~剣×剣7~
皐月との仲違いはこれで終わりです!
勝った…?
新海さんの声を聞いて、すぐに思ったのがそれだった。
「ハァハァ」
動くのを止めて、乱れきった呼吸を整える。
「はーい、二人とも面を取ってもいいぞー」
気の抜けるような声音で言う新海さん。
頷いて、面を外す。
うーん涼しい。
地獄の蒸し暑さから解放された爽快感はたまらなかった。
「ふぅ。……ん?」
なぜか面を外そうとしない皐月。
「……ほら、さつきんも。勝負は終わったよ?」
再度、新海さんにそう言われ、皐月は不服そうに面を取る。
露わになった顔を見て、ギョッとした。
試合前よりも、ここ一週間―――いや、それ以上にムスッとした表情。
見るからに超不機嫌そう。
「……なんで、止めたんですか、部長?」
怒気のこもった声。
「私はまだ斬られていません。まだ……勝負は終わってないはずですっ!」
「いやいや、終わったって。さつきん、君の負けだよ」
オレなら間違いなく逃げてる。
それくらい怒っている皐月を前に、新海さんはキッパリと答えた。
「確かに竹刀は身体に当たっていなかった。円城君が意図的に止めたからね。本来ならあり得ないことだけど、今回は円城君の勝ちだよ」
「どうしてっ!?」
「それはさつきんが一番よく分かってるんじゃないかな?」
「……っ!」
押し黙る皐月。
どういうことだ?
「得物を巻き上げられた時、自分が斬られるのを悟ったはずだよ?」
「そんなことは…」
「あるよ。あの時の君は完全に静止していた。心のどこかで敗北を受け入れてしまってた。だから負けたのはさつきんだ」
「そ……そん…」
「素直に認めなよ。常々前から思っていたけど、さつきんはやや強情なところがあるよ? それじゃ自分が辛いだけだし。振り回される周りも迷惑だ」
「…………はい」
迷惑、そう言われて、しゅん、と凹む皐月。
今さっきの態度はいずこへ。
悲壮な表情で俯いたまま、動かなくなってしまう。
なんかもう、見ていて可哀そうに思える変貌ぶりだった。
「それにね」
だというのに、まだ新海さんの話は終わらない。
止めて下さい、皐月のライフポイントはもうゼロですよ。
「本音を言わして貰えば、さつきんに怪我してもらいたくないのもあるんだ。君はウチの剣道部に必要不可欠な人材だからね! 公式戦でもない試合で負傷なんてしたら大変だ。部長としてそこは譲れない」
「え…?」
意外なことを言われ、顔を上げる皐月。
皐月だけじゃなく、オレも驚いた。
「こっちもさつきんの我儘に付き合ってあげてるんだ。これでフェアってことにしようじゃないか」
二カッと歯を見せて笑う新海さん。
それは、部長としての、純粋な部員への心配。皐月のことを気遣ってくれていた証だった。
「さ、話は終わりだ。それじゃ、片づけしようか?」
少し間を置き、慌てて頷く皐月。
どうなることかと不安だったが、とにかく勝負はオレの勝ちで終わった。
でも、あれは勝った、とは言い切れない。
判定もだが、オレは皐月の戦法や癖を知っていたから、かろうじてなんとかなっただけ。本当なら負けていたのはオレだった可能性が高かったのだ。
……一本試合でよかった。
竹刀と防具を元の場所へ戻し、借りた剣道着を脱ぐために更衣室へ向かう。
その途中、新海さんに呼び止められた。
「円城君、最後のアレ。わざとじゃないんだろう?」
目を横にずらす。
皐月が女子更衣室へ入っていくのを確認して、答える。
「……やっぱり新海さんには分かりましたか」
「まあねぇ。多分さつきんも気づいてるよ」
「ええ、思いっきり舌打ちされました」
あれは恐らく、勝負を侮辱されたと思ったんだろうなぁ。
皐月には悪いことをした。
「私としては双方に怪我なく終わり、安心したよ。君とさつきんが本気で闘ったらどうなってたことやら。ありがとう円城君」
「礼なんか止めてください。アレは…単にオレが意気地なしなだけです」
