~円城家の朝3~
家から出ると校舎へ向かう道は咲き乱れた桜の花びらに覆われていた。
四月とはいえ頬を打つ風はまだ肌寒く、身体が縮こまってしまう。
毎日欠かさず踏みしめてきた通学路だが、今日に限りそれも変わったものに見えなくもない。
「すっかり春景色ねぇ」
感慨深そうに呟くのはオレの隣を歩く皐月だ。
オレ達はこの近くにある鴉山学園に通っており、今年で二年生になる。
「ねぇ、雁耶。あの子達って、ひょっとして新入生かな?」
「ん?」
皐月にうながされて前を向くと、真新しい制服に身を包んだ女子の姿がチラホラと見られた。期待と緊張を隠せないのか、初々しい表情だった。
その姿を見て、自分もああだったのだろうか? なんて考える。
昔の自分。
あまりよく思い出せない。
彼女達のようになにかに期待しながら学校へ向かっていただろうか?
去年のことなのに、なんだか遠い存在のように感じる。
おかしな話だけど、オレは過去の自分についてはあまり覚えていない。
くそ生意気だったのは間違いないんだろうけど、そんなの思い出したっていいもんじゃないだろ?
だから棚の奥に仕舞いこんで、鍵をしておく。
決してその棚を開けないように鍵も捨てて。
そうやってオレは生きてきた。
これからもそれは変わらないだろう。
でも。
だからこそか、少しだけ目の前にいる新入生達が羨ましく思えたりもする。
「そうか…」
新入生を見て、思い出した。
今日は入学式だ。
新入生達が新しいスタート地点に立つ特別な日。
なるほど。
こんな気持ちになるのはきっとそのせいだ。
「私達も先輩になるのかぁ…後輩が出来るのって、ちょっと楽しみよね。はぁ~可愛い娘に篠宮せんぱーい、とか呼ばれてみたいなぁ」
過去を振り返っているオレとは反対に、皐月はこれから先の未来に思いを馳せていた。
すっげえ楽しそうだな、こいつ。
遠足前の子どものテンションだ。
「そうか? 別に先輩も後輩もそう大して変わんねえだろ。たかだか年が一つ二つ違うだけだし」
「あんたは楽しみじゃないの?」
「別に。後輩と関わるとか面倒くさい」
「なんであんたって、そう非生産的なのかな」
「非生産的って……お前な」
個人的に、そこはせめて現実的と言ってもらいたい。
新しく入学してくる後輩達。
彼らは入学したその時から親・教師・上級生達から、成績の良し悪しとか部活の戦力とか、そういう訳の分からない期待と信頼を押しつけられる。
当たり前のことではある。
だが勝手に寄せられた期待なんて、当人達からすればプレッシャー以外の何物でもない。しかも期待にそぐわなければ、落胆されることもある。
勝手に期待して、勝手に失望する。それはひどく理不尽なことではないだろうか?
