記録 精鋭部隊《黄昏》No.9、『破魔矢』ミスト
これはエルジュ戦力序列第9位、精鋭部隊『黄昏』に所属したミストの訓練生時代について記した記録である。
ミストは幼少期から暗殺の術を学び、ラルドが総帥を務めた暗殺組織『ルーンアサイド』では若年ながら側近を務めていた。
そのため同僚からは畏怖の対象となっていた。組織がレスタ(アイト)の配下になり、組織名が『エルジュ』となるまでは。
訓練生からのミストの評価は、以前と全く異なった。
「ひぇぇぇぇ!!!!」
これはとある体術の訓練でミストが上げた奇声。彼女は極度の怖がりで気が弱かったのだ。そのことをルーンアサイド時代は必死に隠していた。
だがラルドがレスタに敗れた時に、同僚だったターナに自分の本性を知られてしまう。
隠す意味が無くなったことで、これからは驚いた時に遠慮なく奇声を上げようと決意した。
そして無理に隠さなくなってからは、無意識に抑えられていた力が開花した。
怖がりのミストは周囲を常に確認する習慣があったので視野が広く、培ってきた暗殺術が以前よりも活かされるようになったのだ。
そんな彼女は訓練生として最後の試験を受ける。以前の従うべき主との実戦を。
訓練場。
試験開始前からミストは半泣きだった。
「いやですぅぅっ、ボスと戦うなんてぇぇ!!」
「ミスト、今の私はボスではない。教官だ。これからのボスは、レスタ殿だ」
「呼びたくないいぃぃ!!!」
ミストは、代表であるレスタのことがあまり好きではない(むしろ嫌い)。
ミストにとって仕えたいと思うのはラルドだけだった。当然本人や周りの人たちには言っていない。レスタを慕う訓練生が大勢いるからだ。
「‥‥‥ミスト」
「ひゃい!!」
「‥‥‥レスタ殿のことを無理にボスと呼ぶ必要はない。だが、私をボスと呼ぶのは認められない」
「なんでですかあぁぁ!!」
「体裁の問題だ。代表はレスタ殿。それなのに教官の私をボスと呼ぶのは失礼に値する。レスタ殿にも仲間にも、そして私にもな」
「ひえぇっ」
「‥‥‥側近だったお主は納得いかないのは理解できる。全員がレスタ殿に忠誠を誓ってるとは思っていない。だが、少なくとも私は誓っている」
ラルドのレスタに対する忠誠、信頼は本物だとミストは感じた。
「ぼ、ぼっす!! いえ教官んんっっ!!!」
だから自分も信じてみよう。自分が尊敬している人が信頼している少年を。ミストは涙を流しながら決意した。
「うむ。それでいいのだ。悩むのは悪いことではない。
いつでも相談に乗ろう。では始めるぞ。
無論、手加減はいらん。全力でかかって来い」
「はああいぃぃっ!!」
髪をいつも付けている簪で涙を手で拭ったミストが短剣を握り締め、走り出す。
ミストが主に使う武器は弓。
だが一対一の近接戦闘では隙だらけになるため元暗殺者として使い慣れている短剣(試合のため鍛錬用)を選んだ。
そしてラルドも同様に短剣(試合のため鍛錬用)である。
ミストは神経毒が塗られた針を数本投げる。ラルドは当然それを回避する。
ミストが接近して短剣を振るとラルドが自分の短剣で受け止める。
だが自分から振りかぶって攻撃したにも関わらず、ミストは押し返される。ミストとラルドでは純粋な力が違いすぎる。
押し返されてのけぞったミストをラルドは逃がさない。短剣を持っていない左手で鳩尾狙いの掌底を放つ。
「ひえええぇ!!!」
声を上げたミストは咄嗟に右足を上げたことで掌底が右足に命中しダメージを負う。
直後、そのまま腰を後ろに曲げて両手をつきバク転。その時に右足を振り上げることでラルドの左腕を弾く。
「よく防いだ」
バク転して体勢を整えたミストにラルドが独り言を漏らす。
急所である鳩尾への一撃は防いだが、その代わりに足に掌底が入ったため痛みで動きが鈍くなる。立っているのが精一杯の状況だった。
「‥‥‥っ」
ミストは痛みで絶叫する‥‥‥と思いきや歯を食いしばる。
元暗殺者のミストは痛みに慣れている、というより痛みで恐怖心が生まれないから叫ばないと言ったほうが適切。
「しばらくはまともに動けない。ここまでにするか?」
「い、いやですぅぅ!!!痛みに屈服する暗殺者は、暗殺者じゃありませんんんっっ!!」
「よく言った」
ラルドが一瞬だけニヤリと笑うと、容赦なくミストとの距離を詰める。ミストは目を瞑っていた。
(感覚を研ぎ澄ませて反撃に全てを賭けたのか。いい判断だ。だが‥‥‥)
ミストは無音の中、何かが凄まじい速さで自分に接近してきたことを掴み、目を開いて短剣を振る。その短剣の振りは、常人なら目に映らない。
弾いたのは、ラルドの短剣だった。
2度目のミストの隙をラルドは確実に逃さない。
短剣を振ったことで伸び切ったミストの右腕を左手で掴んで自分の方に寄せ、右手でミストの首を掴んで持ち上げる。
身長が低めである(さすがにターナとミアよりは高い)ミストの足が床から離れる。
「よくやった、さっきの反撃は見事でーーー」
すると、ミストのまとめていた髪がスラリと落ちる。
簪がラルドの脇腹に刺さっていた。
「なに‥‥‥!!?」
首を掴まれて懸命に動くミストに目もくれず、首に刺さった簪を注視する。
ミストは右腕を掴まれ引っ張られる瞬間にラルドの意識が外れていたで左手で簪を外し、ラルドの視界に入らないように脇腹へ投げたのだ。
「毒は塗ってませぇぇぇんッ!!!」
首を掴まれているミストは涙目で必死に叫んだ。
試験終了後。
「ふぐっ、怖かったぁぁ‥‥‥ふぇぇぇぇんっ、とっても怖かったですぅぅ!!!!!」
ミストは床に座り込んでガチ泣きを始める。
「す、すまなかった。怖かったか」
ラルドが動揺するほどのガチ泣きだった。
「ミスト、成長したな」
「ふぇぇんぅぅ!!!!」
「初めから簪を刺すことが狙いで、目を瞑る反撃体勢は私を釣るための罠」
「ふぇぇぇんっっっ!!!!!」
「もしや、足を痛めたのもわざとか?」
「ぶぇぇぇぇぇぇ〜〜〜!!!!」
「‥‥‥おい、ミスト」
「ぶぇぇぇぇぇえぇぇぇえっっっ!!!」
「話を聞け!!!」
その後も、ミストは1時間泣き続けた。
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後に知らされた実戦の点数は90点。
終始優勢だったのはラルドだったが、毒が塗られていたらミストの勝利であることが主な点数。実質勝利である。
他には持ち前の暗殺術に高い柔軟性と咄嗟の判断力、そして戦いでの組み立ての巧さが得点の加点に繋がる。
‥‥‥すぐ泣くところの改善に期待という記録も残っている。
数日後‥‥‥ミストは序列9位に選出され、『黄昏』への所属を果たす。
‥‥‥泣き癖は、健在どころか悪化している。
以上が、訓練生時代のミストの記録である。