狙ってこうした訳じゃない。本当は面を打ちこむつもりだった。
でも、出来なかった。
「……メンが打てないのは、やはり昔の事故のせいかい?」
「……知ってるんですか?」
「私も長いこと剣道をやってるからね。そういう情報は聞こえてくるのさ」
「マジですか」
情報網って怖いなぁ。
誰にも話してないのに、いろんな人に知られてしまっている。
「知らないかもしれないけど、君はこの業界じゃ有名人だったからねぇ」
意地悪そうに笑う新海さん。
その笑みは隆弘のモノと似ていた。
「君は剣道が出来なくなったわけじゃない。したくなくなっただけだ。それも知れて安心したよ」
「それ、どっちも同じじゃないですか?」
「違うよ、“出来ない”と、“しない”ではまるで意味が違う。強制的か、自発的でないのか、その二つはまるで別の意味合いだ」
指を二本差し出して、人差し指をピコピコ動かす新海さん。
そのうち中指を丸めて、ビシッとオレを指差した。
「私はまだ、君の勧誘を諦めていないからね!」
そう言うや、クスリと笑って、振り返る。
「さつきんのこと、頼んだよー。もしまた泣かせたりでもしたら、今後、君のことは女泣かせって呼ぶからー」
「それだけは勘弁して下さい!」
その呼び名が定着したら洒落にならん。
確実にオレの世間体が、スクールライフが崩壊する!
「じゃ、後はよろしく~」
新海さんは鍵だけ放り投げて渡すと、ひらひらと手を振って、去って行った。
さっきの言葉が本気でないことを祈りたい。
あの人はそこんとこ読めないから怖い。
「はぁー」
オレも着替えるか。
勝ったら一つだけ聞いて貰えるお願いも考えないとな。
峠は越えたが……これからが本番だ。
皐月という嵐が沈めないと。
さて、一段落ついたところで、まずは飯!
久しぶりの運動で腹ペコなんで、オレ達はいつぞや隆弘と行ったモスドに寄った。
無論、アオ姉には連絡はしてる。
そうじゃなきゃ、翌日からしばらく飯抜きコース突入してしまうからな。
「それじゃあ、まずはお二人さん、腹を割って話そうか?」
本日のお題目は和平対談。司会進行は隆弘。出演者はオレ、円城雁耶。本日のゲスト、篠宮皐月。
「ええと、んじゃまず……例の約束、聞いて貰っていいか?」
ぎこちなく発言する。
「まぁ……勝ったのはあんただし。いいんじゃない?」
不貞腐れ気味に答える皐月。
相変わらず怒っているみたいだけど、返事が返って来るだけでも進歩した方だ。
「まず、オレの話を聞いて、怒らないでくれ。頼むから最後まで話させてくれ」
「それがお願い?」
「ああ。隆弘もいいな?」
ニヤッと笑って、頷く隆弘。
「オレは初めから構わないって、言ってるぜ?」
「そうだったな」
それでも念のため、最後に確認しておきたかった。
これから話すことは、オレが勝手に喋っていいことじゃない。
一応言いだしっぺは隆弘だし。
「ねえ、話って……なんのこと?」
「お前が知りたがってたことだよ」
「えっ?」
「………知りたいんだろ? どうしても」
「……うん」
「そのかわり怒るなよ? 絶対怒るなよ? 必ず怒るなよ?」
皐月はこくりと一回、力強く頷いた。
…………………。
「―――ということなんだ」
あらかたこれまでのあらすじを、オレなりにダイジェスト化して全部話した。
嘘や隠し事もない、ありのままの体験談を。
皐月は約束通り怒らなかった。なにも言わずに最後まで聞いてくれた。
と、思ったのだが。
「皐月さん?」
話し終えたところで、いきなり拳を握りしめて、震え始めた。
ガタガタ揺れるテーブル。
注文しておいたハンバーガーやポテトが、トレイの上で小躍りする。
これ……ヤバいんじゃないか?
若干、危機感を感じ始めた時、いつの間にか隆弘の姿は席になかった。
あの野郎――っ、逃げやがった!
まさかの裏切り!
親友を戦場に置き去りしていくなんて…………親友じゃねえっ!
