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短編

都市と雨

作者:

孤独な少女がいた。少女はやせ細った体で、とてとてと走り回っていた。とても明るい表情の、小柄な少女だった。けれども、彼女は独りだった。

無機質な雰囲気を帯びた、不気味な都市。行き場なくたゆたう野良猫や、何かないかと忙しなく徘徊する烏はいたけれど、ここの住民は皆、この都市を捨てて去ってしまっていた。


水不足、それがこの都市をこんなにも枯渇させた理由だった。この都市は、絶対雨が降らない。昔、ある人間が“禁忌”を犯したことで、気候がそっぽを向いてしまったのだった。

水不足に陥った都市は、元気を失い、やせ細っていった。そうして一人、また一人と都市を去る者が増え、いつしか都市には人が見当たらなくなっていた。少女を除いて。


小さな少女は、向かっている方向をまっすぐ見据え、未だに走っていた。息を切らし、足をゆっくりと止めると、快晴の青空を眺めた。

ふう、と息をつく少女。


かさり、と地を踏む音に、少女は小さく肩を震わせた。音の方に視線だけ向けた彼女は、目を細めて小さく警戒した。


少女の視線の先には、男が立っていた。男は少女を見るや否や、つかつかと歩み寄り、背丈の小さい少女の幼い顔をのぞき込んだ。

「なんで、残ってるんだ?」

男は汚れてくすんだ黄土色のローブを羽織り、フードを深く被っていた。けれど、その声は男そのものの大人の低い声だった。

少女は一度男を見たものの、すぐに興味をなくしたようでふっと目を逸らした。


「聞こえてるのかよ?もしかして、耳が聞こえないのか?」

男は少女の態度に気を悪くすることもなく、声をかけ続けた。少女はやがて、煩わしくなったのか眉を潜め、首を横に振った。

「喋れないのか」

男は被っていたフードを取り、眉を下げた。男はごわごわとした癖のある髪型で、色素が全くなく、真っ白だった。


男は少女の様子を窺った。

少女は随分と酷い姿をしていた。本来何の色であるかわからないくらいに汚れた、灰色のぼろい服。手入れをしていないために、傷みきった黒く長い髪。そして、栄養失調を物語る細くて青白い手足、少女はふわっと笑ったまま首を傾げた。


少女は喋らなかった。けれども、こちらのことに反応できる。特別病んでいると見られる部分もなく、むしろとても笑顔が可愛らしい少女だった。

「…て、いかんいかん。俺は今年32だぞ。良い年こいて、“ろりこん”だなんて」

少女は男の言葉に首を傾げた。


「な、お前。字はわかるか?」

少女は少しだけ視線を空に向け、こくんと頷いた。

男は近くに落ちていた木の棒を少女に持たせると、「俺の質問に答えてくれるか?」と言った。少女はゆっくりとした動作で木の棒を受け取ると、にこっと笑った。OKらしい。


「お前、名前は?」

『テト』

がりっと音をたてて、地面に文字を書いていく。たどたどしい動きと、歪な線ではあるが、一応文字は把握しているらしい。

「テト、な」

男は頷いた。頷いたものの、男は驚いた。少女は黒髪。黒髪は本来、この枯渇した都市の人間の特徴であった。しかし、この少女の名前は実に妙だ。テト、という名前。黒髪ではあるのに、名前が異国めいていたのだ。異国の町出身だろうか。

