幕間 アステス王国、裏事情
アステス王国、パレードから1週間後。
アステス王国領内、とある一室。
現在、体調回復のため1人の軍人がベッドに座って黄昏れていた。
(体調は万全なのに‥‥‥なぜ訓練に参加できない。
そもそもここは軍の医務室、なのか?)
ダークブロンドの髪で、短くも無いし長くもないミディアム。だが前髪はもう少しで目に入りそうである。そしてどこか中性的な顔立ち。彼の名はセシル・ブレイダッド。
アステス王国軍所属で、階級は二等兵。彼は新人の軍人、だった。
死亡の報せを記事に書かれ、王国中に広まるまでは。
だがパレード以降、ほとんど一室に篭りきりだった彼は自身の死亡報告を知らない。
そして今は彼以外、誰もいなかった。前日までは壮年の医者が定期的に診察に来たのだが、今は待っても音沙汰無し。
その状況を、セシルは利用しようか考えていた。
(今なら誰もいないし、ここから出ても‥‥‥)
「おっじゃましま〜す!!!」
「わあっ!?」
だが、突然の来訪者により彼の思考は遮られた。
大声で突撃訪問してきたのは、小柄な少女。
茶髪のポニーテールで、ぱっちりとした瞳。背は低く小柄。全体的に幼くて可愛らしい印象を受ける。
そして彼女はメイド服を着ていたため、セシルは戸惑いながらも話しかける。
「な、なんでこんなところにメイドさんが?」
「あ、私のことはメイとお呼びを!
メイドのメイ! どうかお願いします〜!
それではセシルさん、行きましょ〜!」
「え、どこにっ!?」
メイと名乗ったメイド少女はセシルの腕を引っ張りながら部屋を飛び出す。突然の連行にセシルは声を出した。
「まあまあ、どうせ暇ですよね〜!」
「微妙に失礼だね、君!?」
セシルが思わず大声を出すと、メイは「あ! 忘れてました〜!」と言いながら背伸びしてセシルの顔に手を伸ばす。
「な、なに?」
「【ブラインド】〜!」
「っ!? 目がっ!?」
するとセシルが驚きのあまり声を出す。突然、両目が全く見えなくなったのだ。
「あの、いったい何をーーー」
「後で解きますから! では行きましょ〜!」
セシルが驚いている間にも、メイは彼の腕を掴んで連行していく。
「今解いて欲しいんだけど!?」
そんなセシルの懇願を、メイは無視するのだった。
「いよいよ到着ですっ!」
(けっこう歩かされた‥‥‥)
メイの元気な声に対し、セシルの疲弊した心の声。
そんな2人が足を止める。目が見えてない彼からすれば、どこを歩いているか分からず戸惑うばかり。
「お待ちしておりました、セシルさん」
するとセシルの前方から女性の声が聞こえてくる。今セシルは目が見えてないため、聞こえた声から必死に情報を得ようとしていた。
(聞いたことない声だ。誰だ‥‥‥)
だが聞き覚えがなく、何の収穫もない。そんな彼に、魔の手が迫る。
「えいっ」
「痛っ!?」
額にメイのデコピンを貰ったのだ。今のセシルには躱せるはずもなく、額に直撃する。だがその直後、痛みで涙が溜まると同時に視界が広がっていく。
「なんでこんな、って見える‥‥‥」
「今解いたんです〜!」
セシルの隣に立つメイは笑っていた。そして彼女の目線から、『前を向いてください』という意思が感じられた。彼は素直に前を向く。
視界に入った情報から分かるのは二つ。
まずは場所。それはどこかの一室ということ。少し広めで、物もあまり置かれていない殺風景な一室。
次に、彼の前には初対面であろう女性が立っていた。
彼の前に立っているのは黒髪ショートボブの女性で、目は少し吊り目、どこか厳格な印象を受ける。
身長は平均的でセシルの肩くらいに彼女の頭がくる。彼女の服装は白のシャツに黒のデニム、靴は靴底の低いブーツ。
明らかにメイよりも落ち着く格好をしていたのでセシルはホッと一息つく。すると女性の方が先に口を開いた。
「あなたがセシル・ブレイダッドさんですか?」
「は、はい。そうですけど」
「はじめまして、私はナナと言います。
セシルさん、パレードでの貢献が評価されて
この度、あなたの昇進が決定致しました」
「え、昇進ですかっ?」
セシルは思わず即座に聞き返してしまう。新兵である彼にとって、昇進するのは初めてだったのだ。嬉しくないわけがない。
「はい。これから私とあなたは同僚になります。
ですので今日はそのご挨拶をと思いまして。
どうかよろしくお願いします」
ナナと名乗る女性がそう言いながら歩いてセシルの前に止まり、彼の前に右手を差し出す。いわゆる握手の形。
右手を差し出した彼女はニコッと微笑んでいた。
(クールだと思ったけど、話しやすそうな人かも)
そう感じたセシルは彼女に合わせて右手を出す。同僚になる相手とは、信頼関係を築いていくのは当然の義務。
そう感じたセシルは即座に彼女の右手を握り、口を開いた。
「セシル・ブレイダッドでーーー」
すると自己紹介の途中、セシルの身体が宙を舞う。
自分の名前を言い終わる頃には、視界には天井が広がっていて背中がズキズキと痛む。
「いっ!?」
背中から響いた鈍い音は、彼の呻き声によって相殺された。
そこでセシルはようやく、自分が投げ飛ばされたのだと気づいた。
「バカなの? これは期待はずれだわ」
セシルを見下ろして言い捨てたのは、彼を投げ飛ばした張本人である、ナナ。
「えっ? いったいどういうーーー」
「なんで初対面の相手にバカ正直に名乗るの?
