黒うさぎ ―バニーボーイ―
「えぇーっと……どこだろう、ここ?」
こんな町並は、少なくともうちの近所では見たことがない。というか、日本ですらなさそうな感じだ。
だって、見渡す限り川、川、川……あ、噴水。川と言っても底や壁がしっかり舗装されていて、どちらかといえば水路に近い。きらきら光って眩しいほどに水がふんだんに使われた町だ。
「綺麗……」
そんなことをのんきに思っている場合ではないのかもしれないけど、本当に綺麗だ。どこを見ても川、川、川、黒、川……。
ん? 黒?
今、目の端にちらっと黒くて大きくてもこもこしたものが通ったような。
「……熊かしら」
うん、多分熊だ。森なんてどこにもないけど、多分熊。
「おい、なんでそうなるんだ」
「え? だって黒くて大きくてもこもこしたものといえば――――」
そこまで言ってから口をつぐむ。だって今、私誰の声に答えたの?
「無視すんなよ。見えてんだろ?」
そう言って私の目の前に現れたのは、藍色の髪の青年。背は高め、瞳は髪と同じ藍色。整った顔立ちをしている。
とてもクールな印象で、私の学校にいたら女の子たちがキャーキャー言うこと間違いなし。
――――あの黒いもこもこさえなければ。
青年はなぜか黒いうさぎ耳を着用していた。白いうさぎ耳ならまだ――――私と同い年か1つ上くらいの男がしているあたり疑問は残るが――――なんとか納得できる。
しかし、私のイメージの中では黒いうさぎの耳=バニーガールという等式が成り立ってしまっているため、私にはもはや趣味の範囲を超えた変態に見えた。だって、私の頭の中ではうさぎのコスプレじゃなくバニーガールのコスプレだもん、これ。バニーボーイよ。
「……なんで黒?」
「は?」
「その耳。なんで黒をチョイスしたわけ?」
「別に俺が選んだわけじゃねえよ。生まれたときから黒だったんだから仕方ねえだろ」
「え?」
「なんだよ」
「それが生まれたときに既についていた、と?」
「当たり前だろ。耳だし」
この人、本気でやばい気がしてきた。
「そう、分かったわ。分かったから帰り道を教えて。私、道に迷ったみたいなの」
「帰り道なんてあると思うのか?」
「思うわよ。ないとでも言うの?」
「ああ」
……今、もしかしてさりげなくまずい宣告された? 私。
「帰すわけないだろ。“アリス”」
「ちょ、なんで私の名前……」
私の名前は香坂ありすだ。だから、そういった。でも、何かが違う。今この黒うさぎが言った“アリス”は私の名前ではなくて、例えるなら知らない言語なのに意味だけがすっと頭に入ってくるような、そんな感じ。
「名前? お前、本名もアリスなのか」
「私は香坂ありす。うさぎは?」
「うさぎ言うな。俺はシルバ、この国の“時計兎”だ」
まただ。“時計兎”も、普通に言うのとは少し違う響きを持っている。
「シルバ、ね。で、帰すわけないっていうのはどういうことなの」
「そのまんまだけど? 案外頭悪いな、お前」
「なっ……」
私、これでも学校の成績はいいほうだったんだけど。
「まぁいいか、分からないなら教えてやるよ。お前は今日からここ、群青の国の“アリス”だ。お前にはこの国で“アリス”としての役目がある。だからお前は元の世界には帰れない」
「元の世界、って……」
「おいおい、そこからかよ。ここはお前が暮らしていたところとはまったく別の世界。でなきゃ“アリス”の意味がねえからな」
「別の世界? 上等じゃない。でもね、そんな説明じゃこの世界の人じゃなきゃ分からないわ。異世界人って分かってるなら異世界人用に説明してよね。私はこの国のことを何も知らないのに、ご存知の通りみたいな感じで話されても困るんだけど」
思っていたことを全部ぶつけてみた。
「あーあー、もう分かったよ。とりあえずそこから話すとすげえ長いから、先に城行こうぜ」
