~鴉山の神隠し(中)1~
「ただいまー」
ぴしゃっと戸を閉めて、我が家へ帰還する。
玄関はしんと静まっており、当然迎えの人や声もない。
別に温かい抱擁しながら、ご飯にする? それともお風呂? とかそういうのを期待しているわけじゃないけど、家に帰ってなにもないってのは若干寂しく思っちゃたりする。
てか、それは新婚夫婦のやり取りですね。ことさらあるわけないな。うん。
靴を脱いでリビングを覗くと、縁側でアオ姉が胡坐をかいて煙草を吸っていた。
「…………」
その光景に思わずオレは見惚れてしまう。
……皐月の時とは違うベクトルで。
アオ姉は今年で二十二歳になる。
容姿性格ともに大人らしい立派なレディーだ。
それが……仮にもいい年の女性があぐら座りで煙草ってどうなんだろう?
しかも煙草をくわえてる姿が無駄に似合ってるもんだからたちが悪い。
そこいらの男よりも男らしくて、これほど男らしい人はいないんじゃないかと思ってしまうまである。
間違っても可愛いとか綺麗だなんて言えねえよ、言えてもカッコイイだ。
様になったアオ姉を眺めていると、オレの気配に気づいたアオ姉が振り返った。
「お帰り、雁耶。早かったな」
「ただいまアオ姉」
短い返事をして、オレは素早く隆弘から貰った写真集が入った紙袋を背中に隠す。
こいつを見られたらお終いだ。
ここまで頑張ってきたことが全て水の泡になる。
ちらっと視線をオレの方に投げると、アオ姉は吸殻を灰皿に押し当てて、立ち上がった。
「ちょっと待ってろ、すぐにメシにする」
言うより早く台所へと向かうアオ姉。
その頼もしい後ろ姿を見て、オレはなんだか申し訳ない気持ちになった。
オレが帰ってくるなりすぐにご飯作ってくれるとかアオ姉、優しすぎる。
普段は無愛想に見えるけど、すごいお人好しなんだよな。
強面のギャップ差って結構アリだと思うよ、アオ姉。
けど、だからといってそれに甘えてばっかなのはやっぱいけないよな。
「ならオレも手伝うよアオ姉」
そう伝えるとアオ姉は調理器具を出しながら、ふっと柔らかく微笑む。
「大した量じゃないから別に構わないぞ。それより先に風呂に入ってこい」
柔らかい声でそう言われてしまい、オレは苦笑して部屋に紙袋を置いて、風呂に向かった。
こうなったらさっさと風呂を済まして、手伝いに行こうと思ったが、風呂場を出た頃にはあらかた料理は出来上がっていた。
びっくりしたよ!
その驚く早さに、え? 料理ってある程度レベルが上がると高速で出来るようになるの? って聞いてしまったくらいだ。
実際はあらかじめ作っておいたおかずを温め直しただけというなんてことないタネだったんだけどね。
弟がいつ帰って来てもいいように、準備しておくアオ姉の手際はやっぱりすごい。主婦力パない。
掃除といい料理といい、もはやアオ姉はこの家になくてはならない存在だ。
なのでまだ嫁には行ってもらいたくないと思う次第であります。
「「いただきます」」
二人で手を合わせて食事にする。
テレビをつけて、それを眺めながら黙々とモグモグ食べる。
同じくアオ姉も黙ったまま箸を動かしている。
とくに会話することもなく静かに晩飯を食べる。
「………」
「………」
誤解しないでほしいけど、円城家の食事は基本こうなのだ。
オレもアオ姉もあんまり喋るほうじゃないんだよ。
我が家の食卓が盛り上がるのは皐月が同伴している時くらい。
これでも昔、アオ姉がこの家に来たばかりの頃に比べたら天と地の差ほどマシになったほうなんだ。
あの頃はお互いに距離感が分からなくて気まずいし、アオ姉を連れてきた親父も仕事でほとんど家にいないから大変だったな。
挨拶するのでさえギスギスしてたっけ。
「どうした? 急に笑い出して」
「いや、なんでもない。ちょっと昔のことを思い出しただけ」
「あまりよそでそういうの見せるなよ。気持ち悪がられるぞ」
「大丈夫だよ、その時は皐月が真っ先にオレを殴るから」
「それは大丈夫と言えるのか?」
若干呆れながら目を訝しめるアオ姉。
その問いに答えるのなら、答えはノーだ。
正直全然大丈夫じゃない。
「お前、学校でも皐月ちゃんに殴られてるんだな」
