い方ではない。考えを止めないこと、必ず助けるという覚悟だ。
瑠璃の、消えかけの夕日と街灯を受けて深く青を映す瞳に、みるみるうちに大粒の涙がたまり――流れた。
あとからあとから、涙はあふれ続けた。
泣きながら、彼女は無理に微笑んだ。
「やっぱり、玖郎くんはすごいです」
瑠璃は言った。
「私は〈魔法少女〉だけど、魔法が使えるけど、それだけじゃ全然足りないんですね。私には、どうしても玖郎くんが必要みたいです」
それから、瑠璃は溢れる涙を拳で拭うと、改めて僕に向き直って言った。
「私の〈騎士〉になって下さい。私と〈契約〉して下さい」
それに対して、僕は用意していた答えを返す。
僕が、『私をあげます』とまで言った瑠璃に、最大限応えるために出した結論だ。
僕は、言った。
「僕は、瑠璃の〈騎士〉にはならない」
「……え?」
まさか断られるとは夢にも思わなかったのだろう。瑠璃は、思考が追いついていない間の抜けた声を出した。
「瑠璃を助ける、女王になるために手助けをする。それは変わらない。約束は守るつもりだ」
その言葉に、瑠璃の瞳が思考の光を取り戻した。僕の言葉を一言漏らさず聞く体勢だ。
「だけど、〈契約〉はしない。〈騎士〉にはならない。ただの『協力者』として瑠璃に力を貸す。それが、僕が考える最善の方法だ」
瑠璃は、頷いた。
「玖郎くんがそれが最善だと思った、理由を聞かせて欲しいです。まずは――あの、馬鹿な質問だとは分かっていますが、聞いてもいいですか?」
瑠璃はそう断りつつも、言いにくそうに、若干頬を紅くして俯いた。やがて、上目遣いで僕を伺いながら言った。
「その理由の中に、私とキスするのが嫌、って理由は入っていますか?」
そうか。そう受け取ることもできるのか。
予測できなかった言葉に、思わず笑いそうになる。自分の考えもつかない何かに出会うのは、どんな状況であれ愉快だ。
「誤解させたとしたら悪かった。嫌ではない。強いて言うなら、瑠璃は僕のものになる約束だ――〈契約〉の『ついで』は嫌だと思っている」
瑠璃がその言葉の意味するところを理解するのに、一瞬の間があく。
次に起こった変化は、なかなか劇的だった。
みるみるうちに、瑠璃の頬と言わず耳と言わず、見えてる皮膚全部が紅く染まったのだから。頭から湯気でも出そうだ。
「あ、それは、その、うん。ええと、うん、わかりました」
何やらむにゃむにゃと言った後、なんとか瑠璃は冷静さを取り戻す。
いや、頬の上気をみる限り取り戻せてはいないようだが、なんとか頑張ってはいるようで、元のベンチに座った。
隣に座った僕に、瑠璃は言った。
「では、アメリカの話。あれは関係していますか?」
話題を変えるための一言だったが、確かにそれが理由だと思われても仕方ない。
「母さんと話していたからか。ん、もしかすると委員長にも把握されていたか?」
「ええ、その両方です」
まっまく、どこから聞きつけたんだか、委員長のウワサ収集能力だけはあなどれない。
「ジーニアスプロジェクトが、〈騎士〉にならない理由かと言われると――そうだな、正直なところ、イエスだ。ゼロだとは言えない」
瑠璃は頷いた。
表情をみる限り、困ったという感情より、正直に話してくれて嬉しいという感情か強そうだ。
「ジーニアスプロジェクト、ですか? それが琴子さんと話してた『アメリカの話』なんですね。朝美ちゃんが言ってた『天才ばっかり集めて特殊授業をやってる学校』なんですね」
「そうだ。全国統一思考力調査のテストの結果で、日本全国で三人に声がかかっているらしい。プロジェクトの根幹にある選民思想が気に入らないと思う反面、僕にとって良い刺激になるとも思っている」
