碌でなし
エルリカ・アルリフォン。
グロッサ王立学園の卒業生で、今は王国最強部隊『ルーライト』に所属している女性。年齢は22歳。
耳元まで切り揃えてありカールの付いた茶髪に、目鼻立ちが整った美人。冷静で凛とした雰囲気から、多くの人から羨望の眼差しを向けられている。
実際に同じ部隊に所属しているマリアとシロアも、先輩である彼女を尊敬しているほどだった。
「本当にごめんなさい‥‥‥」
だがそんな彼女が、一学生にすぎないアイトに対して土下座をしている。その状況は当然、アイトを始めマリアとシロアも動揺していた。
「え、エルリカさんっ‥‥‥顔を上げてください!」
「‥‥‥(わたわた)」
実際、マリアとシロアは慌てていた。だがアイトは何も言わず、エルリカの行動を待つ。
「あなたが辛い思いをしたのは重々分かってる。でも実際、ルークが全部悪いわけじゃないわ! 試験官だった私にも止められなかった落ち度はある!」
「エルリカさん‥‥‥」
マリアが声を漏らして困惑する間も、エルリカは言葉を続ける。
「ルークは皆に王位の継承を望まれている王子。だから簡単に頭を下げるのは尊厳と信頼に関わることなのっ‥‥‥ルーク自身、あなたにした事を悪いとは思ってるはずっ、でも簡単に頭を下げて謝れないの!」
「‥‥‥(あたふた)」
両手をしきりに動かして慌てるシロアに構わず、エルリカの話は続く。
「あなたがルークに嫌な思いをしたことは分かってる‥‥‥でも彼の立場を理解してあげて欲しいの! 代わりに私が何度でも謝るからっ‥‥‥おねがい‥‥‥」
再度顔を下げるエルリカの両肩は震えていた。ここまで矜持を捨てて許しを乞う彼女の姿に、マリアとシロアは絶句して声も出ない。
(エルリカさんがここまでするなんて‥‥‥)
アイトも驚きのあまり表情を固くする。彼女から感じるルーク・グロッサへの信頼と敬愛。そして彼女にここまでさせるほどの彼のカリスマ性。
(‥‥‥もし何かやらかしたのが俺だったら、誰かここまでしてくれるかな)
現状と全く関係ない事を自虐的に考えそうになったアイトは思考を切り替え、床にひれ伏すエルリカに話しかける。
「エルリカさんの気持ち、確かに受け取りました」
「! じゃあーーー」
「でも、だからこそ俺はルーク先輩が許せない」
アイトは、エルリカの願いを断った。正直、マリアとシロアも驚いていた。断られたエルリカは顔を歪ませる。
「な、なんで‥‥‥?」
「とりあえず顔を上げてください。ていうか早く立ってください。じゃないと理由は話しません」
アイトは諭すように話すと、エルリカは言われた通りに立ち上がった。すると約束通り、アイトが理由を話し出す。
「ここでエルリカさんの謝罪を受け入れて許せば、俺の中でのルーク先輩への信頼は地に落ちる。『人に謝る事もできない碌でなし』ってね」
「そんな‥‥‥! でもルークには立場があって」
「そういった事情を全てひっくるめて謝るからこそ、誠意が感じられるんじゃないですか? それにもしここで俺が許したら、何か別の事があった場合でもあなたが代わりに謝るような事態になりかねない」
「それは‥‥‥」
エルリカは否定できなかった。もしルークが何か問題を起こした際、自分が謝ればいいと無意識に思う可能性は高かった。実際、今も自分が謝っているのだから。
「俺はエルリカさんに怒っているんじゃない。エルリカさんをここまで悩ませたルーク先輩に怒ってるんです。それも、剣で斬られたことよりも遙かに」
「っ‥‥‥」
エルリカは自分の過ちを理解した。ルークのことを想うがあまり、彼のためにならない行動を取っていたことを。そして、そのことでアイトをますます怒らせていたことを。
エルリカには自分よりもアイトの方がよっぽど大人に見えた。
「エルリカさんは何も気にしないでください。俺が謝ってほしいのは、ルーク先輩だけです」
「アイト、くん‥‥‥」
「それとも、ルーク先輩は本当に謝る気が無いんですか?」
淡々と呟くアイトの目は、昏く冷たいものだった。その目を向けられているエルリカはもちろん、マリアとシロアも驚きで困惑している。
「ーーーずいぶん低く見積もられたものだね」
すると、アイトが待ち侘びていた相手が勢いよく扉を開けた。急いで来たのか、少し息を乱して汗をかいている。
「る、ルーク‥‥‥」
ルーク・グロッサの登場に、誰よりも驚いたのはエルリカだった。口をわなわなと震わせる彼女に対し、ルークは優しく肩に手を置く。
「僕のせいで恥をかかせてしまった」
