~鴉山学園(表)1~
通学路のゴダゴダで多少遅れが生じたが、早めに家を出たことが幸いし、オレと皐月は予鈴のチャイムが鳴り響く校舎に着いた。
校舎の玄関を抜けて、階段を上り、校舎の二階、その廊下の一番奥にある教室―――2年C組の表札を確認して扉を開く。
教室内は、それが当たり前かのようにガヤガヤとクラスメート達の喧騒で埋めつくされていた。
暖房など空調器は備えられていないはずなのに、室内は肌寒い外と比べて随分と暖かい。きっと活気づいたクラスの連中から発せられた熱によるものだろう。
中でも窓際に立っている集団。その端で額の汗をシャツの袖で拭っているデ…ぽっちゃり体系の男子は他人の二、三倍、熱を放出している。
電気も使わず環境にも優しい……なんてエコな存在だろうか。よし今度からあいつのことは人間暖房と呼ぶことにしよう。
ちょっと臭いのが玉にキズだけど。
なんてどうでもいい思案にふけながら、自分の席を見つけ、椅子に腰掛ける。
「ふぅ…」
しかし……どうして新学期の始めって、みんなテンション高いんだろうな? サッパリだ。
オレはこういう騒がしい雰囲気――人が多いところは苦手だ。
体育祭も好きじゃないし、学園祭だって出来ることなら参加したくないくらいだ。
皐月には散々協調性がないと口うるさく言われてきたが、仕方ないだろう? 嫌なもんは嫌なんだもん。
ヒリヒリする左頬をさすりながら、どことなく教室を見回すと、男子生徒の一人と目が合った。
ライトブラウンに染めた髪型、Tシャツの上に羽織った学ラン、ネックレス。
ギロリとした獲物を求める肉食獣のような目つき。
服装は一見ラフに見えるが、明らかに校則違反。
その男子の風貌は有り体に言って不良だった。
不良……何よりも平穏を望むオレとしてはあまり近づきたくない部類の人間である。
オレのほうを見て、不良男子はニッと笑う。
むき出しの八重歯は動物の鋭い犬歯に見えなくもない。
不良男子ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
そして目の前まで来て―――
「よっ、雁耶」
「隆弘」
気さくに挨拶してくる不良男子。
オレもそれに答える。
真に残念なことだが、この不良男子はオレの知り合いだったりする。
こいつは逢坂隆弘、中学からの付き合いでよくつるんでいる友人だ。
「今日も朝からテンション低いねぇ、お前は。……ん、なんだ、今朝は一発で済んだのか」
もの珍しそうにオレの顔を覗く隆弘。
なんのことか説明すると、ここで言う一発とはオレが皐月に殴られた回数のことである。
何故こいつが、今朝オレが殴られた回数を知っているのか?
簡単なことだ。多分オレの顔を見れば、誰でも分かるはずだ。
なんせオレの左頬には真っ赤な拳の形のスタンプが出来ているんだから。手のひらではなく拳、グーだ。
…既読はいっぱいつきそうだけど、別にオレの顔はLINEのトーク板じゃないからね?
「あぁ……右手で思いっきりな…」
それはもう…抉り抜くようなストレートでした。
「ハハハ! そいつは朝からお疲れさん。お前も大変だな」
隆弘はオレの肩に手を置いて、清々しい笑みを送ってくる。
…恨めしい。
他人事みたいに言いやがって………まぁ実際他人事なんだけど。
人間、貧乏くじ引いてる奴を見てると、自分じゃなくて良かったーって心底思うもんだ。
……誰か代わってくんないかな、このポジション。
このままじゃ身体がいくつあっても足らない。
毎日殴られた回数を更新している気がする……殴られた数選手権なんてあったら、オレ優勝できるんじゃね?
「しっかし、お前らホーント厭きないよなぁ、よくもこう毎日毎日喧嘩出来るもんだ」
「関心してんじゃねぇよ…」
別に喧嘩したくてしてるわけじゃねえし。あれは単に、あいつの手の早さが問題なだけだ。
「もう少しお淑やかになってくんねぇかなぁ……姫川を見習って欲しいよ」
「そいつは難しいもんだな。篠宮と姫川はまたタイプが違うだろ」
「…だよなぁ」
「オレとしちゃぁ、皐月はあれくらい元気なほうがいいと思うぜ。それに…」
そこまで口にして隆弘は、ニヤッと軽薄な笑みを浮かべる。
「なんだよ、その顔?」
「いんやぁ~? まあ、せいぜい頑張れ」
「お前、楽しそうだな?」
「まあな! お前ら見ていると退屈しねえもん」
「殴っていいか?」
「おっと! そろそろホームルームが始まるな。それじゃまた後でな」
そう言って自分の席へ戻っていく隆弘。
けっ、二度と戻ってくんじゃねえ。
キンコーンカンコーン
本鈴のチャイムが鳴り、朝のホームルームが始まる。
出席を取っている最中、皐月をチラッと見ると、表情こそは平静なもの、眉が少しだけ吊り上っていた。
…あれは怒っているな。
通学路での件をまだ根に持っているようだ。
「はぁ…」
この後今日一日、何事もなく過ごせますように。
オレは窓の外を見つめて、そう願った。