聖天の祈り
アステス王国、パレード道中。
今起こっている騒動の中で、最も激しい戦闘が繰り広げられていた。
「【ヴォル・ヴァリ・バースト】!!!」
「【ライト・サークル】」
アステス王国軍大佐、特別鎮圧部隊『日蝕』隊長、ソニア・ラミレス。
呪術集団 《ジ・ヴァドラ》頭領、ヴァドラ・ヴォン。
そんな2人の戦いは、一方的な展開になっていた。
ヴァドラが放った高出力の呪力レーザーをソニアは光の円で受け止める。音を立てて相殺し、爆発と共に呪力と魔力が弾け飛ぶ。
(もうこれで4発目‥‥‥)
ソニアは自身に一直線に向かってくる呪力のレーザーを既に3回止めている。
彼女はその威力を理解し、対応できる大きさの光の円を発動していた。
なぜソニアはヴァドラに反撃しないのか。それは相手の攻撃に押されているからではない。理由は、彼女の後ろにあった。
それは避難勧告をしている警備兵とそれに従い移動を始めている国民たち。
もし自身が攻撃に転じた際にヴァドラが呪力のレーザーを放てば、関係ない人々に直撃して多くの死者が出る。
そのためソニアは今、ヴァドラの攻撃を防ぐ姿勢をとるしかなかった。
「いつまで立ち尽くすつもりだぁ!?
もっとアツアツ勝負しようぜぇ〜!!」
彼女の気苦労を全く察していないのか、ヴァドラが再度呪力を一点に集め始める。
(なぜ対処されてるのに同じことを繰り返す?
もしかして、単純な力比べをしたいってこと?)
ソニアは相手の考えが全く読めず、眉を顰める。すると状況を一変する出来事が起こる。
「ーーーハハッ!!」
ヴァドラの背後に忍び寄る影。彼はそれを察知し、集めていた呪力を右手に込めて振り返りながら薙ぎ払う。
「ーーーお前はっ!!」
ヴァドラの腕が鉛のように重くなった直後、ナイフが自身の心臓目掛けて迫り寄る。ヴァドラは嬉しそうな顔を浮かべていた。
ヴァドラは相手の左手で掴み、呪力を右腕から左腕へと移動させて反撃に転じようとする。
「厄介ね」
赤髪の少女は掴まれて動かない右手を起点代わりにして跳躍する。
「っ!?」
そして、上下反転の体勢のまま左足でヴァドラの頭を蹴飛ばした。
「ーーーはっ、やるなっ!!」
ヴァドラは笑いながら左腕の拘束を解いて後退し、周囲に倒れ込む呪術師たちを確認する。
「まさか、仲間たちはもうやられたのか。
あの数をこの時間で、さすがはーーー」
「【シャイニーズ】」
ヴァドラの背中から飛び出したソニアは赤髪の少女へ迫り、右手に持ったミリタリーナイフを繰り出す。
「っ!!」
直後、響きわたる金属音。互いのナイフが軋み合う。
ゴートゥーヘル最高幹部《深淵》第一席、ノエル・アヴァンスは挑発するように笑っていた。
「誰が私よりも強いって? 教えて欲しいものだわ」
「俺にも教えろォォォ!!!!」
ソニアが口を開くよりも早く響き渡る声。2人から離れていたヴァドラが胸に集めていた呪力を解き放つ。
「【ヴォル・ヴァリ・バースト】!!」
2人を丸ごと飲み込みかねない規模の呪力のレーザー。
ノエルはナイフ越しにソニアを押し返す。身体が左に逸れたソニアは咄嗟にノエルの腹に蹴りを入れ、逆方向へ蹴飛ばす。
そんな攻防を繰り広げる2人の間を、ヴァドラの呪力レーザーが通過する。
「ーーーしまった!!」
そんな焦りを感じられる声を発するのはソニア。
まだ国民の避難が完了していない状況で、呪力の通過を許してしまったことに声を上げていた。
「!? 姉上!! なんか飛んできまするっ!」
「きゃっ!」
奥から聞こえるそんな声。ソニアは考えたくない事態に目を背けたくなるが、すぐに声がした方を向く。
呪力のレーザーの通過先に立っている金髪の少女2人。そしてその2人の前に飛び込む自身と同じ迷彩柄の軍服を着た青年。
(あれはーーー)
