見学会、前夜
グロッサ王立学園、仮学生寮。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁ、はっ! は、離してっ」
息を乱したアリサは、顔を真っ赤にして少年の手を振り解く。
「あっ、ご、ごめんなさい!
母さんを振り切るには、こうするしか‥‥‥」
少年は目に涙を溜めかねないほど申し訳なさそうに頭を下げていた。
「も、もういいからっ」
強く言い過ぎたと感じたアリサは宥めるように短く呟く。
「あ、ありがとう! あ、自己紹介!
僕はカレン・ソードディアスです!
カレンって呼んでくれると嬉しいです!」
目を輝かせて話すカレンに対し、アリサは目を逸らして小さく口を開いた。
「‥‥‥アリサ・ディスローグ」
「素敵な名前ですねっ!
あ、あの‥‥‥これからは
アリサさんって呼んでもいいですかっ?」
「は? べ、別に好きにしたら」
「ありがとうございます、アリサさんっ!」
本当に嬉しそうに微笑むカレンに、アリサはむず痒さを感じていた。
「‥‥‥同い年だから敬語やめて。
私が強要してるみたいに見えるから」
「あ、ごめんなさい!
これからよろしく、アリサさん!」
「‥‥‥よろしく」
アリサがぶっきらぼうに返事を返すと、カレンは何か迷った表情を浮かべる。
だがすぐに、カレンは勢いよく話しかける。
「‥‥‥あの! アリサさん!」
「な、なに?」
「僕と、友達になってくださいっ!」
「そんなのよく大声で言えるよねっ!?」
アリサが恥ずかしさを誤魔化すように声を荒げると、カレンは子犬のように縮こまった。
「だ、だめかな‥‥‥?」
「ッ〜〜もう、勝手にしたらっ!」
アリサは真っ赤な顔を見られないよう、そっぽを向いて歩いていく。
「アリサさん、さっきはありがとう!
明日の見学会、よろしくおねがいします!」
カレンは笑顔で手を振り、不機嫌そうなアリサを見送ったのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
少し時間が経ち、夕方。
紅茶を注いで机に置き、足を組んで椅子に座ったスカーレットは優雅に紅茶を飲む。
「家が近いのにわざわざ寮に泊まって
他の見学生と交流を深めたいなんて、
あの子は真面目すぎる。誰に似たのか」
「少なくとも足を組んで椅子に座る人には
似てないでしょ。あと心配だからと
寮まで見送る過保護なお母さまとも」
「じゃあ腕を組んで睨んでくる妹にも
似てないだろうな。ほんと誰に似たのか」
スカーレットは眉一つ動かさず、目の前に立つ妹を見つめる。するとシスティアは余計不機嫌になった。
「ふん、別にあいつとは似てなくていい。
あんな軟弱なやつ、こっちからお断りよ」
「そうやってキツく接するから、
カレンも苦手意識を持つんじゃないか?
おかげで私も怖がられて、いい迷惑だ」
そう言ったスカーレットは紅茶のカップをゆっくりと置く。するとシスティアは仕返しとばかりに口を開いた。
「は? あいつに怖がられてるのは
姉貴の接し方のせいでしょ???
あいつにだけ優しく接したら、
何か裏があるって疑いたくもなるでしょ」
システィアの言い方には明らかに棘があった。
「ただ可愛がってるだけなんだがなぁ。
カレンはまだ子どもだ。私たちの可愛い弟だ」
「勝手に私も含まないでくれない?」
システィアが強めに言い返すと、スカーレットは目を細めて宥めるように言い放つ。
「どうしてカレンをそこまで突き放そうとする。
いったい、あの子の何が気に入らないんだ?」
「‥‥‥はぁ? 私は家の家督を唯一の男である
カレンに継がせるのが心配なだけ。
あいつは人に甘いし、臆病だし、弱気だし」
システィアは声色を変えずに言葉を返すが、スカーレットは誤魔化されない。
「いや、その言い分は違うな。
お前なら『私が家督を継ぐ』といって
カレンのことに強く介入しないはずだ。
もう一度聞くぞ。あの子の何が気に入らない」
『本心を言え』。そんな圧力が籠った言葉で、スカーレットは問い詰める。
だが、それはシスティアに対して効果が無かった。
「っ〜!! うるさいわねッ!!