そうだな、僕も瑠璃にはきちんと話しておくべきだろう。
「瑠璃。僕は、本気になったことがない。全力で、がむしゃらに、無我夢中で何かをしたことがない」
瑠璃は静かに僕を見つめている。
「悪いが、昨日の〈試練〉でさえ、必死に考えて行動しきったわけではない。余裕と余力を残している。嫌味に聞こえることを承知で言うが、本当に真剣に向き合う必要のある対象に、死に物狂いで実現したいと思う何かに、出会ったことがない」
「それは――寂しいですね。あ、ごめんなさい」
瑠璃は思わずそう呟き、慌てて謝罪を口にした。
「いや、謝る必要はない。その通りだと僕も思う、だから、出会ってみたいと思っているんだ。本当に真剣に、全力で本気になって、死に物狂いで実現したいと思える何かに」
首を横に振って見せてから、僕は言葉を続けた。
「だから、ジーニアスプロジェクトでの教育が――人体実験である可能性は承知した上で、それでも――僕が求める『何か』になるかもしれないと思うんだ」
「ええ。ええ、分かりました」
瑠璃は頷いて、それから何かを決めたように顔をあげた。
「玖郎くんが、アメリカに行くかどうか決めるまで、〈契約〉の話は保留にしましょう」
「――は?」
今度は僕が思わず声をあげる番だった。どうすれば、そういう発想の飛躍をするのか、瞬間的にはトレースできない。
「アメリカに行きたいかどうか、私に遠慮するのはなしで、真剣に考えて下さい。私は、玖郎くんの夢も応援したいです。真剣になれる何かを見つけたいって気持ちを、応援したいのです。私は、ちょっと困りますが――そうですね、誰か玖郎くんが適任だと思う人を紹介してくれれば、特別に許してあげます」
瑠璃は一方的にそう断言して、鼻息も荒く、満足そうに頷いた。
まったく、なんて勝手な。
それでいて、その気遣いに――自分でも分析しきれない気持ちが沸き上がってくる。温かくて、決して嫌ではない何か。
だから。
僕は、なぜ〈騎士〉にならずに協力するという結論に至ったのか、その理由を説明するタイミングを失してしまった。
僕にできたのは、ただ――。
「分かった。そうする」
瑠璃に答えることだけだった。
瑠璃を自宅まで送った帰り道。
僕は瑠璃の事ばかり考えていた。
自身の経験を通して、優しくできる国を作りたいという理想に向かっている瑠璃。
そんな夢を抱いているくせに、僕のちょっとした望みを応援するために、〈契約〉は保留で良いなどと言ってしまえる瑠璃。
大人しい性格なのに、よく笑い、泣き、色々な表情を見せる瑠璃。
そんなことばかり考えていたせいだろうか。
「玖郎、随分時間がかかったのね」
そう声をかけられるまで、道ですれ違いかけたその人物が母さんだとは気づかなかった。
「少し公園で話し込んでいた。遅くなってごめん。母さんこそ、こんな時間に買い物?」
「あなた達の携帯電話、さっそく買って来ちゃった。さっきは購入の条件として言い忘れたけど、私が電話をかけた時には、最優先で出なさいよ?」
母さんが出した条件は、自分の息子に携帯電話を買い与える親としては妥当なものだ。
僕は頷いて言った。
「善処する」
それにしても、夜道で自分の母親と出会うという体験は非常に珍しい。ともすると、これが人生初ではないだろうか。
妙な新鮮さ、違和感がなんだか楽しい。
ふむ。
瑠璃の言葉が直接の原因だったのかは分からないが、自分の今の精神状態がうまく分析できない。
浮ついた、高揚した、不思議な精神状態だった。
だから。
僕は聞き流してしまった。
後になって思い返せば、その時確かに、母さんはこう言っていた。
誰ともなく、呟いていた。
「ま、この目で見ちゃったからなぁ。私は私で、ちょっと動いてみようかな」
と。