「先生のいないところではだけどね。まず職員室の近くとかでは絶対に手を出してこないよ……いや腹パンくらいならやられたことあるか」
確か『皐月、顔は止めときな、ボディにしとけ』って、隆弘の奴が言ったんだっけ。
「……お前の話を聞いていると、まるでお前が皐月ちゃんに虐められているように思えるんだが」
「あ、でも新塚先生の前ではそんなこともないな」
普通に顔殴って来るし、なんなら新塚先生も一緒になって攻撃してくるWでお得な仕様だ。
「伊織先生はそういうことには寛容だろうな」
懐かしそうに新塚先生の名前を口にするアオ姉。
実はアオ姉も鴉山学園の卒業生だったりする。
「確かアオ姉が学生だった時も新塚先生が担任だったんだっけ?」
「ああ、三年間ずっと同じクラスだったな」
「その頃からあんな感じだったのか?」
「あんな感じだったなぁ、とりわけ先生達の中では一番熱血だったよ。一度突っ走ると最後まで止まらなかった」
なるほど、あのスタンスは昔からなのか。
確かにあの人、ブレとかそういうのなさそうだなー。
まっすぐ生きてるって感じだもん。
「昔、あの人に言われて生徒会の手伝いをさせられたことがあってな」
はぁ…と溜め息を吐いて、頬杖をつくアオ姉。
当時のことがよっぽど辛かったのか、えらく顔をしかめていた。
こんなブルーな気持ちになったアオ姉初めて見たな。
名は体を表すとはこのことか。
ん? 待って、今…生徒会の手伝いって言わなかったか?
「アオ姉も生徒会の手伝いやらされたのか?」
「も、ってなんだ? ………もしかしてお前もなのか?」
「…先週くらいからやらされてる」
「そうか……」
同情するように顔を下げて、うなだれるアオ姉。
なんということだ……まさか、こんな身近にオレと同じ境遇を辿った先輩がいたなんて。
姉弟揃って同じとかどんな奇跡だよ?
もしかしてアオ姉もなんらかの罰でそうさせられたのかな?
だとしたら、それって奇跡!
太陽に沿って歩いたりはしないけど。
「アオ姉はさ、どのくらいの期間手伝わされたんだ?」
「二年生に上がってすぐだったから、約二年くらいってとこだな」
「二年生から約二年って、それ卒業までずっとじゃん!?」
聞きたくなかった。
そんな答え聞きたくなかった。
そのパターンだとオレも卒業まで生徒会に縛られるってことなんじゃないか?
うわぁ……嘘だろ、おい。
「まあ、でも内申点はおまけしてくれたのはありがたかったけどな」
「内申点プラスされるの?」
「一応生徒会への所属と同じくらいのステータスは貰えたぞ。伊織先生は働いたものには報酬を与えるのが社会のルールだって言ってたな」
ほほう。それはいいことを聞きましたね。
強制労働所に連れて行かれてお先真っ暗かと思ったけど、一筋の光明が差してきたぞ。
「それを聞いたらなんかやる気が出てきたな」
「でも結構辛いぞ? 皐月ちゃんから聞く話だとあの生徒会、今も多忙らしいじゃないか」
「大丈夫、今の生徒会長は優しいんだ」
そう、今の生徒会には究極の上司が、アルティメット・ボス・望みんがいる。
生徒会の仕事は嫌だけど、望みんのためならオレはどこまでも頑張れるぜ。
「姫川ちゃんだっけ? 皐月ちゃんの友達だろ」
「皐月から聞いたのか?」
「あぁ、その子のことを嬉しそうにベタ褒めしてたよ」
楽しそうに微笑んで話すアオ姉。
まぁ、あの二人親友だもんな。
オレと隆弘の友情とは偉く大違いだ。
隆弘をディスることならオレも負けないんだけど。
間違った友情で皐・望に張り合おうと思っていると、ふいにオレは、旧校舎のことをアオ姉に聞いてみてはどうだろうか、という考えが頭によぎった。
なんせ戦時中からある古い建物に、あの噂だ。
オレ達の年代以外にも耳にしている人間はいてもおかしくはない。
鴉山OBのアオ姉ならなにか知っているんじゃないかな。
「なぁアオ姉、鴉山学園の旧校舎って知ってる?」
そう尋ねるとアオ姉は小首を傾げて一間置くと、ああ、そのことに思い当たったように答える。
「学校から少し離れたところにあるあのボロい建物か。それなら知ってるよ。……どうしてそんなこと聞くんだ?」
「いや、今日隆弘の奴から聞かされてさ。ちょっと気になったんだよ」
オレは咄嗟に当たり障りのない答えを返す。