なんで今までの状況に疑問を抱かないの? アホ?
ずいぶんマヌケな新人が入ってきたわ」
言いたい放題である。突然の豹変ぶりにセシルが反応に困っている間にも、ナナの言葉が続く。
「メイが変な魔法かけた時点で怪しいと思うでしょ。
仲良く世間話しながら拉致されるなんてね」
「ら、拉致?」
「な! 変な魔法とは失礼ですよ!」
ナナの罵倒に大袈裟に反応したのはセシルではなくメイだった。茶髪のポニーテールを揺らしながら頬を膨らませて、ぷりぷりと怒っている。
だがナナは彼女の視線をいっさい無視して、セシルの前にしゃがみ込んだ。
「アステス王国、特務機関『月蝕』へようこそ。
別に歓迎はしないけどね?」
「特務機関? 俺、アステス王国軍に所属のーーー」
「あなたはもう王国軍の軍人一覧から抹消されてる。
それどころか、死亡の報告まで広がってるわ」
「えっ!? 死亡!?」
今、ようやくセシルは自分が死んだことにされていることに気づいた。大声を出してしまうのも無理はない。
「うるさい、大声出したら周囲に気づかれるでしょ」
だがナナは不機嫌そうにセシルの肩を殴った。当然セシルが「うっ」と呻き声を上げるが、ナナは無視して話を続ける。
「あなた、『無色眼』を開花させたんでしょ?
アステス王国内でも初の事例よ。
そして、謎の犯罪集団にも眼を見られたと。
だったら死んだと偽装するのが最低限の保険」
ナナはセシルの両目を覗き込む。彼の両目の瞳は、今ーーー。
「‥‥‥は? 瞳の色彩あるじゃないの。はっ???」
「ちょっ!? 何してんだこの人!?」
ナナは目を血走らせながらセシルの両頬を手で力強く挟み込み、強引に至近距離で瞳の色を再確認する。
そんな非常識な行動に、普段は温厚なセシルも声を出して止めにかかる。
「抵抗しないで。今から眼を抉って確認する」
「抉ったら意味ないだろうが何考えてんだ!?」
「黙れ!! なんで瞳に色があるのよ!!
嘘ついてたの!? だったら処罰よ!!」
「会った時点で瞳の色なんてすぐわかるだろ!
クールでしっかりした人って印象帳消しだわ!」
「はあ!? あんまりふざけたこと言ってると
今すぐ偽装報告を本物の死亡報告にするわよ!?」
それからも初対面とは思えない言い合いを始めるセシルとナナ。
「2人とも〜! ねえってば!
ねえっーーーそろそろやめましょ?」
すると、気づけば2人の首元にはナイフが突きつけられていた。メイが2本のナイフを逆手に持ち、微笑んでいる。
「それにナナ〜? セシルさんの『無色眼』は
魔力解放時に同時発動したって報告書にありました。
ーーーまさか読んでないとか言わないですよね?」
メイは微笑みながらナイフの柄をナナの首元にグリグリ押し込んだ。
笑顔のはずなのに、信じられないほどの圧力を肌で感じとったセシルの顔は真っ青だった。
だが、ナナは顔色一つ変えずに目を閉じながら淡々と応える。
「‥‥‥もちろん読んでるわよ。
だから追い込めば魔力解放すると思って」
「なら紛らわしいことしないでください〜?」
一瞬だけ呆れた顔を見せたメイ。だが彼女はすぐに笑顔になって2人からナイフを離した。
セシルは解放されたことに安堵し深呼吸する。相当息が乱れていた。
「セシルさん、ナナは見ての通りーーー」
「捻くれてると‥‥‥?」
「はっ?????」
ナナはドス黒い感情が混ざった声を発し、『何言ってるんだこの男』と言わんばかりに凍て刺すような視線を向ける。
そして全く空気を読まずに、メイは目を輝かせてセシルの手を掴んだ。
「ご名答! ナナは諜報員として腕は立ちますが
見ての通り協調性に欠けてまして〜!
