ここで降りたい
速度を上げて走り出した蒸気機関車は、みるみる遠ざかっていく。
「アイトくんだけじゃなく、届いてなかったシスティアを送り出せたのは‥‥‥間違いなくあなたのおかげよ」
そう呟いたアヤメ・クジョウはしゃがみ込むと、全身を強く打って倒れている青年の両肩を支える。
「すまない‥‥‥」
青年ことジェイク・ヴァルダンは謝ると、彼女の力を借りて上体を起こす。彼の足元には愛用している眼鏡が割れている。
ちなみにアイトとシスティアに襲いかかっていた謎の男たちは、興味が失せたのか足早に離れている。
「なぜ、あの2人が狙われていたんだ‥‥‥」
「こうなったら、あそこで気絶してる男に知ってること吐いてもらいましょうか」
アヤメは指を差した後、少し苦しそうに立ち上がって歩き出す。この都市に来るまでの大移動で、彼女の身体は限界を訴えていた。
「これ、何かしら‥‥‥」
気絶している男に近づいたアヤメは、彼のポケットからはみ出ている紙が気になった。無意識に取り出すと、何重にも折り畳まれた紙をその場で広げる。
「っ‥‥‥これって!」
するとアヤメが驚きの声を漏らしてジェイクへと駆け寄る。疲労困憊である事を忘れ、いち早く彼の前で紙を広げてみせた。
「なっ‥‥‥!?」
ジェイクは目を見開いて絶句する。無意識にアヤメから紙を取り、血眼になって確認する。
「間違いない、手配書だっ‥‥‥しかも交流戦の代表に多額の賞金が掛けられている!」
気絶した男が持っていたのは‥‥‥グロッサ王国側の交流戦代表の顔写真。それぞれの顔の下には0が何度も並んだ数字が書かれており、その紙は全部で5枚。
アヤメは、その5人を無意識に呼ぶ。
「ルーク王子、マリア先輩、ステラ王女‥‥‥それにアイトくんとシスティア」
その5人の中に、アイトとシスティアが入っていた。2人は賞金狙いで襲われたという結論に至る。
「まさかアステス王国の上層部が黒幕‥‥‥!?」
「いや、それは違うはすだ。こんな回りくどいことしなくても、僕たちがアステス王国の王都にいた時に捕まえるだけで事足りる。それに、明らかにこの手配書は違法のものだ」
アヤメの言葉をジェイクが一蹴し、手配書にデコピンをぶつける。アヤメは納得した様子で安堵するが、それでも疑問は止まらない。
「ていうか‥‥‥3人は分かるけど、なんでアイトくんとシスティアまで? まだ学生で、私たちと同じ1年生よ?」
グロッサ王国の王族であるルークとステラ、そして王国最強部隊『ルーライト』の一員であるマリア。3人の知名度は国内外問わず高い。
その3人に比べると、アイトとシスティアまで狙われている理由が分からないのは当然と言える。
「‥‥‥僕の予想に過ぎないが、それは2人の身内が実力者だからだ。その弟と妹だから、警戒されているんじゃないか?」
アイトの姉はマリア・ディスローグ。彼女の詳細は先ほど記載した通り。
そしてシスティアの姉はスカーレット・ソードディアス。まだ学生でありながらマリアと同等以上の実力を持つ武闘派。
「しかもソードディアスは、あのアルスガルト帝国の名家の血筋。知名度でいえば、ルーク王子たちにも引けをとらない」
「で、でもスカーレット先輩は『ルーライト』の隊員じゃないし、立場で見れば私たちと同じ学生。それに相当な実力があると知ってるのは少数でしょ? 少なくとも国外には広まってないはずよ」
アヤメは素直な疑問を口にした。思った事を口に出さなければ、自身の頭の中で堂々巡りになりそうだったからだ。
「‥‥‥まさか。この手配書の賞金で多くの荒くれ者を踊らせ、妨害を仕掛けてきたのは」
ジェイクは手配書を持った両手を振るわせ、動揺を抑えきれない。