「俺は、カサマツ」

男はカサマツと名乗った。

「テト、お前はなんでここにいる?」

『?』

少女、テトは訳がわからないと言っているように首を傾げた。とぼけているのか、それとも本当に質問が何を意味しているのかわかっていないのか。

「お前、家族は?」

『いない』と即座に地面に書いて、笑った。何故笑うのだろう、家族はこの子にとって大切な存在ではなかったのだろうか。

「テト」

名前を呼ぶと、肩を揺らしたテトはカサマツを見上げた。テトの表情は柔らかかった。けれど、何故か違和感を感じた。

「お前はこの都市の人間か?」

『うん』

テトはゆっくり、がりっと地面に棒を進めた。

『でも、誰もいなくなっちゃった』


「お前、どーやって生活してんだ?」

都市は枯渇してしまったはずだ。だから、都市の人間は、都市を捨てて去っていった。雨が降らない、そういった異常現象が都市一つを破滅させた。

生活を続けるのが困難なこの地、どうして人間が居るのだろうか。カサマツは訝しげな表情をテトに向け、口を開いた。

「質問に、答えてくれ」

『私の名前は、ティアン・ブルーハ・テト。ここを、離れるわけにはいかないよ。仲直りしないと』

ブルーハ、という名に覚えがあった。しかし、それが実際どんなものかは思い出せず、カサマツは更なる疑問をぶつけた。

「仲直り?誰と?」

テトはその質問に、ただ首をゆっくり横に振るだけだった。


カサマツはもともと、この枯渇した都市の人間だった。昔の活気溢れた都市の中で生き、ここが崩壊する様を時と共に感じて、皆と同じように立ち去った。

そして、数年後の今、“ある出来事”のために戻ってきたのだった。


『カサマツは』とテトは書き始めた。『カサマツは何しに来たの?』

核心を突いた言葉に、カサマツは思わず目を見開いた。そしてゆっくり息をつくと、意を決したように語り出した。

「新しい土地、俺らの住む場所はな、こことは違って雨が降った。安泰だったさ、だから水の都として活気づいた。だけど、ここ数年、異常事態が起こった。ここと同じ。そう、水不足だ」

テトはきょとんとした。もしかしたら、言っている意味がわからないのかもしれない。


「俺はこの原因を考えた。そしたら、一つだけ、思い当たる節があった」

テトの顔が、少しだけ痙攣した。更に、ほんの少し眉を潜めた。カサマツはその理由が、直感的にわかった。


「この都市に伝わる伝説、一族。枯渇したこの地に、もしかしたらそんな人々がいたかもしれない」

カサマツは自嘲気味に笑った。

「情けないよな、こんな馬鹿げた御伽噺が、最後の頼みの綱なんだ」

テトは複雑そうな表情を浮かべ、ふるふると首を横に振った。続いて泣きそうな顔をするものだから、カサマツは少し罪悪感に苛まれて、テトの頭に手をおいた。

「ここに調査しに来たところで、何が変わるという確信はなかったんだけど」

そう言ったところで、カサマツは一呼吸置いた。


「俺の、せいだから、な」

カサマツはそれきり黙りこんだ。



昔、ある男が〝禁忌〟を犯した。

男が住んでいた都市は、晴天が多く続く気候地帯だった。ただ、雨は降らないわけではない。少々なりとも、降っていた。都市は貯水をし、なんとか細々と生きながらえてきた。


そして、欲を出した。

雨を降らす方法を探したのだ。そうして、考古学者として〝禁忌〟について調べていた男が雇われた。


禁忌―――・・そう、雨を降らすこと。


本来逆らってはならない、動かしてはいけない壮大なモノを操ろうとした、愚かで滑稽な人間に見かねた天候は、〝禁忌〟を犯した男とその都市の住民のしでかした事の重みを知らしめた。そうして、その地域で雨が降ることは、それ以来めっきりなくなってしまった。


「だけど、雨を降らすことができる一族がいた」

伝説だけどな、と続けたカサマツは、テトの顔を眺めた。

「名もなき一族、天気に愛された人種の末裔。俺は、雇われたとはいえ自ら〝禁忌〟に手を出した。だから、俺はその一族の行方を追っている。そうして、この都市に再び訪れた」

とはいえ、手掛かりは何一つない。だからこそ、カサマツは苦戦していた。文献を辿り、遺跡を辿り、縋るようにして昔の住処に戻ってきた。何かないだろうか、何でもいい。枯渇した人間の住処を直せるならば、そう思って廻りに廻った。


『カサマツは、後悔しているの?』

テトががりがりと、乾いた地面を削るようにして不格好な字を刻んだ。

「何を?」

『雨を、呼んだこと』

一時的には、雨は降ったのだった。カサマツが雨を呼んだことで、一時的には大雨が続いた。そうして都市は潤い、人間たちはみな喜んだ。しかし、数週間経ったある日のこと、その雨がぱったりとやんだ。

