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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

砂漠は今日も晴れのち晴れ

作者: 黒あんみつ


砂漠の街、アルダ。

アルダには類稀たぐいまれに神に愛された子どもが生まれた。

言い伝えではアルダの遠い祖先が堕ちた神を救ったことが始まりだそうだ。その魂が廻り生まれ落ちるたびに神はそれを喜び愛で、神に愛された子の周りは奇跡で溢れるとされている。


神に愛された子どもが生まれると、吉鳥が国の頭上を鳴きながら旋回して国中に知らせる。

神に愛された子どもは『神の愛し子』と呼ばれ、愛し子は街の主の城で丁重に饗すのが習わしだった。


サーラは神の愛し子だった。

サーラが生まれた時、言い伝え通り家の上空を吉鳥が鳴きながら旋回したそうだ。そしてあれよあれよと言う間にサーラは城で生活することになり、早十八年。

アルダは砂漠の国随一のオアシスへと発展していた。その繁栄のおかげで小さな街なのにも関わらず、財力は王家をもしのぐほどだ。


サーラは見ていた書類から顔を上げると目の前に立つ一組の男女をまじまじと見つめた。


「お初にお目にかかります神の愛し子さま。西の商人の娘、ハウラと申します」


どうぞ仲良くしてくださいね。

にこりと笑う目の前の美しい女性にサーラは何度も目をパチパチと瞬いた。

褐色の肌に目を引く金色の髪。大胆に開いた胸元からは豊満ほうまんな胸が覗き、腰骨こしぼねに引っかかるように結ばれたスカートはあまりにも頼りない。くびれた腹を美しい宝石が飾り立て、彼女が動くたびにシャラリと涼しげな音をたてた。誰が見ても美しいと称するであろう顔立ちに赤い口紅がよく似合っている。

要するに、ハウラと名乗る目の前の女性は、女のサーラから見ても妖艶ようえんな美女であった。


「ハウラも神の愛し子だそうだ」

「……それは、おめでとうございます?」


サーラは自分でも良く分からない反応をしてしまった。

 

「数百年に一度しか生まれないと言われている愛し子が同時に二人も現れるなんて今までなかったことです。愛し子は生まれた時に吉鳥きっちょうが知らせるはずですが、ハウラさんの話は聞いたことがありませんでした」

「まぁ!自分以外に愛し子が見つかって焦っているんですか?特別扱いされなくなる恐怖からいじめをなさるなんて、なんて器の小さい方!」

「え?いや、そうではありません。ハウラさんが神の愛し子だというのなら、国にとってこれほど喜ばしいことはないでしょう。ですが、私の知る事実と少し異なるようですので確認をしたくて、」

「まぁー!私が主をたばかっているとでもおっしゃりたいのかしら!?」


キンキンと耳に響く声にサーラは思わず眉をしかめた。強烈すぎる。話が通じない人種だと即座に判断したサーラは、街の主であり婚約者でもあるアッザームを見上げた。


「アッザーム。説明してください」

「…実際にハウラの周りで奇跡を見た者がいる。事実を含め調査中だ。だが、愛し子の可能性がある人物を放置するわけにはいかない」

「…なるほど」


冷たい眼差しがサーラを見た。

褐色の肌に小麦色の髪。昔は薄かった体も今ではがしりとした体躯になり、整った顔立ちと相まってアッザームは美しい美丈夫に成長している。しかし、子どもの頃は太陽のようにキラキラと輝いていたアメジストは今や夜のとばりが下りたかのように静かで平坦だ。


「それは大臣たちが大騒ぎしそうですね」


苦笑するサーラにアッザームは何も答えなかった。ここに来るまでにも散々大臣たちに小言を言われたのだろう。昔の人間ほど伝承や信仰心にあつい傾向にある。


「改めまして、お初にお目にかかります。サーラです。何か分からないことがありましたら遠慮えんりょなくおっしゃってくださいね」


にこりと笑うとハウラに嫌そうな顔をされた。

早速嫌われてしまった。サーラはハウラの子どもっぽさに内心呆れるが表面上は笑顔を保ってみせる。


(…これは先が思いやられるわね)


嫌な予感ほど的中するものだ。

翌日からサーラが危惧きぐした通りの現実が待っていた。







サーラはここ数日頭を抱えていた。

原因は言わずもがなハウラだ。彼女は城に滞在してからというもの好き放題していた。

高級な絹を買い占めては宝石を買って、街の予算を食い潰していく。毎日宴を開いては高級食材を贅沢に消費して、歌に踊り、はたは男娼まで呼び込む始末。少しでもいさめれば癇癪かんしゃくを起こして暴れまわった。