そういうところがウザいんだよクソ姉貴!!」
答えないどころか、声を荒げて自分の部屋へと走り去っていく始末。
そして気持ちの表れと言わんばかりに、部屋の扉を強く閉めた。
「ったく、めんどくさい妹だな」
スカーレットは切らした紅茶のカップを置き、呆れた様子で妹が去った余韻を眺める。
(明日の見学会は君に懸かってるよ、後輩くん)
そして不敵に笑い、ティータイムの続きを楽しんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
グロッサ王国、王都ローデリア南地区。
「私、アイトに言い過ぎちゃった‥‥‥」
マリア・ディスローグは、浮かない顔つきでトボトボと歩いていた。
『あたし‥‥‥あんたが、怖い‥‥‥!!』
気づけば、そんなことを口にしていた。
マリアは別に、そんなことを言うつもりはなかった。
だが、心のどこかで感じていたのだ。
入学してきた頃から、弟はどこか変わってしまったことを。
幼い頃から少し違和感を感じていた。
子供なのに大人びた発言をしたり、あまり感情を露骨に出そうとしない。
それを当時のマリアは、『賢くて才のある弟』くらいに考えていた。
だが、入学してきてからのアイトは違う。
本心を話しているようで、何かを隠している。
以前のように優しく、流されやすい性格であるのに何か齟齬を感じる。
そして‥‥‥妙に達観している部分が垣間見えたこと。
アリサのことを話すアイトは、どこか他人事だった。いや一見、冷静なんだと捉えられるかもしれない。
だが‥‥‥マリアが無意識に言葉を言い放つ原因になった、ほんの数秒。
『今、姉さんが追いついたとしても意味は無い。
あの様子だと、今追いついても逆効果だと思う』
アイトの目が、完全に昏くなっていたのだ。
『とりあえずアリサの機嫌が悪い理由を知らないと。
姉さんが前会った時、アリサに異変はーーー』
マリアは気づけば、その目を辞めさせるように平手打ちをしていたのだ。
「なんで、家族の問題であんな目ができるの‥‥‥」
マリアの不安が漏れた言葉は、すれ違う人々の足音に掻き消されていく。
「‥‥‥あたしが家から離れた3年間で、
もしかしてアイトに何かあったの‥‥‥??」
その時マリアは、弟に直接聞きたい欲求に突如駆られる。
無意識に零れた言葉が、今まで考えもしなかった思考をもたらしたからだ。
「‥‥‥そうだ。あいつの口から原因を聞くっ!」
居ても立っても居られなくなったマリアは、踵を返して走り出す。
「あ、やっと見つけた! マリア〜!!」
だが、自分を呼ぶ声によって遮られる。
足を止めたマリアの前に走り寄って来たのは、カールのついた茶髪の女性。
「探したわよ、マリア」
「エルリカさんっ」
同じ『ルーライト』隊員である、エルリカ・アルリフォンである。
「急で悪いんだけど、緊急任務よ。
今から私についてきて」
「えっ‥‥‥」
思わぬ急展開を前にして狼狽するマリア。それを見たエルリカは少し心配そうに肩を叩く。
「マリア? マリア、大丈夫?」
「え、あ、はいっ。大丈夫です」
尊敬する彼女を心配させたくなくて、マリアは咄嗟に口を開いていた。
「明日の夕方には戻ってこられると思うから。
さ、今から支度して行きましょ」
「あ、ちょっとエルリカさんっ」
マリアは、エルリカに手を引っ張られる。
(こうなったら任務をすぐにこなして、
アイトに思う存分聞き込むっ!)
マリアは逆の手で握り拳を作りながら、エルリカについて行くのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜。仮学生寮、食堂。
大勢の前で、1人の女性が話し始める。
「皆さん、明日の見学会のために足を運んで
いただき、本当にありがとうございます」
それは、学園の教師の1人。ちなみに、1年Aクラスの担任をしている人であった。
「今からの夕食で、ぜひ親睦を深めて
いただければと思います。
それでは皆さん、お好きな席に」
女性の言葉に、多くの見学者たちが次々と椅子に座り始める。
そんな中1人おろおろしていたカレン・ソードディアスは、ある少女を探していた。
「あっ、アリサさん!」
するとカレンは声をかけながら、少女に近づいていく。
「せっかくだし、いっしょに食べませんかっ」
カレンは勇気を出して提案を持ちかける。
だが少女は目を細めながら、机に献立が配膳されていたトレイを両手に持つ。
「ごめん、部屋で食べるから」
そして、少女は足早に食堂から去っていった。
「あ、はい‥‥‥」
カレンはそんな言葉しか出ず、やがておろおろと焦り始める。
周囲を見渡すと、次々に見学者たちが交流を始めており、談笑している。
(ど、どうしよ‥‥‥!)
複数人のグループがいくつも形成されつつある中、カレンはその輪に入っていく勇気が無かった。
「フィオネさんってどこの出身なの?」
「わ、私も気になります」
「王都から少し離れた所です。
田舎育ちですので、ここに来て緊張しています。
ちなみに、ニノさんとティーリャさんは?」
「わ、私は王都の周辺です」
「あたしは王都の東地区!
