~鴉山の神隠し(前)2~
あれから剣道部の練習が終わるまで午前中いっぱい道場に居座り、オレは皐月と一緒に学校を後にした。
それから家に帰り、休日で家にいたアオ姉、皐月と三人で昼食をとってからその日の夕方、皐月を途中まで送るのも兼ねて、隆弘の家に向かった。
自転車を手で押しながら、送っていく最中、皐月は、オレが隆弘の家へ行くことをえらく気にしていた。
「こんな時間から隆弘の家に? なにしに行くの?」
「さぁ? オレもよく分からん。とにかく来いとしか言われなかった」
「ふーん、お願いだからまた補導されるようなことはしないでよ?」
「しねえよ。そんなことしたら今度こそお前とアオ姉に殺されちまう」
オレもまだ自分の命は惜しい。
まだ十七年しか生きてないんですよ?
「まあ、分かってんならいいけど………本当によ?」
「へいへい、分かってやんすよ」
若干投げやりにそう答えて、オレ達はT字路の分岐路に差し掛かった。
「ここまででいいわ」
「おう」
短いやり取りを交わして、オレは右へ、皐月は左へ、背中を向けて分かれる。
立ち止まって自転車に乗ろうとしていると、「雁耶」と皐月に呼びかけられた。
自転車に乗りかけの体制で首だけ振り返ると、皐月がオレの方を見ていた。
「今日は……その…ありがと……ね」
か細い声で恥ずかしそうにそう言って、早足で歩き去っていく皐月。
オレは唖然として、風で横になびいている、背中まで届きそうな長い黒髪が見えなくなるまで皐月の方を眺め続けた。
完全に姿が見えなくなって、オレは独りでに呟いた。
「あいつ今……ありがとって言ったのか」
オレは自分の耳を疑った。
皐月の口からお礼の言葉が出るなんて数年ぶりだ。
普段は学校の先生とかクラスメートとか、そういう顔を合わすだけの人には言ってるが、皐月はなぜか親しい間柄の人間を前にすると素直になれない奴なのだ。
特にオレへは絶対にそんなことを言ったりはしない。
だから、なんだかそのことがおかしくて、ついほくそ笑んでしまった。
あいつがありがとうって似合わねえ――……。
でも悪い気はしなかった。
さっきのはあいつなりに精一杯素直になったってことだろうし。
「んじゃま、行きますか」
気を取り直して自転車に跨ると、隆弘の家へ向かってペダルをこいだ。
昼間、掛かってきた電話の内容は会って話したいことがあるから夕方、家に来てくれ、とのことだった。
ママチャリを駆け巡らせること十分、小汚い二階建てのアパートが見えてくる。
自転車を停め、そこの二階の一番奥の部屋、204号室のドアをノックする。
「開いてるぞー」
中から聞こえる隆弘の声。
オレはそのドアを開けて中に上がる。
「邪魔するぞ」
部屋に入ると、オレは絶句した。
「なんだこりゃ」
目の前に広がるのは床一面に散りばめられた紙。
畳みだった床がおびただしい数の紙に覆われ足の踏み場がなくなっていた。
その白い海の中心でノートパソコンを操作している部屋の主。
「ちょっと散らかってるけど我慢してくれ」
こちらを見向きもせず、キーボードを打ち続ける隆弘。
まるで締切に追われている作家のような光景にオレはただ立ち尽くしてしまう。
「お前、どうしたんだコレ?」
「待ってくれ、後これだけ印刷しておきたい」
カタカタ、ターンとキーボードを押して、外付けのプリンターから出てきた紙を取る隆弘。その紙を手元に置いて、ノーパソを閉じて作業を中断する。
それから床一面の紙を集め始めた。
オレも手伝おうと足元の紙を数枚拾うと、書かれてある太文字が目に入った。
「人体実験の実例……。なんだこれ?」
えらくおかしなタイトルだなと思って、他の用紙も見てみると二枚目は鴉山市の歴史について。三枚目にも同じことが書かれていた。
「なぁ、隆弘。これはなんだ?」
紙を突き付けて尋ねる。が、隆弘は何も言わず集めた紙を整理している。
おーい、聞こえてるー? と何度か呼びかけてみるが返事はない。
紙を端に寄せて勝手に部屋に上がると、隆弘はブツブツ小声で呟きながらまとめた紙を見直していた。
「隆弘」
「人体実験……その目的はなんだ? どうしてこんな……」
「おい! 隆弘!」
肩を掴んで揺さぶると、一瞬驚いた顔をしてようやくこちらに気がついた。
「……ああ、悪い。集中して聞こえなかった」
顔を手で拭いながら答える隆弘。
遠目からじゃ分からなかったが間近で見ると、隆弘はひどく疲れた顔をしていた。
目の下には大きなクマが出来ており、こころなしか瞼がいつもより少し垂れている。
たれパンダみたいだった。
「お前、その顔どうしたんだ?」
「昨日あれからあんま寝てなくてな」
顎を出しながら言うが、声は元気そうだ。
「もしかしてずっとコレやっていたのか?」
「帰ってからずっとな」
隆弘はスッと立ち上がると近くに置いてある冷蔵庫を開ける。
「なんか飲むか?」
「いや、オレはいい」
断ると、隆弘は冷蔵庫の中からMコーヒーを取り出す。
缶の蓋を開けるとそれを一気に飲みこんでいく。
「ぷはー、やっぱ缶コーヒーは甘口が一番だな」
「そんな砂糖の塊を溶かした液体をよく飲めるな。身体に悪いぞ」
「健康ばっか気にしてたら、つまんねえだろ? 人生何事も刺激が大事だ。少々の悪いもんくらい無視しても構わねえよ」
「見事に開き直った台詞だな」
「この前、お前もジャンクフード食ってたじゃねえかよ。それにアオ姉だって煙草吸ってるし。そこんとこはどうなんだよ?」
「あの時はとにかく腹が減ってたんだよ。アオ姉は……まあ、その、あれだけど」
アオ姉については何も言えず、つい口を濁してしまう。
あの人、二十歳になってからいきなり煙草吸い始めたんだよな。
身体に悪いのを知らないわけでもないだろうに。
個人の自由だから、とやかく言うつもりはないんだけれど、煙草を吸う人の気持ちは理解できないな。
「そんなことはいい、で、これはなんなんだ?」
そう言って、オレはもう一度、人体実験の実例と書かれた紙を突き出して尋ねた。
「それか」
空になった缶をゴミ箱へ投げる。
「実はあれからいろいろと調べものをしてたんだ」
テーブルの上に置いてある手帳を手に持って見せてくる隆弘。
「こいつを読んでな」
それは昨日オレが旧校舎で拾って、隆弘に渡したものだった。
持っているのが不気味で嫌だったところを、ものすごく欲しそうな目で見てくるもんだから、そのままあげたのだ。
「この紙とその手帳がなんか関係あるのか?」
コクリとゆっくり頷く隆弘。
「開いてみてみたらびっくりしたぜ。この手帳、とんでもねえことが書かれていやがった」
「とんでもない…?」
「あぁ、お前が何気なく拾ったコレな、なんとあそこで行われていた実験の記録だったんだ」
手帳をバンバン、テーブルに叩きつけて、隆弘は驚いた顔で言う。
「実験って、まさか…」
「そのまさかだ」
人体実験……オレの頭をよぎったのはその言葉だった。




