妄想出会厨~わらしべ♡ステディ~
いつもの夕方。
スカイブルーの空に、わずかに茜色が差し込み始めていた。
遠くから、カラスの鳴き声が聞こえた。
住宅街の角にあるコンビニから、木下陽菜が出てくる。
ピンコーン。
店員「ありがとうございましたー!」
店員の声を背中に受けながら、陽菜はコンビニ袋を軽く揺らした。
中には、今買ったばかりのコーヒー牛乳。
ヒナ「はぁ……週末の楽しみ♡」
自然と頬が緩む。
ヒナ「あー、早く飲みたいな~」
――と。
ヒナ「あ、もうこんな時間……」
スマホの時間を見て、陽菜は少し焦った。
ヒナ「早く帰らなきゃ」
そうつぶやいて歩き始める。
(ミキも勉強するなら、もうちょっと真面目にやってくれればね~)
ついさっきまでの勉強会を思い出しながら空を見上げた。
その瞬間だった。
ドンッ。
男子「うわ!」
ヒナ「キャ!」
視界が大きく揺れた。
目の前にいた男子高校生の手から、ガラス瓶が滑り落ちる。
ガシャーン!!
瓶は地面に叩きつけられ、無残に砕け散る。
ヒナ「ご、ごめんなさい!」
陽菜は慌てて頭を下げた。
ヒナ「ちょっと考え事してて……」
男子「いや、こっちこそ!」
男子も同じくらい慌てていた。
黒髪のマッシュヘア。
同年代だろうか。
制服姿の男子高校生。
どこか真面目そうな雰囲気がある。
男子はすぐにしゃがみ込み、割れた瓶の破片を拾い始めた。
ヒナ「あ、私も……」
陽菜も慌てて手を伸ばそうとする。
その時だった。
男子「あ!待って!」
思ったより大きな声が飛んできた。
陽菜はビクッと肩を揺らし、その場で固まる。
男子「あ……その……」
自分でも驚いたらしく、
男子は慌てた様子で言い直した。
男子「手、切ってもダメなんで!」
ヒナ「あ……」
言われて足元を見る。
細かい破片が思った以上に散らばっていた。
確かに危ない。
陽菜は素直に手を引っ込めた。
男子は慎重に破片を拾い集めていく。
けれど途中で手が止まった。
男子「何か入れるもの……」
困ったように周囲を見回す。
陽菜は手に持っていたコンビニ袋へ目を落とした。
ヒナ「あ、良かったらこれ使ってください」
男子は顔を上げた。
男子「あ、助かり――」
陽菜の顔を見たまま、ほんの一瞬だけ動きが止まった。
男子「……ます」
最後だけ妙に小さい。
男子は慌てたように瓶へ視線を戻し、
陽菜は瞬きをした。
なんだろう、今の。
男子は何もなかったかのように、破片を袋へ入れていく。
なぜか、さっきより少し慌ただしい。
男子「ふう…これくらいかな?」
ヒナ「大丈夫ですか?」
男子「大丈夫そうです!」
そこで会話が途切れた。
ヒナ「…………」
男子「…………」
二人の間に沈黙が流れた。
ヒナ「あ……じゃあ、すみませんでした」
男子「……」
陽菜は軽く会釈をして、その場を離れた。
何歩か進んだところで。
男子「あ!」
突然、後ろから声が飛んできた。
男子「袋ありがとう!」
陽菜は振り返った。
驚きながら、小さく会釈を返す。
陽菜は小さく首を傾げながら、今度こそ家の方へ向かった。
◇
その夜。
お風呂上がりの陽菜は、自室のベッドに座りながらコーヒー牛乳を飲んでいた。
ゴク。
ゴク。
ヒナ「はー!この一杯のために生きてますな~」
幸せそうに息を吐いた。
ヒナ「にしても、今日はやっちゃったな」
ふと今日の出来事を思い出す。
ヒナ「あの人、大丈夫だったかな?」
コーヒー牛乳を持ったまま考え込んだ。
ヒナ「こういう時って、何かお詫びとかした方がいいのかぁ……」
腕を組みながら唸る。
ヒナ「んー……」
でも答えは出ない。
ヒナ「悩んでてもしょうがないか」
陽菜は立ち上がった。
ヒナ「あ、明日の準備しなきゃ」
翌日の準備をしてベッドに入る。
すると、いつの間にか眠りについていた。
◇◇◇
一週間後。
陽菜は肩を揉みながら、コンビニへ向かって歩いていた。
(はー、勉強してたら遅くなっちゃった)
(いつもの買って早く帰ろ)
そう思いながらコンビニへ入った瞬間だった。
男子「あ!」
突然、大きな声が飛んできた。
陽菜はビクッと肩を震わせ、声のした方を見る。
そこには――先日の男子が立っていた。
ヒナ「あ、この間の……」
言い終わる前に、男子が勢いよく近づいてきた。
男子「はい、これ!」
何かが手のひらに乗せられる。
十円玉だった。
ヒナ「……何、これ?」
男子「袋代!ずっと渡したくて!」
ヒナ「え!?」
男子は妙にスッキリした顔で頷いた。
男子「やっぱ、こういうのはちゃんとしないとね」
ヒナ「はぁ……」
曖昧な返事になる。
正直、何を言っているのかよく分からない。
ただ、男子は大真面目だった。
男子「で、あの!」
何かを言いかけて――止まる。
ヒナ「?」
男子「……いや。じゃあ、またね!」
そう言うと、そのまま店の外へ行ってしまった。
陽菜はぽかんとしたまま、その背中を見送るしかなかった。
◇
結局、いつものコーヒー牛乳を買って、陽菜は帰り道を歩いていた。
ヒナ「ふー……何だったんだろ」
さっきの出来事を思い返す。
ヒナ「“またね”って言われましても……私、あなたの名前も知らないんだけど」
十円玉をつまんで見る。
ヒナ「ってか、袋って十円しないよね?」
むしろ、自分の方が気になってしまう。
ヒナ「……どうしよ」
まとまらない考えを抱えたまま、家に向かう。
しかし埒が明かない
なので。
週明け学校で、“いつもの二人”に助けを求めることにした。
◇
ヒナ「――ってことがあったの。どうすればいいと思う?」
ミキ「何それ!少女漫画じゃん!」
葉子「ほっとけば?」
ほぼ同時だった。
陽菜は苦笑する。
ミキはムッとした顔で葉子を見るが、葉子は本から目を離さない。
その直後。
ミキが机にドンッと手をついた。
ミキ「ダメよ!ダメダメ!」
ミキ「それは絶対お返ししないと!」
ヒナ「えー、でも十円だよ?」
ミキ「金額じゃないの!」
ビシッと指を突きつける。
ミキ「価値が上回るものを貰ったらお返しする!」
ミキ「これ世界の常識だから!」
葉子「ミキにしては、まともなこと言うじゃない」
本を読んだまま、葉子が口を挟む。
ヒナ「ってか、あんた面白がってるだけでしょ」
ミキ「バレた?」
ミキはケラケラ笑った。
ミキ「だって面白そうじゃんw」
陽菜はため息をつく。
ミキに相談すると大体こんな感じなのだけど、
ちょっとだけ背中を押された気もした。