「アッザーム、どうにかしてください」


サーラも初めの頃はなんとか解決できるよう尽力した。いくら怒鳴られようと、ののしられようと、根気よくいさめ続けたがなんせ話が通じないのだ。


「このままでは大事な税が食いつぶされてしまうわよ」

「愛し子は国の宝だと口を酸っぱくして言っていたのは家老等だ。お望み通り丁重ていちょうもてなすことができて奴らも本望だろう」


嘲笑ちょうしょうするアッザームにサーラは嘆息たんそくする。

なぜここまでこじれてるのだ、この男は。昔は素直で可愛かったのに。

使用人におうぎあおがせながらこちらを見下ろすアッザームを睨む。


「そんなわけないでしょう?無駄な浪費は貴方が一番嫌っていることじゃない」

「その通り」

「……貴方、何考えているの?」

「さぁ?」


冷笑するアッザームにゾクリと背中が冷える。

本当に可愛かったアッザームはどこに行ったのだろう。こんなに冷たい表情をする人ではなかったのに。

昔のアッザームは天真爛漫とまではいかなくとも明るく未来を語る少年であった。サーラとも良く街の未来について語り合ったものだ。

サーラはそんなアッザームが好きだった。責任感があり、そして何よりも優しい。いつだって自分のことよりも街のみんなのことを第一に考えて、努力を怠らない彼が眩しくて憧れた。そんな彼の支えになりたいと思っていた。そしてサーラは今でもそう思っている。


だが、アッザームは変わった。

いつからか笑わなくなって、サーラにも冷たくなった。声を荒げることはない。暴力を振るうことも無い。だが、いつだって冷ややかにサーラを見つめる。そこには昔のような親愛も友愛も、暖かな感情はなにも見つけられない。


「アッザーム、何か考えているなら私にも話してください。私たち婚約者でしょう?私は貴方の力になりたいのよ」

「必要ない」

「…なんで、」


なんでそんな事を言うの。

そう言いかけた口を唇を噛んで止める。冷たい声に心が締め付けられる。

街の主は優しいだけでは務まらない。時には冷酷に処罰することも、厳しい判断を下すこともあるだろう。主の座を狙って命を狙われることも、貶めようとする者もいるだろう。そういう出来事が彼を変えてしまったのかもしれないとずっと思っていた。

だが、最近はそれだけではないとも思い始めている。


こちらを見ようともしないアッザームから目を逸らす。昔はアッザームの考えていることはある程度察することができた。


でも今のアッザームのことは良く分からない。





「一体なんなんですの!?こんな時間に呼び出すなんて!!非常識よ!!」


きゃんきゃんと喚くハウラは周りの状況があまり見えていないらしい。

サーラは張り詰めた空気の中、急に呼び出された理由を必死に考えていた。


その日もいつも同じだった。ハウラの傍若無人っぷりに頭を抱えながら、仕事を熟す。

オアシスは人の出入りが激しいために問題も起こりやすい。移民の対応、水質汚染、草木の管理、人間同士のいざこざ。

アッザームでなくてもできる采配はサーラが行う。暑い日差しの中、滴る汗をそのままに城の中を駆け回っていたサーラに、アッザーム付きの戦士が大広間に集まるよう伝言をもってきたとき、嫌な予感はしていた。


そして大広間に入った時にその予感は正しかったことを悟る。

アッザームはもちろん、重要な議題にしか出席しないはずの大臣たち、文官、戦士。そして明らかに場違いな格好の男。

おそらくハウラの父親だろうことは容易に想像がついた。どことなく面影があるような、ないような。


おそらくハウラの愛し子関連の話だと予想はつく。だがそれにしては空気が重すぎる。そして、無関係なはずのサーラに憐れむような、突き刺すような、そんな視線が向けられていることが、サーラを混乱におとしいれていた。