消えた親友。目の前には爆発までのカウントダウンに入った地雷。そしてその地雷を踏んでいるオレ。
今この時、店内のこの席は正に地雷原と化していた。
てゆーか待って! お前約束したよね?
絶対に怒らないって頷いてくれたよね?
ここで怒られたら、オレは一体なんのために闘ったんだ?
隆弘の野郎、なにが理解してくれないほど、肝っ玉が小さくないだよ!?
全然分かってねえぞ、こいつ。
席を立って、その場から逃げようとした時だった。
ドゴン―――
天地を翻すような轟音。
なに事だと思ったら、皐月が自分の頭を思いっきりテーブルに叩きつけていた。
突如起きたクレイジーな行動。
ザワッとどよめく周囲の客。
「お、おい、なにしてんだよ!?」
「ふぅ、これで落ち着いた」
真っ赤になったおでこをさすりながら、涼しげな顔の月。
見るからに痛そうだ……。
「ええと、皐月……?」
「なに?」
どうかした? という顔の皐月。
「今のは……なんだ?」
「いや、ちょっと頭に血が上ったから、冷静になろうと思って……なんか変?」
「おおいにクレイジーだよ……超おかしい…つか周りの客がもの珍しそうな目で、すっげぇオレ達を見てるんですけどぉっ!?」
周りを見ると、他の客が全員、なにごとかとこっちに首を曲げていた。
怒りを鎮めるために、頭をぶつけるとか…。
漫画の読み過ぎだろ……お前。
「な、なによ? いいじゃん。なんとか抑えたんだから」
「そんなにムカつく内容だったか?」
そう聞いた瞬間、皐月の眉間に深々としわが刻まれた。
チワワからドーベルマンへの変貌。カエルを睨む蛇、或いは鬼、と言えばいいだろうか?
今にも角が生えておかしくなかった。皐月じゃなくて殺鬼だ。
こめかみの血管をビキビキ言わせつつ、冷静な態度で答える皐月。
「そりゃあもう……三回は殺してやりたくなったわね」
ひえぇぇぇぇぇ。
よかった、事前にお願いしといて。
「まぁ、でもせっかく話してくれたんだし。それに約束は守らないと、でしょ?」
まぁ、そうだよな。
こいつが言い出した約束だもんな。いくらなんでもそれを自分で破りはしないか。
「あ、もう一ついいか?」
「なに?」
「お前、なんたってそんなに、オレと隆弘のやること知りたがるんだ?」
「え?」
「いや、ここまでそのことに執着するのはなんでかなって」
「そ、それは…」
グッと口ごもる皐月。言いにくそうに身体をよじらす。
前々から思っていたが、こいつは必要以上にオレに干渉し過ぎな節がある。
四六時中くっついてくるとか、粘着質とか、そういう度を越したものとは違うが、オレと隆弘がつるんでる時、いつも皐月はなにをしているのか聞いてきた。
いつもだ。例えそれが取るに足らないことでも。
昔から一緒だったが、高校に入ってからそれが顕著になってきた。
「……って」
俯きがちに答える皐月。
針に糸を通すみたいにか細く、繊細な声だった。
皐月はその声をなんとかつなぎ合わせて、言葉にした。
「だって…雁耶…全然、構って、くれない…だもん」
「は?」
今、なんてった?