ヒナ「でも何返したらいいんだろ?」
ミキ「なんでもいいじゃん、綺麗な石とか拾ったら?」
葉子「そこは雑なのね」
さすがの葉子も呆れている。
ヒナ「なら、久しぶりにお菓子でも作ろうかな」
陽菜は椅子にもたれながら伸びをした。
ミキ「あ!それは私が欲しいんですが!」
ヒナ「はいはい。余ったら持ってくるよ」
途端にミキの顔が明るくなった。
この変わり身の早さである。
そこで、陽菜はふと気づく。
ヒナ「……あれ?」
ヒナ「そういえば、どうやって会えばいいんだろ?」
知っていることといえば、黒髪のマッシュヘアで。
妙に律儀な男子高校生だということくらい。
名前。
学校。
男子について知っていることが、ほとんどなかった。
◇
下校中。
周りでは家の明かりが、ぽつぽつ灯り始めていた
住宅街を歩きながら、陽菜は頭を巡らせている。
ヒナ「そもそも、連絡先知らないんだよね……」
その時、ふと思い出す。
ヒナ「あっ」
男子と会った日。
自分はコーヒー牛乳を買っていた。
そして、十円を返された日も……。
ヒナ「……いつも会うの、金曜の夕方だ」
偶然かもしれない。
でも、もしかしたら。
そんな考えが頭をよぎる。
ヒナ「金曜にコンビニ行ってみようかな」
もし会えなかったら。
その時は――
ヒナ「ミキと葉子にあげちゃお」
何だか面白いことが始まりそうな気がして。
自然と顔がほころんだ。
◇◇◇
そして金曜日。
前日に焼いたマフィンを、簡単に包んで鞄へ入れる。
その小さな包みが妙に存在感を放っているように感じた。
放課後。
陽菜は少しだけ緊張しながら、学校を出た。
会える保証なんてない。
それでも足はコンビニへ向かっていた。
店の前で小さく息を吐く。
そして店に入った瞬間だった。
雑誌コーナーで立ち読みをしている男子が目に入る。
ヒナ「いた!」
陽菜は反射的に店の外へ戻ってしまった。
ヒナ「うそ、絶対いないと思ってた……!」
店の前で必死に胸を押さえる。
会えたら渡そう。
そう思ってたはずだった。
なのに、いざ本人を見つけた途端、
頭が真っ白になる。
すると―――
ピンコーン。
背後で自動ドアが開く音がした。
男子「あ!袋ちゃんだ!」
ヒナ「何それ!可愛くない!」
思わずツッコんでしまった。
すると男子がニコニコしながら立っている。
陽菜が戸惑っていると、
男子は笑顔のままで自己紹介してきた。
悠真「俺、大森悠真!よろしくね!」
ヒナ「あ……私は、木下陽菜です……」
悠真「じゃあ袋ちゃんじゃなくて、ヒナちゃんだね!」
ヒナ「何それ!」
完全に向こうのペースだった。
ため息が漏れる。
だけど嫌な気分じゃないから不思議だ。
ヒナ「あ!はいコレ!」
陽菜は慌てて鞄を開き、小さな包みを取り出した。
悠真「なにこれ?」
不思議そうな顔をする悠真。
ヒナ「だって、袋って十円もしないでしょ?」
悠真「えー!?そんな、悪いよ!」
ヒナ「ちゃんとしないとって言ったの、そっちでしょ」
悠真「まぁ言ったけど……」
照れたように頭をかく。
それを見て、陽菜もつられて笑顔になる。
ヒナ「なので、遠慮なく受け取ってください」
悠真「わ!ありがと!嬉しい!」
包みを受け取った悠真の顔が、一瞬で明るくなる。
本当に嬉しそうだった。
その顔を見た瞬間、陽菜の胸が高鳴った。
悠真「でも、これじゃまた俺が貰っちゃってるような……」
ヒナ「それこそ気にしないでよ」
でも悠真は納得いかない顔をしていた。
少し考え込み――
悠真「あ!じゃあさ!」
悠真「今度映画いかない!?姉ちゃんがよくチケットもらってくるんだ!」
ヒナ「え……でも、それは悪いよ」
悠真「悪くないよ!俺がお礼したいんだもん!」
悠真の勢いに、言葉が詰まる。
どうしよう……。
確かに、ここで終わらせたら後悔する気もした。
悠真「どお!?」
期待に満ちた目で見てくる。
ヒナ「……」
今日だって、本当に会えるなんて思わなかった。
それでも会えた。
そう思ったら、言葉が口をついていた。
ヒナ「じゃあ…行く?」
ハッとして口元を押さえる。
悠真「ホント!?よっしゃ!!」
クルクルと変わるその表情がおかしくて。
陽菜は思わず吹き出した。
ヒナ(ま、いっか…)
悠真「じゃあ、連絡先聞いていい?」
ヒナ「あ、そうだね」
陽菜はドキドキしながら鞄の中のスマホを探した。
二人でスマホを取り出し、LIMEを交換する。
悠真「よし!おっけ!」
交換が終わると、悠真は満足そうに頷いた。
なんだろう、ずっと向こうのペースだ。
悠真「じゃ、連絡するね!」
ヒナ「うん……わかった」
二人は、それぞれ反対方向へ歩き出す。
少し歩いたところで。
陽菜の足が止まった。
いつもと変わらない帰り道。
なのに、さっきまでとは景色が違って見えた。
ヒナ(なんか始まったんだけど……)
この時、陽菜はまだ気付いていなかった。
――コーヒー牛乳を買い忘れていたことに。
◇◇◇
月曜日の朝。
いつもなら重たい足取りも、今日は少しだけ軽かった。
教室のドアを開けると、真っ先にミキがこちらに気付く。
ミキ「おはよー」
ヒナ「あ、おはよ」
席へ向かいながら鞄を開く。
そして小さな包みを取り出した。
ヒナ「はい。どうぞ」
ミキ「お!マジで作ったんだw」
ミキの目が一気に輝く。
葉子「で?会えたの」
葉子は本から目を離さずに言った。
陽菜は金曜日にあった出来事を二人へ話した。
話を聞き終えたミキが机を叩く。
ミキ「マジ!だから言ったじゃん!」
葉子「ウソみたいな話ね」
ヒナ「うん。私も絶対会えないと思った」
ミキ「で?で?この後どうすんの???」
ヒナ「それが……今度映画行こうって」
ミキ「きたーーー!!」
ミキが両手を高くして歓声を上げた。
葉子「面白がるの止めなさい」
ミキ「いやだってスゴいじゃん!」
身を乗り出してきた。
その姿がおかしくて、吹き出しそうになる。
ヒナ「でも、緊張しちゃいそうだよ」
葉子「お返しなんでしょ?気楽に行きなさい」
ヒナ「そっか……そうだよね!お返しだもんね!」
陽菜は小さく拳を握った。
その後ろで、
ミキはニヤニヤと、葉子は静かに眼鏡を押し上げていた。
◇
映画当日。
午後二時。
休日の駅前は多くの人で賑わっていた。
待ち合わせ場所の時計を見上げながら、陽菜は何度も時間を確認していた。
まだ五分前。
ヒナ(うわー……なんかデートっぽい)
ヒナ(いや!ただのお返しだから!)