「集まったか」


アッザームが話し始めると、さすがのハウラも喚くのを止めた。


「皆に集まってもらったのは他でもない。ハウラの愛し子に関する調査報告の共有とその処罰を決めるためだ」


ざわりとざわめく空気の中、サーラはやはりと独りごちる。だが、それではなぜ、自分にあの視線が向けられるのか。この胸騒ぎは一体なんだ。


「ハウラの周りでは奇跡が起こるという話だったな」

「えぇ!そうですわ!たくさんの人間がそう証言したのをアッザーム様もご存知でしょう?」

「あぁ。そしてその理由は神の奇跡によるものだと、私にそう言った」

「ええ!」

「では、これはどう説明する?」


バサリと大広間の中央に見慣れない草が散らばる。それを見た瞬間、ハウラは「ひっ」と悲鳴をあげて顔を恐怖に歪めた。それは父親も同じだ。無駄に宝飾品で着飾った肥えた体をぶるぶると震わせている。


「コレは幻覚作用のある草だそうだ。このオアシスでは採れないもので、遠い北の国に生息するらしい。なぁ?ハウラ」

「そ、そん、なもの、わ、わたくしは、知りませんわ」

「そうか」


アッザームは豪奢な椅子から立ち上がると、無言でハウラの父親の方に向かった。


そして次の瞬間には首が飛んでいた。


ごとんっ!と重い音を立てて転がる首をサーラは無意識に目で追った。そのまま呆然とアッザームを見る。血に汚れたアッザームがゆっくりと振り向く。目が逸らせなくて、こちらを向いたアッザームと目があった時、けたたましい叫び声が大広間に響いた。


「いやぁあぁあぁああ!!!お父様!!おとうさま!!」


半狂乱になり叫ぶハウラを戦士たちが取り押さえる。押さえつけられながらも暴れ回るハウラは目を血走らせながらアッザームを睨んだ。


「人殺し!!ひとごろしィーー!!」

「私が人殺しならば、お前たちも人殺しだ。しかもそのうえ人をたばか畜生ちくしょうでもある。お前たちが神の愛し子になるためにあの草を使った者たちは等しく廃人となってしまった」


アッザームがハウラの前に立つ。

這いつくばったハウラを上から見下ろすアッザームの瞳は暗く一切の感情がない。ハウラの喉が潰されたような音を出した。


「選ばせてやる。この場で死ぬか、神の愛し子として奇跡を起こす機会を得るか」

「奇跡を、起こす…?」

「そうだ。本当にあの草とお前の奇跡が無関係だと証明できたらお前を解放しよう。そしてお前の父親を殺してしまった責任をとり、この街の財産の全てをお前にくれてやる」

「ざいさんの、すべてを」

「さぁ、どうする」


ハウラの瞳がギラつく。

にやりと嗤った口が醜く歪むのをサーラはみた。


「やるわ。ええ!証明してみせるわ!私こそが神の愛し子だと、この場の全員に見せつけてやる!!」

「お前は?」

「…は?」


唐突に話しかけられてサーラは呆然と返事を返した。それまでハウラに向けられていた瞳がサーラを映す。


「お前はどうする」

「…私はこの件には関与していません」

「だが、お前もまた愛し子だと証明する事が出来ない」

「吉鳥が知らせたと聞いています」

「私はそれを見ていない。あの女のように吉鳥が空を飛んだとたばかることもできるわけだ。しかもそれを証人するやつらを買収したとも操る術もないとはいえない。私が知らないだけでな」

「…大臣方の見解をお聞かせください」


サーラは救いを求めて大臣を見た。だが、すべての大臣が下を向いて誰もが口を閉じる。


「大臣に異論はないようだ」

「…いまさら証拠の無いものをあると証明することは誰にだってできません。横暴すぎるわ」

「ならば、あの女と一緒に神の愛し子として証明すればいい」

「そんなこと、できるはずが無いでしょう!!」


サーラの怒声が大広間に響く。

惨めね、と嘲笑うハウラの声が聞こえた。


「神の愛し子はその名の通り、神に愛された子どものことだ。愛し子の命が失われる時、神はきっと奇跡でその命を救おうとするだろう」

「…は?」

「明日処刑を行う。神の愛し子ならば、奇跡によって死ぬことはない」


サーラは唐突に理解した。

すっと冷水を浴びせられたような、突然夢から醒めたような、そんな冷静さがサーラを包み込む。


「…そういうこと」


アッザームは神の愛し子(サーラ)を殺すつもりなのだ。


「ここまで憎まれていたとは思わなかったわ」

「…憎んではいないさ。邪魔なだけだ」

「同じことよ」


アッザームを睨む。

歯を食いしばらなければ泣いてしまいそうだった。今までずっとアッザームを支えようと努力してきた。彼の負担を減らせるように、彼が少しでも安らげるように、昔みたいに笑ってほしいとそう願って過ごしてきた日々の結果がこれならば、自分はなんて愚かなのだろう。


