歪んだ価値観
「フィオネ・アズトファさん」
「あはっ♪」
名を呼ばれた見学者は、口に手を当てながら目を細めて微笑む。
その態度を見たアイトは警戒心を強めながら、相手を見つめる。
「何言ってるんですか先輩〜。
あの時は私も何も感じませんでしたよ?
でも魔力すら感じさせない魔法があるかもって
思ったから、ああ言っただけなんですよ〜」
フィオネは目を閉じ、すらすらと反論を述べる。
「それだけで私を疑うなんて、ひどすぎます〜。
先輩、私のことお嫌いなんですか〜?」
「‥‥‥確かにそうだ、でもーーー」
言葉を区切ったアイトは、視線を少し下げた。
「じゃあなんで、今も気づいてないんだ?」
「えぇ〜? いったい何のこ‥‥‥」
フィオネは、ずっと一点を見つめるアイトの視線が気になり、同じように視線を下げる。
すると、アイトが見ていたのは自分の靴だったことに気付く。
そして‥‥‥彼女が履いている茶色のローファーが変色していた。
「それは事前に地面に仕掛けておいた染色魔法。
君が通る瞬間に発動したんだよ。
そう、君がテラスでやった時と同じように」
アイトが核心をつく言葉を口にする。だが、フィオネはまだ正体を見せない。
「‥‥‥何言ってるんですかぁ〜。
先輩、現場からは何も感じなかったってーーー」
「ああ、感じなかったよ。魔力を持つ俺は何も。
だから魔力以外の何かを使用されてたら
あの時の話は変わってくる。
例えば‥‥‥巷で話題になってる奴らが扱う呪力とか」
「‥‥‥」
フィオネは何も言わず、視線を下げたまま俯いていた。
アイトは警戒を解かずに言葉を続けた。
「もし違うって言うなら、おとなしく国の尋問を
受ければいい。そうしたら、身の潔白もーーー」
「あ〜もういい。うるさいなぁ??」
フィオネは割り込むように声を出すと、服とスカートのポケットに手を突っ込み始める。
「おいっ! いったい何をーーーっ」
アイトは警戒心を最大まで募らせながら話しかけると、視界に映った光景に目を開く。
彼女のポケットから、大量の魔石が音を立てて地面に落ちたからだ。
そしてようやく、アイトは呪師である彼女から魔力を感じた謎に気付く。
彼女が全ての魔石を取り出した後。足元以外、彼女自身から微塵も魔力が感じられなくなった。
「その顔だと、これって意味あったんですね。
ただの変哲な石だと思ってたのに
本当に魔力が篭ってたんだ。
それなら大量に買い込んで正解でした。
やっぱ取引は裏の人に限りますね〜」
「‥‥‥お前っ!」
アイトは声を荒げると、フィオネはさっきまでとは違う、憎たらしい笑みを浮かべた。
「ただの学生に見破られるなんて驚きですよ。
身分に自惚れてのうのうと生きる学生に、
それも世界の闇を知らなそうな1年生に」
「‥‥‥お前に俺の何がわかるんだよ」
アイトが睨むような視線を送ると、フィオネは真似するように悪意の目で見つめ返した。
「わかんないですね全く、これっぽっちも。
あ。でも確かあなたは学園で有名な人の
弟さんでしたね。なら少しだけ納得できるかも。
でもたとえ頭が切れようが強かろうが、
私を捉えるなんて不可能ですよ?」
「‥‥‥ああ、そうかよ!!」
アイトは右手を前に突き出し、魔力を集め始める。
「もう、怖い怖い」
だがフィオネはそれを見過ごし、棒立ちのまま。
アイトは少し疑問に感じたが、それもすぐに杞憂に終わる。何しろ、アイトの魔法発動はただの囮。
「ーーーっ!」
「え、わっ」
本命である第三者がフィオネの背後から飛びつき、腕を掴んで後ろ手に捻り上げたのだ。
それは、今の状況を全把握しているユニカ・ラペンシアである。
「大人しくしなさい」
ユニカは忠告しながら腕の関節を捻っていくと、フィオネは片目を閉じて痛歯を噛み締めていた。
「いたたた‥‥‥もう、乱暴な人ですね〜。
やっぱりあの場に居合わせた編入生さんは
何か勘付いてましたか。こりゃ失敗です。
生徒会でもないお二人が、何でこんなことを?」
「侵入者と自白した以上、見学会の関係者として
見過ごすわけにはいかないの。そうでしょ?」
「ああ、その通り」
ユニカの言葉に同意したアイトは、拘束されているフィオネに近づく。
「まるで話を合わせてたような口ぶりですね〜。
この短時間で僅かな違和感に気付く先輩に、
今も私を隙もなく締め上げる編入生さん。
お2人とも、かなり怪しいですよ〜?