慌てて自分に言い聞かせる。
近くのウィンドウに映った自分を見る。
服は変じゃないだろうか。
髪は乱れていないだろうか。
前髪を指先で整える。
その時だった。
悠真「ごめん!待った!?」
ヒナ「ううん!い、今来たとこ!」
悠真「よかったー!じゃ、行こ!」
ヒナ(見られてなかったかな……)
なんだか恥ずかしくなる。
そんな陽菜の気持ちなど知らず、
悠真は全く緊張してない様子だった。
◇
映画館へ到着する。
悠真がチケットをスタッフへ渡した。
悠真「姉ちゃんの友達がここで働いててさ」
悠真「よくチケットくれるんだって」
ヒナ「そ、そうなんだ」
悠真「そういえば、恋愛映画とか平気?」
ヒナ「うん…」
悠真「……」
ヒナ「……」
ヒナ(会話終わっちゃった)
やってしまった。
せっかく話を振ってくれたのに。
しかし悠真は気まずそうな様子もなく、また別の話を始めた。
学校の話や趣味の話。
その度に陽菜も返事をするが、
「へぇ」
「そうなんだ」
そんな言葉しか出てこない。
もっと自然な会話が出来ればいいのに。
そんな時だった。
悠真「あ!ポップコーンだ!」
悠真「これが無いと始まらないでしょ!」
ヒナ「あ、半分出すよ!」
悠真「ダメダメ!今日は俺が出す日だから!」
ヒナ「なにそのルールw」
悠真「いや、ちゃんとしないとだから!」
ヒナ「クス」
なんだか肩の力が抜けた気がした。
悠真「あ、そろそろだ!急ご!」
ヒナ「うん!」
慌てて場内へ向かう。
席を探しているうちに開演時間は目前だった。
二人が腰を下ろした直後。
ブーッ――
開演のブザーが鳴る。
場内が暗くなる。
この頃には、すっかり緊張も解けていた。
◇
映画が始まった。
恋愛映画なんて久しぶりだ。
内容は、強引な女の子に振り回される男の子の話だった。
――あの子、強引だな。
――…………。
――あ、変なあだ名付けられてる。
自然と口元が緩む。
そして終盤。
誤解が解けた二人がようやく本音を伝え合い――
陽菜はそっと目元を押さえた。
隣からも小さく鼻をすする音が聞こえていたが、
それを気にする余裕はなかった。
◇
映画が終わり、場内が明るくなる。
出口には人の列ができていた。
悠真「一旦出ようか!」
二人は人の流れに乗って出口へ向かった。
ヒナ(……ちょっと泣いちゃった)
ヒナ(目、赤くないかな)
なんとなく悠真の顔が見られない。
そんなことを考えながら外へ出る。
すると悠真が大きく伸びをした。
悠真「やば!めっちゃ面白かった!」
悠真「ラストちょっと泣いちゃったよw」
ヒナ「あ……私もちょっと」
悠真「あれ反則だよね!」
ヒナ「ホントそれ!」
さっきまでの気まずさが、嘘みたいに消えて、
そこからは映画の話で盛り上がった。
話題は全く途切れず、
気付けば、待ち合わせをした場所まで戻ってきていた。
ヒナ(あ……着いちゃった)
不意に会話が途切れる。
悠真「……じゃあ、今日は付き合ってくれてありがとう!」
ヒナ「あ、ううん!こっちこそチケットありがとう!」
二人の間に沈黙が流れた。
悠真「じゃ、またね!」
悠真が歩き出す。
その背中を見て、陽菜は慌てて声を上げた。
ヒナ「あ!」
悠真は振り返る。
ヒナ「ポップコーンごちそう様!」
一瞬驚いた顔をした。
けれど、すぐに大きく手を振る。
その姿になんだか。
胸が温かくなった気がした。
◇
家に帰る。
風呂上がり、
髪をタオルで拭きながら、自室のベッドへ腰を下ろした。
ヒナ(なんか……楽しかったな)
映画は面白かった。
笑ったし、泣いたし、満足感もある。
でも、それだけじゃない気がする。
ヒナ「……二人が結ばれてよかったな」
ぽつりと呟く。
その時、LIMEの通知音が鳴った。
ヒナ「なんだろ?」
画面を見る。
送り主は悠真だった。
『今日は一緒に映画見れて良かった!!』
口元が緩む。
こういう時って何て返せばいいんだろう。
普通にお礼?
それとも、“楽しかった”って伝えた方がいい?
そんなことを考えていると――
シュポッ。
また通知が鳴る。
『よかったら今度、公園とか行かない?』
ヒナ「え……」
心臓が跳ねた。
また会える。
その事実だけで胸がいっぱいになる。
慌てて返信をしようとするが。
嬉しさが出すぎないように何度も文章を打ち直し。
ようやく返信を送信する。
ヒナ「ふぅ……」
息を吐き、そのままベッドへ倒れ込んだ。
ヒナ(うわー……)
ヒナ(なんか動いてるよー……)
ついこの前まで男の子と出かけたことなんてなかった。
なのに、今は次の約束をしている。
なにか不思議な気分だった。
窓の外を見ると、
夜空には星空が広がっていた。
◇◇◇
翌日、教室へ入った瞬間だった。
ミキ「で!?どうだったの!?」
机へ鞄を置く前に詰め寄られる。
ヒナ「別に、普通に映画見ただけだよ」
ミキ「普通のレベルが高いんですけど~!」
葉子「楽しかったの?」
ヒナ「……まぁ、それなりに?」
平静を装ったつもりだった。
しかし。
ミキ「出た!楽しかった時の顔~!」
ヒナ「うるさい!」
ミキが机を叩いて笑う。
葉子は呆れたようにため息をついた。
葉子「それで、次はあるの?」
ヒナ「うーん……『公園行かない?』って言われてるんだけど」
ミキ「次の約束とか、やりますなぁ~」
葉子「ミキ、おだまり」
ミキが口を尖らせる。
ヒナ「でも、なんかお返ししたいんだよね」
葉子「なら、お弁当でも作っていったら?」
ヒナ「あ、そうしようかな」
お弁当……久しぶりだな。
何を作ろう。
そんなことを考えている横で、ミキが葉子へ喋りかけた。
ミキ「私、知ってる!」
