恐怖の半日
交易都市ベルシュテット、東地区。闘技大会が白熱している中、その付近。
「いた。あいつがアローラか」
「うん‥‥‥ターナは、いないみたい」
アイトとカンナは建物に隠れながら様子を眺める。そして2人は闘技大会の裏側に回り込み、椅子に座っている赤髪の女性、アローラを視界に捉える。
「‥‥‥ふふ」
彼女は少し興味深そうに試合を眺めながら、結晶を取り出して誰かと連絡を取っていた。
「天使さんとスカーレット先輩の試合に意識が向いてる今がチャンスだ。結晶を戻す仕草を見せた瞬間に、俺が斬る。カンナはここで待っててくれ」
「えっ、でもっ」
「奴の狙いはお前なんだ。だから俺が行く。もし失敗しても、お前を守れるように近くにいてほしいんだ」
アイトの何気ない発言がカンナの心に直撃し、彼女の頬を赤く染める。カンナは恥ずかしさのあまり、誤魔化すように言い返した。
「ーーーわ、私だって戦えるよっ」
「わかってる。だから俺が失敗したら俺たちの手で、あいつを倒そう」
「う、うん‥‥‥」
アイトの発言は、カンナに負い目を感じさせないよう配慮されていた。だがカンナはその事に気づいているため、その優しさが胸に沁みて顔の熱が引かない。
「じゃあ行ってくる」
彼女の様子に全く気づいていないアイトは深く深呼吸して、感覚を研ぎ澄ませる。接近した時に魔力で気配を察知されないように、自身の魔力を体内に抑え込む。そして、アローラが結晶を懐に戻し始めた。
「ーーー!!!」
その直後、僅か0.6秒。アイトは結晶を戻そうとするアローラの背中へ飛び込んでいた。
(行けるーーーッ!!!)
息を殺し、勢いそのまま聖銀の剣を首元めがけて斜め下に振り下ろした、その刹那。
「ーーーっ!?」
アイトの服のポケットから、禍々しい気配が発生する。そんな事はお構いなしに、アイトは剣を振り下ろすがーーー。
「ぐわッ!!!?」
剣がアローラの首元に触れるよりも早く、禍々しい謎の気配が爆発し‥‥‥アイトはーーー上空へ吹き飛ばされてしまった。そして、どこかへ誘導されるかのように遥か彼方へ流されていく。
「あら、ネズミがもう1匹いたのね? 私に近づくから強制的に発動しちゃったじゃない。予定より早くなっちゃったけど、まあいいわ」
アローラは、空を見上げてクスクスと笑い始める。彼女はこれから始まる出来事を想像して、昂りを抑えられずに微笑んでいた。
「うそっ‥‥‥レスタくんーーーッ!!!!」
そしてその一部始終を待機して見ていたカンナの叫び声は、直後に響いた轟音によってかき消された。
◆◇◆◇
同時刻、東地区の闘技大会。
シャルロットVSスカーレットの試合は、激闘の最中だった。
「シッ!!!」
スカーレットの抉り込むような回し蹴りを、シャルロットは左手で受け止めて投げ飛ばす。スカーレットの攻撃は全く入らず、明らかにシャルロットの方が優勢だった。
「はあ、はあ、さすが伝説だっ」
だがスカーレットは嬉しくてたまらなかった。格上の相手と戦えることに心躍っている。
「まだまだ、これから」
そしてスカーレットが体勢を立て直して呼吸を整えていると、事は起きた。
「? 何これ」
シャルロットの胸あたりで、突如異質な気配が発生する。
「えっーーーうわ」
直後にそれが轟音と鳴らして爆発し、シャルロットが上空に吹き飛ばされていく。
「!? なんだ?」
驚いたのはスカーレットだけでなく、観客も同じ。
次の瞬間、周囲でざわめきが広がっていく。その中で、一際目立っていた音がーーー。
パリンッ。
何かが割れたような音で、止まることなく連鎖的に響いていく。そしてそれに比例するように人々が『痛い』という感情を吐露する。
「つっ、なんだ?」
それはスカーレットを始め、他の出場者も例外ではなかった。痛みを感じて身体を確認する。
(都市に入るときに貰った結晶が、割れた?)
