私を傷物にしてください、と王弟殿下に頼んだら。
「私を、傷物にしてくださいませんか!?」
一世一代の告白に、若い王弟殿下の口元が悪くニヤリと弧を描いたのだった。
「喜べ、マグノリア!ハンク第二王子殿下の婚約者に選ばれたぞ!」
「はあ!?私に死ねと仰るんですか、お父様!」
思わず大声が出たが、許されると思う。
だって、今お前死んでこいと実の親に言われたのだから。
「はあ?何を言っているんだ」
「こちらのセリフです、お母様もなんとか言ってくださいな!」
「まあ、うちの人が見る目がないってことだけはわかったわ…」
お母様が優雅に扇の向こうでため息をつくので、それにもイラっとする。
「呑気なこと言っている場合ですか!可愛い娘が奴隷にされそうなんですよ!」
「マグノリア、不敬罪で捕まるわよ」
「閨のことしか頭にないイカれた王子ですわよ!?お父様も、あの王子にここまで婚約が決まらない理由くらい考えなさいよ、この脳みそ無しっ!」
淑女の仮面などどこへ逃げてしまったのか、私は父の脛を蹴り飛ばした。
「イッタァ…。なんでって、候補の令嬢はもう婚約が決まっていたから…」
父のことは尊敬していなかったが、ここまでだったとは。
頭を抱えても、もう遅い。
「皆さん、うまいこと逃げただけですわよ!病気療養やら、留学やら、国外への縁談やら、羨ましいっ…!」
「娼館通いの悪癖持ちの王子の嫁ね…。マグノリア、あなた生きていられるといいわね…」
「見捨てるのが早すぎません!?嫌ですよっ、首輪をつけて監禁されちゃいますよっ!」
「か、監禁…!?」
「離縁された時に、五体満足で帰ってこられるのかしらね…」
「お母様って、血も涙もないんですか…」
「あら、現実を見ているんじゃない。あなたが帰ってこられた時には、とびきりいいお医者様を用意しておくわ」
「その前から助けてくださいよ」
私は母の肩を揺らしたが、「痛み止めもたくさん用意しなくちゃ…」と目を合わせてくれない。
王族反逆罪になってもいいから、助けてくださいよ〜〜〜〜!!!!
「ど、どういうことだい…?ハンク王子の話をしているんだよな?」
「そうですよ。あなたこそ、何を言っているの?」
「そうに決まっているじゃないですか、バカなんですか。ああ、バカでしたわね」
「ハンク王子の何がまずいんだい?」
父が本当にわからないという顔をするので、母と顔を見合わせた。
「むしろ、なんで知らないんですか?」
「女性陣の間では有名なんですよ、拘束したがりの危ない人だって」
「な、なんだって?」
父の素っ頓狂な声に、私たちはますます怪訝な顔になる。
「…本当に知らないんですか?お気に入りの侍女に首輪をつけて、ひと月近く部屋から出さなかったって」
「それで殿下の公務以外はずっとお相手をさせられたって」
「その侍女、泣いても喚いてもやめてもらえなくて、おかしくなっちゃって。解放された時には、顔も体も痣だらけで」
「今や、南の療養施設の部屋から出てこられないそうですよ」
「その侍女は、自らお手付きになりに行ったらとんでもない結末が待っていたから、令嬢は皆感謝したものですよ。誰かとの婚約前に、王子の悪癖が知れてよかったって」
そこまで言うと、父は顔を白くして、ソファーに座り込んでしまった。
「…なんだい、それは。マグノリアが、死んでしまうではないか…」
「だから言っているではありませんか!?」
「今からお断り…」
「ようやく捕まった令嬢をみすみす逃すわけないでしょうね。そう思うでしょう、あなた?」
「うぐっ」
「王族反逆でもしますか、お父様?」
「ぐはっ」
「マグノリア、ごめんなさいね。主人が能無しで」
「ええ、ほんとうに。我が家はお母様のおかげで成り立っていると実感しましたわ」
「…本当に申し訳ない。いや、だが、マグノリアの方が大事だ!」
おお〜、珍しくまともかもしれない。
「爵位返上でも、領地返上でもいいっ!命の方が大事だ!」
「まあ、気概だけはいいこと」
「具体的には何をしてくれるんですか?」
「そ、それは今から、考える…」
ほんと、口だけなんだから。
私の冷たい視線をよそに、お母様は扇をパチンと畳んだ。
「仕方ないわね。マグノリア、あなた、修道女になる気はあるかしら?」
「奴隷になりに行くくらいなら、修道院に行きますっ!」
「よろしい。では、そのように手配しましょう」
「それだけでは足りなくないですか?」
「ええ、爵位と領地もお返ししてしまいましょう。早い方がいいわ」
「ついでに保険もかけていいですか?」
私がそう言うと、お母様はこんな時でも優雅に微笑んでみせた。
さすがは、私が尊敬する女主人だ。
「何かいい案があるの?」