ミキ「これ、『わらしべ長者』って言うんだよ!」
葉子「この場合は『わらしべ恋愛』ね」
ミキ「なにそれーw」
楽しそうな声だけが教室に響いていた。
◇
公園へ行く当日。
陽菜はいつもより早く目を覚ました。
キッチンへ向かい、お弁当を作り始め、
彩りを考えおかずを詰めていった。
卵を焼きながら、ぼんやり考える。
ヒナ「……甘いの好きかな」
そう思って、すぐ首をぶんぶん振った。
ヒナ「そういうんじゃないから!」
誰に言い訳しているのか分からないが、そう言わずにはいられなかった。
やがてお弁当が完成する。
思ったより上手くできた。
蓋を閉めて時計を見ると、約束の時間が迫っている。
陽菜は支度をして家を出た。
◇
休日の公園は思った以上に人が多かった。
子供たちが声をあげて遊んでいる。
そんな景色を横目に見ながら歩いていると、ソワソワした気分になる。
二人はベンチへ腰を下ろした。
悠真「え!?マジで作ってきてくれたの!?」
ヒナ「この前のお礼と思って」
悠真「やば!」
悠真「めっちゃ嬉しいんだけど!」
お弁当の蓋を開ける。
悠真「おおー!スゴ!」
悠真「いただきまーす!」
勢いよく箸を動かす。
そして。
悠真「うまっ!!!」
ヒナ「ホント?」
悠真「店出せるレベル!」
ヒナ「それは言い過ぎw」
悠真「いやマジで!」
美味しそうに食べる悠真を見ていると、
陽菜まで嬉しくなってくる。
しばらくして。
悠真「……困ったな」
ヒナ「え?」
悠真「こんなの、“次どうすれば”ってならない?」
ヒナ「だから気にしなくていいってばw」
悠真「いや、ちゃんと返したい!」
ヒナ「もう、その“ちゃんと”って何なのw」
悠真は腕を組んで考え込む。
悠真「んー」
悠真「性格!」
一瞬の沈黙。
そして。
二人同時に吹き出した。
ヒナ「ふふっ」
悠真「自分でも分かんない!」
柔らかい風が吹く休日の公園で。
ヒナ(なんか、こういうのいいな……)
そんなことを考えていた。
◇◇◇
それから少しずつ、悠真と会うことが増えた。
LIMEが届けば嬉しくなるし。
学校帰りにコンビニへ寄れば、
立ち読みしている悠真を見つけておかしくなる。
近くの公園へ行くこともあった。
ベンチに並んで座り、瓶のコーラとコーヒー牛乳を交換した。
悠真は一口飲んで、
悠真「甘っ!」
と驚いた顔をする。
その反応が面白くて、陽菜の顔もほころぶ。
悠真がカフェでコーヒーをごちそうしてくれたこともある。
バイトで覚えた知識を得意げに話してくれる。
ただ正直、違いはよく分からなかった。
それでも悠真は楽しそうだった。
そんなある日。
ヒナ「はい、これ」
陽菜は小さな包みを差し出した。
悠真「お、何これ?」
ヒナ「この間のコーヒーの――」
リボンを摘まんで渡そうとする。
その時、悠真の指が近づいた。
触れそうになって、
陽菜は思わず手を離してしまう。
包みが宙を舞った。
悠真「あぶなっ」
パシッ。
落ちる直前でキャッチする。
悠真「セーフ!」
まるで大仕事をやり遂げたみたいな顔だった。
陽菜は吹き出してしまう。
それを見て悠真も笑顔になる。
たったそれだけなのに。
なんだか妙に楽しかった。
◇
帰り道。
夕焼けが二人の影を長く伸ばしていた。
他愛のない話をしながら歩く。
話題はころころ変わるが、不思議と会話は途切れなかった。
ふと、手の甲に何か触れた気がした。
下を見る。
すぐ隣に悠真の手があった。
触れそうなくらい近くで揺れている。
さっき落ちかけた包みを掴んでくれた手。
そう思った瞬間、
陽菜は無意識に手を伸ばしていた。
悠真「ん?」
不意に悠真と目が合った。
ヒナ「っ!?」
心臓が跳ねて、慌てて手を引っ込める。
何やってるんだろう。
自分でも分からない。
悠真は不思議そうな顔をしたあと、前を向いた。
陽菜は首をぶんぶん横に振り、小さく息を吐く。
そのまま何事もなかったように歩き出した。
いつの間にか、空が群青色に染まり始める。
冷たい風が吹く中、
陽菜の頬だけが妙に熱かった。
◇
その日の夜。
陽菜はベッドの上に寝転びながら、ミキと葉子とグループ通話をしていた。
ミキ『ヒナ、最近付き合いわるいー』
ヒナ「そんなことないでしょ」
葉子『そんなことあるわね』
ミキ『だよね!放課後すぐいなくなるし』
ヒナ「それは……」
確かに最近、放課後になると悠真と会うことが増えた。
そのことを思い出して、頬が熱くなる。
ミキ『これはあれだね。彼氏できると遊べなくなるやつだね』
ヒナ「彼氏じゃないし!」
即座に否定する。
その時だった。
ブブッ。
スマホが震える。
ヒナ「あ、LIME来た」
通知画面を見る。
そこには。
――今度、水族館いかない?
と表示されていた。
ヒナ「あ…」
ミキ『何!?誰!?十円君!?』
ヒナ「だから、その呼び方やめてよ!」
葉子『で?なんて来たの?』
ヒナ「……なんか水族館誘われた」
ミキ『ほらー!ほらほらー!』
葉子『なるほど』
ヒナ「いや、この間のお礼だって!」
ミキ『なにそれー!聞いてないー!』
ミキが騒ぐが、陽菜からの返事が返ってこない。
ミキ『おーい?』
ヒナ「あ、ゴメン。返信してた」
葉子『で、なんて返事したの?』
ヒナ「……別に。『普通に行きたい!』って」
一瞬。
スマホの向こうが静かになった。
ミキ『リア充かよ~』
葉子『リア充ね』
ヒナ「そんなんじゃないから!」
ミキ『はいはい。楽しんで来いよ~♪』
そこで通話は終了した。
ヒナ「もー、二人して……」
呆れながらスマホを手に取る。
そこには、さっきのLIMEが表示されていた。
――今度、水族館いかない?