「アッザーム。ひとつだけ、貴方に問うわ。私に、言いたいことはない?」


一言ひとこと一言ひとこと力を込めて聞く。

せめて言い訳くらい言ってみればいい。無実のサーラを殺すことへの贖罪でもなんでも。

サーラの言葉にアメジストの瞳がわずかかに揺らいだ。だがそれも一瞬で、すぐにいつもの冷たい瞳に戻る。


「……連れて行け」


サーラは目を逸らさなかった。

アッザームもサーラを見続けた。




「やめて!触らないでよ!!私を誰だと思ってるの!?離れなさい!離しなさいったら!!」


髪を振り乱して喚き散らすハウラを戦士たちが押さえつける。ハウラが激しく泣き叫ぶ声を後目に、サーラは戦士たちに拘束されながら大広間を後にした。粛々と従うサーラに戦士たちが何故か戦々恐々としているのには内心首を傾げる。


「こちらへどうぞ」

「…本当にここで合ってる?」

「はい。サーラ様はこちらで時を持つように、と」

「……そう」


サーラは戸惑いながら自室の扉を見る。

処刑を待つ人間に、いつもと同じ部屋を使うように言うだろうか。

戦士が開けてくれた扉をくぐる。そっと背後で扉が閉められる音を聞きながらぐるりと周りを見回した。やはり見慣れた自室だ。違うところと言えば、窓や扉の前には屈強な戦士が見張りをしていることくらいだろうか。


ステラはしばしの間考え込む。

アッザームの意図を測りかねていた。


アッザームの言う通りに、神の奇跡を信じて黙って処刑されるつもりは毛頭ない。

そもそも、サーラは神の愛し子の存在を否定するつもりはないが、盲目的に信じていたわけでもなかった。だからこそ、寝る間も惜しんで努力してきたのだ。自分自身の力で街に貢献できるように、自分を神の愛し子だと言って大切にしてくれる人たちに報いるために、自分にできることは全てやってきた。


それなのに、愛し子を証明するためだけに生命をかけるなんて馬鹿げている。


サーラは意を決すると引き出しから小振りの布袋を取り出す。逃げるには荷物は少ないほうが良い。サーラは荷物の選別をしながら考える。

アッザームはやると言ったら必ずやる。何もしなければ明日にはサーラは処刑台に立つ羽目になる。それだけは避けなければ。


サーラは手早く荷物を纏めると部屋の右奥の壁側の床に座り込んだ。

一見普通の石畳と変わらないそれの隙間に細い金属を差し込むと『ガゴッ』と鈍い音とともに床石が外れ、階段が現れる。


所謂いわゆる隠し通路だ。

この隠し通路を教えてくれたのはアッザームだった。

そして、この部屋でサーラを監禁すると決めたのもアッザームだ。


サーラはぐっと唇を噛んだ。

罠かもしれないと、一瞬頭を過る。それを振り払うようにサーラは階段を数段降りると、元通りに床石を戻した。

外界から遮断された地下通路は一切光のない暗闇が広がる。ここでは火は使えない。

手探りでカビ臭い通路を壁伝いに進んでいく。


降りて、登って、また降りて。


慎重に先に進んでいく。

そうしていると徐々に壁の隙間から光が漏れ始めた。外に近づいているのだろう。

何事もなければ、通路は城の裏手に繋がっているはずだ。


十分は歩いただろうか。目の前に扉が見えた。

扉から漏れる光で暗闇に慣れた目がチカチカと眩む。


やっと出られると安堵したサーラが一歩踏み出すと、がさりと足元で音がして何かを蹴った感触がした。

なんだろう?と屈んでみると、扉の前に何か置かれている。


この抜け道が最後に使われたのは何百年も前の話だ。誰の荷物だろうかと怪訝に思いながら近づくと、それは簡素な布袋だった。

まじまじと荷物を見つめたサーラは、ある事に気がついて目を丸くする。


その布袋にサーラは見覚えがあった。

そっと布袋を開く。

中には質の良い着替えと軽くて暖かい膝掛け、頑丈な携帯用の水筒、数日分の携帯食。

その他にも細々とした日常品が最低限の数だけ入れられていた。そのどれもが新品で、それらがつい最近準備されたものだと分かる。


「……ばかね」

 