本当にただの学生なんですか〜?」
「偽って潜伏してた奴に言われる筋合いはない」
「私は貴族だから、護身用に学んでたのよ」
アイトは言い返し、ユニカはすらすらと嘘をつく。
「‥‥‥」
2人の言葉のチグハグ感に、フィオネはこれ以上の素性を探ることができない。
やがてアイトがフィオネの前に立ち、2人で挟み込む形になる。
「ここに来たのは、いったい何が目的だ」
「‥‥‥それ、先輩に話す義理あります?
ああ〜腕が痛くて話しづらいなぁ」
フィオネが悪意を含んだ声を出すと、背後のユニカはさらに強く捻り上げる。
「いたたた‥‥‥もう、せっかちだなぁ。
でも残念、教えるに値しませんね〜」
「ーーー折るわよ?」
「ええ、どうぞご自由に」
ユニカの忠告(脅迫)に、フィオネは薄ら笑いで返す。ユニカは、全く躊躇しなかった。
やがて、フィオネの腕が鈍い音を立てて曲がる。
「‥‥‥♪」
だが、フィオネはよりいっそう強かに笑う。腕の折れた箇所から溢れ出すのはーーー呪力だった。
今回はしっかりと視認できたため、アイトは目を見開いて動揺する。
「!! 何をーーー」
「離れて!!」
何かを察知したユニカは、咄嗟にアイトを突き飛ばした。
そして彼女自身も、すぐに後方へ回避する。
「あ〜残念」
フィオネが呟いた直後、身体が弾け飛ぶ。文字通りの自爆。
もし離れていなければ、間違いなくただでは済まないと確信させるほどの威力だった。
「だから言ったでしょ? 捉えられないって」
そして自爆を終えたフィオネの身体は、徐々に崩壊していく。
「これって、人形‥‥‥!!」
ユニカが睨みながら発言すると、フィオネは嬉しそうに笑う。
「さ、お楽しみはここからですよ?
本当の私を、見つけられるといいですね〜」
やがてフィオネだったものは呪力の粉塵となり、2人の前から姿を消した。
「ーーーそんな‥‥‥」
直後、ユニカは悲嘆の声を漏らす。
無数の呪力反応が、学園内に出現したからだった。
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「マリアっ‥‥‥」
マルタ森に、か細い声が浸透する。
エルリカはうつ伏せのまま、必死に腕で這いながら僅かに動き出す。
胸ぐらを掴まれて動けないマリアを助けるために。
「このっ‥‥‥」
マリアは胸ぐらを掴むヴァドラの左手首を両手で掴みこむ。だが、少しも変化はない。
「ったく、気の強い嬢ちゃんだな。
急かさなくても、もうすぐだーーー」
するとヴァドラは、言葉の続きを言わずに明後日の方向を見つめ始める。そのまま数秒が経つと、やがて息を吐いた。
「あいつ、もうバレたのか。
予想より相当早いじゃねえか」
「なに、いってるのっ‥‥‥!!」
「あ、悪い悪い。ちょっと想定外の事があってな」
ヴァドラは包み隠さずに話すと、マリアは疑念を強める。
「‥‥‥あんたはっ、いったい何がしたいのっ!?」
そして力を振り絞って叫ぶと、ヴァドラは口角を上げる。答える気があったのか、呪力を胸に溜めるのを継続しつつ口を開いた。
「革命だよ革命。呪力を異物と冷遇する
この世界の在り方を一変させるんだよ」
「ふざ、けるな‥‥‥!!」
マリアが声を振り絞ると、ヴァドラは鼻で笑って目を細める。
「ふざけるな? そっくりそのまま返すぜ。
俺らみたいな呪力持ちの人間を作った
各国の上層部どもに言ってやれや」
「はっ? なに、言って‥‥‥」
「折角の機会だ。説明してやるよ、国家の駒」
ヴァドラが嫌味たらしく忠告した後、知りたくもないことを話し始める。
「この世界の中に存在する一部の国は
魔力以外の新たな力として、負の感情から
生み出される力、『呪力』に目を付けた。
呪力ってのは何かを恨む憎む気持ちがあれば
際限なく溢れ出す、いわば負の源泉だ。
それを人間に無理やり埋め込んで、
兵器として使いこなそうって計画があった」
「はっ‥‥‥??」
「なにを、言って」
マリアとエルリカは唖然として声を漏らすが、ヴァドラは無視して話を続ける。
「だが呪力はあまりに強大すぎる力だった。
そんな力を埋め込まれた人間が、
実験した奴らに恨みを持たないわけがない。
国管理の兵器として制御できるわけがなかった。
実験をした奴らや計画を承諾した奴らは
被験者たちの復讐を恐れた。
だから一斉に呪力持ちの処分を始めた」
もはや、マリアとエルリカは声すら出ない。
「処分されずに逃げた呪力持ちの人間は
疎まれる存在として世間を操作し、
この世界で生きられないような
腐った仕組みを徹底的に作り上げた。
元々は人件費削減とか言って計画した
国の上層部、政治を行ってる奴らが、だ。
そんなカスどもが今も権力に溺れて
私利私欲を尽くして生きてんだぜ?」
ヴァドラの長い説明を終わると、マリアとエルリカは目を見開いて感情を露わにする。
「そんなの、信じられるわけっ‥‥‥」
「なんなの、いったい‥‥‥」
「お前らみたいな王国の駒は知らないだろうよ。
どう考えても都合の悪い事実だからな。
まあ俺は別に復讐が目的ってわけじゃない。
そんなのは副産物として得られるもんだ。
奴らが勝手に俺らを作って冷遇したように、
俺らも勝手に壊させてもらう。
腐った仕組みを、そしてこの国全てをな」
ヴァドラの声は完全に冷めていた。まるで要らない物を躊躇なく捨てるかのような、無機質な声。
完全に、国と国民を『価値のある存在』として見ていないことの現れ。
説明したことで気分が冷めたのか、ヴァドラはため息をつきながら今も胸ぐらを掴んでいるマリアを見た。
「なあ王国最強とか言われる部隊の隊員さんよぉ。
俺らがしてることって悪いのか?
