僕
「優くーんご飯できたよー。」
姉さんが僕を呼んでる。日が沈みかけた真っ赤な空の下で、僕は友達と鬼ごっこをしていた。
「わかった。今日はこれでバイバイだ。じゃあなー!」
そう言って友達と別れた。
家に帰ると食卓にご飯、味噌汁、葉物のお浸しと焼いたサンマが並んでいた。
「ただいまー。」
「お帰り。お夕飯、今できたところだから早く手洗ってきなさい。」
「はーい。」
母さんは優しく僕にいった。洗面所で手を洗っていると父さんの怒鳴り声がした。食卓の方だ。
「あっ!コイツ俺のサンマを!口の悪いやつはこうだっっ!」「うにゃゃぁん!だって、みんにゃだけずるい!私もたまにゃあ身が食べたい。骨とか頭ばっかしやーだー!」
「お前は頭や骨で十分なんだよ。」
でた。焼き魚の日は決まってこのやり取りだ。姉さんは懲りずに父さんの魚をつまみ、父さんは大人気なく首根っこ掴んで怒る。母さんも、うちは4人家族なんだから4尾買えばいいじゃないか。なんでいつも3尾なんだ?
僕が食卓について犬上家<いぬがみけ>の夕食が始まった。姉さんは部屋の外で専用の皿に盛られたマズそうなあられをポリポリいわせながら食べていた。
可哀想な姉さんのために僕はいつも魚を半分しか食べない。サンマは僕が一番好きな魚だ。それでも今が旬のおいしいサンマを姉さんに分けてあげた。
「優くん、ほんとにいいにょ!」
「・・・うん。姉さんだって食べたいでしょ?母さんと父さんには内緒だよ。」
「やったぁ!ありがとう!」そう言ってがっついた。姉さんは本当においしそうに魚を食べる。
僕が知る限り、こんなにおいしそうに魚を食べる人は姉さん以外にいない。
「あー、お腹いっぱい。おいしかった!」
姉さんは骨や頭まで食べ尽くすと満足気に言った。その直後、父さんの特大のカミナリに僕は打たれた。
「こらー!外でコソコソしてると思ったら、タマにサンマやってただろ!」
でも僕は退かなかった。見つかったら言おうと決めていたから。
「父さん!今日は言わせてもらいます。どうして姉さんだけこんな酷い扱いなんですか?ご飯の時はいつも端に追いやって、お客さんが来れば外へ放り出す。魚に関していえば骨と頭しか食べさせないって、可哀想です。」
「優、タマは魚全部食ったら身体を壊す。それに、もったいないだろ。」
「もったいないって!父さんは姉さんを何だと思っているんですか?!」
「・・・何って猫だけど。」
え?この人は何いってるの?猫?姉さんが?そんなはずない!
「からかわないでください!姉さんは人間です。」
「はぁ?この世のどこに四足歩行で毛むくじゃらの人間が居るんだ?」
「姉さんは四足歩行でも毛むくじゃらでもありません!白髪のショートヘアーに白いワンピースを着た女の子です。」
「・・・・優、それ本気か?」
「本気です。もしまだ猫だというのなら本人に確かめるまでです。姉さんは猫じゃないよね?」
「え?猫だよ。知らにゃかった?」
僕は「違うよ。」という答えしか予定していなかった。だから言われた瞬間、家族から突き放されたような感じがした。僕は8年間犬上家として生きてきたが猫を飼っているなんて聞いた事がない。
「えっ?なんで?なんで今まで教えてくれなかったの?!」
「知ってると思ってた。」
「・・・・会話まで。優、オマエどうしたんだ。頭でも打ったか?」
「どこも打ってません。」
「だとしても、オマエ今異常だ。すぐに病院行こう。」
「嫌だ!行きません!」
僕は父さんにがっしり腕を掴まれて僕がこの世で一番嫌いなところへ連れて行く。
「いやいやいやぁぁ・・・・」
「だぁ!もーさっさとしろやご主人!こっちは腹減ってんだよ。」
「はぁ?あぁ、そう。」
「おいー!しかも今何時だと思ってんだ。8時だぞ8時!」
「うぅ・・・!えっ!!それを早く言ってくれぇ〜!!」
僕はベッドから飛び起き、すぐに洗面所に向かった。鏡に映った自分の頭はてっぺんの髪の毛が一カ所だけ立っている。今日の寝ぐせはまだマシな方だ。しかしながら直している暇はない。歯を磨きながらテレビをつけて天気予報をチェック・・・したいのにこういう時に限ってどのチャンネルもやってない。結局諦めて歯磨きを終わらせ、顔を洗って着替える。