サーラは呟く。

こんなことができる人間は一人しかいない。

罠かもしれないと警戒はした。だが、サーラが知っているアッザームはそんなことをする人間ではない。アッザームが本気でサーラを殺したいと望んでいたならば徹底的に監禁できる部屋に閉じ込めていたはずだ。

つまりは、もとからサーラを逃がすつもりだったのだろう。

最後の最後で非情になりきれないところが彼らしい。


「……貴方に悪役は似合わないわね」


元来、真面目で優しい男なのだ。

サーラが知っているアッザームはそういう男だった。だから、好きになったのだ。


サーラは布袋と一緒に置かれた小袋を手に取る。中には余りあるほどの金貨が入っていた。


サーラは小袋を大事そうに抱えると、そっと荷物の中へ仕舞う。

そして壊れかけた扉を開き、外に出た。






サーラが部屋にいないと報告を受けたのは太陽が高くなってすぐの頃だった。

慌てて報告に来た見張りの戦士が狼狽したようにアッザームに問う。


「いかが致しましょう」

「放っておけ」


アッザームは素気なく言い捨てる。

手元にあったワインを舌に乗せると苦みが口に広がった。平静を装った裏で、不安と安堵と妙な後味の悪さがアッザームの心を乱していた。


サーラが神の愛し子だと聞いたあの日から、アッザームは変わった。それまでは楽しかった彼女との時間が苦痛になり、彼女の笑顔を憎らしく思うようになった。


それはひとえにアッザームの心の弱さだ。

アッザームがいくら努力しても、神の御業みわざには到底敵わない。

正当に評価されるべきことでさえ『神の愛し子のおかげ』だと言われれば、子どもだったアッザームの心は粉々に砕け散った。


それは大人になって、王となった今も変わらない。

アッザームが努力の末に掴み取ったはずの成功の全てに彼女の影がちらついた。日照りの対策、難民の保護、近隣諸国との交易路の開拓、水源の保護とその活用のための法の立案と政策。


『やはり神の愛し子の力は素晴らしい』『流石は我らが王だ』『神の愛し子の恩恵を受けられているだけはある』


もう、うんざりだ。

『神の愛し子のおかげ』だと、その一言で片付けられる無力感や、遣る瀬無さは、アッザームの純粋な心を確実に削ぎ落とした。


彼女のことは好きだ。

だが、同じくらい憎らしい。


彼女にそんなつもりはないと分かっていても、どうしても憎らしく思えてしまう。

アッザームはそんな自分がどんどん嫌いになった。


彼女が自分のために心を砕いてくれていることは知っていた。だが、彼女の優しさに触れるたびに自分の器の小ささに気付かされ惨めになっていく。


負のループだ。


アッザームは彼女の力などなくとも、この街を守り発展させる自信があった。彼女のおかげなどではなく、純粋にアッザームの実力だけで『熱砂のオアシス(アルダ)』を繁栄に導く力があるとおごりでもなんでも無く、そう確信している。


確かにアッザームの治世は豊かな国であることを前提とした政策が多い。それはサーラの愛し子の影響を基盤としているということだが、ここまでアルダが発展したのは事実、アッザームの実力でしかない。


彼女が去った今、アルダの未来は正真正銘アッザームの手にゆだねられた。


ようやく全てが始まる。

アッザームは凪いだ瞳を窓の外へ向けた。広がる緑地を穏やかに見つめる。

美しい景色をこれほどまでに穏やかに眺められたのは、アッザームが王になって初めてのことだった。





「よいしょっと」


サーラは城壁の崩れた隙間から這い出ると、パタパタと膝についた砂を払い落とした。

眼前には覚えてる景色とは似ても似つかない、豊かな光景が広がっている。


追っ手が来る気配はない。

サーラが部屋を抜け出したことはとうにバレていてもおかしくない事を考えるとやはり思った通り、アッザームはサーラを本気で殺すつもりはないらしい。

サーラ同様、アッザームがあの部屋にある隠し通路を知らないはずがないのだから。

最早どうでもいいことだが。


サーラは、んん〜っと伸びをすると肺いっぱいに瑞々しい空気を吸い込む。

風が祝福するようにサーラの頬を撫でて、花の甘い香りが鼻をくすぐった。


「自由だわ…!」


サーラは高鳴る胸のままに街に向かった。

ずっとアッザームだけが全てだったサーラにとって、城の外は未知の世界だ。


「まずは腹拵はらごしらえね!」


足取り軽く街に下りたサーラは露天でたくさんの食べ物を買った。

棗の砂糖漬けに、甘いパン、香辛料の効いた香ばしいお肉に、珍しい果実酒。


サーラの存在は公言されているが、姿までは公開されていない。それは誘拐や事件に巻き込まれる危険を考えてのことだったが、今では別の意味で感謝している。おかげでアルダの人たちは誰一人サーラが神の愛し子だと気づくことはなかった。