声を出す前に呪力が3人を覆った、はずだった。
「離れてッ!!!」
青年が飛び込む形で押し、2人を呪力の通過点から逸らす。
「きゃ!?」
「わっ!?」
体勢を崩して後ろへ倒れ込む2人。
すると、彼女たちの背中を支えるように水が覆われる。
双子姉妹、ミルラとリルカは掠り一つ負っていない。そう、負ったのは、1人のみ。
「‥‥‥逃げ、てくだ、さ‥‥‥」
青年は振り絞るような声を出した後、力尽きたように昏倒した。
身体の損傷が激しく、傷ついていない部位を探す方が難しいほどだった。その中でも、特に目を引くのがーーー。
「二等兵さんーーー!!!!」
「大丈夫でございまするかっ!!?」
無理やり千切られたような、歪な跡が残る右肩。その先が、何もない。
「ーーーーッ」
ソニア・ラミレスは、目の前が真っ白になった。
「セシルーーーーーッ!!!!」
そして彼女の絶叫が、周囲に響き渡った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「冷たいでござる!? って二等兵殿!!」
「二等兵さん!!」
水浸しのミルラとリルカは倒れた青年に駆け寄り、状態を確認する。
「こ、これは‥‥‥」
「ひ、ひどい‥‥‥こんなことって!!」
「いたそー」
泣きじゃくるミルラと顔を真っ青にしたリルカの背後から聞こえるそんな声。
「あなたは、誰‥‥‥?」
「あ! グロッサ王国の王女護衛の人ですぞ姉上!」
ミルラの疑問に答えるように口を開いたリルカ。
「ふぁ〜」
エルジュ精鋭部隊『黄昏』No.4、『水禍』アクアは返事の代わりに欠伸をした。
『アステス王国内にいる金髪双子姉妹を守ってほしい』
欠伸をする彼女が意識してるのは、少し前に連絡を受けたレスタ(アイト)からの指示のみ。
文字通り、アクアは守ってみせた。その守る対象に含まれていない青年を除いて。
「セシルっ!!!」
すると空気を切り裂くような鋭い声と共に、仮面をつけた女性が割り込むように膝をつく。
「セシルっ!! セシルっ‥‥‥!!!」
そして昏倒したままの青年の両肩を掴み、懸命に話しかける。だが、青年は全く動かない。
「セシル‥‥‥ゔぁぁぁぁぁッッ!!」
女性は青年を支えるように膝の上に抱えて、頭を下げる。青年の胸に頭を置いて、嗚咽を鳴らす。
彼女が仮面越しでも涙を浮かべているのが、ミルラとリルカには分かってしまった。
「確か‥‥‥王国軍の、ソニア大佐ですぞ、姉上」
「申し訳ございません‥‥‥!!
私とリルカを庇って、この二等兵さんはっ」
ミルラが身体を震わせて謝るが、動揺しているソニアの耳には届かない。
「‥‥‥ごめんなさい、ごめんなさいッ!!」
それがやがて、ミルラの心に不安を生む。
「‥‥‥ソニア大佐!! 聞いてくだされ!!!」
現状に耐えられなくなったのか、リルカはソニアの肩を力強く掴んだ。
さすがに気付いたのか、肩を掴まれたソニアは顔を上げて小さく口を開く。
「‥‥‥あなたたちのせいじゃないわ。
私の、せい。私のせいで、セシルは‥‥‥」
そう呟く彼女の眼は、絶望に包まれていた。
「それは違いまするぞ!!
後でこの方と話し合ってくだされ!!」
「でも、セシルは‥‥‥もう」
ソニアは、完全に自分を責めていた。そんな彼女を見ていられないリルカは、真剣な眼差しを向ける。
「‥‥‥今から治癒魔法使いや医者を探していては
間に合いませぬ。ですから姉上と私が‥‥‥
どんな手を使っても命の恩人を助けます」
「‥‥‥そうね、リルカ。取り乱してごめんなさい。
ソニアさん、必ず私たちが助けますっ」
「‥‥‥え?」
ほぼ放心状態のソニアは、微かな希望を耳にして無意識に声を出していた。
「ですから信じてくだされ!!
あの男を食い止めていただければーーー」
「けっこう待ったぞ!!
