01 序章 2番目の魔法少女
【瑠璃】
今になっても、あの頃のことを思い出します。
この地平世界を離れ、地球世界で過ごした一年間のことを。
ただ必死だった、王位継承試験の日々のことを。
彼と一緒だった、あの一時のことを。
今でも、思い出すのです。
ええ、そうですね。
最初から、順を追って話しましょう。
彼が――玖郎くんが、私の〈騎士〉になってくれたところから。
玖郎くんは、何度も私を助けてくれました。
女王になるために、力を貸してくれました。
たくさんの大事なことを教えてくれました。
玖郎くん。
私の〈騎士〉。
――ああ、そうでしたね。
今のは、実は、正確ではないのです。
結局のところ、彼は最後まで私の〈騎士〉ではなかったのですから。
私達は、〈魔法少女〉と〈騎士〉という関係にはならなかったのです。
最後まで、〈契約〉で結ばれてはいなかったのです。
彼は私の――ただの、協力者だったのです。
それでも。
ええ。
それでも彼は、間違いなく、私にとっての〈騎士〉だったのです。
誰よりも頼りになり。
誰よりも思慮深く。
誰よりも冷静な。
私の〈騎士〉だったのです。
今になっても、あの頃のことを思い出します。
地球世界で過ごした一年間を。
王位継承試験のあの日々を。
彼と、一緒だった一時を。
まるで、昨日のことのように、思い出すのです。
そして、あの日々の記憶に触れると、決まって私の胸は小さく痛みます。
それはきっと、私と彼との約束が果たされていないからでしょうね。
契約ではなく、『約束』。
もしも彼が目の前にいるのなら、すぐにでもその約束を果たしたい。私は今でもそう思っているのに。彼は、私の目の前にはいないのです。
私はその約束を覚えています。もう果たせなくなってしまった約束を、忘れていないのです。
忘れていないからこそ、こうして思い出してしまうのでしょうね。
ええ。
そうですね、話を始めましょう。
私と彼が出会ったところから。
私が地球世界の小学校に転校した、その初日の出来事から。
――いいえ。
やはり、別の場面から始めることにしましょう。良いですよね?
それは、私と彼が何をやっていたのか、本当は何をやりたかったのか、それが分かる場面だと思います。
二番目であることをずっと気にしていた私。
どうしても一番になりたいと思っていた私。
そうでなければ意味がないと信じていた私。
それでも突き詰めて考えてみれば、そんな私が本当にやりたかったことは――一番目も二番目も関係なく――ただ、目の前で困っている人を助けたいということ。
ええ。
ただ、それだけでした――。
◆ ◆ ◆
【玖郎】
僕と瑠璃がその場面に遭遇したのは、単なる偶然だった。
だから、『彼ら』の身に起こった出来事を客観的に伝えるためには、僕達自身のことから始めるより、彼らの時系列に沿って話を進めるべきだ。
ここからしばらくは、僕自身が直接見聞きしたことではない。多分に僕の想像が入っているのだが、恐らくそれ程大きく外れてはいないと思う。
場所は、キャンプ場の奥に広がる林の中。山の麓に広がる林は、僕達の小学校からは軽く走って三十分程の距離にある。
そこから唐突に自然があふれる様子は、まるで何かの境界か、それとも近代化の死角のようなものでも存在しているのではないか、と想像させる。
時刻は日没後すぐの時間。始業式から数日後、季節は春だから十九時前だ。
彼らは、その場所、その時刻に、帰途に着いていた――。
空の色は、赤から黒へと変わろうとしていた。
生い茂る木々の間から見上げる空は、わずかの時間にも刻々と変化する。西の空にわずかに残された赤色から、東の空で待つ夜闇の黒色へと、大空のキャンパス全体を使って見事なグラデーションが描かれる。
「あ。一番星、見っけ!」
少年が叫んだ。林の中の小道を並んで歩く三人の少年達、その真ん中の一人だ。
彼――佐藤は、そんな叫び声と同時に、夜空で真っ先に輝き始めた星を指差して見せる。跳び上がって指差すその仕草から、彼の小さい体に、少年らしい元気が一杯に詰まっていることが分かった。
「ほんとだ。えーと、あれは宵の明星――つまり金星だね」
隣に立つ鈴木が、そんな天文知識を披露する。メガネと痩せた体という外見的特徴から、誰もが連想してしまうガリ勉キャラクターを、彼自身が気に入っているのだろう。得意げな説明口調からそんな様子がうかがえた。
「もう夜かぁ。お腹減ったなぁ」
今までの会話と関係のない感想をつぶやくのは、高橋である。おっとりした口調によく似合う、穏やかで平和そうな表情で、シャツからはみ出しそうな丸々としたお腹に手を当てていた。
誰もが『デコボコ三人組』と呼びたくなるようなこの少年達は、椎名小学校四年二組の仲良し三人組だった。
「ああ、もうすぐ七時だからね。お腹も減るよ」
「しょうがないだろ。秘密基地、山の近くに建設したんだからさ」
高橋の言葉を受けて腕時計を見た鈴木に、佐藤が言葉を返す。
デコボコ三人組の会話からも分かるように、彼らが今夢中になっている遊びは、秘密基地の建設である。
近頃の子どもにしては珍しく、アウトドアで古典的な、しかし少年であれば誰でも夢中になる遊びである。
もちろん、『建設』という表現は大げさであり、その実状は、どれだけ良く表現しても小屋――木の幹を大黒柱に利用して、スノコとべニア板とロープとブルーシートで作られた、誰もが想像するような秘密基地である。