それから何週間、何か月と経ったけれども、雨は一向に降らなかった。


そして、カサマツは気付いた。

雨が、遠ざかってしまったのだと。

雨を呼んでもいいのは、天気に愛された人々のみ。カサマツ自身はその人々の中に入っていなかったのだと。

それから少し経って、カサマツは完全にふさぎこんだ。自分のせいだった。自分が余計なことさえしなければ、不自由ではあるもののちゃんと生活ができていたのに。

「ああ」

カサマツは頷いた。

「後悔している」

テトはその言葉を聞き、眉を下げた。



ザッと足音が聞こえ、二人は音の方向に視線を向けた。ザクッザクッと、幾重もの音が重なって近づいてくる。足音は二人に向かってどんどんと近づき、止まった。

「カサマツ、ここにいたのか!!」

それは、蔑みにも卑屈にも似た罵倒。怒号を浴びせられたカサマツは、目を見開いて震える唇を必死に動かし「みんな・・・」と掠れた声を出した。でも、その声はかき消され、結果的にカサマツは金魚のように口をハクハクさせただけだった。

二人に立ちはだかったのは、数百人にも及ぶ人間たち。痩せこけて、くすんだ色の服の隙間から見える体は、骨で角ばっていた。そして人間たちの共通点は、みなカサマツを睨み、殺気立っていたこと。

「お前の、死刑執行が決まった」

「は・・・」

人間の一人が口を開いた。


「お前のせいで、都市が二つも滅びたんだ!!当たり前だろう!!」

「ちょっと待て!!あれは、都市に雇われただけ―――・・」

「黙れ!!」

カサマツの反論に、誰一人として耳を貸さなかった。カサマツは、何かを言おうと口を開いたが、やがて諦めて目を伏せた。もう既に、覚悟は決めていたのかもしれない。カサマツは、あまりにもあっさりとしていた。

テトがくいっとカサマツの袖を引くと、それに気付いたカサマツは困ったように苦笑して「悪いな」と零した。「俺はとうに、罪人だったらしい」そう言ったカサマツの目には、もう何の期待も存在しなかった。


「捕えろ!!」

誰かの叫びを合図に、人間たちはカサマツに一斉に飛びかかった。

カサマツは唇を強く噛んだ。ブチッと唇の肉が破れ、つうっと赤い液体が流れる。


その瞬間だった。カサマツの目の前に、黒が流れた。整えられてない、手入れもされていない傷みきった長い髪の毛だった。小さな体の、細い少女が人間たちとカサマツの間に飛び込んできたのだった。


無茶だ。

そう思った。今更テトが立ちふさがったところで、二人とも捕えられてしまう。何故テトがそんな無謀な行動に出たのだろう。そう思うと、焦ってしまった。このまま捕えられてはいけない、テトだけでも逃がさなければ。

体が前に出た。テトをなんとか、目の前の怒り狂った人間たちから遠ざけようと、手を伸ばした。


テトの小さな背中に、カサマツの指が触れた瞬間―――・・


「静まれ」

すうっと体の中に、何かが通った。

耳に入った声は、言葉のはずなのに言葉と認識できなかった。ただ、何故か今までの焦りや、悔いなどの気持ち、それらが沸騰して煮えくりかえった想いが、全て綺麗に消えた。

何がどうなったか、理解できなかった。

ただ、ぽかんとだらしなく口を開けたカサマツは、あることに気付いた。


〝カサマツだけではない〟

ぽかんと口を開けていたのは、カサマツだけではなかった。自分を憎み、怒り狂っていた都市の人間たちも皆、何が起こったのかさっぱりわからず、その場で立ちすくんでいたのだ。