「ど、どうしたのヴァルダンくん!?」
アヤメが心配そうに尋ねると、ジェイクは恐る恐る口を開く。
「グロッサ王国の内部に相当詳しい者が、この騒ぎの裏で暗躍している‥‥‥」
その言葉を聞いたアヤメは、無意識に身を案じた。
「アイトくん、システィアっ‥‥‥」
何も知らず蒸気機関車の中にいる2人を。
◆◇◆◇
アステス王国、北東。
「はい? 乗車券を持ってないんですか?」
車掌が眉を下げて困った顔をする。アイトたちは明らかに厄介者扱いされていた。
「は、はい。駆け込んだ時に落としてしまったようで、持ってないです」
「無くしたから今買うわ。幾らだっけ」
アイトは申し訳なさそうに事情を話し、システィアは足を組んだまま財布を取り出す。車掌は心底困りながらも2人から代金を受け取った事で乗車券を渡し、別の車内へ向かっていった。
「あの鬱陶しい集団のせいで乗車券買う暇なかったからね」
「駅員さんには本当に迷惑かけてしまった‥‥‥」
システィアは堂々としているが、アイトは心底申し訳なさそうに顔を下げていた。無関係な人に騒動の影響を与えてしまい、罪悪感を感じているのだ。
「あいつらが悪いのよ。まあ今ごろあの駅は警備兵たちが対応してるだろうし、アヤメたちも大丈夫なはずよ」
「‥‥‥そうだな。今はこれからの事を考えないと」
アイトは両頬を叩いて気を取り直すと、車内の壁に貼られている周辺地図を確認した。
それには自分たちが乗ったメーガンロの駅から次の駅、そのまた次の駅と‥‥‥分かりやすく詳細が記されている。
「ここから何駅か通り過ぎて‥‥‥グロッサ王国領に入るのは最南東の交易都市ベルシュテットか」
「っ‥‥‥!」
アイトが自分に説明するように独り言を呟くと、隣のシスティアが息を呑んで反応する。
「? どうしたんだシスティアさん」
「‥‥‥なんでもないわ。やっぱり、これが私の運命のようね」
彼女の言葉に、アイトは首を傾げつつも顔を下げる。脳内で思い出すのは、壮絶な吸血鬼との死闘。それも僅か2ヶ月ほど前の出来事。
「ーーーねぇ!! 聞いてる!?」
「え、あ、何?」
アイトは隣の大声で考えるのを中断した。システィアが呆れた様子で足を組む。
「襲いかかってきた男たちもいないようだし、移動中の間は少しでも休まないとね」
「‥‥‥ああ」
アイトがそう呟いて前を向くと、どこか慌てた様子の乗客である男が隣に座る。
「ーーーぇ」
システィアが掠れた声を出す。自分の隣から、床に血が一滴落ちたのだ。
「ッ!!」
アイトは咄嗟に男の腕を押さえ込み、膝を入れて手からナイフを落とさせる。
「ディスローグくんッ!!」
立ち上がったシスティアが勢いよく男の腹に肘を入れて、蹲らせる。
「このクズが!!!」
そして本気の踵落としを後頭部に叩き込むと、男は顔面を床にぶつけてわなわなと震える。それはシスティアの攻撃による痛みからではない。口から泡を吹き出して動かなくなる。
「っ!! 違う、こいつは口に毒を仕込んでたんだ!!」
「!? 自決‥‥‥!?」
アイトの話を聞いたシスティアが驚いた様子で既に死んでいる男を見る。
「さっきの奴らは毒なんて使ってなかった‥‥‥そもそも何のつもりで襲ってくるの!?」
システィアが大声で鬱憤を撒き散らす頃には、アイト以外に誰もいなかった。この騒動で、他の乗客者たちが悲鳴を上げて離れていた。
「ってそれより!! 大丈夫なのディスローグくん!?」
ハッと目を開いたシスティアが、両肩を掴む勢いで迫りながら問いかける。
「‥‥‥え? ああ、大丈夫。ほら、掠っただけ」
アイトは苦笑いを浮かべて、左腕を見せた。一本の切り傷が入り、僅かに血が滲んでいる自分の左腕を。
