WAX WORKS ―最後のガラスケース―
最初の十行くらいは分かりにくいですが、初めはシルバ視点です。後半はありす視点に戻ります。
それなりに綺麗な外観とは違い、中は年季が入って薄汚れている。
「ったく、どこにいんだ?」
人影は見当たらず、それどころか蝋人形もどこにもなかった。
「ここって蝋人形館なのよね?」
「ええ。ただ、それは名前だけですよ。実際にあるのは本物の蝋人形ではありません」
「本物の、蝋人形? ニセモノの蝋人形なんてあまり聞かないけど」
「ニセモノってわけじゃないよ。蝋じゃないけど、人形だもん」
「え……」
どこからともなく聞こえた声にあたりを見回すと廊下の壁にドアが現れ、中から男が出てきた。
“一角獣”だ。
「またお前は変なとこから沸いて出やがって……」
「はは、久しぶりのお客さん。ここのところ誰も来なくてさ、暇だったんだよね。こっちおいでよ」
ロストは俺の手を掴み、ドアの中へ入っていく。ありすとレザンは後からついてきた。ドアの向こうには妙に広い部屋が広がっていた。
「何、これ……」
「ね、人形でしょ? ご主人様が集めたコレクションさ」
だだっ広い部屋にずらりと並べられたガラスケースには、確かに一つに一体ずつの人形が納められていた。
「後少しで完成らしいよ。後ろのほうに一つ空いてるガラスケースがあるはずだから」
「ほぁー……」
のんきに驚いているありすをそっとつつく。
「ありす。お前、訊くことあったんじゃなかったのか?」
「あ、忘れてた」
「へーぇ、何?」
「あの……今、私が元いた世界の家族とか、友達とかって……どうしてるのかな?」
「よく俺がそれ知ってるって思ったね。どうしてるも何も、ふっつーに暮らしてると思うよ?」
「普通に?」
「うん。あ、もしかしてその先聞きたい?」
ありすは小さく頷く。まぁ、予想通りの質問だった。今日までありすが気にしなかったことの方が不自然なくらいだ。
「聞かないほうがいいかもよ?」
「それでもいいわ。もう、私はこの世界で暮らすって決めたんだから」
「そっか。じゃあ、言うよ。
香坂ありすという人間は、向こうの世界には存在しなかったことになっている。
……以上」
「……え」
「もう君がいたことを覚えてる人はいない。なぜなら、そういう決まりだから」
「ずいぶんフォローのない言い方ですねえ」
「あ、フォローしたほうがよかった?」
「当たり前だ!」
こんな淡白な説明で済まされて伝わるわけがない。
「ってもなあ、そういう決まりとしか言いようがないんだけど」
「そこの「決まり」の部分を説明しろよ! 俺らじゃ説明できねえんだから」
「ああ、そっか。この世界に来た“アリス”は、元の世界の人たちの記憶からは完全に消される決まりなんだ」
「じゃあ、私が今までやってた学校の仕事とかは、誰かが代わりにやってるの?」
「そうだね。代わりって意識は誰も持ってないだろうけど。なんていうか……もともとそうしてたみたいに」
「そうなんだ……」
ありすは心なしかしゅんとなったように見えた。
「その、ほら、そんなに落ち込――」
「なぁんだ! そっか!」
「へ?」
「私がいなくても皆困ってないんだね! それならいいや!」
「ちょ、ありす……」
「委員会も部活もほったらかしてきちゃってるから心配だったんだけど、大丈夫そう。ありがと、ロスト」
「いえいえ~♪」
妙にありすのテンションが高い。ショックを隠そうとしているのかもしれなかった。
「じゃ、行こっか」
「え……ああ」
「また、来るから。その時はお人形、よく見せて?」
「ん、待ってるよ」
ロストは指をぴらぴら振りながら俺たちを見送っていた。
*・*・*・*・*
「ロスト?」
「あ、ご主人様」
「彼女が今回の“アリス”か?」
「そうらしいよ。もしかしてご主人様、あの子が気に入ったとか」
「はは、気に入ったというのとは少し違うな。しかし……これからも気にしておこう」
ロストは黙って部屋を出て行く。
残されたのは膨大な数のガラスケースと翼を持った男。
男は一人、空のガラスケースに呟く。
「もう、逃がさない。****……」
最後の檻が、鈍く光った。
*・*・*・*・*
「ありす、本当に良かったのか?」
私たちはレザンと別れ、のんびりと城への道を歩いていた。
「何が?」
「さっき聞いた事。ショック受けてんじゃないかと思って」
「そんなことないわ。うすうす見当はついてたもの」
ここに来た日、私はもう向こうの世界では必要ない存在なのだとなんとなく思った。
小さな頃から漠然と感じ続けていた不安。
ただ、それが具現化しただけの事。
「でも、さっきも結構無理してただろ? テンション変だったし」
「大丈夫だもん」
「キツイなら言――――」
「うるさいよっ! なんで……なんで掘り返そうとするのよ! あたしだって必死に隠そうとしてるのに!」
怒鳴ってしまった。
シルバは悪くない。
私を心配してくれたんだって、分かっていた。
分かっていたのに、止まらなかった。
涙も、言葉も、想いも。
「ごめん、なんか無理矢理吐かせるようなこと言ったな。言いたくなかったら、言わなくてもいい」
「……っ」
「ただ、さ。すごく無理して笑ってるみたいに見えたから。言う気になったらでいいけど、壊れる前に言えよ?」
心に芽生えた小さな不安を覆い隠そうと、毎日必死で背伸びをしていた。
自分の存在を認めて欲しくて、居場所が無くなるのが恐ろしくて。
そうしたらいつのまにか身体から心が離れて、ふわふわ漂っていた。
シルバにしがみついて、どれくらい泣いただろう。
泣き止んだ頃には、日もとっぷり暮れていた。
「ちっとは落ち着いたか?」
「うん……」
「じゃあ行くか。……?」
私はシルバのシャツを掴んだまま、立ち尽くしていた。
「どした?」
「なんでもない」
「そっか。早く帰らねえと身体冷えるぞ? お前まだ病み上がりだろうが」
掴んでいた手をそっと離して、ゆっくり歩き出した。