第一部 ぼっちポチ ⑲ ふたりだけの家族会議
今回は第三者視点です。
その日曜日、スーツにネクタイ姿の彼は、いかのも休日らしいラフな格好の相手と商談を行っていた。
「どうですか? この手触り。そして手を触れた相手の温もりを少しの間保持し伝える事ができるこの素材…… 親子や夫婦や恋人や友達……師弟だっていい。
人と人とのつながりを柔らかく伝える事が出来る…… 正しく御社の商品群と世界観を共有できるとは思えませんか?」
「世界観ですか?? 少し風呂敷が大きくないですかね?」
ラフな男は鷹揚に笑う。悪い気はしていないようだ。
「いいえ! 世界観こそが玩具の命と私は考えます。残念ながらこのご時世、人と人が触れあう事が本当に難しくなりました。だからこそ、このハートン社の新素材を弊社は推しているのです。
せめて、この素材を通して人と人とが触れあいを実感できないものかと……
新素材VRDには抗ウィルス剤であるカチオンポリマーが練り込んであり、SIAAの選定基準を満たしております。
この素材をお互いが触れ合う事により、お互いの手のぬくもりを感じる事ができる……素晴らしくはないですか?」
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商談はまとまり、稲城康雄は一礼する。
「本日は……本当に有難うございました。 こればかりはZ●●mではお伝えする事ができないものですから」
「人と人の温もりですね」と
ラフな男は手を差し出す。
「心配なさらないでください。私は“検査”で陰性です」
康雄はその手を取り、しっかりと握手する。
「私も陰性です」
「では、以後はまたZ●●mで」
「はい」
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独りになった康雄は、付けていた不織布マスクを傍のゴミ箱に投げ捨て、また新しく封を切って装着する。
成功の高揚感の後、性交の高揚感に浸りたくなるのが彼の性だった。
然るに確保されたピンは今は無い。
瀟洒な店に入った彼はスマホを立ち上げ、いくつかのメッセを入れてから片手を挙げ、スパークリングワインをオーダーする。
そのグラスの表面に露が下りる間もなく、スマホが震えて、メッセの着を知らせる。
アタリが来た!
「丘釣りとはよく言ったものだ」
そう、遠い昔、祖父に連れられた釣り堀のヘラブナ釣りよりはるかに易しい。
スパークリングワインで口を湿らせながら、スマホをタップし、確かめる。
その唇で、これから触れるであろう素肌を想像してみる。
しかし彼の頭の中を征服したのは
賑やかなネールアートの女でも、今もこの胸に針を残されている“Dr.L●●SEN”の女でもない……花ニンジンが色鮮やかな筑前煮の女に……頭を押し抱かれた時の……その柔らかな胸
「なんで あんなブチオンナを……」
彼はもう一度自問する。
「なんで あんなブチオンナを……」
振り切るように首を傾げ
スマホに向き合い
また首を傾げ
躊躇い
躊躇い
スマホのマッチングアプリを削除して
グラスを呷り
彼は席を立った。
「とにかく一度、家に帰ろう」
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慟哭は、いつも……虚しさと寂しさしか呼ばないから
陽葵は、ただ黙って涙を流していた。
マーガレットの鉢植えを前にして
インターフォンが康雄の声を伝えても
ドアが開いても
自分を探す物音がしても
うっちゃっていた。
「……ここに居たのか…… オイ!どうした?!」
康雄が声を掛けると、陽葵は手の中や目の前に積み上がっている丸まったティッシュの山を雪玉のように次々と彼に投げ付ける。
「パパのせいだ!パパのせいだ!!パパのせいだ!!!」
「何を訳の分からない事を!」
ティッシュのつぶてを払いのけて康雄は陽葵の肩を掴む。
身をよじって康雄の手から逃れようとする陽葵は、今度は言葉を投げ付ける。
「ママも! マーねえちゃんも! パパが死なせちゃうんだ!!」
言葉が突き刺さり、凍り付いた康雄の手を逃れて陽葵は叫ぶ。
「ママが言ってたもん!『パパとせっくすすると、女の人は死んじゃうって!! だからママも死ぬんだ』って!!」
「真理子が?!! そんなことを??!」
妻、真理子の面影をまとう陽葵からの言葉ゆえ、なおさら心を抉られて康雄は膝を折る。
それは不幸が重なった故の結果。
しかし、その発端となったのは確かに康雄だ。
だからと言って、彼にその責任の全てを背負わせる類のものでは
本来は無い。
然しながら彼と彼の妻の性格やその関係性が、この不幸を招いてしまったと言えなくもない。
だから康雄は顔を上げ、泣きながら自分をねめつける陽葵に、そして陽葵が慕うふたりの女性を思って頭を下げた。
「申し訳ない」と
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「やっぱりママが好き。でもパパも、そしてマーねえちゃんも好き」
ふたりだけの家族会議の最後に陽葵は言った。
陽葵の顔を見ながら康雄は考える。
自分では真っ直ぐ歩いて来たつもりだったけれど、そうでは無かった。
だけどそれなら、一足飛びだってできるかも……
「陽葵! マーねえちゃんと居たいか?」
陽葵は康雄の手をギューッと握って言う。
「パパとマーねえちゃんと三人で居たい」
康雄は頷いて言葉を返す。
「オレも……三人で居たい。でも……そうなれるかな?」
陽葵は……その名が表すような目一杯の笑顔で康雄の手を取り、立ち上がった。
「大丈夫!! マーねえちゃんには私がプロポーズするんだから!!」