カサマツはハッと我に返った。

声が聞こえた。そうだ、声だ。でも、カサマツの声ではない。

凛として、澄んでいて、それでいて体全体に染みわたる様な美しい声だった。

そこでカサマツは気付いた。目の前で両手を広げ、カサマツを護るようにして立ち塞がる小さな存在に。

テトは微かに肩を震わせ、息をついた。

「テト・・・?」

何が起こったんだ、と聞こうとしたカサマツは、出かけた言葉を呑みこんだ。


美しい唄が、聞こえた。

聞き覚えがある、そしてカサマツ自身唄ったことがある唄。


目覚めし大地 息衝く天 

(すす)びる天から垂るる涙に

(みな)声上げ 両手を広げる

生命(いのち)を眺め 望まれし涙

夢追う生命(いのち) 今呼び覚ます


唄っていたのはテトだった。

この場にいた生物が皆、動きを止めて聞き入った。ある者はその美しい歌声に目を閉じ、ある者は甘美の音色に目を見開き、ある者はその染み込む(うた)に息を呑んだ。

唄い終わったテトは、天を仰いだ。それを見た人間たちは、皆次々と天を仰いだ。そうして、声を漏らした。

雲が、集まる。ゆっくり、だが確実に。どんどん、どんどん、テトに呼ばれたように集まった。

「仲直りを、しよう」

テトがその澄んだ声を、カサマツに向けた。カサマツは、驚きのあまりに声が出なかった。

ぽつぽつと雨が降り出した。人間たちはみな、歓喜の声を上げた。「雨だ!!」「雨が降った!!」叫んで、手を挙げて、踊って、皆嬉しそうに笑った。

でも、カサマツだけは、目が離せなかった。こちらに手を差し伸べるテトの髪の毛が、次第に白く染まった。カサマツのように、しかし何かが違う。テトの髪は、雨の雫が滴ったところから、白くなった。違う、カサマツとは。白くなった髪は、次第に再び黒く染まった。ゆっくり、白い髪が黒く戻る。

カサマツは、思わず自分の髪を触った。自分とは、違う。

「天気に愛された・・・」

カサマツは呟いた。

「思い出した。〝ブルーハ〟という名、昔どこかの文献に載っていた。ガセだと思っていたが、実在していたんだな・・・」

テトは笑った。

「ティアン・ブルーハ・テト。ブルーハの名は、天気に愛された者が持つ名だよ。だけど、私は声を出すことを禁止されていた。もうブルーハの名を持つ者は、私しか残っていないから。雨を呼ぶと、〝声〟を失うことになる。雨を呼ぶ〝声〟を」



雨は数週間にわたって、降り続いた。

やがて、川には水がたまり、山は命を吹き返した。都市には人が戻り、活気づいた。それからまた、天候は昔と同じように元通りになった。生き物は生き、周りの自然が生い茂った。

都市が、生き返った。



「テト」

ある男が、少女の名を呼ぶ。男は真っ白でごわごわした髪をもち、数週間前よりは少し太ったようだ(とはいえまだまだ細いが)。男、カサマツは少女の下に近づくと、小さな肩をとんとんと叩いた。

「カサマツ!」

テトの声は、以前の美しく、澄んだ声ではなくなっていた。枯れて、かさかさと掠れていた。傷んだ喉を知らしめるような、太く痛々しい声であった。

それでもテトは、笑った。

雨を呼んだことで、テトの〝ブルーハの名の証〟は失った。しかし、テトは笑った。喜んだ。

これでやっと、自由に声が出せる。

テトが縛られていた鎖は、十数年にわたって彼女を苦しめていた。

でも、それももう、終わり。


都市には人が戻りつつあった。

カサマツはあれから人々の信頼を取り戻し、人々はカサマツに謝罪をした。そうしてカサマツは、この都市で一躍有名になった。都市は彼を尊び、この都市の頂点にふさわしいと言った。しかし、カサマツは首を縦には振らなかった。


カサマツは都市のはずれ、人気の少ない森の奥に一軒のボロ家を建てた。そして、テトを育てることに決めた。訊けばテトは、まだ13歳だと言う。この若さで〝禁忌〟を背負って生きてきたんだな、と今更ながら感動してしまった。


カサマツは、ちょこんと草むらに座るテトの隣に、豪快に腰を下ろした。

そして、息を吸った。


目覚めし大地 息衝く天 

(すす)びる天から垂るる涙に

(みな)声上げ 両手を広げる

生命(いのち)を眺め 望まれし涙

夢追う生命(いのち) 今呼び覚ます



雨を呼ぶ声は、もう響かない。

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