「そうっ‥‥‥それなら良かったわ」
システィアが心底安心した様子で両目を閉じて息を吐く。それを見たアイトは苦笑いを続けていた。
「ーーーお客さん!! 何があったんですか!!」
やがて騒ぎを駆け付けた車掌が現れ、システィアが詳細を説明する。
「だから彼を手当してくれないかしら。ほら、腕」
「‥‥‥大丈夫。これくらい自分でするよ。車掌さんも対応で大変だろうし」
その後、蒸気機関車内に常備されていた医療道具を借りて、アイトは個室トイレへ駆け込んでいった。
「本当にあの意味不集団‥‥‥油断も隙も無いわね」
そしてシスティアが愚痴をこぼしながら、近くの座席に座って待つ。
「今回ばかりは、何がなんでも守らないとね‥‥‥」
死んだ男の近くに付いていた‥‥‥何滴もの血の跡に気付かずに。
それからしばらく後。
「すぐに出る別の蒸気機関車があって良かったわね」
「‥‥‥ああ、そうだな」
事件が起きた蒸気機関車は当然、次の駅で停車した。
『これならグロッサ王国領内に入れるわよ!! 早く乗り込むわよ!!』
『‥‥‥ああ』
警備兵が対応している間に、アイトたちは雲隠れして他の蒸気機関車に乗り込んでいた。
「やっぱり同盟国なだけあって、互いに行き来する手段も多いみたいね。おかげで助かったわ」
「‥‥‥ねえ、システィアさん?」
アイトは慎重に話しかけると、ぺらぺらと話していたシスティアが眉を顰めて顔を見る。
「なに」
「ちょっと狭いんだけど‥‥‥?」
そう呟いたアイトは今、車両内の座席で、1番端に座らされていた。そして限界まで密着してくるシスティアと車内の壁で、文字通りの板挟み。
「さっきみたいに誰が襲ってくるか分からないでしょ? お前に何かあったら王都奪還が頓挫する」
「‥‥‥それは言い過ぎでは」
「ない。お前の謙遜も大概にしなさいよ、腹立つわ」
システィアが不機嫌そうに視線を外して足を組み替える。口は悪いがアイトを心配してのことだった。
その後、少しだけ静寂が続く。アイトは窓の外を見つめ続け、システィアは壁に貼られている周辺地図を眺めている。
「私‥‥‥交易都市ベルシュテットで降りるわ」
すると突然、システィアが予想だにしない言葉を呟いた。アイトは当然驚きつつも、冷静に問いかける。
「‥‥‥え? もっと王都ローデリアの近くで降りた方がいいんじゃないのか?」
交易都市ベルシュテットは、グロッサ王国領の最南東にある。中央北に位置する王都ローデリアとグロッサ城から、かなりの距離があるのだ。
「確かにそうよ。でもね、私にはどうしてもここで降りたい理由があるの」
「理由?」
彼女の言葉に対し、アイトは即座に聞き返した。システィアはしっかりと頷いて真剣な目で見つめる。
「‥‥‥相当の実力者を私たちの味方にできる。今も交易都市にいれば、だけどね」
「実力者? システィアさんが言うなら間違いないけど、それって誰のことーーー」
「ごめん。あまり詳細は話せないの。でも、その人の協力は今‥‥‥私にしか取り付けられないわ」
彼女の迷いない声色に、アイトは問い詰める気が無くなった。
「‥‥‥わかった。じゃあ次で別行動になる。分かってると思うけど、気をつけて」
「ふっ‥‥‥分かってるわよ」
その後、アイトとシスティアの間で会話は行われなかった。互いに疲れたのか、少しぐったりした様子で座っている。
「スゥ‥‥‥んぅ‥‥‥」
やがてシスティアは‥‥‥横に傾いて眠ってしまった。それも元から密着している状態で。
隣に座るアイトは当然、彼女の体重を引き受けて支えることになる。
「‥‥‥今が、休み時だもんな」
アイトはそう呟くと、顔を下げて目を閉じた‥‥‥僅かに唇を歪めて。