直接通える距離だけど、学生寮って
どんな感じか気になるじゃん?
だから今ここにいる感じ!」
「凄いですね。ティーリャさんの
そういう姿勢、とても尊敬します」
「え、フィオネさん?」
「わ、私も尊敬します!」
「ちょ、ニノさんまで!?
そんな大層なことじゃないって〜!」
「いえ、素晴らしい心意気です」
「わ、私だと考えもしませんでした!」
「2人とも、もうやめてよぉ〜!」
近くのグループが和気藹々と会話を楽しんでいるのを見て、カレンは不安が募る。
それに時折、近くの椅子に座る見学者たち(主に女子たち)からの並々ならぬ視線を感じ、カレンはますます不安な気持ちに駆られる。
だがずっと棒立ちというわけにもいかないため、カレンは周囲を懸命に見渡し続ける。
すると食堂の机で1番左の奥に座っている人を見つけた。1人で黙々と食べ始めている男子、女子が1人ずつ。
男子の方は茶髪の癖っ毛が特徴的。彼の細い切れ長の目は、ただ机の献立へと向けられている。
女子の方は白髪ショートボブが特に目立っていた。だが顔付きは少し幼く見える。
簡単に言えば、どちらも会話する気がないような雰囲気を醸し出していた。
だがカレンは足早に2人の近くに座り、恐る恐る話しかけていた。
「あ、あの‥‥‥明日はよろしくおねがいします」
「‥‥‥ん? ああ」
男子の方は一瞬目を合わせて素っ気ない返事をしただけで会話が終わり。
「うわ、ずいぶんと可愛い子ですね‥‥‥
なんですか、自分は可愛いって自慢ですか?
わざとですかあてつけですかそうですか。
はぁ、これだから顔に自信のある女って‥‥‥」
女子の方は言葉の大半を聞こえないように小声で呟いていた。
「ぼ、ぼくは男ですッ!?」
だが、カレンには聞こえていた。カレン自身が気にしている事に関しては地獄耳だった。
そして、そんなカレンの反応が功を奏したのか。
「え、男子なんですか、うわ可愛い。
語気強めに言っちゃうあたり気にしてそう。
あ、とりあえずごめんなさい。
大丈夫、自信を持ってあなたは可愛い」
「最後のは余計ですよねっ!?」
相手との会話(?)が成立し、カレンと相手の雰囲気も徐々に柔らかいものになっていく。
「うわいかにも真面目ちゃんって感じですね
私に話しかけたのも正義感ですか、そうですか」
「いや、その‥‥‥友達になってほしくて」
「うわそんなことをサラッと言える感じ
人たらし感出まくりですねでもいいです
今回はたらされてあげます、よろしく」
「う、うん‥‥‥よろしく?」
早口で区切りのない話し方に困惑しながらも、カレンは少女との交流に成功した。
「あの、お名前は‥‥‥」
「ああ名乗ってませんでしたね。
私の名はスニカ・ジーベルです
『ジーベルさん』って呼んでもいいですよ」
「う、うん。よろしくねジーベルさん」
「ふへっ、素直でよろしいですよカレンくん」
少女ことスニカは目を細めながらぎこちなく笑った。
カレンもぎこちなく笑い返し、流暢とはいかない2人の会話がしばらく続く。
「‥‥‥おい、うるさいから静かにしてくれ」
すると茶髪の男子には良くない印象を与えてしまったのか、少し強めに注意されてしまう。
「あ、ごめーーー」
「あぁん?? なに様ですか貴様????」
咄嗟に頭を下げようとしたカレンよりも早く、スニカは眉を顰めて睨みつけていた。
「うるさいって言ったんだ」
男が視線を合わせて淡々と言い直すと、スニカは不機嫌な様子で前のめりになる。
「ああ?? 何言ってやがるんですか?
別に大声で騒いでたわけでもなし、
ただ談笑してただけでうるせえと???」
「別に食事を済ませてから思う存分、
好き勝手に話せばいいと思うが。
わざわざ今話して周囲の人に迷惑かけるな」
「だったら今もうるさく話してる奴らにも
注意したらどうです??
あ、1人で輪に入るのが怖いんですかぁ」
「食事の途中に立ち上がるのは行儀が悪い」
「貴様のこだわりは聞いてねえですが??
ちなみに数的有利はこちらにありますよ??