俺らが悪なのか? そっちが正義なのか?
そんなのただの匙加減でしかないだろうが」
「‥‥‥知らない。そんなの、知らないっ。
誰が正しいなんてっ、間違ってるなんてっ‥‥‥」
「へぇ、そうかよ。じゃあな」
つまらないと一瞥したヴァドラは、胸に集めた呪力をーーー。
「ーーーでもっ、これだけはわかるっ。
関係ない人を巻き込むのは間違ってる!!」
「じゃあ厳密に調べ上げて悪事が発覚した
上層部の奴らの雁首揃えて突き出してみろ!!
できるか!? できねえよなぁ!!?
所詮そんなの口だけだろうがよぉ!!」
「正論でしょっ!!? 関係ない人を、私を、
大切な人を巻き込むなって言ってんの!!!」
そう叫んだマリアは、身体から魔力を溢れさせていた。当然、呪術師のヴァドラは魔力の気配に気づかない。
これまでの引き伸ばした会話は、とある魔法を発動するための時間稼ぎだったのだ。
ヴァドラが気づいたのは、マリアの身体からバチバチと何かが弾ける音が聞こえた時だった。
「!! ヴォル・ヴァリ・バーーー」
「【万雷】ッ!!!!」
ヴァドラが放つよりも早く、マリアの身体から無数の雷が発生した。
「ぐぉぁぁぁぁ!!?」
それが、胸ぐらを掴んでいたヴァドラに直撃する。
「ーーー!!」
ヴァドラは無意識に手を離し、体勢を崩しながらも【ヴォル・ヴァリ・バースト】を放つ。
拘束が解けたマリアは【万雷】状態の超反応を見せる。空中で身体を捻って呪力の塊を躱す。
それを見たヴァドラは舌打ちをすると、片膝をついてよろめいていた。
対してマリアは、周囲に雷を弾かせながら立っていた。そしてその場で小さい跳躍を小刻みに繰り返し、脱力状態を維持する。
マリアは内心で悟っていた。少し手合わせしただけで、この男は只者ではないと。
だから無闇に雷魔法を使わなかった。そして、できるだけ魔力を温存した。
そう、この奥の手を少しでも長く維持するために。
「マリアっ、ダメよその魔法は‥‥‥!!」
いかにも飛び出していきそうな雰囲気を察知したエルリカは、木にもたれた状態で必死に呼び止める。
だが、マリアは【万雷】を解除しようとしない。
魔闘祭の一競技『バトルボックス』で、ルークを一方的に攻撃した過度な雷を全身に纏う魔法を。
そして現在も制御不能で、諸刃の剣である彼女にとって奥の手を。
「マリアっ、やめなさいっ‥‥‥!!
あなたの身体は既に疲労困憊なのよ!!
そんな状態でその魔法を無理に使うと‥‥‥!」
エルリカは両手で木を押すようにして身体を支え、マリアの背中へ必死に話しかける。
「‥‥‥エルリカさん」
するとマリアは跳躍をやめて、一瞬だけ振り返る。
「後のことは、おねがいします」
そう言ったマリアは、目を閉じて微笑んでいるように見えた。
だが彼女はすぐに、自身にとっての限界量に値する雷を全身に纏い、発散させる。
「うおっ!?」
ここでようやく痺れが治ったヴァドラが片膝立ちから立ち上がると、目を見開いた。
「っーーー!!!」
完全に覚悟の極まった目をしたマリアが、鬼気迫る表情で稲妻のように駆けてきたからだ。
「がッ!?」
瞬きする間が無いほどの電光石火で近づくマリアは、ヴァドラの顔面に膝を叩き込むのだった。
自分が『迅雷』と呼ばれる所以を、理解させるかのように。