たった一行。
それだけなのに。
何度も見返してしまう。
陽菜はクッションをぎゅっと抱きしめ。
そのまま顔を埋めた。
◇◇◇
水族館へやって来た。
館内は少し薄暗く、青い光に包まれている。
天井や壁に反射した水の揺らぎがゆっくりと流れていた。
大きな水槽の中を、色とりどりのクラゲが漂っている。
力を入れるでもなく、水の中を漂う姿はどこか幻想的だった。
ヒナ「キレー……」
目が離せずにいると。
悠真「なんかヒナちゃんって、クラゲ派だよね」
ヒナ「なにそれw」
悠真「んー」
悠真「なんだろ。泳ぐより浮いてそう……」
ヒナ「どういうことよw」
悠真「なんとなく!」
二人の間に柔らかな空気が流れた。
他の魚を見ながら歩いていると休憩スペースへ出た。
トイレやショップがあり、多くの人がベンチで休んでいる。
ヒナ「あ、ちょっと待ってて」
悠真「なに?トイレ?」
ヒナ「デリカシー!」
陽菜は頬を膨らませてみせる。
◇
次に向かったのはペンギンエリアだった。
ヒナ「見てペンギン!」
悠真「可愛いよね」
ヒナ「私の友達、めっちゃペンギンっぽいのw」
悠真「何それ!気になるw」
くだらない話をしながら歩く。
それだけなのに楽しい。
周りには他にもたくさん人がいる。
でも今は、悠真の話しか耳に入ってこなかった。
(やっぱり、一緒にいると楽しいな)
そう思うと、自然と笑顔になる。
その時だった。
――カワ……
隣から、何か声が聞こえた気がした。
不思議に思って悠真の方を見る。
けれど悠真は、なぜか口元を押さえて別の方向を向いていた。
よく見ると耳が少し赤くなっているように見える。
ヒナ「ん?」
声をかけると。
悠真は慌てたような顔をした。
悠真「いや!」
悠真「ペンギンっぽいってなんだろって思ってw」
ヒナ「んー。分かんないけど、なんかぽいのw」
陽菜はクスクス笑った。
隣では、なぜか悠真がホッとしたような表情を浮かべていた
◇
水族館を後にして
二人は今日のことを話しながら歩いていた。
「あ……」
陽菜は思い出したように鞄を探る。
悠真「どうかした?」
ヒナ「あの……これ」
鞄から小さなキーホルダーを取り出した。
イルカのキーホルダーだった。
悠真「え?」
ヒナ「今日の記念になればと思って……」
悠真「えー!ウソ!」
ヒナ「水族館連れてきてくれたお礼ね!」
悠真「すげー嬉しい……」
悠真はキーホルダーを眺める。
悠真「こんなのいつ買ったの?」
ヒナ「さっき売店で見つけたの」
悠真「じゃあ俺ヒナちゃんの分買ってくるよ!」
そう言った悠真に。
陽菜は照れ臭そうに、もう一つイルカのキーホルダーを見せた。
悠真「うわ、すでに持ってるw」
陽菜は何も言わずに視線を逸らす。
悠真「えー、じゃあどうしよー」
頭を抱える。
そして。
悠真「あ!」
何か思いついたように顔を上げた。
悠真「じゃあさ、クリスマス期待しててよ!」
ヒナ「!?」
突然の言葉に目を丸くする。
悠真「あ……ヒナちゃんが良ければだけど」
悠真は焦ったように苦笑いした。
ヒナ「う、うん。特に予定ないし」
なるべく普通に答える。
けれど。
心臓が全然落ち着いてくれない。
クリスマス……予定できちゃった。
そんなことを考えながら、二人は並んで歩いていった。
◇◇◇
朝の吐く息が白くなっていた。
十二月も、もう中頃だ。
街のあちこちでクリスマスソングが流れている。
そんなある日。
教室ではいつものようにミキが騒いでいた。
ミキ「はい、そこ!もういくつ寝ると、クリスマスですよ!」
葉子「そこは、お正月ね」
当然のように聞いていない。
陽菜は苦笑した。
ミキ「まぁどうせ、誰かさんは“予定が”おありだと思いますけど?」
いたずらっぽい顔でそう言う。
ヒナ「別にまだそういうのじゃ……」
葉子「なに。約束してないの?」
ヒナ「……あるけど」
ミキ「はいダウトーーー!!」
ヒナ「うるさい!」
葉子「で?何するの?」
ヒナ「プレゼントくれるっていうから」
ヒナ「私もお返しする感じになると思う」
ミキ「なんなのwその独自文化www」
ミキは机を叩いて爆笑している。
ヒナ「ちょっと笑わないでよ!」
ミキ「ゴメンて。で、何プレゼントするか決まってんの?」
ヒナ「まだ……」
ヒナ「でも、ちゃんとしたもの渡したいんだよね」
ミキ「おっと?本気になっちゃいました~?」
ヒナ「そういうんじゃないし!」
即答はしてみたが、
自分でも説得力がない気がした。
ケラケラ笑うミキと、
照れながら否定する陽菜。
そんな二人を見ながら。
葉子「まぁ、気負いすぎないことね」
二人の言い合いがピタリと止まる。
ヒナ「?」
ミキ「どゆこと?」
葉子は小さくため息を吐いた。
◇
クリスマス当日。
街はイルミネーションで彩られていた。
行き交う人たちも楽しそうだ。
駅前には大きなツリー。
一通り街を見て回った二人は、
ツリーの下で立ち止まった。
悠真「はい、これ!」
照れ臭そうにプレゼントを差し出す。
ヒナ「ありがと!じゃあ私からも」
悠真「うわ!また俺がもらってる方だw」
ヒナ「だから気にしないの!」
そしてお互いのプレゼントを開けた。
陽菜の袋の中には、
手のひらサイズのペンギンのぬいぐるみが入っていた。
ヒナ「わぁ!可愛い!」
ヒナ「ありがとう!」
悠真「喜んでもらえてよかった!」
満足そうな顔をする。
次に悠真が袋を開けた。
中から出てきたのは、キーケースだった。
落ち着いた色の、しっかりした作りのもの。
見るからに高そうだった。
悠真「……え、すご」
悠真の表情が一瞬だけ止まった。
ヒナ「アレ……嬉しくなかった?」
悠真「いや!めっちゃ嬉しい!」
慌てて首を振る。
だけど、視線は手元のキーケースに落ちたままだった。
悠真「……ヒナちゃんの、ちゃんとしてるなって思っただけ」
ヒナ「え?そんなことないよ」
悠真「それに比べて、俺の……子どもっぽくない?」
冗談みたいに言った。
ヒナ「そんなことないって!」
ヒナ「私すごい嬉しいよ?」
悠真「そっか」
笑顔で言う。
しかし、笑い方はいつもより少しぎこちなかった。
悠真「ごめん。今日は帰るね」
ヒナ「え?」
返事を待たず、
悠真は駅の方へ歩き出した。
陽菜はその背中を見送る。
呼び止めることもできない。
気付けば、一人だけその場に残されていた。
◇
部屋へ帰る。
陽菜はベッドへ腰を下ろした。
膝の上にはペンギンのぬいぐるみ。
ヒナ「どうしたんだろう……」
スマホを見る。
しかし。
悠真からのメッセージは来ていなかった。
いつもなら、帰った後に何かしら連絡が来る。