そもそも期待とは表に出すものではなく、人知れず心の引き出しに仕舞っておくものなのだ。
目に見えるようならそれはもう違う。期待という名の支配だ。
そしてストレスでもある。
ペットが構い過ぎでストレスがかかるのと同じだ。
過度の干渉は負荷でしかない。
なら最初から接さない方がいい。
そうすれば誰も傷つかない世界が出来るんだから。
「昔のあんたはもっとこう熱かったのになぁ」
新入生達、或いはその向こうにそびえ立つ桜、どこを見るわけでもなく、前を向いて皐月はそんなことを口にする。
「いつの話だよ」
「中学の頃」
「覚えてねえよ」
苦笑混じりにそう返す。
嘘じゃない。
中学の自分なんて全く覚えていない。
「あんたは……変わったよね」
「そうか?」
「うん、高校に上がってから、ずっと続けていた剣道も辞めちゃったし」
「剣道か…」
そう呟いてなんだか無性に懐かしい気分になった。
オレと皐月は小学校の頃から剣道をやっていた。
自慢じゃないが、オレは結構腕が立つ方で、小・中学の公式な試合では一度も黒星を取ったことはない。
あの頃は純粋に楽しかったし、これといった趣味がないオレにとって唯一打ちこめるものだったかもしれない。
皐月とはお互いに剣の腕を切磋琢磨したものだ。
でも高校に入ってからは剣道部に入らなかった。
特に理由があったわけじゃない。
高校生になったオレは部活よりもバイトがしたかったんだ。
遊ぶお金が欲しい年頃になった。
そういうことなんだろう。
そんなオレに対して皐月は剣道部に所属している。
聞いた話じゃ県内でも指折りの実力者と呼ばれているらしく、この前の大会では個人戦全国ベスト8という快挙を叩きだしていた。
よく表彰式で金ピカのトロフィーや派手な賞状を貰っており、将来剣道部の看板を担うだろうと噂されている。
多分もう皐月に剣道じゃ勝てないだろう。
……素手でも勝てないんだけどね。
「雁耶、また剣道をやるつもりはないの?」
「うーん、もう一年も竹刀を握っていないしな」
左手をぐっぱっぐっぱと握りながら答える。
最近じゃ握るものといえば、携帯ゲーム機くらいだ。
他にもなくはないが、ちょっと下ネタになるので言及については遠慮する。
「実はね、部長があんたのことをかなり買ってて、いつも連れてこいって言ってるのよ」
「新海さんが?」
「そっ。……だから、あんたにその気があるならウチはいつでも歓迎よ?」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、オレみたいな半端モンがいきなり出てきても迷惑なだけだろ」
「そんなことないわよ」
いや無理だろ。
一年ブランクがある奴がそんな優遇扱いで入部すれば、少なからず快く思わない人間が出てくるはずだ。
そうなれば当然、部員達の仲に亀裂が生じてしまう。
「文句を言ってくる奴がいるなら、剣で叩きのめしたらいいじゃない?」
「無茶言うなよ…争い事は嫌いなんだよ」
「………じゃあやっぱりまた剣道を始める気はないの?」
「そうだな、そのつもりはない。それにオレ、あそこの人達ちょっと苦手だし」
「えぇっ?なんでー!?」
「…お前のせいだよ」
ボソッと皐月に聞こえないくらいの声で呟く。
「なんか言った?」
「なんでもねぇよ…」
「なんか怪しいわね……まぁいいや、でもなんでウチの先輩達が苦手なの? あんなに良い人達なのに…」
……オレが剣道場に行くと、女子部員達にお前とのことでいろいろ詮索されるんだよ。
ねえねえ、円城君って、さつきんと付き合ってんの? (部員A)
いつも一緒に登校してるよねー? …もしかして一緒に住んでんの? (部員B)
昔からの幼馴染なんでしょー? どーなのどーなの? 好きなのー? (部員C)
羨ましいねえ! あんな可愛い子が傍にいるなんて! ヒュー! (部員D)
…それはもう死肉にたかるハイエナの如き勢いだった。
円陣を組むように囲まれ、答える隙もなく、繰り出される質問のラッシュ。
怖かった……。
女子という生き物の豹変は恐ろしい。
そんな体験のせいでオレはあそこの人達に並々ならぬ苦手意識を抱いてしまったのだ。
別に悪い人達じゃないんだけどねー。
……因みに、男子部員達は全員オレを殺す目で見ていたが、その辺りは本当に思い出したくないので割愛させてもらう。
「……いろいろとあるんだよ、いろいろ」
「いろいろ……ねぇ」
