Ep02:騎馬隊の圧よ
「総員停止!停止!」
騎馬隊一小隊を引き連れて蹄を鳴らし行軍したアリアは目的地に到着すると、腰を落とす黒髪の少年を発見した。
少年は恐怖か緊張か、いずれかによって腰を抜かしているように見えた。腕を振って後ろに控える騎兵達に待機を命じて、アリアは馬から飛び降りる。
少年に目を向ければやはりどこか怯えている様子だったので努めて圧をかけないようにゆっくりと歩み寄って、目前となったところで膝をつき目線を合わせて右手を差し出す。
「異世界より喚ばれし勇者よ。貴殿を迎えに参上した」
アリアから掛けられた言葉に困惑を見せる少年。何か間違えただろうかと己の行動を脳内で振り返る。
「……綺麗な人だ」
不意に聞こえたのは少年が漏らした声だった。本人も意図したものではなかったらしく手で口を塞いでいる。
発した言葉はともかく、意思疎通は可能らしいのでアリアはイニシアチブを握る意味も込めて自己紹介をした。
「先程は驚かせてしまったようですまない。私の名はアリア•オンディーヌ。貴殿は異世界よりやってきた者で相違ないか?」
「あ、その。はい。多分そうだと思います……?やっぱりここは異世界なんですね」
少年は困惑しつつもアリアの質疑に応答した。それを見ていつかの自分を思い出して懐かしくなる。
「そうだ。後で説明はされるだろうが、ここは貴殿のいた世界とは違う世界。『ネムレスト』という」
「これからの人生ってそういう……」
「どうかされたか?」
「ああ、いえ!えと俺は神崎賢斗……この場合はケント•カンザキ?っていいます。高校生です」
ケントは緊張を隠さずに自己紹介を返す。
それに頷きを返したアリアは、ケントの手を取り立ち上がらせた。
「先程も言ったが、我々は貴殿を迎えに来たのだ。そう緊張するな。貴殿の安全は保証しよう」
「あ、ありがとうございます……。アリアさん……でしたっけ。迎えにって、まるで俺がここに来るのを知ってたみたいですけど……?」
「その通りだ。今朝方、流星が降ったのでな。その辺りの説明もこの後行われる。まずは移動だ。このような場所に長々と居るものではない」
そう言ってアリアは視線でケントを馬上に促す。とはいえケントに乗馬経験など無く、戸惑いを返すのみだ。
「俺、馬に乗ったことなくて……」
「大丈夫だ。貴殿は私の後ろに乗せていく。慣れぬうちは尻が痛いだろうが……そこは容赦してくれ」
「あ、いえ。そもそも馬に跨るところにすら辿り着けそうもないんですけど……。人並み程度の運動神経しかないもので」
「問題ない」
ケントか零した懸念を一言でアリアは切り捨てた。
「こちらに喚ばれた者には、個人差はあれど身体能力向上の恩恵がある。貴殿の身体にもそれは授けられているはずだ。ものは試しという。馬上に跳び乗ってみろ」
ケントは自分の知る異世界モノよろしくといった現象を説明されて、実感こそ湧かないものの言われた通りに試すことにした。
馬の近くまで寄って、身体測定でやったような垂直跳びをするように屈んで両脚に力を込めて——跳ぶ。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ?!——あ」
するとどうだろう。ケントの身体は辺りの木々の背を軽く追い越す程に跳躍した。
宙で視界に広がるのは大自然と遠くに見える城壁。その景色に自分は本当に異世界に来たのだという実感が湧く。
しばし浮遊感を感じていると、直後ケントの身体は重力に引かれて落下を始めた。
「わぁぁぁぁぁ?!」
十数メートルからの落下は恐怖で体を強張らせるのに十分なものだった。
ケントは自由落下する中で、再びの死を予感する。ぎゅっと目をつむり、その時を待ったが一向に地面に叩きつけられる衝撃が来ない。どころか柔らかで温かい何かに包まれているような感覚。
おそるおそる目を開くと、目の前にはアリアの整った顔があり美しく輝く碧眼と目が合った。その目は少々呆れたように細められている。
「全く……急に全力で跳ぶやつがあるか。強化度合いを確認しなかった私も悪いが、不用意だぞ」
ケントはアリアに、所謂『お姫様抱っこ』の形で抱き止められていた。
受け止められた時に衝撃がなかったことにファンタジーを感じつつも、脳が現状を把握するにつれて恥ずかしさと申し訳なさが込み上げて、すみませんと繰り返しながら下ろして貰った。
「その、ありがとうございます……。そんですいませんでした……」
「構わない。言ったように私の確認不足でもある。貴殿は相当の恩恵を受けたようだな。まさかあれ程跳ぶとは、正直驚いたぞ」
「な、るほど?」
「次は軽く跳ぶといい。小さな段差を越える程度の力加減でな。それで十分なはずだ」
未だに身体が覚えている彼女の柔らかさと温かさに少しドギマギしつつも、再び馬に跨るべく意識を集中する。言われた通り、小さな段差を跳び越えるイメージ。つま先で軽く地面を弾くように蹴り出して跳ぶと、すんなり馬上に跨ることができた。
(あっ、股間が少し痛い……)
男特有の痛みを感じつつも無事に馬に乗れた喜びを感じた。
ケント自身、馬の事はよく分からないがよく調教されているらしく、馬も暴れたりする素振りは見せず大人しく彼を背に乗せている。
「では行くぞ」
アリアが颯爽とケントの前に跳び乗り手綱を握る。
「しっかりと私の腰を掴んでいるように。しがみついても構わない。少々時間をかけた故、急ぐから振り落とされないようにしろ。いいな」
異性と碌に触れ合ったことのないケントは、おそるおそる彼女の腰に手を回す。
その細さと漂う女性のいい香りに頭をくらくらさせる思春期男子。
「それでは帰投する!総員、出発!!」
凛とした良く通る声を聞いた兵士達は、一糸乱れぬ動きで馬を操り駆け出した。
ケントを後ろに乗せたアリアの馬も、駆け出し馬群の先頭に躍り出る。
グンと加速をした馬の速さに驚き、思わず腕をアリアの腰に回して絞めると、一瞬ビクッとした。それが自身のものかアリアのものか、考える余裕もなく高速で流れる景色が彼を飲み込んでいったのだった。