でもそれが初対面で分かるなら大丈夫ですね!」
「馴れ馴れしいあなたよりはマシよ」
ナナがそう呟くが、メイは全く聞かずに話を続けた。
「セシルさん! ナナは別に悪い子じゃないので
相棒として頑張ってください〜!
あ、態度と口はすっごく悪いですけど!
もちろん、上司の私は応援してますよっ!」
「えっ‥‥‥あ、相棒? こ、この人の‥‥‥?」
メイが上司という発言も驚いたが、セシルは何より『相棒』という言葉に驚いていた。
「は? 文句あるの? それはこっちなんだけど?」
「あっ! 言ってませんでしたね!
それでは詳しく説明しま〜す!」
メイは咳払いをして、笑顔で口を開く。
「私はアステス王国が抱える特務機関、
『月蝕』第2支部、支部長のメイです!
組織番号は4番! ほら、ナナも自己紹介を!」
メイがナナの肩をポンポン叩く。ナナはため息をしながら視線を逸らしつつ、渋々口を開いた。
「‥‥‥『月蝕』第2支部所属、ナナ。組織番号7」
ナナの言葉を聞いて安心したメイは、向かい合って座っているセシルの肩をポンポン叩く。
「はいっ! そしてセシル・ブレイダッドさん!
あなたはアステス王国軍の二等兵を卒業し、
晴れて『月蝕』第2支部への異動となりました!
組織番号は8! 基本はナナと2人で任務を
こなしてもらいます! がんばっていきましょ〜!」
メイと名乗る少女は、「お〜!」と言いつつ右手を突き上げた。
「‥‥‥えっ!? この人と!?」
セシルは思わず、これからの相棒となる彼女に指を差し、本音をそのまま口に出してしまう。
「‥‥‥セシル・ブレイダッド、18歳。
アステス王国領内、没落貴族の長男で
アステス王国軍の特殊鎮圧部隊『日蝕』総隊長、
ソニア・ラミレスとはどうやら親しい様子。
親を始めとする身内は幼い頃に亡くなり、天涯孤独。
それからは孤児院で生活し、14歳の時点で
アステス王国内、軍人育成学校に入学。
そして3年間の訓練課程を経て卒業。
その後、王国軍に所属して現在に至る。
ちなみに私は20歳であなたより2歳上。わかった?」
(まさか自分の方が年上だと言いたいがために
俺の経歴を詳しく調べた自慢したのか!?)
セシルはろくに返事もできず、それどころか今も淡々と話を続けるナナにドン引きしていた。
だが、彼女の発言の中で気になったことがあり眉を顰めながら尋ねる。
「ていうか、なんでソ‥‥‥ラミレス大佐のことまで
調査がついてる? いったいどこからーーー」
「今、何か別のことを言いかけたわね?
ソニア・ラミレスについては名前が偽名ってことと
あなたと親しいってことぐらいしか分からなかった。
どうやら軍の最高戦力である彼女の情報は
厳重に管理しているようね。
仮面を付けて正体を隠してるし、謎が多い。
でも、あなたは何か知ってると思うけど」
「‥‥‥」
「あっそ。まあいいわ、別に興味無いし」
そう言ってナナは立ち上がる。その間も、セシルは見上げると同時に睨んでいた。
間違いなく自分と性格が合わないと心底感じていた。
「これからナナとセシルさんは相棒です!
あ、ちなみにセシルくんと呼んでもいいですかっ?」
(正直めちゃくちゃどうでもいいわ!!)
そう感じたセシルだが、これから自分の上司になる人に対して憎み口を叩けるわけもなく、「‥‥‥なんでもいいです」と平坦な声で返し、立ち上がった。
すると、ナナは横目でセシルを見ながら話しかける。少し威圧的な視線を向けながら。
「その様子だとあなた、今回の配属の話は
知らなかったみたいね? 文句があるならーーー」
「ない」
ナナの言葉を遮るように、セシルは言い切った。
ナナは少しだけ面食らい、メイは「おお〜!」と喜んでいる。
「俺はこの国のために、自分にできることなら
なんでもする。昔、そう決めたんだ。
そして、自分にしかできないことなら尚更。
もし俺の何かを評価してくれて異動になったのなら
文句はない。それが俺のやるべきことなら、やる」
「よく言いましたセシルくんっ!