持っている人によって色が異なる結晶が連鎖的に割れていき、傷を作る。だがそれは決して危険なものではなく、軽傷程度の小さな切り傷。
だがらその傷口から何かが侵入してきたと、スカーレットを含む少数の実力者は気づいていた。
そして、吹き飛んでいったシャルロットはもう誰の視界にも入らない。
「な、なんということでしょうかっ!? シャルロット選手、突然の場外っ!!! 何が起きたーーーって、ふっ。もういいか」
司会をしていた女性が呆れたような声を出すと、両手で赤い線を放出する。突然の出来事に多くの者がついていけない。
「これからは、私たちと仲良くしましょう!?」
その赤い線は、魔力の籠った彼女の血だった。それが風に乗って軌道を変え、周囲の観客へと舞い降りる。
直後、断続的に響き渡る悲鳴。痛みで叫ぶ者。恐怖で叫ぶ者。足が動かずに叫ぶ者。
数分前の楽しかった感情は、一瞬で絶望へと塗り変わっている。
「あはははっ! 会場は騒然の嵐っ!!」
女は桃色髪を揺らしながら、嬉しそうに目の前の惨劇を実況する。
「なるほどな、後輩くん。だから大会終了後にシスティアたちを連れて逃げろと言ったのか。何で事前に知ってたのか‥‥‥ふっ、最高だよっ」
だがその中で、舞台に立っているスカーレットは喜びを抑え込むような笑みを浮かべていた。それはこの状況で嬉しそうに笑うことは、不謹慎である自覚したからである。
「とりあえず、あの司会者はヤッてもーーー」
スカーレットが嬉しそうに敵を認知していると、上空で魔力の爆発が起こる。
上空に浮かんでいるのは赤い髪の女性。彼女が都市内の全てを見下ろしていた。
『都市内の皆さん、ごきげんよう?』
◆◇◆◇
結晶破裂という謎現象は、東地区に留まらない。
南、西、北‥‥‥全ての地区、いや交易都市ベルシュテット内全域で起こっていた。
「腕に傷が‥‥‥いったい何が起こっているのよ」
北地区に来ていたアヤメ・クジョウは結晶破裂によって切り傷ができた左腕を気にしながら、不満を呟いていた。
「クジョウ、ここにいたのか!!」
「あ、ヴァルダンくん」
すると同級生のジェイク・ヴァルダンが彼女と合流する。彼も首元あたりに小さな切り傷ができていた。
「クジョウ、その腕‥‥‥君もか。都市に入るときに貰った結晶が破裂したんだな」
「ええ。この様子だと、私たちだけじゃなさそうね」
アヤメとジェイクは周囲の観光客を見回す。明らかに動揺が広がっており、皆が困惑を浮かべている。
「ーーーおい、あれっ!!」
「なにっ!?」
すると上空で魔力の爆発が起こった後、赤い髪の女性が空から見下ろしていた。
『都市内の皆さん、ごきげんよう?』
はるか上空にいる女性の声が、都市内で響き渡る。アヤメとジェイクは、すぐに割れた結晶の破片から声が発生していると気付いた。
『ごく一部を除いて、皆さん少し痛かったでしょう?でも安心して、じきにどんな怪我をしても痛みを感じなくなるわ。脆い人間から生まれ変わるのよ』
「なんですって‥‥‥」
アヤメが独り言を発する間にも、女性の声は続く。
『この都市に入る際に結晶を貰ったでしょう? それは血を固めて作ったもの。そう、吸血鬼のね』
皆が状況を理解するには、まだ時間が足りなかった。
『それが割れた際に生まれた傷口から血が侵入した。陽が落ちる頃、皆は私と同じになるの』
女がそう呟いた途端、都市内からは嘆きの声があちこちに響き渡る。
『人ごとに結晶の色が違ったのは何でだと思う? でも残念‥‥‥教えてあげない。その身で体験したら分かるわ? これからどうなるか、とっても楽しみでしょ?』
女は上空で嬉しそうに語る。気分が昂揚しているのか、息遣いが少し荒くなっていた。
そんな彼女の視界には、まるで点の集合体のような人間の塊の一部が、少しずつ同じ方向に動いているように見える。
『あ〜そういうこと。でも、残念だったわね』
女がそう言って指を鳴らした瞬間、更なる絶望が畳み掛けることになる。
交易都市の象徴、ヴィオラ大橋が崩れ落ちた。
『この都市は島都市。あの大橋が崩れたから、あなたたちはどこにも逃げられないわよ?』
海に囲まれた島に位置する交易都市。陸路で本土へ渡る手段は、『ヴィオラ大橋』以外には存在しない。
女の言う通り、都市は完全に隔離されてしまったのだ。
『港に停めてある船で逃げてみてもいいわよ? 私の配下たちが丁重に相手してあげるから。吸血鬼の血を取り込めば、ますますお仲間入りが早くなるわよぉ?』
それは説明という名の脅し。逃す気が無いのは、女の態度と嬉しそうな声で誰もが理解した。
女は下に見える都市を見渡し、妖艶に微笑みながら口を開く。
「それじゃあ、今から始めましょうか? 本日の最大行事‥‥‥『吸血鬼VS人間』を」
女の宣言と共に、都市内で幾多もの声が響き渡る。上空にいる女にも届くほど、恐怖と絶望に呑まれた声が。
そしてアイトとシャルロットは‥‥‥どこかへ飛ばされてしまった。
こうして、恐怖の半日が始まった。