「‥‥‥そんなっ、私は恥なんて思ってない!!」
エルリカが心外とばかりに言い返すと、ルークは優しく微笑み肩を叩く。そして身体をアイトに向けて、しっかりと見つめる。
「ーーーすまなかった」
そしてルークは‥‥‥腰を曲げてはっきりと頭を下げて謝罪を述べた。それは正真正銘、アイトが望んでいたものだった。
「言い訳するつもりはない。君を怪しいと思ったから手荒な手段に及んでしまった。すまなかった」
頭を下げたままのルークが再度謝罪を口にする。あとはアイトの返答次第。
「‥‥‥わかりました。俺は気にしてないですから」
アイトは、素直に謝罪を受け止めた。エルリカを始め、見守っていたマリアとシロアも肩の荷が降りる。
「姉さんとシロア先輩も、それでいいかな」
アイトが問いかけると、2人は納得したようで頷いた。そのやりとりがされた時、エルリカはルークに話しかけていた。
「ルーク‥‥‥よかったの?」
「僕も少し苛立って意地になってた部分があった。その事も含めての謝罪だよ」
「でも、頭を下げるのは‥‥‥」
「そんなことを気にならないくらい、この国へ貢献していけばいいだけさ。君のような人材がいるからね」
「ルーク‥‥‥」
エルリカは目に涙を浮かべ、顔を真っ赤にする。ルークが自然とその頭を撫でると、エルリカは涙を流した。
「っ、年下のくせに、生意気っ‥‥‥」
「はいはい。偶には年上を労わろうと思ってね」
2人の会話は、アイトたちのやりとりが終わった後も続いていた。
「あの〜医務室なんですけど?」
そう呟いたマリアが白い目で見守り、シロアは生暖かい目で見つめている。
(これで、とりあえず一件落着かな‥‥‥)
そしてアイトは、ルークたちの雰囲気が戻ったことを察して安堵の息を吐くのだった。
「それじゃあ何か飲み物でも買ってくるわね!」
「‥‥‥(ペコっ)」
「あ、私もついてくわ。好きなもの買ってね」
その後、マリア、シロア、エルリカが飲み物を買いに医務室を出ていく。これで残ったのはアイト、ルークの2人。
「そういえば、こうして2人で話すことは滅多になかったね」
「この前のやりとりが初めてだったくらいですからね」
ルークの話しかけられ、アイトは少し棘のある言葉を返す。
「君もなかなか意地悪だね。もしかして、以前から僕を避けていたのかな」
「まさか、学年も違うし話す機会が無かっただけですよ」
アイトはルークの揺さぶりにも動揺せずに切り抜ける。2人とも表情や声は笑っているが、内心は笑っていない。
「ルーク先輩。今回は気にしてませんけど、また同じようなことをしたら怒りますからね」
「わかってるよ。僕だって反省してるんだ。少し無計画だったかもしれないってね」
「まるでまた何か企んでるような口ぶりですね」
2人は互いに探り合う。何かボロを出さないか、巧みに会話で誘導しようと試みている。
「もしまた同じようなことをされたら、姉さんが黙ってないと思いますよ」
「それは充分痛感したよ。今回だけでも相当な怒りっぷりだった」
「やっぱりでしたか‥‥‥」
「弟想いの良いお姉さんだね」
「まあ‥‥‥かなり破天荒ですけど」
「同意するよ」
互いによく知っているマリアの話題となる事で、少し雰囲気が柔らかくなる。だが、それも長くは続かない。
「例えばだけど、もし君が僕に何か悪い事をすれば謝ってくれるって事でいいかな?」
「‥‥‥そうですね。その時は謝るのが当然だと思います」
「今、僕に謝りたいと思う事は無いかな?」
明らかに何かを探っているルークの言葉に、アイトは考える素振りを見せて苦笑いを浮かべる。
「今のところ、無いと思います。今までルーク先輩と関わることが少なかったし」
「それもそうだね」
ルークが微笑みながら前を向くと、アイトも苦笑いを浮かべて前を向く。
「アイトぉ〜! あんたの好きなコーヒー買ってきたわよ〜! あ、ルーク先輩の分もありますので!」
「‥‥‥(手一杯)」
「はいルーク、これでしょ」
すると3人が戻ってきたことで、アイトとルークは会話をやめた。いや、どちらも3人の足音を察知して中断したのだ。
(アイト・ディスローグ‥‥‥今回は僕の負けを認めよう。でも、君も後がないはずだ。今は動きづらいが、いずれは君の裏の顔を暴く)
(ルーク・グロッサ‥‥‥本当に厄介な人だ。しばらくは大胆な行動はできないはずだけど、早く何か考えておかないと)
2人は互いに相手を警戒しながら、渡された飲み物を口に運ぶ。
アイト・ディスローグとルーク・グロッサ。2人の因縁が始まった瞬間である。