でも今日は来ない。
ヒナ「……初詣とか言ってくれるかなって思ったんだけど」
ぽつりと呟く。
ヒナ「期待しすぎちゃったかな……」
その日を境に、悠真から連絡が来なくなった。
理由が分からない。
スマホを開く。
そして。
『初詣いかない?』
何度も打っては、
何度も消す。
送信ボタンまで指は行くのに、
最後だけ押せない。
結局、送れないまま。
気付けば年が明けていた。
◇◇◇
元旦の朝。
ヒナ「年明けちゃった」
陽菜はベッドに寝転んだまま、天井を見上げていた。
部屋の外からは、家族の声が聞こえる。
新年の朝らしい、どこか浮ついた空気。
それなのに、陽菜の気持ちはあまり晴れなかった。
枕元のスマホを手に取る。
画面を確認する。
悠真からのメッセージはない。
ヒナ(明けましておめでとうって送ってもいいかな……)
指が止まり、悩んでしまう。
送れない。
――ただの挨拶だから。
自分にそう言い聞かせ、
意を決して、メッセージを送信した。
『あけましておめでとう!』
送信完了。
少し待つ。
だけど返信は来ない。
画面を見つめたまま、数秒。
さらに数秒。
ヒナ「……まぁ、元旦だもんね」
そうつぶやいた時だった。
部屋の外から家族に呼ばれる声がして、
陽菜はスマホを枕元に置き、部屋を出た。
◇
新年の挨拶と食事を済ませ、自室へ戻る。
ドアを閉めるなりスマホを手に取った。
通知が一件。
パッと表情が明るくなり、慌てて画面を開く。
悠真からだった。
『あけおめ!』
たったそれだけのメッセージ。
それなのに。
さっきまで胸の中にあった不安が、ほんの少しだけ和らいだ。
ヒナ「……よかった」
小さく息を吐く。
だけど、それ以外に続きはない。
陽菜の指が止まる。
そして。
年末から何度も打っては消していた言葉を入力した。
『初詣行かない?』
送信。
画面を見つめるが、返信は来ない。
一分。
五分。
まだ来ない。
陽菜はスマホを机に置き、突っ伏した。
その時だった。
ピコ。
通知音が鳴り、勢いよく顔を上げた。
慌てて画面を開く。
『今はちょっと無理なんだ』
その文字を見て、陽菜は小さく息を吐いた。
仕方ない。
そう思うしかなかった。
少し迷ったが、返信してみる。
『何かあった?』
送信。
すぐに返信が返ってきた。
『ごめん……今は言えない』
陽菜の肩が落ちる。
続けてもう一件、メッセージが届いた。
『もう少しだけ待ってて』
ヒナ(待ってて……)
その一文を見つめる。
鼓動を落ち着かせながら、返信を打った。
『分かった!落ち着いたらまた誘ってね!』
明るく見えるように。
送信。
今度は返信が来なかった。
陽菜はそっと画面を閉じる。
スマホを机へ置き、窓の外を見た。
ヒナ(私、何かやっちゃったかな)
そう考える。
しかし、本当に思い当たることはない。
何度思い返しても、答えは出なかった。
その日から陽菜は、
答えのない不安を抱えて過ごしていくことになる。
◇
ある日の放課後。
陽菜はいつものコンビニへ立ち寄った。
自動ドアが開く。
ふと、雑誌コーナーへ目を向ける。
前はよく、悠真が立ち読みをしていた場所だ。
けれど。
そこには誰もいなかった。
分かっている。
分かってはいるのに、胸が沈む。
陽菜は小さくため息を吐いた。
◇
小さな公園。
陽菜はベンチへ腰を下ろした。
前に二人で並んで座った場所。
何となく隣を見る。
誰もいない。
スマホを取り出す。
画面を確認する。
新しい通知はなかった。
ヒナ「……」
陽菜はそっと画面を閉じた。
◇
自室で。
机の上に置かれたイルカのキーホルダーが目に入った。
指先でつまみ上げる。
ヒナ「水族館……楽しかったな。」
声や表情が、簡単に浮かんでくる。
――その直後。
寂しさが胸をよぎる。
ヒナ(また戻っちゃうのかな……)
そう考えると、胸の奥が冷たくなり、
陽菜はキーホルダーをそっと机へ戻した。
◇
学校帰り。
街を歩いていると、映画館が目に入った。
ヒナ(あの映画館、連れてきてもらったな……)
『今日は俺が出す日だから!』
あの日の悠真の声が頭に浮かび、
顔がほころぶが、すぐに息を吐いた。
ヒナ(帰ろう……)
そう思って視線を上げた時だった。
少し離れた場所に、悠真によく似た横顔が見えた。
ヒナ(え……?)
不意を突かれ、反射的に目を逸らしてしまう。
慌ててもう一度視線を向ける。
だが、相手はすでに前を向いていて、顔がよく見えない。
ただ、その制服に見覚えがあった。
そして、よく見ると、隣には女性がいた。
ヒナ(あれ?)
ヒナ(女の人と歩いてる……え?)
そう思った瞬間。
二人は人混みの中へ消えていった。
陽菜はしばらく、その場から動けなかった。
◇◇◇
翌日。
陽菜はミキと葉子に事情を話していた。
ヒナ「――で、すごく似てる人がいた気がしたんだよね」
ミキ「生霊でも見たんじゃない?」
葉子「言い方」
葉子が即座にツッコむ。
ヒナ「でも、女の人も一緒だったみたいだし……」
ミキ「じゃあ女ができたんだ!」
ヒナ「えっ!?」
ミキ「少女漫画だと、ここら辺で幼馴染とか出てくるんだよ」
陽菜は視線を落とす。
葉子「ミキ……」
ミキ「あーゴメンゴメン!」
ミキ「てかさ、そんな気になるなら聞けばいいじゃん!」
ヒナ「聞けないよ」
葉子「まぁ見間違いよ、きっと」
ヒナ「そうかなぁ」
ミキ「そっ!会いたすぎて幻覚見たんだよ」
ヒナ「そんな――」
ミキ「だって、最近全然会えてないんでしょ?」
ヒナ「うん……今は会えないって」
ミキ「ふーん」
ミキは納得してない様子だ。
葉子「言いたいことがあるなら言いなさい」
ミキ「いや、なんか怪しいんだよねー」
ミキ「あんな誘ってきてたのに、いきなり無くなるってある!?」
葉子「事情があるかもしれないじゃない。」
ミキ「いや、でもさ〜」
陽菜は小さく肩を落とした。
そんな陽菜を見て、ミキはバツの悪そうな顔をする。
しかし次の瞬間、表情がパッと明るくなった。
ミキ「ならさ!」
ミキが身を乗り出す。
ミキ「明日バレンタインだし、手作りチョコでアタックしてみたら?」
陽菜は目を丸くした。
そういえば、明日がバレンタインだということを、すっかり忘れていた。
葉子「それは、あんたが食べたいだけでしょ」
ミキ「バレた?ヒナのチョコ美味しいんだもん」
思い出したようにうっとりしている。
葉子「まぁ、ミキのことはどうでもいいけど」
葉子「確かに、誘うきっかけにはなるわね」
ヒナ「でも、“待ってて”って言われてるし…」
葉子が眼鏡を押し上げる。
葉子「あなたはどうしたいの?」
