双子(前編) ―近くて遠い、その世界―
「うわあ……」
部屋の中を一言で表すなら……混沌。
本類はきちんと立ててあるものの、他のものは形が不規則なせいか棚や床の上に散乱している。
「“アリス”がいなくなると、時計が狂っていくってことは知ってる?」
「うん、来たときに聞いたから……」
「時計が狂っていくと、空間に歪みが出るんだ。その歪みに、時々向こうの世界のものが巻き込まれて流れて来るんだよ」
「向こうの世界って、私が元いた世界の事?」
「そう。もちろん、人がまだ使っているものは巻き込まれない。ここに来るのは、もう時が止まった物だけなんだ」
「時が止まった物?」
「昔は大事にしていたもので、もう使わなくなったものってない?」
「んー……ある。いっぱいあると思う」
「ほら、今ちょっと考えたでしょ? 時が止まった物っていうのは、いつのまにか誰からも見えないところに追いやられて、誰もから忘れられたもののことなんだ」
「じゃあ、知らないうちにこの世界に来てるかもしれないんだね」
「そう、もちろんごく一部だけど。だから、生き物なんかはまず来ない。たまたま物が巻き込まれる瞬間にそばにいたとかで、運悪くこっちにくることがたまにあるくらいかな」
「ふぅん……あ」
見覚えのある青い背表紙を見つけて、私は反射的にそれを手に取った。
表紙には、やっぱり銀の箔押しで『群青の国の歴史 Ⅲ』の文字。
「ありす、その本見たことあるの?」
「うん。どこだったかな……」
確か、怒られて中は読まなかったような。
「そうだ、お城の書庫で見たんだわ」
「ああ、お城ならあるかもね。これは流れてきたものじゃなくて普通にこの国で作られたものなんだけど、何しろ部数が少ないからここに置いてあるんだ」
「へえ……貴重なものなんだ」
「うん。お城と帽子屋邸と……後は蝋人形館にあるのかな。まあ、盗んでどうなるものでもないから大して内密に扱われてはいないはずだけど」
部数が少ないだけで見ようと思えば国民なら誰でも見られるよ、とティオは薄く笑った。
「帽子屋邸はなんか貴族っぽいからともかくとして、蝋人形館にもあるの?」
「蝋人形館は代々“グリフォン”が管理することになってるからね。元々1巻目は役持ちそれぞれの家にあったらしいけど、2巻目に入った頃からは“チェシャ猫”が銀朱の国と兼役になったから」
「兼役? じゃあ、ジーナは銀朱の国のチェシャ猫でもあるってこと?」
「そう、ちょうど若竹の国が出来たころだったみたいだよ。銀朱と群青で1人、刈安と若竹で1人。“アリス”を誘惑するためにいる“チェシャ猫”は元々子孫が残りにくい役なんだ」
「ああ、そういえば最初の頃にジーナが誘惑がどうとか言ってたような……」
「でしょ。“双子”のところにもあったはずだけど、今は“双子”自体いないからもう家もないんじゃないかな」
……ん?
ふ た ご ?
「え、何その新出単語。私知らないよ、“双子”って」
ティオは一瞬ぎょっとした顔で私を見たけど、すぐ普通の笑顔に戻った。
「なんだ、聞いてないのか。この国にはもともと“双子”っていう役があったんだよ。“時計兎”や“帽子屋”が忙しくて“アリス”に付いていられないときのためにね。でも、
先代“アリス”の時代に、今回の“双子”になるはずだった人たちが消えたんだ」
「消え、た……?」
「消える直前、一番最後に彼らに会ったのは若竹の国の現“チェシャ猫”らしいんだけどね。その後どこに行ったのか、未だに分かってない」
それはつまり、行方不明ということか。だとしたら。
「それって探さないとまずいんじゃないの?」
「探したんだよ。当時彼らはまだ10歳で、そう遠くには行けないだろうって言われてたみたいだし。でも、見つからなかった。時が止まった刈安の国以外全部探したらしいけど、遺体すらまだ見つかってないんだ。変でしょ?」
「遺体ってそんな、不吉な」
でも、おかしいのは確かだ。人が消えるなんてこと、まずない。……いや、この世界ではそうとも限らないのか。
「あはは、遺体はまあ半分冗談だけどさ。僕も友達に頼まれてちょっと調べたりしたから、居場所についての仮説は1つ立ってるんだ」
「え? だって3つの国全部探したんでしょ? だったらここから行けるところなんて――」
「1つだけあるんだよ。当時はまだここから行けた場所が」
ティオは私の手の中ですっかり忘れられていた青い本を棚に戻すと、朗らかに笑った。
「“アリス”の世界さ」