聞いて、肩がガクッと落ちた。
怪訝な目で皐月を見ると、皐月は決壊したダムから流れる水の勢いで一気に喋り始めた。
「高校に入ってから、剣道辞めちゃうし。いつも隆弘とばっか一緒だし。なんか前より……素っ気なくなった」
「お前……なに言って…?」
「そりゃ、高校生にもなったらさ。なにか変ってもおかしくないよ? 新しくやりたいこととか、それまでやってきたことが嫌になったり……そういうの、あると思う」
それは血のような言葉だった。
発する声が喉内部をえぐり、口から吐き捨てられた血。
そう思えるほど辛そうに皐月は口を、喉を動かす。
赤く滲んだ言葉は、鋭いナイフとなり、オレの胸に突き刺さった。
ずぶずぶと深く。そして焼けるような熱を起こす。
「でもさ…わ、私は……それが、どうしても…嫌だった」
声はやがて嗚咽混じりのモノになり、気がつくと皐月の目には光る雫がこぼれていた。
「お、おい…泣くなよ」
「泣いてない!」
言い返しつつも、グスッと鼻を鳴らして、両手で瞼をこする皐月。
オレはその姿を目にして狼狽える以外、なにも出来なかった。
「いや、どう見ても泣いて……」
「泣いてないったら泣いてない!」
とにかく皐月はそう言い張った。
「うっ……ううぅ」
両の目から次々と溢れてくる涙を、何度も拭う皐月。
参ったな……今になって分かった。
どうしてオレが頑なに皐月へ、旧校舎のことを教えたくなかったのか。
オレは、………こいつのこの姿が見たくなかったんだ。
昔、オレと隆弘が警察に補導されたのを思い出す。
あの時、皐月はカンカンに怒ってたけど、その後で泣いていたんだ。
それこそ丁度、今みたいに。
その顔を見たくなくて、自然と無意識に、心のどこかで皐月を避けていた。
いや、それ以前に剣道を辞めたことで、裏切りに似た引け目を感じていたのかもしれない。
「要は、構ってもらえなくて、やきもち妬いていたってこったな」
声がする方に顔を上げると、隆弘が立っていた。
「隆弘……お前、どこ行ってたんだよ」
「トイレだよ」
しれっと答えて、席に着く隆弘。
嘘だと、すぐ分かった。
どうせ、さっきの会話を遠くから聞いてたんだろう。
オレと皐月、二人だけの方が話しやすいと思って、こいつなりに気を利かせたってとこか。
最後の最後で全く、的確なお世話を……。
「オレなんかより、皐月に言うことがあんだろ? そこはちゃんとしろよ」
「……言われなくても分かってるよ」
これは元々オレと皐月の問題だ。だからケリを着けるのはオレじゃなくちゃいけない。
未だに泣き止まない皐月を正面から見据えて、そっと優しく呼びかける。
「皐月…」
反応して、ゆっくりと顔を上げる皐月。よほど泣いたからか目元が真っ赤になっていた。
「ん…?」
「ごめんな、オレ…お前がそんなふうに考えてたなんて全く気づかなかった。なにも……考えていなかった」
「……ホントだよ」
「オレさ、確かにお前を関わらせないようにしていたとこ、あったと思う。自分でも気づかない内にお前から距離を取ってたよ」
「グスッ…」
オレは馬鹿だ。こんな些細なことで皐月を泣かせるなんて……全く、ホントどうしようもない馬鹿だ。
ゴン―――
まっすぐ頭を叩きつけて、オレは“素直”に自分の気持ちを口にした。
嘘偽りないオレの本心を。
「悪かったっ! いくらでも殴っていい。蹴ってもいい。罵っても構わない。……だからさ、泣かないでくれよ。お前のそんな顔……オレ、見たくないんだ」
「………」
皐月はなにも答えない。
しきりに流れ出る涙を、紙ナプキンで拭うばかりだ。
泣き止むまで、なにも言わず黙って、皐月を見ていたが、あまりにも涙が止まらず、濡れた紙ナプキンの束が出来上がってきた。
どんだけ水分出てんだ…。
積み重ねられた紙ナプキンの束を見ていて、段々、違う意味で心配になってきた。
チーン、と鼻を噛んで、やっと皐月は口を開いた。
「……もうしない?」
ポツリとこぼれた涙声。
その声は小さ過ぎて、よく聞き取れなかった。
「ん?」
「こういうこと、もうしない?」
「……あぁ。もうしないよ。約束する」
「ホントに?」
「ホントに」
「………」
「……ダメか?」
「ううん……いい………許す」
「そっか」
許す。そう言われた瞬間、肩が軽くなった気がした。
もう憂鬱な気持ちはない。
ようやく楽になれた。
お世辞なんかじゃなく、本当にそう思えた。
「ありがとう」
剣と剣を交え、オレと皐月は生まれて初めて、ちゃんと仲直りをした。
次回、最終章、~鴉山の神隠し(再)~に続く。




