第二部 不都合な子供たち ③ 親は子供を選べるが子供は親を選べない
今回は、亡くなった安岡くんの生前の独白です。
<両親が何かの理由で離婚する事になって、「お前はどちらに付いて行きたい?」と聞かれたとすれば、その子供は幸福である>
オレはそう考える。
そしてこうも考える。
<このように言われた子供はきっと親からの愛をそれなりに受けたのだろうから、親の離婚やそれに関わる事象についても心を痛めるのだろう>と
では
「お前はどうなのか?」
と聞かれたら……
「なりゆきに任せるしかない」
と答えるだろう。
なにも達観しているわけではない。
小学5年生のオレは、それなりに経費がかかるが……それに見合う結果をもたらしてはいない。
その様な“不良品”を積極的に引き受けるのは理屈の上からも感情の上からも
有り得ない事だ。
ただ、『可能性の有無』の点から考察すると母親はオレの肉体的な部分に“慰み”を求めている事実があるから……母一人子一人となれば、今までとは比べ物にならないくらいオレを“自由”にできるだろう……
失礼、ちょっと吐き気をもよおした。
オレにもまだ少しは“感性”が残っているらしい。
困ったものだ。
そんな物、何の役にも立ちはしないのに……
で、話を戻そう。
例えば、男が女を囲う場合……それなりに経済的余裕が必要だろう。
さすればオレの場合は、離婚後、父親からどの程度の養育費が入るかと言う話になるが……父親の“能力”からすると心もとない。
今でさえ……オレと違って有望な一つ下の弟の大翔の……“将来合格するであろう”私立中学の学費捻出の為に、オレに掛かる学費を大幅削減しなければならない現状なのだから。
仮に母親がパート勤務から正社員雇用にシフトされたとしても、オレ自身がバイトなりで家計に貢献できるまでには、まだ4、5年は掛かる。
その間のオレは文字通り“タダ飯食い”だ。
ただ単なる“慰み”でオレを飼うくらいならマッチングアプリなどで男を捉まえてヤる方がはるかにマシという事は、容易に想像がつく。
結局、“慰み”にオレを利用するのは今の生活があるからで……母親の慰み事にとってはオレを利用するのが最も安全と言えるわけだ。
そうだな! よほどのことが無い限り、母親から離婚の話は出ないだろう。
うん!今、書いていて気が付いた。
カノジョの身から出たこのオレをカノジョの身の中に受け入れること自体は、生物学?的にはストレスが少ないのだろう。
勿論これは、倫理的側面や懐妊の可能性を考えると飛んでもなくハイリスクな事なのだから……これらをぶっちぎってたびたびヤると言うのは最早、人でなしで、それはそっくりオレにも当てはまるわけだ。
ああ、また身の毛がよだって来た。
中途半端に感性が残っていると実に厄介で、それを打ち消すのには“欲望”はいいクスリだ。
まさにジャンキーの行動原理で……つい数か月前、陽葵のポニーテールの香りに胸がドキドキしてしまい、初めて自分でシてしまったオレなのに……今は母親とする時には陽葵の顔を思い浮かべるというクズっぷりだ!!
だから今、“吐き気をもよしている自分”を保持したくて、オレはその映像を頭に思い浮かべてみる。
まずカノジョから産まれ出た時は
きっとこんな感じなのだろう。
狭くなった部屋全体が収縮してオレを排除する様にトンネルへと押し出す。
そのトンネルとは自分の頭で押し広げ掘り進めなければ死を意味する様な過酷な物で、オレは全ての供給を断たれ、その苦しさから逃れる為に死に物狂いで本能の指し示す“出口”へとあがく。
やっとの思いでカノジョの中から這い出たオレは泣き叫び、生きるのに不可欠な空気を己の肺に取り込む。
こんな事、2度は成功しない……この事については後で述べる。
そうやってオレに命を与えたカノジョは……手懐ける為にこの“ケダモノ”に餌を与える。
しかしながらカノジョの本来の目的にはオレは不適合で……出来損ないのケダモノにピッタリな使い道として……カノジョのむき出しの本能を満足させる道具として……使い物になるくらいに成長したオレを使用する事となったわけだ。
出たところへ体の一部分を使って入り直す行為はケダモノにとっては予想以上に刺激的だったが……
ここまで書いて、ちょっと読み返してみると我ながら非常におぞましい文章の様に思える。
“おぞましいと思う”のは……“私立中学への受験勉強”という名目で読まされた様々な随筆や小説の断片がオレに与えた影響による物だろう。
母親と父親はいわゆる“デキ婚”で……母親の結婚の手段としてこの世に生を受けたオレなんかとはまるで違う、真っ当で高尚な人たちが記した言葉達が不必要にオレを揺り動かしているわけだ。
だからオレの独白をおぞましいと感じる諸兄は、ほっと一安心されるが良い。
そうではなく、この文章になにかしら共感を持たれる方がいらっしゃるのなら、これから先を読み進むのは自己責任として欲しい。
さて、去年のクリスマスイヴに日頃散々と“お世話”になっている陽葵にシコシコと磨いたリンゴをあげた。
さすがに素手での取り扱いは陽葵が可哀想なので……すべて手袋をはめて執り行ったが、あげたリンゴの処遇に陽葵一家は苦労した様だ。
きっとオレの事を恨めしく思っているのだろうが……それでいい。
オレの中で『恋愛ごっこ』が成就すればいい。
それを理由付けとして……自分勝手なオレは、陽葵とやり取りしているグループワークノートに遺書を書いた。
それは……『お涙ちょうだい』までは行かなくとも、なかなかにあざとく仕上がったと自分では思っている。
こんな事を語れるのは、あなたがた(二人以上居ればの話だが)にとってオレが見ず知らずの他人だからだ。
もしオレの死に様が新聞やテレビで報道され、それを見てしまったら不愉快に思われるかもしれないが、死人に怒っても仕方ないだろう?
悪いがオレにとっては知った事じゃない。
産道をくぐった時は生きる為にあがいたけど……これから疏水に行って飛び込む時には……死ぬ為にあがくんだ。
だから“損失補填”と言う足枷を重しにしてオレは疏水へ飛び込む。
醜いオレだからこそ死に際くらい潔くありたい!!
“美学”にすらならないくだらない意地だがね。
親は子供を選べるが子供は親を選べない
だから死を選ぶだけ
窓の外の大雨はいつしか吹雪に変わっている。
人知れず事を運ぶには持ってこいだ。
ではこの身を、疏水へと運ぶとするか
次回は……安岡くんの遺書についてのお話です。