「なぁご主人!メシは?」
「時間無いから一緒に行こう。メシはあっちでだ。」
「はぁ?またかよ。ふざけんなっ。俺は家でゴロゴロしてーのに。」
「今ここで食べるマズい缶詰めと、あっちまで我慢して食べるカリカリまんま、どっちがいい?」
「くっそー・・・。しゃあねー。待ってろよカリカリまんま!」
「そんじゃ行こう。」
メガネをかけて靴を履き、部屋に鍵をかけた。
僕、犬上優25歳はただいま遅刻を回避するため人目も気にせず全力疾走中。三部咲きくらいの桜並木を通って約5分後、駅に到着。改札を抜けホームに着いたらギリギリ間に合う電車が来る1分前。
「ほら、入って。」
「はぁ。やっぱ缶詰めにすりゃ良かった。」
「早く。カリカリまんまのためにもね。」
「わかってるからっ!」
僕は猫をカバンに入れ込んだ。電車の中に猫は入れないから。そうこうしていたら電車がきた。僕猫は乗り込んで空いている席に座った。電車が出発して僕はやっと落ち着いた。そして嫌な夢を見たことを思い出した。
あれは僕が初めて『擬人視聴覚障害』の症状を自覚した時のことだ。僕はあの後結局いくつもの精神病院を回って最後の精神診療所でやっと擬人視聴覚障害だと判った。これは生まれつきのもので、ある特定の分類のものが人間のように見えてしまう、あるいは声が聞こえるという症状らしい。僕の場合は全ての動物が人間のように見えて、しかも声まで聞こえるという稀中の稀なケースである。僕にとって、動物も人間も外見は全く同じだった。でも診療所で診察を受けてからはだんだん見分けがつくようになってきた。耳や尻尾などが生えている人間。それが今の僕の目に映る動物なんだ。
よくよく考えたら、僕は10歳まで図鑑や写真でしかみんなが見ているような姿の動物を見たことがなかった。10歳の時、診療所の先生が僕にメガネをくれた。それを掛けるとあら不思議。動物が図鑑などに載っているような姿に見える。そのメガネを通して見た姉さんが毛の短い白い猫だったことと好きだった近所の小柄な女の子が小型犬だったことに大変なショックを受けた。それでも僕はこのメガネを掛けて歩む人生を選択した。それでかれこれ15年間このメガネを使っている。
「おい、まだ着かねぇのか。」
「こら、静かに。猫は本来電車に乗っちゃだめなんだぞ。」
「誰のせいだと思ってんだよ!」
それを言われると言い返せない。
「後1駅だから我慢してくれ。」
そんなこと言ってる間に着いた。改札を出ると同時くらいに猫はカバンから飛び出した。そこから僕の職場まで歩いて5分ほど。皮肉にも僕がこの世で一番嫌いなところと似たようなところで働いている。それは、熊澤茂<くまざわしげる>院長の熊澤動物病院。僕はそこで獣医をしている。僕のこの症状が長所として有効活用できるのってこんな仕事しかないと思う。まぁ、この仕事も診療所の先生に進められたんだけど。動物は一応嫌いではないし、声が聞こえるから診察しやすい。
やっと職場に到着。壁に掛かった時計を見ると8時58分。9時から準備だから、ギリギリセーフ。とはいかなかった。
「こらぁ。遅いじゃないか。もう少し早く来るんだよ。くろすけー。毎日こいつについてきてくれるのか。えらく懐いているじゃないか。」
「はぁ?懐いてねーよ。無理やり連れて来られてんだよ。」
「ふーん。そうかそうかぁ。良かったなー、くろすけぇ。」
「しかもくろすけっつーの止めろや!」
院長は猫の頭を大きな手でよしよししながら話しかけるが会話が全く噛み合っていない。こういう状況を見て楽しめるのも症状の長所かもしれない。
「静かに。猫。カリカリまんまあげるからこっちおいで。院長、すみませんでした。」
そう言って休憩室へ。そこで僕は自分のロッカーからカリカリまんまの大袋を取り出し、猫専用の皿に盛ってやった。
「あぁぁ・・・。やっとありつける。」
「じゃあ僕は仕事だから。」
「おぅ。」
僕は白衣をはおり、ふとカレンダーに目をやった。3月10日。もうあれから、猫のくろすけを引き取ってから1ヵ月になるのか。僕は時間の流れる速さを感じながら休憩室を出た。