それでも秘密という名に相応しく、人通りの少ない山の入り口近く、キャンプ場よりもさらに奥に行った林の中に彼らの秘密基地は作られた。
その彼らの秘密基地は、数日の建設作業を経て、本日をもって完成した。その興奮のせいで、彼らの帰宅時間が予定より遅くなったとしても――当然、帰宅後には母親の怒声と小言をもらうだろうけど――無理からぬことである。
「それにしても、田中には笑ったなぁ」
佐藤が、ニヒヒと思いだし笑いを浮かべた。
「そうそう。自分の足にひっかかって、転んだ拍子に箱にぶつかって、ひっくり返しちゃったんだよね」
鈴木も思わず、という調子で笑う。
「結構大きな音立てて、自分でやったくせに、めちゃくちゃびっくりして走り回ってたよね。面白かったなぁ」
高橋がそうオチをつけて、三人で笑う。
「あの秘密基地で、何して遊ぼうかな。あー、明日が楽しみだ」
三人の気持ちを代表するかのように、鈴木が言った。
明日が楽しみだ。それは、この少年達――いや、彼らと同年代の全ての少年達が自然に口にする言葉だろう。今日が終わってしまう名残惜しさと、明日への期待に満ちあふれた言葉。
しかし。
彼らの『今日』は、この後もう少し続くことになる。
「ほんと、明日が楽しみ。ん……?」
佐藤の言葉に、自然と三人は来た道を振り返った。
そして、それに気付く。
「なんか……明るくない?」
鈴木が、言葉にした通りだ。山の一部が不自然に明るい。
明るく見える方角は、夕日が沈んだ空とは違う。これからどんどん夜の領域になるはずの山の入り口付近だ。そして、その方向は――。
彼らの秘密基地がある方向だ。
「え……」
「まさか……」
鈴木と佐藤は同時にそれに思い至った。思わず顔を見合わせる二人。浮かんでしまった悪い想像は、口にすることをためらわせるものだ。現実になって欲しくない、そう思うから言葉にできない。
だから、一瞬遅れて気付いた高橋の方が、驚きに任せて言葉にできた。
「あ! 秘密基地、燃えてるんじゃ……」
顔を見合わせて、沈黙してしまう三人組。
そう、彼らには、心当たりがあったのだ。
「あのロウソク、佐藤がちゃんと片づけるって言ったよね?」
「それは……。いや、そもそも高橋がロウソクなんて持ってくるから!」
「そんなぁ。だって、鈴木が基地で本が読みたいっていうから……」
そして、同時に思い至る。
秘密基地が燃えているかもしれない、そのことが意味する、もっと重要な事実に。
「田中っ!」
三人同時にその名前を叫び、今度はためらうことなく走り出す。元来た道を戻るように――今まさに、燃えている秘密基地へと向けて。
「田中が、まだ秘密基地の中にいる!」
【瑠璃】
冷たさを残す春の風が、私の髪を揺らして通り抜けて行きました。
林というより森に近い木立の中なので、風が自由に吹き抜けることができる場所は多くありません。例えば、私の立つ場所――林の中でも一際高い木の、その枝の上でもなければ。
「――」
私の髪は、夕暮れを過ぎた夜闇の中でもそれと分かる『青色』です。木々の上を行く風のせいで、その髪の先端が首筋と肩をくすぐっています。
ここに鏡でもあれば、私の顔の表情は硬く、唇が引き結ばれていることが客観的に分かるでしょう。なにしろ、私は自分でも分かるほどに緊張しているのです。
身に着けた服装は、髪の色に合わせた色彩――青色をはじめ、水色、空色、藍色など青系統の色をした、不思議な質感の生地で作られています。シャツもベストもスカートも、フリルやリボンを多用した、可愛らしいものだと言えます。
しかし、この衣装はどう見ても普段着ではありません。どこか演出めいた、舞台衣装のような印象を受ける服装でした。
一言で言うなら――変な格好です。
さらに私は、小学五年生です。どう頑張って見ても、中学生には見えないでしょうし、ましてや大人とは思われないでしょう。
こんな年恰好の女の子が、こんな恰好で、こんな時間に、こんな高い木の枝に立っている状況。
自分でも、現実離れした光景だと思います。
何も知らない誰かがこの状況を見たら、きっとこう言うでしょう――『まさか、これから魔法でも使うのかい? はっはっは』と。
ええ。
実は、『その通り』なのです。
そのために、私はここにいるのです。
冗談でも嘘でもありません。
幻でも夢でもありません。
間違いなく現実――これが、私の現実です。
「――」
私は、声もなく立っています。
私の瞳――髪と同じく鮮やかな『青色』の瞳は、じっ、とそこを見ています。
火の粉を散らしながら、黒い煙を上げ続ける小屋を見ています。
燃え上がる炎の勢いは徐々に強まり、小屋全体を包み込むだけでなく、柱として利用している木にも燃え移ろうとしています。
「――」
そして、私は待っていました。
声を、待っていました。
私の服装には似合わないかもしれませんが、私の左耳には黒色のマイク付きイヤホンが着けてあり、その先は通話中になったままの携帯電話につながっています。
そこから聞こえる声を、待っているのです。
「――」
ほんの少しの時間が、とても長く感じます。実際には数分も待たなかったはずなのに、まるで何時間も経過しているように感じてしまいます。
やがて、待ち望んだ声が、イヤホンを通して聞こえました。
『――よし、キャンプ場に到着した』