英雄の名前
交易都市ベルシュテット、東地区。
「あの男‥‥‥自分で言い出しておきながら、負けたら拗ねてどこかへ行ってしまうとは」
スカーレット・ソードディアスは僅かに息を乱しながら愚痴を零す。『あの男』というのはジャックという名の、左手に包帯を巻いている黒髪の青年。
「お母様に頼まれていた魔導具『鏡越しの記憶』は手に入ったし、後はシスティアたちを見つけて帰る、だけ‥‥‥」
突如、スカーレットは自身の身体に違和感を感じた。事実、言葉を呟いていた口が不自然に止まる。
(なんだ‥‥‥? 身体が思うように動かなくなって、いるのか?)
スカーレットは少し困惑する。口だけでなく手が少し痺れ、次第に震え出す。
『結晶が割れた際に生まれた傷口から血が侵入した。陽が落ちる頃、皆は私と同じになるの』
スカーレットはそんな言葉を思い出していた。都市内の吸血鬼騒動を引き起こした元凶である、アローラの言葉を。
『人ごとに結晶の色が違うのは何でだと思う? でも残念‥‥‥教えてあげない。その身で体験したら分かるわ?』
アローラの言葉を詳細に思い出した事で、スカーレットは論理的に考え始める。
(実際に私やシスティア、後輩3人の結晶の色はそれぞれ違った。確か私の色は‥‥‥白)
「ーーーどうしたの!? しっかりして貴方っ!」
すると近くで聞こえた叫び声により、スカーレットは我に帰る。声がした方を向くと、若い女性が倒れこんだ男性の身体を揺らしていた。
「‥‥‥この人、どうしたんだ」
スカーレットは近付いて話しかけると、女性は不安げに顔を下げる。
「一緒に安全な所を探していたら、夫が突然倒れて‥‥‥声をかけても揺らしても反応が無いんです」
女性の話を聞いたスカーレットは、倒れる男性に異常が無いか確認する。すると、腕の傷が目を引いた。
「この傷は?」
「門番に貰った結晶が割れた時にできたものです。あの空を飛んでいた‥‥‥」
そんな話を聞いたスカーレットは、何かを察したように女性へ聞き返した。
「この旦那さんが持っていた結晶‥‥‥何色だった」
「えっ? し、白です」
「そうか‥‥‥奥さんの色は?」
「え? 黄色でしたが、それが何か‥‥‥?」
戸惑いながらも話す女性に対し、スカーレットは視線を下げて眉を顰めた。
(私とこの女性の旦那‥‥‥違和感を感じたのがほぼ同じだった。白の結晶を持っていた私たちが)
偶然ではないと悟ったスカーレットは、ひとまず意識のない男性に手を伸ばして、両手で抱えるように持ち上げる。
「えっ、あのっ!?」
「私は力持ちなんだ。君の旦那さんくらいなら、1人で持ち上げられる。とりあえず、どこか休めるような場所を探そう」
「わ、わかりました‥‥‥私1人ではとても運ばなかったので、本当にありがとうございます」
「気にするな、これも鍛錬のようなものだ」
スカーレットはそう言って微笑むと、女性は「は、はあ‥‥‥」と困惑する。そんな反応をされても、スカーレットは全く気にしていない。
(おそらく私の時間は限られている。まだ動けるうちに何とか‥‥‥システィアたちと合流しなければ)
スカーレットは少し悩ましげに息を漏らし、男性を抱えたまま移動を始めるのだった。
◆◇◆◇
同時刻、南地区。
「か、カンナさん!?」
エルジュ構成員、序列19位のディルフィは目を見開きで声を出した。手を繋いでいる迷子の女の子は首を傾げている。
「ーーーディルちゃんっ!? なんでまだこの都市にいるの!?」
ディルフィの前で足を止めた序列3位のカンナも同様に声を出して驚いていた。主が足を止めたためか、ニーナも同様に足を止める。
だがカンナの意識は今、ディルフィにしか向いていない。この都市から離れるように指示を出していたにも関わらず、こんな所で鉢合わせたからだ。
「そ、それは‥‥‥カンナさんのことが心配で。いきなりあんな事言うから、何かあったんじゃないかと」
