~剣×剣1~
翌日、朝のことだ。
机に突っ伏しているオレを心配気に眺めてくる隆弘。
「なぁ雁耶、お前……あれから篠宮とはあのまんまなのか?」
「あぁ…」
「お前、今までで一番酷い顔してるぞ?」
「あぁ…」
説明しよう……。
現在、オレの顔は左頬を真っ赤に腫らして、鼻にティッシュを詰めこんでいる。
これをやったのは聞くまでもないだろうが、皐月だ。
あいつ、今朝部屋に入ってくるなり、いきなり人の寝顔を思いっきりぶん殴りやがった。しかも無言で。
殴るなり、すぐ部屋から出ていくし、朝食の時もなんにも喋らないし。
……やっぱ昨日のこと怒ってんのかな。
あれ以来、皐月は喋ってくれない。
こちらからなにを話しかけても全部無視だ。
必要最低限のことは頷きで返してくるが、目は合わしてくれない。
それでも律儀にオレを起こしに来る辺りはあいつらしい。
全く自分の決めたルールには厳しい奴だよ。
息苦しいだろうに。
「正直に言えばよかったんじゃねえか?」
「出来るかよ……そんなこと」
旧校舎で人体実験が行われていた。
そのことを告発するために、昔の失踪事件を調べてる。
なんて言えるかよ。
「だからって今の状態は良くねえぞ。ギャルゲーで例えるなら悪い選択肢の中でも最も悪い奴を選んだ展開だ」
「ギャルゲーなんてやったことないから分かんねえよ」
「マジかよっ!?」
クワッと目を見開き、大声で驚く隆弘。
え……なにその反応。
そんなにびっくりすることなの?
なんかオレが常識外れみたいじゃん。
「勿体ねえなぁ。んじゃ、今度面白いソフト一本貸してやるよ」
お前、そのナリでギャルゲーやってんのかよ。
本当に不良なのか? それともオタクなのか?
全くインテリ不良という奴はちっとも理解出来ない。
「そいつをプレイすりゃ、ちっとはマシな気分になるだろ」
「いや、別にいらないんだけど」
今はゲームなんてやってられる気分じゃねえんだよ。
ましてや、ギャルゲーなんぞしたくないわ。
そういう美少女モノは免疫がないから、生理的に受け入れない。
「なんだよ、んじゃエロゲーならいいか?」
「そういう問題じゃねえっ!」
おい、ちょっと待て!
エロゲーまで持ってんのかよお前っ?
なんでンナもんまであるんだ!
お前、オタクだろ? それもへヴィーな! 本当はそうなんだろ?
「おいおい、一体なにが不満なんだよ?」
「全部だよ! てか学校でエロゲーとか口にすんな! お前のせいで、またオレに変な名前つけられたらどーすんだよ?」
ただでさえ、オレには帰宅部のエースなんて異名があるのだ。
それだけで十分だ。
いや、全然十分じゃないけど。
「まぁ、冗談はさておき。お前、篠宮とのこと……どうすんだ?」
「どうもこうもねえよ」
「放っておくのか?」
「別にこういうのは初めてじゃない。前にもあったことだし、そのうちなんとかなるだろ」
皐月とは過去にも何度か似たような喧嘩をしたことがある。
その時も全く口を利かなかったが、一週間もすれば自然と仲直りしてた。
だから今回も放っておいても大丈夫だろ。
「確かにそうだけどなぁ」
どうも納得いかないのか、隆弘は不安げな装いだ。
そういや今日はやけに朝からオレに構ってくるな、こいつ。
もしかして心配とかしてくれてるのか?
