第一部 ぼっちポチ ⑳ ポチ、紺野さんを泣かせる
DVを受けた直後に陥っていた無力感とは全く別物ではあったけれど
スウェット上下の私は、布団を取り除いたコタツに頬をべったり付けて、うつ伏せていた。
少しでも気を緩めると
涙が溢れて、頬とテーブル板の間に水溜りをつくる。
あはは
鼻水まで……
情けないなあ
悲しいなあ
スマホが何回か鳴ったけれど
辛くて
そのままにしていた。
今度はメッセの着信音がして
私はノロノロと画面を開けた。
<康雄です。
このたびは陽葵の事で申し訳ございません。
先程、あの子が話した……『私があの子の母親を死なせた』というのは、事実です。
あの子の母親は子宮頸がんで亡くなりました。
この不幸を招いてしまった責任の多くはHPVのキャリアだった私にあります。
そして、あの日、バスルームでヤセ我慢したのも……私にその認識があったからです。
あなたをも罹患させてしまうリスクがあるという認識が……
私はあの時、あなたにそれを話すべきでした。
でも勇気がなかった。
あなたを……単に家政婦や陽葵の面倒を看てくれる人としてではなく、一人の女性として、失いたくなかったのです。
今から陽葵と二人で、あなたの家に伺います。
どうかドアを開けて下さい
私たちを拒絶しないでください>
私は飛び跳ねてコタツに両膝辺りをしたたかにぶつけてしまった。
しかし痛みすらろくに感じず、うろたえ、部屋をグルグルし、また座り込み、またグルグル
そう、まるっきりポチ的行動を繰り返した後、ようやくスウェットからこざっぱりした服に着替えて、狭いリビングダイニングの椅子に腰掛けた。
けれど
「あっ!下着。着替えるのを忘れた」と
慌てて立ち上がり
「何を考えているんだ!!」と
また座り直した時、
ドアチャイムが鳴った。
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「こんなところへわざわざ」と入ってもらった二人はとてもおしゃれな着こなしだった。
康雄さんは上質な光沢のストライプ生地のスリーピース。ポケットの白いタイが清潔感を醸し出している。
一方、陽葵はライトグレーのワンピースに紺のボレロ、白いシャツの襟を出してグレーのリボンで結んでいる。胸につけた白いコサージュが、また可愛い。
およそこの部屋には似合わない雰囲気だけど……
私の為にこれを着て、会いに来てくれたの?
いいの?
私でいいの?
こんな事してもらって!
本当に
いいの??
私の涙腺は
さっきから壊れっぱなしなので
これだけでもう
涙の雨を降らせてしまって
左手で顔を覆った。
そんな私の右手を取って
陽葵は語り掛ける。
「馬子にも衣裳でしょ? これね、ママが小学校の卒業式で着たものなの。 私、背が高いから、着れちゃった。 どうかな?」
私は手のひらで顔を押さえたまま返事をする。
「かわいいよ」
「ダメ! ちゃんと見てくれなきゃ」
顔、きっとグシャグシャなんだろうけど…… 考えてみれば、とっくにメイクもダメになっているんだろうし……左手を離し、真っ直ぐに陽葵を見る。
私の右手を握っていてくれる陽葵の手に、左手を重ねて
「とっても、とっても かわいいよ」
と力を込めて言うと
陽葵、満面の笑顔で
こんな言葉を返す。
「私と結婚したくなるくらいに?」
「それは……」
と言い掛けた私の言葉にかぶせて
陽葵は私に
プロポーズをしてくれた。
「こういうときは、自分の一番大切なものを相手の人に差し上げるんでしょ?
だって、これからふたりは、ずっとずっと一緒なんだから!
大切なものを
心から信頼している相手に預けるのは当然!
だから私、この服を着て、お仏壇のママの写真にこう言って来たの
『私の幸せの為にパパをマーねえちゃんにあげるね』って
マーねえちゃん。私と……
私達と……
ずっとずっと一緒に居てください。
これから
私達の家に
来てください!」
私は……
私はもう
この場に泣き崩れてしまって
ふたりに抱きかかえられた。
二人の腕の中で
しゃくり上げながら
なんとか
言えた。
「ふつつかな……
ほんとうに
ふつつかものですが
これからよろしく
おねがいします」
と
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こざっぱりとは、したつもりけれど……
こんな身なりで
本当にいいのかな……
“お泊まりセット”のトートーがそのままにしてあったので
取り急ぎ抱えてアパートのドアにカギを掛ける。
トントンと階段を降りた先には
二人が待っていてくれる。
「そのトートー持つよ」
手を伸ばす康雄さんには
これは似合わない。
「いえ、大丈夫です。 お召し物にも合いませんし……」
「そんな事、気にしなくても……」
「それにあの、下着とか
入っているので……」
康雄さん、少し照れたように顔を背けて納得してくれた。
「ん、ああ、そうか、うん、分かった」
「じゃあ、私が持つ」
と腕に縋ってくる陽葵にも全力で断った。
だって
このトートーの中に……
“グッズ”も入りっぱなしだから……
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「あ、煮物のいいにおい」
との陽葵の言葉で気が付いた。
「あの、ひょっとして 康雄さんたち、晩御飯、まだですか?」
「ああ、そうだな、すっかり忘れていた。柏木さんは?」
「私も食べていないのですが……」
「じゃあ、どこかで食事をしよう。リザーブできそうなところは」と康雄さんはスマホを取り出したが、陽葵が割り込んで来た。
「私、スーパーのから揚げが食べたい」
「えっ??!」
「だって、マーねえちゃんの働いているスーパーのから揚げ、おいしいんだもん!! 食べたい!食べたい!食べたい!」
陽葵がハイテンションで、子供らしい言い方をするので
私と康雄さんは顔を見合わせて吹き出した。
康雄さんが陽葵の頭を肘で抱えて、カノジョの鼻を
「分かったよ」と摘まんでウリウリするのを見て
私はクスクス笑いながら、胸いっぱいの幸せを感じていた。
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もう売り切れていたら、鶏ささみの電子レンジ蒸しでも作ろうかと思っていたのだけど、から揚げはまだ残っていて……幸いかどうか3割引きのシールまで貼ってあった。
その他、あれこれ見繕っていると康雄さんが、“今、スーパーで一押しの”スパークリングワインをかごに入れた。
「冷蔵庫に入っているから、すぐ飲めるよ」
その言葉の裏に
ドキンとして
まだ飲んでいないのに
少し赤くなった。
私達三人が連れ立ってカートを押していった先のレジには紺野さんがいた。
紺野さん、驚きでその大きな目をもっと大きく見開いたのだけど
すぐウルウルになってユニフォームのエプロンの端で目頭を押さえた。
紺野さんは、涙声で「お預かりします」とかごを引き寄せると
何とも言えない笑顔で商品をスキャンする。
会計を済ませ、今日は康雄さんの手にカードを戻すと
紺野さんはやっと口を開いた。
「今は仕事中でソーシャルディスタンスだからできないけど、あなたの事、思いっきり抱きしめたい!! おめでとう!!!」
「私も、紺野さんを抱きしめたい」ってまた涙を流すと
紺野さん、拍手してくれて
お客様の並んでいない、5番、6番レジの山田さんや川口さんも拍手してくれた。
「いい職場だね」って康雄さんに言ってもらえた。
嬉しい!!
ここで働き続けていて
本当に良かった。
。。。。。。。。。。
イラストです。
伊麻利さんのラフ画
私のイメージに近付けたかな……
陽葵の“勝負服”
ラフ画に色塗りしました。