ヒナ「会いたいけど……」
その先が続かなかった。
ミキ「あ!」
葉子「今度はなに?」
ミキ「そういえば“お返し”今どっちのターンなの?」
ヒナ「向こう……」
答えた瞬間、陽菜はハッとした。
ヒナ「ターンって何よ!」
ミキと葉子が同時に吹き出す。
葉子「まぁ特別な日だし、こっちから連絡してもいいんじゃない?」
陽菜は小さく息を吐く。
確かにこのままじゃ、多分ずっと不安なままだ。
なら。
ヒナ「そっか……じゃあ作ってみる」
◇
材料を買って帰り、
陽菜はチョコレート作りをしていた。
キッチンには甘い香りが広がっている。
普段ならここまで手間をかけない。
だけど今回は違った。
ネットで調べたレシピを何度も見返しながら作業を進めた。
思った以上に時間がかかったが、いつもより良いものができた気がする。
あとは冷蔵庫で一晩寝かせるだけだ。
ヒナ「ふぅ……」
小さく息を吐く。
部屋へ戻り、ベッドへ腰を下ろした。
スマホを手に取り、トーク画面を開く。
悠真とのやり取り。
最後のメッセージ。
そのまま画面を見つめてしまう。
ハッとして。
『明日、ちょっと会えない?』
そこまで入力した。
だけど、指が止まる。
ヒナ「……」
そうだ。
明日、チョコが美味しくできてたら送ろう。
そう自分に言い聞かせる。
送信せずに画面を閉じて、その日は眠りについた。
◇
翌朝。
いつもより少しだけ早起きした陽菜は、完成したチョコを一口食べた。
ヒナ(うん)
ヒナ(ちゃんと美味しい)
ほっと胸をなで下ろす。
これなら渡せる。
あとはラッピングだ。
だが、そこからが思った以上に大変だった。
動画を見ながら包装紙を折る。
ヒナ「はー、また失敗」
ヒナ「ん……リボン難しい」
思ったより上手くいかない。
そんなことをしているうちに時間はどんどん過ぎていく。
なんとか完成し、時計を見た瞬間、陽菜は固まった。
ヒナ(あ、これ走らないとマズいかも)
慌てて支度を済ませる。
チョコを鞄へ入れ、
家を飛び出した。
◇
息を切らしながら教室へ飛び込む。
ミキ「おはよ!何?寝坊?」
ヒナ「いや、チョコがギリギリになってさ」
ミキ「だからか~」
ミキ「さっきLIMEしたんだよ」
ヒナ「あ、ほんと?」
陽菜はバッグを探る。
その瞬間。
血の気が引いた。
ない。
ヒナ「あれ……?」
バッグの中をもう一度探す。
ヒナ「なんで……?」
昨日、レシピを見て。
ベッドでスマホを触って。
朝はラッピング動画を見て。
そこでようやく思い出す。
ヒナ「あ……」
置いてきてしまった。
悠真に連絡したい。
けれど送れない。
確認もできない。
その日、陽菜はどうやったら悠真に会えるのかを考えていた。
ヒナ(あ……)
ふと、一つの考えが浮かぶ。
ヒナ(学校行ってみようかな……)
もしかしたら、帰ってるかもしれない。
でも、それしか思いつかなかった。
放課後。
ミキ「ヒナー、帰る?」
ヒナ「ごめん!」
ヒナ「今日は先帰る!」
ミキ「え?」
陽菜は返事も待たずに駆け出し、
悠真の通う学校へ向かっていた。
◇
学校へ着くと、息を切らしながら校舎を覗き込んだ。
校舎はもう静かで、
遠くから部活動をしている生徒たちの声だけが聞こえてきた。
ため息がこぼれる。
少しだけ期待していた。
もしかしたら、まだいるかもしれないって。
けれど。
悠真の姿は見当たらない。
ヒナ(やっぱり間に合わなかったか……)
どうすることもできず、
重い足取りで学校を後にする。
◇◇◇
気付けば、空は茜色に染まり始めている。
陽菜は家までの道を歩いていた。
ヒナ(こんな時に何やってるんだろ)
深いため息をついてしまった。
帰ったら連絡してみようか。
でも。
もう遅い気もする。
そもそも断られてたかも。
そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。
ヒナ(もういいや)
ヒナ(いつもの買って帰ろ)
半ば諦めるように顔を上げる。
そのままコンビニへ向かった。
そして――
ヒナ「っ!」
コンビニの前で足が止まる。
そこにいた。
悠真だった。
見間違いようがない。
反射的に背中を向ける。
逃げるように。
しかし。
悠真「ヒナちゃん!」
陽菜の足がぴたりと止まる。
ゆっくり振り返る。
悠真が駆け寄ってきた。
悠真「今日は、ここ来るかなって思って」
いつもの悠真だった。
何度も見たいと思った笑顔。
なのに。
今は少しだけ苦しい。
会いたかった。
聞きたいこともある。
不安もある。
いろんな感情が一気に押し寄せてきて、
うまく言葉にならない。
ヒナ「……」
悠真「ちょっと話せる?」
ヒナ「……うん」
陽菜は小さく頷いた。
◇
歩きながら、悠真は何か話していたが、
陽菜の耳にはほとんど入ってこなかった。
会いたかったはずなのに。
いざ目の前にすると、何を言えばいいのか分からない。
すると二人は、あの公園へ来ていた。
飲み物を交換した公園。
他愛のない話をした公園。
ベンチへ腰を下ろす。
少しだけ距離を空けて。
悠真「返信ないから、どうしようかと思った」
ヒナ「今日スマホ忘れちゃって……」
悠真「そうなんだ!」
悠真はホッとしたようだった。
その顔を見て。
陽菜の胸が少しだけ痛む。
そして次の瞬間には、悠真の笑顔も消えていた。
陽菜の様子がおかしいことに気付いたのだろう。
会話が止まり、沈黙だけが残る。
会えなかった時間。
来なくなったメッセージ。
映画館で見た後ろ姿。
聞きたいことはたくさんある。
けれど、どれから聞けばいいのか分からない。
陽菜はちらりと悠真を見る。
悠真もどこか困った顔をしていた。
そういえば。
初めて会った日も、こんな顔をしていた気がする。
ぶつかってしまったあの日。
色んなことが頭の中を流れていく。
そして。
気付けば言葉が口からこぼれていた。
ヒナ「ねぇ」
ヒナ「最初覚えてる?」
悠真「え?」
ヒナ「悠真君の瓶が割れちゃってさ」
悠真「覚えてるよ!」
ヒナ「いきなり十円渡してきて……」
悠真「それは……」
ヒナ「それから色んな所に連れてってくれて」
悠真「……」
ヒナ「お返しするのも楽しくて」
悠真「……」
ヒナ「私、今までこんなことなくて」
ヒナ「本当に嬉しかったの」
悠真「ヒナちゃん……?」
陽菜は膝の上で手を握った。
ヒナ「でも……」
言葉が詰まる。
一度大きく息を吸い、
胸の奥につかえていたものを、ようやく絞り出す。
ヒナ「聞いてもいい?」
ヒナ「なんで連絡くれなくなったの?」
悠真「それは……」
視線が落ち、沈黙が流れる。