「‥‥‥ディルちゃんがいるってことは、ネルちゃんも都市内にいるよね?」
「っ、はい。序列3位であるカンナさんの指示を無視するなど、構成員失格なのは分かってます。後で幾らでも罰は受けます。ですから今はーーー」
そうディルフィが言葉を続けるよりも早く。
「‥‥‥ごめんね。あんなこと言って」
カンナが眉を下げて呟き、ディルフィを強く抱きしめた。
「っ!? い、いえそんな謝られる事ではっ! それと、ご報告があります!!」
顔を赤くして戸惑うディルフィは、話さなきゃいけないと思った事を話し出す。
「‥‥‥赤い髪でタキシード姿の男吸血鬼。教えてくれてありがと」
カンナは力強くディルフィを抱き締めると、耳元で口を開く。
「ディルちゃん、多くの人を助けることに協力して欲しいの。レスタくんも、それを望んでる」
「ぁっ、はい分かってます! 先ほどレスタ様にお会いして、指示を承りましたから!」
「‥‥‥じゃあ、何も言わなくても大丈夫だね」
カンナは抱擁を解くと、真剣な表情で見つめる。
「まだ南地区の詳しい様子は見れてないの。でも私はレスタくんの援護に向かいたい。だからディルちゃん‥‥‥お願い」
そして正面から堂々とディルフィに頼み込んだ。
「カンナさん‥‥‥わかりました。南地区は私にお任せを。レスタ様とカンナさんの指示、確かに承りました!」
「‥‥‥もう、真面目すぎだよ」
カンナは苦笑いを浮かべて肩を叩くと、託したと言わんばかりに中央への移動を再開する。終始空気に徹していたニーナも後に続いた。
「ねえお姉ちゃん、レスタって何?」
話を聞いていた女の子が目を丸くして尋ねると、ディルフィは彼女の頭を撫でて微笑む。
「この都市を救ってくれる、英雄の名前だよ」
そして、微塵の迷いもなくそう呟いた。
◆◇◆◇
「ぐっ、くそっ‥‥‥」
アイト・ディスローグはアムディスの魔燎空間内での戦闘に苦戦を続けていた。果敢に治癒魔法で傷を癒やしつつ、またも攻撃を仕掛けようとする。
「っ‥‥‥!?」
だが突然アイトの右膝が脱力したように曲がり、剣を地面に突き刺して倒れないよう必死に留まる。片膝を突いた状態になったアイトは舌打ちし、原因を悟る。
「魔力解放の自強化状態が終わり始めたか。いや魔力解放の強い反動が身体に掛かったと言うべきか」
アムディスは淡々と呟き、講義をするかのように教え口調で話しかけていた。
「そんな不安定な状態で、まして魔力解放状態が終われば君に勝機は無いだろう。まして先に魔力解放を使ったのが運の尽き‥‥‥魔力解放と魔燎創造は表裏一体。どちらを使うか慎重に判断するのが常識だ」
「‥‥‥お前に、常識なんてあるのかよ」
「戦闘経験と知識で言えば、君に講義できるほどだと自負しているが」
アムディスは少し残念そうに見つめ、自分の赤い剣を回して遊んでいた。
「あの銀髪の子を治癒するために魔力解放を即決した理由がよく分からない。こうやって窮地に立たされる可能性があるにも関わらず、だ」
そう呟くアムディスに対し、アイトは思わず煽るように笑っていた。
「そんな明確に答えが欲しいのか? だったらお前‥‥‥絶対に俺の感情なんてわからないさ。何でも理屈を捏ねる屁理屈野郎にはな」
「何を言ってるのか、さっぱり分からないが」
「だろうな‥‥‥」
アイトは地面に突き刺さっている剣から手を離すと、両手を脱力させてだらりと揺らす。
「長年生きてるお前の理屈が、正しくないって証明してやるよ」
そう呟くアイトの言葉に、アムディスは強い違和感を覚える。いや違和感を覚えたのは言葉ではなく、アイト自身。これまでとは異質な気配が、全身から漂い始めたからだ。
「っ、まさかーーー!」
アムディスはその前兆を知っていた。だからこそ、予想外であることを示す言葉を無意識に漏らした。
アイトは意地の悪い笑みを浮かべると、これから自分の行う最大の賭けを唱えるのだった。
「ーーー魔燎創造」