数日分の保存食を購入すると、街の外を目指して歩く。街の外れに向うにつれてだんだんと緑が減っていく。


そしてとうとうアルダの街を抜けると、そこから先は一面に砂漠が広がっていた。


吹き上げる風が砂を舞い上げ、視界が霞む様にサーラは本能的な恐怖を感じる。


砂漠の旅は想像以上に過酷だ。風に巻き上げられた砂で視界が塞がれ、足跡すら消えていく。遭難者や熱にやられて死んでいく者は後を絶たない。だからこそ、砂漠の中でオアシスは楽園だと言われるほどに貴重だった。


サーラは振り切るように砂漠の中へ足を踏み出した。上からは太陽が、下からは熱された砂の熱気が、ジリジリと容赦なくサーラを襲う。

数時間歩いただけで、サーラは疲労で足取りが重くなるのを感じた。


それでもふとした瞬間に冷たい風を頬に感じることがある。それが愛し子の力なのかどうかはわからないが、元気付けられたのは確かだ。


無心であるき続けた先、いつの間にか切り立った崖の上にサーラは辿り着いた。

遠くの方に緑色がぽつりと見える。


熱砂の中にあるオアシス(アルダ)

豊かな水源が青々とした樹木を育む、神に愛された街。


熱砂が肌を焼く。

サーラは遠くに見えるアルダを目に焼き付けた。これからの人生、きっと故郷に戻ることはない。もう見ることのできない景色をひとりじっと見つめた。


袋を背負い直す。

サーラは再び太陽の昇る方角へと歩き出した。

もう振り返ることはしなかった。













アルダに乾いた風が吹き抜ける。

城壁のすぐ下。それまで青々と葉を広げていた雑草がくたりと萎れた。

風は城を通り、街を駆け抜け、そして空へと昇る。


空から雲が消えた。隠すもののない太陽がジリジリと大地を焼いていく。

じわりと上がる温度。下がる水面。


その小さな変化に、今はまだ誰も気づかない。
















「それでそれで!?」


小さな子どもが興奮したようにぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「それで、どうなったの?」

「どうなったと思う?」

「もう!意地悪しないで!」


早く続きを聞かせて!と、せがむ子どもの頭を優しく撫でる。早く!早く!と目を輝かせる子どもに、そうねぇと女は記憶を掘り起こした。


「女の子は旅に出たわ」

「ひとりで?」

「そうよ」

「危ないよ!」

「そうね」


不安そうにこちらを見る瞳の色は、愛する夫と同じ色をしている。優しいところも彼そっくりだ。好奇心旺盛なところは女に似ているかもしれない。


「危ない目にもたくさんあったし、楽しいこともたくさんあった。いろんな出来事を経験して、いろいろな人に出会って、そうして女の子は大切なことをたくさん学んだの」

「大切なことって?」

「それは女の子にしか分からないわ」

「神の愛し子がいなくなった街はどうなっちゃったの?」

「どうなったと思う?」

「うーん…、きっと砂漠になっちゃったんじゃないかなぁ。だって何も悪くない女の子を追い出したりしたら神様が怒っちゃうもん」

「んふふ。そうね」

「?お父様、どうしたの?」


女と子どもが話をしていると、少し離れた所からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。

子どもはきょとんとした顔でそちらを向く。

不機嫌そうな、いや、バツが悪そうな顔でこちらを見ている男に女は笑った。





人生は選択の繰り返しである。

それは逆を言えば何度もやり直せるということだ。いくら間違っても、遠回りをしても、諦めなければ必ず望む未来にたどり着く。




女と男がそうであったように。



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― 新着の感想 ―
[良い点] とても興味深く面白いお話でした。 [一言] 後書きを読んでほっこり。
2024/08/24 07:50 退会済み
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