でも、答えは返ってこない。
ヒナ「そっか……」
陽菜は立ち上がった。
もう帰ろうと思った。
その瞬間。
悠真「これ!」
慌てた声が飛んできた。
顔を向けると。
悠真はバッグから小さなコンビニ袋を取り出していた。
ヒナ「何それ」
ヒナ「意味わかんない!」
差し出された袋を見て思わず声が強くなる。
振り返った拍子に手が当たり。
コンビニ袋が地面へ転がった。
中から小さな何かが飛び出す。
悠真「あっ!」
悠真が慌てて手を伸ばした。
だが。
それより早く。
陽菜がそれを拾い上げていた。
ヒナ「なに……これ……」
指輪だった。
小さなリングが夕焼け色に光っている。
悠真「……」
一瞬困ったような表情を浮かべ。
そして。
覚悟を決めたように息を吸った。
悠真「俺さ」
悠真「クリスマスの時、期待しててって言ったのに」
悠真「ヒナちゃんのより全然しょぼくて……」
ヒナ「……」
悠真「だから次はちゃんとしたの贈りたくて」
ヒナ「……」
悠真「ってか」
悠真「そうじゃなくて!」
一瞬、空気が止まる。
悠真「言っちゃいます!」
悠真が顔を上げる。
悠真「俺!」
悠真「君が好きだ!」
悠真「だから!」
悠真「それ受け取ってもらえたらめっちゃ嬉しい!」
陽菜はうつむいて指輪を見る。
長い沈黙。
悠真「ダメ……だよね」
視線が落ちる。
陽菜は慌てて口を開こうとする。
だけど声にならない。
代わりに精いっぱい首を横に振った。
悠真「ちょ、大丈夫?」
悠真がそっと肩に手を置く。
その瞬間。
ヒナ「……しい」
悠真「え?」
ヒナ「すごく嬉しい!」
悠真「……!?」
悠真「それって……!?」
陽菜は小さく頷いた。
悠真「うわ!」
悠真「やった!」
悠真「やった!やった!やった!」
ヒナ「もう!」
ヒナ「言い過ぎ!」
悠真が両手を上げて喜んでいた。
あまりにも嬉しそうな顔に、陽菜の口元も緩んでしまう。
それだけで十分だった。
さっきまで抱えていた不安なんて。
全部どうでもよくなるくらいに。
冷たい風が吹き抜ける。
それなのに、胸の奥だけは不思議なくらい温かかった。
◇
しばらくして落ち着いた二人は、
もう一度ベンチへ座り直した。
ヒナ「でも」
ヒナ「指輪なんて高かったんじゃない?」
悠真「うーん」
悠真「そこまでじゃないけど」
悠真「ちょっとバイトした」
ヒナ「もしかして」
ヒナ「最近会えなかったのって……これのため?」
悠真「うん」
悠真「まぁそう」
悠真「でも恥ずかしくて言えなかった」
ヒナ「そっか……」
ヒナ「言ってくれたらよかったのに」
ヒナ「結構不安になったよ?」
悠真「ごめん……」
悠真「ちゃんとしたの渡したくてさ」
悠真「それまでは会わない方がいいかなって」
ヒナ「え!それが理由!?」
悠真「……いや」
悠真「今思うと意味分かんないんだけど!」
ヒナ「ホントだよ~」
陽菜は天を仰いだ。
悠真「でも、良かったー!
ヒナ「え?なにが?」
悠真「いや、断られたらダッシュで逃げようと思ってたんだ」
ヒナ「何それw」
悠真「それくらい緊張してたってこと!」
二人の間の空気は、いつの間にか和らいで、
さっきまでの気まずさはどこにもなかった。
ヒナ「ありがと」
ヒナ「これからもよろしくね」
悠真「うん」
悠真「よろしく」
少しだけ沈黙が落ちる。
さっきまであれだけ言いたいことがあったのに。
今度は何を話せばいいのか分からない。
ヒナ「……」
悠真「……」
悠真「じゃ、じゃあ今日は帰ろうか」
ヒナ「うん」
二人はベンチから立ち上がり、公園を出る。
会話はなかったが、その沈黙は嫌ではなかった。
二人で並んで歩く道。
夕暮れの空はゆっくり色を変えていく。
ヒナ「あっ」
ヒナ「そういえば、一昨日さ」
ヒナ「街で女の人と歩いてなかった?」
悠真「え?」
悠真「あ!それ姉ちゃん!」
ヒナ「へ?」
悠真「指輪選ぶの手伝ってもらった!」
ヒナ「えー!」
ヒナ「なにそれ!」
思わず肩の力が抜ける。
あの時。
胸の奥をざわつかせた相手が姉だったなんて。
悠真はそんな陽菜の様子にも気付かず首を傾げた。
悠真「どうかした?」
ヒナ「いーえ」
ヒナ「お姉さんにもお礼しなきゃって思っただけ」
呆れたように言う。
悠真「えー」
悠真「そんなのいらないよー」
本当に悪気がない。
その顔を見ていると、怒る気も失せてしまう。
ヒナは小さく息を吐いた。
ヒナ「でもさ」
ヒナ「コンビニ袋に指輪って雑すぎだよ」
悠真「いやー」
悠真「なんだけどさ」
照れたように頭をかく。
悠真「俺らの始まりは“コンビニ袋”かなって」
ヒナ「それは確かに」
二人して吹き出してしまう。
◇
ヒナ「そういえば」
ヒナ「これのお返し、どうしようかな」
つまみ上げたリングが小さく光る。
悠真「いや……」
悠真「何て言うか、それはもう貰ってるような」
照れながら視線を逸らす。
ヒナ「だめだよ」
ヒナ「ちゃんとしないといけないんでしょ?」
悠真「うっ」
反論できない。
ヒナ「あ、そうだ」
ヒナ「チョコ作ってきたんだ!」
悠真「え!ホント!?」
ヒナ「はい」
バッグの中から小さな包みを取り出す。
悠真は目を輝かせた。
悠真「うわ!」
悠真「めっちゃ嬉しい!」
悠真は大事そうにチョコレートを抱えた。
陽菜は納得していないのか、顎に手をあてている。
ヒナ「んー……」
ヒナ「じゃあ、おまけ!」
身を乗り出した。
柔らかな感触が悠真の頬に触れる。
悠真「へ?」
ゆっくり横を見る。
そこには。
顔を真っ赤にした陽菜がいた。
照れ隠しなのか、
拗ねたような目でこちらを見ている。
ヒナ「これじゃ足りない?」
悠真「……」
悠真「足りすぎ!」
悠真「むしろ多すぎだよ!」
ヒナ「ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。
ヒナ「じゃあ、コレのお返しもよろしくね」
悠真「うわー……」
悠真「コレは全然思いつかないよー!」
夕暮れの帰り道。
静かな住宅街に二人の笑い声が溶けていく。
―――あの日。
小さなお返しから始まった不思議なやり取りは。
これから先も続いていく。
きっと何度も、お返しを繰り返しながら。
Fin
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「妄想出会厨」は、ニヤニヤしちゃうような“出会い”を妄想して物語にしちゃいました!って感じのオムニバスです。
初めての小説なので至らないところがあると思うけど、感想や評価をいただけると嬉しいです!
次回は別の出会いをお届けするね!