ふーん、と皐月は訝しげな視線を向けながら、むくれる。
部活の仲間が嫌われているように感じたのか、えらく不満そうだった。
嫌ってるわけじゃない。苦手なだけだ。
剣道部だけに限ったことじゃない。
オレはああいう人の集まりが好かないのだ。
チームとかグループなんて特にだ。
いつからそう思うようになったのかは分からない。
昔はそうじゃなかったのかもしれないけど、なんでかは覚えてないんだ。
それからしばらく無言で歩いていたが、ぼんやりと遠目に校舎の姿が見えてきた時だった。
そうだ! と急に声を上げる皐月。
「ねえ、雁耶?」
「どしたー?」
「今度…近いうちにでも一回ウチの道場に来てよ?」
「は? なんで?」
ふっふっふと得意げに微笑んでピシッと人差し指を差してくる皐月。
「あんたに先輩・後輩の楽しい交流ってやつを見せてあげる。きっとウチの部活を見れば、さっきみたいにふざけたことも言えなくなるはずよ!」
どうよ! とも言わんばかりに、そこそこの胸を張る皐月。
「嫌だよ、面倒くさい」
「そうやって自分から動こうとしないからダメなのよ。いい?絶対に来んのよ? じゃなきゃ、その首根っこ掴んででも連れて行くからね!」
「オレは猫かよ…」
猫の様に暮らしたいとは言ったけど、そういう扱いは求めてないんだよなぁ。
皐月は口にしたことは必ず守る奴だ。こいつのことだから、本当にオレの首を引っ張ってでも連れて行くだろう。
ちっ、しゃーねえーなー。
「分かった……そのうち顔出すよ」
「うん!」
ニコッと満面の笑みを浮かべて頷く皐月。
あれだな……こいつは見た目がなまじ美人な分、怒るとすげえ怖いけど、笑うと結構可愛いんだよな。
「でもなぁ…正直、行っても、あんまり意味がないと思うぞ?」
多分またオレが囲まれて質問責めに合うだけの気がする。
ああ…想像しただけでも恐ろしい!
「そんなの行ってみなくちゃ分からないじゃん?」
いや、そんなことはない。これでも自分のことは誰よりもよく分かっているつもりだ。
オレの信条は嫌なもんは嫌――一度でも嫌だと思ったら、何が何でも認めないことだ。
誰から何を言われようと関係ない、大事なのはオレが嫌だということ。
「……後輩と関わるとか面倒くさいって言ったけどさ」
「なんだよ?」
「もしもよ? めちゃくちゃ可愛い後輩の女子が『せんぱーい♡お願いがあるんです~』って相談に来たらどうする?」
「ハッ、それはねぇよ」
思わず鼻で笑ってしまった。
「前提自体があり得ない。何故ならオレみたいな奴に相談したい人間なんていないからだ」
後輩はおろか先輩・同級生にもそんな奴いない自信がある。
フッ、我ながら寂しい人生だぜ…。
「うわぁ…寂しい…けど…そうだよね…」
実際に想像したのか、皐月はドン引きの表情でうんうん頷いて納得していた。
正直、本人の前でそういう顔は止めてほしい。
……実は結構傷ついたりするんですよ? 皐月さん。
自覚するのと、他人に言われるとでは、何故こうもダメージが違うのだろう?
「ていうか、めちゃくちゃ可愛いってなんだよ? 曖昧過ぎて、いまいちイメージが沸かん」
もうちょっと具体的じゃないと、と言うと顎に指を当てて皐月は少し考える。それから恥ずかしそうにこう言った。
「……私…みたいな……とか?」
「……………」
「ちょっ! なんで黙るのよ? なんか言ってよ、恥ずかしいじゃない!」
「何言ってんのお前?」
そう口にした言葉は自分でも分かるくらい酷く冷めていた。
…驚いたな、今の発言にはオレも引いた。
だってこの幼馴染、今…自分で自分のことめちゃくちゃ可愛いって言ったんだぜ? どんだけ自分に自信あるんだよお前……。
確かに外見だけなら可愛いかもしんねえけど。
「なぁ、皐月……自分に自信を持つのは大事なことだと思う。けどな? 自意識過剰はあまりよくねぇぞ?」
ここは天狗にならないように、あえてこう言うべきだろう。
「…………っ!!」
わなわなと肩を震わせ絶句する皐月。
羞恥のあまり声も出せないらしい。
耳まで真っ赤になると、皐月はものすごい剣幕でキッと睨みつけてくる。
視線で人を殺さんばかりの形相だった。
あ……ヤバイ。
これいつものパターンだ。
この展開の結末に気づくものも、もう遅い。
「こ…の……」
「ま、待て皐月! ぼ、ぼ暴力じゃ何も解決しないぞっ!?」
「るっさい! ……っの、バカ―――!」
そう叫んだのと同時に、渾身の右ストレートが左頬に炸裂した。