第10章:断絶 ― 閉じた終着点
この物語は、誰も悪人ではない世界が、
誤解と恐怖と沈黙によって静かに断絶していく過程を描いています。
人は、言葉よりも“影”に怯え、影に寄りかかり、影に世界を見失う。
その連鎖がどれほど静かで、どれほど残酷かを、
読者とともに見つめるための物語です。
──世界が交わらなくなる日──
◆ 1 たくまの“生きたままの消滅”(たくま視点)
十二月二十七日。
たくまは、
自宅のリビングでひとり座り込んでいた。
テレビの音は聞こえている。
スマホの通知も鳴っている。
外では年末の喧騒が響いている。
しかし、
そのどれもが“自分とは関係のない音”に聞こえた。
美咲は消えた。
息子も消えた。
ユキは完全に距離を置いた。
梨沙の影も消えた。
そして今、
純子だけが近くにいる。
純子は優しい。
話を聞いてくれる。
必要としてくれる。
だが――
その優しさは、
たくまの輪郭を静かに溶かしていった。
「俺は……
どこにいるんだろう」
たくまは、
自分の存在が
世界から“薄れていく”感覚を覚えていた。
誰も自分を思い出さない。
誰も自分を必要としない。
誰も自分の名前を呼ばない。
生きているのに、
世界から消えていく。
それが、
たくまの“生きたままの消滅”だった。
◆ 2 ユキは完全に忘れる(ユキ視点)
同じ頃。
ユキは娘とケーキを作っていた。
笑い声が響く。
甘い匂いが部屋に満ちる。
ふと、娘が言った。
「ママ、前に怖い人がいたって言ってたよね。
あれ、どうなったの」
ユキは、
少し考えてから答えた。
「……もう、関係ないわ」
その言葉は、
驚くほど軽かった。
ユキの中で、
たくまは“処理された記憶”になっていた。
恐怖は制度に吸収され、
記憶は日常に溶け、
たくまという存在は
“思い出す必要のないもの”になった。
ユキは、
たくまを完全に忘れた。
◆ 3 妻は新しい生活へ(美咲視点)
十二月二十九日。
美咲は新しい街のスーパーで
息子と買い物をしていた。
息子は笑っている。
美咲も笑っている。
たくまの影は、
もうどこにもなかった。
美咲は、
たくまの名前を思い出すことすら減っていた。
「私は……
ようやく自分の人生を取り戻した」
美咲は後悔しない。
たくまを捨てたことも、
自分の世界を守ったことも。
美咲の世界は、
完全に“別の場所”へ移動していた。
◆ 4 梨沙は罪悪感を抱える(梨沙視点)
十二月三十日。
探偵事務所の窓から、
雪が降り始めるのが見えた。
梨沙は、
机の上に置かれたファイルを見つめていた。
美咲は救われた。
ユキも救われた。
しかし――
たくまだけが、
世界から“こぼれ落ちた”。
梨沙は、
その事実を受け止めきれずにいた。
「私は……
本当に正しいことをしたんだろうか」
その問いは、
雪のように静かに積もっていく。
梨沙は、
その罪悪感を抱えたまま
年を越すことになる。
◆ 5 純子は満足する(純子視点)
大晦日。
純子は、
たくまの隣で静かに微笑んでいた。
たくまは、
純子の言葉に頷き、
純子の世界に寄りかかっている。
純子は、
その姿を見て満足していた。
「大丈夫。
あなたはもう、
私の世界にいればいいの」
純子の世界は閉じている。
しかしその閉じた世界こそが、
純子にとっての“正義”だった。
たくまは、
その世界に静かに沈んでいく。
◆ 6 世界は完全に断絶する(全体視点)
年が明ける頃、
三つの世界は完全に分離していた。
- 美咲の世界
- ユキの世界
- 純子とたくまの世界
それらは、
もう二度と交わらない。
梨沙だけが、
その断絶を知っている。
しかし、
誰もその断絶を修復しようとはしない。
世界は静かに閉じ、
物語は静かに終わる。
たくまは生きている。
しかし、
世界からは“消えている”。
それが、
この物語の終着点だった。
(完)
妻・美咲は、長年抱えてきた“影”から逃れるため、探偵・梨沙に依頼し家を出る。
同じ頃、たくまの周囲では、ユキの恐怖と純子の執着が静かに膨らんでいく。
梨沙の観察は誤解を増幅し、10月10日の会話が決定的な断絶を生む。
ユキは恐怖を制度に訴え、たくまは“危険人物”として扱われ始める。
美咲は完全に姿を消し、ユキは平穏を取り戻し、純子はたくまを囲い込む。
梨沙だけが、自分が壊したものの大きさに気づき始める。
そして、三つの世界は二度と交わらないまま、静かに終着点へ向かう。