「善意には善意を、悪意には悪意を。だったら、閨ごとには閨ごとかな、と!」
「あら、大胆」
「お母様の娘なので」
「では、面倒にならない相手になさいよ」
「もちろんです、当てならあります」
「…???」
終始頼りない父とも呼びたくない人間をフル無視して、私とお母様は話を進めたのだった。
「というわけで、私を傷物にしてくださいませんか、エゼキエル王弟殿下殿?」
「それで、僕が白羽の矢が立ったわけか…」
「ええ!王位から逃げるために公務をサボって引きこもっている、第二王子殿下のお相手から乗り換えても、かろうじて私が殺されなさそうな相手はあなただけです!」
「それは、どうも」
陛下とかなり年の離れたこのエゼキエル王弟殿下は、第一王子や第二王子と歳が変わらないほど若い。
優秀さゆえに担がれそうになったため、今は離宮で引きこもりだ。
第一王子が王になった時にお支えするのが夢なんだと語るこの人に、片棒を担いでもらおうじゃないですか。
「以前会った時より、逞しくなっているのは気のせいかな?」
「女はそもそも強いのですよ、殿下」
「傷物になったあとは、修道院に行くのかい?」
「ええ、その予定です」
「君も人生狂わされちゃって大変だ」
「その可哀想な女に、慰めをくださいませんこと?」
「どうせなら、僕の嫁にしてくれとでも頼みにくればよかったのに」
「あら、後継者問題から逃れるために、一生独身ではなかったのですか?」
「甥っ子のせいだというなら、まあ、僕が責任を取ってもいいよ」
「それ、うまくいく保証ありますか?」
「五分五分かな」
「修道院へ行きますね、お気遣いありがとうございます」
「ははっ、君はそういう人だったね」
王弟殿下は愉快そうに笑うと、悪事の似合う笑みに変わっていった。
この人こそ、腹黒いと私は感じるから、正直王には向いていると思う。
本人が希望しないのなら、仕方ないけれど。
だって、私も本人が希望しないから逃げる、まさに同じ人だから否定できない。
「では、マグノリア嬢。一夜の過ちのお相手になっていただけませんか?」
「ええ、ぜひお願いいたしますわ、エゼキエル殿下」
エゼキエル殿下は可笑しそうに私の手を取り、私室のベッドまでエスコートしてくださったのだった。
「…それで、一夜限りの相手に、どうして会いに来ているんですか?」
「つれないねぇ、一夜とはいえ愛し合った仲なのに」
母の作戦通り、両親は平民となって隣国の親戚に世話になっている。
私は同じく隣国の修道院に入り、けじめを見せて、王家の追撃がない平和な暮らしをしていた。
…はずなのだけれど?
「いや、本当に修道女になったと聞いて、驚いて会いに来てしまったよ」
どういうわけか、あの日共犯になってくれたエゼキエル王弟殿下が、こんなところまで面会に来ていた。
「暇なんですか」
「どうなんだい、そちらの暮らしは?」
「思っていたより、ずっといいですよ」
「そうか、では僕の誘いは無駄かもしれないな」
エゼキエル殿下は、あの夜よりも妖艶な笑みを浮かべていた。
「僕と結婚しないか?」
「…………は」
「僕、こう見えてもお金持ちなんだ。いくらでも金は積めるよ」
「お金を払ってまで欲しい理由はなんですか?」
「ん?君と一緒にいる方が、第一王子を支えるより楽しそうだなって」
王族の血を引く人間は、みんな狂っているのかしら…。
「一晩だけの相手に入れ上げるなんて、殿下もまだまだですね。娼館にでも通って、女心でも学んできた方がよろしいですよ?」
「辛辣だなぁ」
「大体、あなたは第一王子殿下を支えるのが夢だって」
「うん、それも楽しそうだよね」
夢を語る姿が眩しいから、よかったのに。
「私、あなたが国を支えるところが見たかったので、お断りしますわ」
そう言うと、王弟殿下は少しだけ悔しそうに笑った。
「君は僕に期待しすぎじゃない?」
「あなたが教えてくれたんじゃないですか、賢く生きろって」
「学生時代の戯言をよく覚えているね」
「叔父の自慢のお友達は、こんなつまらないことで夢を諦めたりしませんよね?」
「もう、あの頃よりおじさんなんだけど?」
「私には、ずっとかっこいいお兄さんですよ」
私の言葉に、エゼキエル殿下は小さく息を吐くだけだった。
「可愛い妹分にそう言われたら、今日のところは帰るしかないね」
王弟殿下は立ち上がると、やっぱり悪い顔で笑うのだった。
「それじゃあ、また口説きにくることにするよ」
「全然わかってないじゃないですか!」
私の文句に、殿下は爽やかに笑うだけだった。
了
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