孤高気取りのぼっち飯してる人に
イキられても全然怖くねぇですが???」
スニカは立ち上がりそうな勢いで身を乗り出し、相手をさらに睨みつけた。
「さっきまで1人だった自分を棚に上げて
言いがかりか? これだから立場を気にする
貴族ってのは本当に救いようがない」
「あ??? また何か言いやがりましたか??」
男子が同情するように一瞥する様子を見て、スニカは手に持っていたフォークを向けて強く睨む。
「図星だったのか? ああ、それなら悪かった。
俺の失言だったよーーー『ジーベルさん』」
「なに馴れ馴れしく呼びやがるのですか?
あ、もしかして盗み聞きしてやがりました?
私たちと話したいくせに面倒な奴ですね」
「あんな大声で喋ってたら嫌でも耳に入る。
勘違いするのは勝手だが、巻き込むな」
「はぁ? 巻き込まれたのはこっちですが??」
どちらも一歩も譲らない喧嘩腰。当然、2人の口はだんだん過激になっていく。
「次呼んだら後悔させてやりますよ???
貴様が名乗ったら私の名を呼ぶ事を
許可してあげなくもないですがぁ??」
「なぜ俺が名乗る必要がある?
名乗る義理が微塵も感じられない」
「カッチーン、はい分かりました外に出ろぉ?」
互いに相手の言うことをきかない2人。ついに痺れを切らしたスニカが立ち上がり、人差し指を回し始める。
「ま、待ってジーベルさん!
今ここで暴れるのは良くないよっ」
2人の間に割り込んだカレンは、スニカの手を掴んで訴える。
「離しやがれカレンくん怪我しますよ???」
スニカは手でカレンを制した後、殺意剥き出しの目で男を見下ろし、人差し指を向けた。
「あなたたちっ、いったい何事ですか!!」
3人の尋常ではない雰囲気に気づいたのか、教師が駆け寄りながら問いただそうとする。
「‥‥‥ディーレイと申します。
何でもありません、ただ話が乗っただけです。
それでは、俺はこれで失礼します」
そう言った男子はトレイを両手に持って立ち上がり、離れていく。
「次は無いぞ、貴族ども」
そう言い残して、ディーレイと名乗った男は食堂を出ていく。
「はぁ、めんどくさい男ですね。
きっと私たちと仲良くしたのに素直になれず
喧嘩腰に話しかけるしかないなんて可哀想。
ああ素直じゃない人はめんどくさいですねー」
「いやどう見ても違うと思うけど‥‥‥」
「カレンくん、あんな人になったらダメですよ。
喧嘩っ早くてウザくて融通の効かない人に」
「う、うん‥‥‥?」
下唇を噛みながら愚痴をこぼすスニカと、困惑した顔を浮かべるカレン。
気づけば、食事の時間は終わりを迎えていた。
こうして一波乱あった後、見学会の前日は幕を閉じた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜。グロッサ王国領内、マルタ森。
毎年『魔闘祭』で競技に使われ、国が管理している森。
そんな中、1人の男が欠伸をして木にもたれかかっていた。
すると男は魔結晶を取り出し、相手の声を待つ。
『ヴァドラ様、首尾の方はいかがですか?』
「最悪だ。歯応えのない雑魚だらけ」
呪術師集団『ジ・ヴァドラ』の首領、ヴァドラ・ウォンは足元に横たわっている複数の死体に目を合わせる。
『はぁ、そんなこと聞いてませんけど??
はぁ、今回の作戦もヴァドラ様のせいで
失敗するんですね。私もう参謀やめます』
「へいへい、そっちはどうだフィオレンサ」
ヴァドラは相手の愚痴を軽く受け流した後に質問する。
『聞かれるまでもないです。この私ですよ?
ヴァドラ様と違って、私は出来る女です』
「俺はそもそも男だけどな。
それで、今はどこに潜伏してる?」
ヴァドラが再度聞き返すと、フィオレンサは少し間を溜めてから話した。
『仮学生寮の一室です。良いお部屋ですよ。
ああ〜このまま学生になりたいかもです』
そんな呟きを聞いたヴァドラは鼻で笑う。
「はっ、微塵も魔力が無い俺たちに
そんな選択肢は無えよ。取りたくもねえ」
『はあ。冗談も分からないなんて、
ヴァドラ様って本当におバカさんですね』
「分かったから、そろそろ切るぞ?
早くその良い部屋とやらで寝ろ」
『あの、まるで私がこの連絡を
催促してるみたいに言うのやめーーー』
ヴァドラは一方的に魔結晶を切ると、座り込む。
(さあ‥‥‥誰が俺の所へ来るか)
口角を上げて控えめに笑ったヴァドラは、目を瞑って時が過ぎるのを待った。
こうして、グロッサ王立学園の見学会が迫る。