このうさぎ……もといシルバは、案外話の分かる人みたいだ。
「で、あれが城な」
「え、すごい遠いじゃない……」
「そう、遠い。だから、こうやって行くから」
このうさぎ男、何を思ったか私をお姫様抱っこで持ち上げた。
「ちょっとあんた、何やってんのよ!」
「何って、お姫様抱っこ」
「それはわかってるっつーの!」
彼氏にだってされた事ないのに、いきなりこんなイケメンからって心臓に悪い。
「で、飛ぶから」
「へ? っぎゃぁぁぁっ!」
「うるせえよ、ありす」
だってこいつ、あろうことか私を抱えたまますごい高さにジャンプしやがった。嗚呼、街がおもちゃに見えるわ。
「下ろして、下ろしてぇぇっ!」
「なんで?」
「高いところは怖いからに決まってるじゃない!」
「そうか? 俺は別に怖くないけど。気の強いお嬢さんだと思ったら案外ビビリなんだな」
「ほっといてぇー!」
私は高いところが大嫌いだ。別にトラウマがあるとかそういうわけではないのだけれど、なんだか漠然と怖い。下を見た瞬間に「もし落ちたら……」と想像してしまう。
「……おもしろ」
「はぁっ!?」
死ぬ気で瞑っていた目を開け、シルバの顔を見ると嫌な笑いを浮かべている。
「予定変更。城の前まで一発で行くつもりだったけど、分割」
嫌な予感がする。
「ここで一旦降りる」
……予感、的中。シルバはものすごいスピードで地面へ向かって急降下。文字には到底表せない叫びを上げる私。地面にすとんと降り立つと、そのままもう一度同じ高さまで飛ぶ。跳ぶではない、飛ぶのだ。
跳ぶというには少し高さと飛距離がありすぎる。
城に着いたのは、それを5、6回ほど繰り返してからだった。
「お前、顔色悪っ。すげえ白いな。大丈夫かよ」
「あ……あんたのせいでしょうがぁ……っ!」
ようやく地面に下ろしてもらったが、とても自分の足では歩けない。シルバ、まだ笑ってるし……。
「うぅ……ふらふらする……」
「本当に嫌いなんだな」
もう答える気力すらない。酔っ払いのごとくふらふらと歩く私を見かねたシルバに、結局またお姫様抱っこされて城に入ることになったのだった。
「あんた、Sでしょ……」
「Sじゃない。ドSだ」
「もっと悪いわ!」
私もどっちかといえばSなんだけど……と思ったが、違った。確かに普段はそれなりにSだけど高いところでは常にMだわ、思い出の中の私。
「あー、ウケる。またやろ」
「やらなくていい」
「やってもいいんだな?」
「ダメ!」
「へーぇ、“アリス”の分際で“時計兎”様に命令するんだ?」
「後生ですからやらないでください。お願いします、シルバ様」
そう言ったら、シルバがさらに大笑いを始めた。
「何よぉ……」
「お前、意外と素直な奴なんだな。“アリス”より“時計兎”のほうが偉いわけないじゃん」
「……はい?」
「“時計兎”は“アリス”のものだよ。他の役持ちも全員、“アリス”が死んだら世代交代。つまり、俺はありすだけの“時計兎”」
ちょっと待て、「つまり」になってないぞ。しかも今のってかなりの爆弾発言のような。
「“アリス”の存在は絶対的なんだ。“女王”でさえ、“アリス”に手を出すことは許されない」
さっきから、なぞなぞみたいな説明ばっかりなんですけど。
「詳しい事は、“女王”に謁見してからな。ほら、この部屋」
そこには、真っ青なドアがあった。いつの間にか女王様の部屋の前に来ていたらしい。
「改めて……我らの“アリス”。ようこそ、群青の国へ」
白兎であるはずのポジションが黒兎になってしまいました。でも、これは後々ストーリーに関わってきます!
別の作品と平行して書いていくので、あまりまめな更新ではないかもしれませんが、頑張って書いていきたいと思います!ご意見ご感想等お待ちしております。