正直にそこへ行ってきた、とは言えなかった。
というのも今のアオ姉の声がやけに硬かったからだ。
「そうか……別にとやかく言うつもりはないんだが、旧校舎にはあまり近づくなよ」
それはぴしゃりとハッキリした口調だった。
「なんで?」
「昔…七年前だったかな。あそこで鴉山高校の生徒が一人いなくなっているんだ」
「え……?」
そう聞いた瞬間、オレは箸を動かす手を止めた。
「それって、どういうこと?」
上ずった声で聞くと、アオ姉は重々し口を開いた。
「鴉山の神隠し」
そう呟いて、アオ姉はテーブルの端に置いていた煙草を手に取る。
素早くジッポライターで火をつけて、ふう、と煙を吐く。
「当時はそう呼ばれていたんだが、今は全くもう聞かなくなったな」
「鴉山の神隠し?」
聞いたことがないな。
「あたしが高校に入ったばかりの頃、三年生の女子が行方不明になった。下校後、旧校舎の中に入っていくのを最後に、誰もその姿を見ていない―――そんな事件があったんだ」
淡々と喋るアオ姉の言葉にオレは動揺を隠せなかった。
あそこで生徒が一人行方不明になっている。
オレと隆弘が入ったあの校舎で。
嘘だろ…?
「その生徒はどうなったの?」
「そのままだ。今だにその女子生徒は発見されてない」
そう言ったきりアオ姉は煙草をくわえたまま黙ってしまった。
……マジですか?
なにも言えなくなるどころか食欲までなくなった。
つい先日味わったばかり旧校舎の恐怖を思い出す。
あの白い幻、消えた入り口、黒コート。
「そんなこと初めて知ったんだけど?」
「そうだろうな。なんでもその件については学校と警察側から厳しい箝口令(ある事柄に関する発言を禁じること)が敷かれ立って話だそうだ」
「箝口令が?」
そりゃまたなんでと思った。
生徒が行方不明になったのなら、そのことを公開して情報を集めるものじゃないのか。おかしな話だ。
「その辺はあたしにもよく分からないんだけどな、けどあまりそのことを口に出していい雰囲気じゃなかったから、お前には黙ってたんだ」
「親父は知ってるの?」
「そりゃもちろん。いの一番に伝えたよ」
「そう」
と言って、オレはなんだか疎外感のようなものを感じて、いじけた気分になった。
家族の中で自分だけ知らされていないことがあったのがやけに腹立たしかった。とは言っても微々たるもので、本当に頭にキタわけじゃない。
ちょっとムスッとした程度のものだ。
「そういうわけだから、この話のことはあまりおおっぴろにしないでくれ。いいな?」
「うん、分かった」
「それともう一回だけ言っておく」
アオ姉はしっかり目を据えて言った。
「旧校舎には絶対近づくな。間違っても入ろうなんて考えるんじゃないぞ」
それは警告にも似た物言いだった。
いや、実際警告だ。
ここまでアオ姉がなにかをハッキリと何度も言うことはなかなかそうない。
「そ、そこまでしなくちゃいけないの?」
「昔からあの場所では悪い話ばかり聞くんだよ、生徒が行方不明になったのもだが、昔、あそこで自殺者が絶えなかったことや、幽霊が出るとか。おまけに最近じゃ変な噂まで流れているみたいだし」
「変な噂?」
それはもしかして隆弘が言っていたかつて実験場だったということだろうか?
しかし次にアオ姉が口にしたことはオレの思っていたものとは違うものだった。
「職場の同僚から聞いた話なんだが、最近、その校舎の入り口で七年前に行方不明になった女子生徒が立っているのを見たって言う人がいるらしいんだよ」
「え?」
それはまた初耳の情報だった。
「それっていつの話?」
「二週間前くらいからだな」
アオ姉の答えを聞いて、オレは旧校舎に行った時のことを思い出す。
変だな。オレ達が行った時はそんなの見なかった。
なんでだろう?
考えれば考えるほど分からなくなる。
いや、そもそも本当にあそこは一体なんなんだろう?
思い返してみれば、あまりにもおかしなことが多すぎる。
常識の範疇を超えた出来事のオンパレードだ。
オレはその異常さが、不気味で分からないことが、なによりも気持ち悪い。
それきりアオ姉は話を打ち切って、食器を片づけ始めた。
つられて食器を運んでいて、今日の夕食はお互いよく喋っていたことに気がついた。