素直で可愛い部下ができて、私嬉しいですっ!」
メイは満面の笑みで彼の背中をバシバシ叩く。
「‥‥‥へえ? 大層なことを宣言したわね。
でも今のあなたは全く使い物にならない。
ただのホラ吹きと変わらないわ」
「ご忠告どうもっ‥‥‥」
セシルは思わず握り拳を作ってわなわなと震えていた。殴っていいのなら、既に殴っている。
だがセシルは握り拳を解いて深呼吸し、ナナをまっすぐに見つめた。
「昔、誓ったんだ。‥‥‥あいつと。
だからあんたに何をどう言われようが関係ない」
いっさいの迷いなく言い放つセシル。それを見てもナナはいっさい表情を変えず、淡々と歩き出した。
「じゃあ今すぐ国のために動いてもらおうかしら。
早くついてきなさい。時間がないの。
まずは最低限の知識、身体能力、精神、技術を
叩き込む。それも任務と並行しながらね。
弱音を吐くことは許されない。覚悟することね」
視線だけ後ろに向けたナナから感じる圧に、セシルは驚きそうになるが歯を噛み締め、後を歩きながら言い返した。
「これからよろしく、先輩のナナ」
「いきなり馴れ馴れしいわね。
もうそこのメイドの影響受けた?」
「いや、ナナには敬語使う気が起きない」
「まずその態度から矯正する必要がありそうね」
「その言葉、自分自身に言い返せ」
「いい度胸してるわね、生意気」
「そりゃどうも」
「褒めてるとでも思ったの?」
このようにして、言い合いを続けながらセシルとナナは一室から出ていく。
無事に顔合わせが終わり、後は相棒でもあり教育係でもあるナナに任せることになる。
「‥‥‥ふう。セシルくんが思ったよりも
度胸があって安心しました〜」
1人残ったメイは息を吐きながら独り言をこぼす。
『‥‥‥どうだ、使えそうか? セシルという男は』
「あ! アラン中将! お疲れ様です〜!」
すると、メイの持っていた魔結晶に連絡が来た。連絡相手は、セシルの異動を知っている王国軍の中将、アラン。
今日、セシルが特務機関『月蝕』に配属されると聞き、彼の上司となる第二支部長のメイに連絡をかけてきたのだ。
メイは笑顔で聞かれた質問について、感想を述べる。
「素直で良い子だと思いますよ〜!
あれなら他の諜報員とも仲良くなれるかと!」
『そういうことを聞いているのではない。
メイ、はっきりと答えろ。どうなんだ』
アランの忠告を受けたメイは表情を変えずに答える。
「まあ、向いてないかと思いますね〜」
彼女の声は、完全に冷え切っていた。
『そう感じた理由を述べてみろ』
驚いた様子のないアランは、淡々と聞き返す。するとメイは業務連絡のようにスラスラと話し始めた。
「まず素直な性格が気になりました〜。
彼は私の訪問に疑問を感じず、簡単に会話を
誘導されて幻覚魔法にも引っかかりました。
それにナナに投げ飛ばされるまで
私服姿の彼女に警戒心がまるで無かったです。
正直、よく軍人になれたなあ〜と感じますね。
そんなありきたりな善人に、諜報活動は
間違いなく向いてないと思います〜」
『そうか。つまり甘い部分があると』
「はい。魔法の適正が少ない時点で軍人には
向いてないですから、この異動は悪くないと
思いますよ〜。あの眼は貴重ですし、
諜報員としての素質は高いと思います」
『素質は高い、か』
アランが意味ありげに呟くと、メイはニコッと微笑む。
「素質だけで任務をこなせるほど、
アステス王国特務機関、『月蝕』は甘くない。
その点、ナナはよくやってくれてます。
自身の非力さを理解し、長所を伸ばす。
それで過酷な任務をこなしたわけですし?」
『今、あいつのことは聞いていない』
「わ、これは手厳しいっ!
てっきり気になってると思ったのですがっ」
『‥‥‥』
メイは軽い口調に対し、アランは沈黙を貫く。するとメイは「やれやれ」と言わんばかりに息を吐きながら目を細めた。
「‥‥‥ま、あとはナナの教育次第ですかね〜。
見た感じ、2人の相性は悪くなさそうでしたし」
『相変わらず随分投げやりだな、第2支部長は』
そう忠告されたメイは、思わず首を傾げていた。
「まだセシルくんは使い物にならないのに、
私にできることって何かあります?」
彼女は、あっけからんと答えてみせた。
アステス王国、特務機関『月蝕』。
『表の日蝕、裏の月蝕』と評される、特殊鎮圧部隊『日蝕』とは対をなす存在。
それは一般的な価値観が全く通用しない、問題児の集まりだった。