だとしたら気持ち悪いなぁ。
隆弘が人の心配なんてこっちが落ち着かないっつーの。
「一つ聞いていいか?」
「なんだ?」
「お前、なんたってそんなに旧校舎のことを篠宮に教えたくないんだ?」
「言ったろ、あいつ超怖がりなんだよ」
「本当にそれだけか?」
「どういう意味だよ?」
「だったらそう説明すりゃよかったじゃねえか。なのにお前はそう言わなかった。なんでだ?」
「……説明するのが難しいんだよ」
あいつ、オレが嘘つく時の癖知ってるから、適当には言えないんだよな。
「オレは篠宮ならホントのこと話しても大丈夫だと思うけどな」
「お前、それマジで言ってんのか?」
「マジにだ。確かにあいつは頭が固いところがあるけど、それを理解してくれないほど、肝っ玉の小さな女じゃねえだろ」
「そうかぁ?」
あの短気さを見る限り、そんなことはないと思うんだけど。
隆弘は愕然としてため息を吐く。
「やれやれ、こりゃ篠宮も怒るわけだわな」
「……はぁ?」
「雁耶よぉ、お前はもうちょい篠宮のことを見てやるべきだぜ。いっつも近くにいるんだからそれくらいは分かってやれよ」
「なんだよ、オレが悪いのかよ」
「今回はどっちかっていうと、お前の方に原因があるな。多分、姫川や伊織ちゃんに聞いても同じこと言うと思うぜ?」
やけに尖った物言いをする隆弘。
いつもと比べて若干辛辣っぽさがある。
あれ? 今ひょっとしてオレ、説教されてる? 怒られてる?
机上にぬべっと押し当てていた顔を上げると、隆弘は真顔だった。
常に浮かべている、唐突に殴ってやりたくなる、あの軽薄そうな笑みはない。
ガチでマジな態度だ。
「もういっぺん聞くぞ。なんで篠宮に旧校舎のことを隠すんだ?」
「そんなの……」
いざ口にしようとすると言葉が出なかった。
なんでってそりゃ、あいつは怖がりだから怯えさせたくない訳で……それにもしオレ達のやってることを知ったら、今以上に面倒臭いことになるんだ。
絶対に怒る。いや、もう怒ってるんだけど。
とにかく邪魔になるんだ。鬱陶しいんだ。
―――本当にそれだけか?
不意に、自分の中で誰かがそう尋ねてきた気がした。
それが円城雁耶の本心か? そんなものがお前の理由か? と誰かが吠えている。
リピート再生された音楽プレーヤーのように何度も止むことなく、繰り返し問いかけてくる声。
それがえらく癇に障って、不愉快だった。
うるさい、黙ってろよ。
オレのことならオレが誰よりも分かってるんだ。
すっこんでろ。
誰に向けてでもなく、そう念じるが、胸の奥底から沸き上がってくる唸り声は絶えず耳に入ってくる。
「雁耶」
が、隆弘の呼び声によってそれは打ち消された。
肩を竦めて微笑む隆弘。
それはいつもの軽薄そうな笑みでも、獲物を目にした肉食獣のような笑みとも違った。
姫川が常に見せる、皐月が時折見せる、純粋に優しさだけのもの。
「お前はよ、もちっと自分に正直になってみてもいいと思うぜ?」
「正直に……?」
「少なくとも中学の頃、喧嘩でオレに勝った時のお前は今よか素直だったぜ」
「皐月みたいなこと言わないでくれよ」
中学の頃なんてもう覚えてない。
思い出したくもない。
オレはもう過去のことは忘れようと決めたんだ。
昔の自分が嫌いで、許せなくて……今までの自分を捨てたんだ。
なのに、今そんなこと言われたら参っちまうじゃないか。
皐月といい、お前といい、なんてってみんな、昔のオレを高く評価するんだよ?
人がせっかく忘れてたものを無暗に掘り返すんじゃねえよ。
「とりあえず、篠宮とのことが片付くまでは神隠しの件、保留な」
そう告げて、手を振りながら自分の席へ戻っていく隆弘。
「えっ? ちょ…マジか?」
信じられない台詞だった。
嘘だろ? お前、寝不足になってまで必死に調べてたんじゃなかったのかよ。
これはオレだけの問題で、神隠しの調査には関係ないのに。
しかも皐月と仲直りするまでって……。
「そりゃ無理ゲーだろ……」
一週間もすれば、あいつも元に戻ってるはず。
そう思って、オレは今を耐えることにした。