そろそろ別れの挨拶は済んだかぁ!?」
会話に割り込むように飛び込んできたのは、青年を瀕死に追いやった元凶であるヴァドラ・ウォン。
彼の目には、座り込んで青年を抱え込む軍人の姿しか見えていなかった。
ミルラとリルカは恐怖で動けず、今まで空気だったアクアは眠たそうな目のまま動かない。
「‥‥‥ヴァァァァァァッッッ!!!!」
そんな声がヴァドラの耳に届いた刹那。彼は通り過ぎるように吹き飛んでいった。
獣のような呻き声と共に、カッと目を見開いたソニアが光の柱を繰り出したのだ。そしてヴァドラは柱に押し飛ばされた。
「必ず、この方を助けます!!」
「準備いたしまする!!」
ミルラとリルカは何かを始めるべく、2人で手を繋いで祈り始めた。
ソニアは青年をゆっくりと地面に下ろし、耳元で囁く。
「‥‥‥ごめんなさい。私、気が動転してた。
国民を守るために、今から襲撃者を始末するわ。
辛い時に寄り添えなくて、ごめんなさい」
ソニアは青年の頭を優しく撫でながら、話し続ける。
「私も今からの行動を、後で後悔するかもしれない。
もうあなたに逢えなくなってしまうかもしれない。
でも私が知ってる昔から変わらないあなたなら‥‥‥
どんな時も、人を助ける方を選ぶから。
すぐ戻ってくるから待っててね、セシル」
その声色は、幼い子供をあやすように優しかった。そして、覚悟を背負っていた。
「‥‥‥セシルをお願い」
「「はいっ!!!」」
そしてソニアは気を引き締めて、倒すべき敵へ走り出す。
双子姉妹の言葉と‥‥‥青年を信じて。
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「‥‥‥リルカ、やりましょう」
「絶対助けましょうぞ!!」
ミルラは右手、リルカは左手でお互いの手を握る。そしてお互い繋がっていない外側の手で青年に触れる。
「名目は」
「『信徒の私たちを救ってくれました』」
「呼び方は」
「『こちらの青年』、次からは『青年』」
「願いは」
「『御身をお救いください』」
発言を擦り合わせたミルラとリルカは膝立ちになると同時に頷き、お互い手を繋いで目を閉じ、息を合わせる。
「「聖天使エルフィリア様。
『聖天教会』教皇アストリヤ・ミストラルの
代理である私たちが、お願い奉ります。
こちらの青年が信徒の私たちを救ってくれました。
その多大なる恩に報いるため、
どうか青年の御身をお救いください」」
一文字の狂いもなく、全く同じ口調で述べたミルラとリルカ。その後2人はそのまま地面に両膝をついて祈り始める。
すると‥‥‥どこからとなく降り注いだ光が2人と青年を照らす。それは眩いほどの光ではなく、どこか暖かみの感じそうな光だった。
そして光に当てられた青年の傷が、少しずつ癒えていく。右肩からは光の胞子に覆われて腕の再生の兆しが現れる。
「リルカ、まだ、大丈夫っ?」
「‥‥‥?」
何かを堪えるように歯を食いしばる2人。顔色も真っ青になっていた。ミルラはリルカに尋ねるが、返事をしない。
これは無視をしているわけではない。今の現象の代償により、聞こえていないだけ。
【聖天の祈り】。
聖天教会の教皇とその代理にしか使えない不可侵現象。
聖天使エルフィリアを崇拝する心、祈りを捧げた問答に一切の嘘偽りがない場合にのみ治癒効果が現れる。
この現象は魔法ではない。現にミルラとリルカは一切魔法を発動していない。
そして、この現象に制限はない。もしかすれば、死者すらも生き返らせることが可能かもしれない。
だが当然、余りにも大きな力の行使には比例した代償がある。
「うっ‥‥‥くっ」
「はぁ、はぁっ」
それは現象が発動している間は使用者の五感を徐々に奪っていく。今のミルラは視覚、リルカは聴覚が機能していない。
さらに魔力の他に、いわゆる人間としての生命力も消費される。
それにもしも行使者どちらかの心が嘘偽りである場合、もしくは祈りの言葉を間違えた場合はーーー聖天使エルフィリアに対する背信として命を持って償うことになる。
この祈りの不必要な使用を、母である教皇アストリヤ・ミストラルからは固く禁じられている。言うまでもなく、悪用すれば世界を混沌に招く力を有しているからだ。
「‥‥‥ぁ」
「‥‥‥」
「お、すごー」
耐えかねない苦痛の中で集中しなければならない2人は声も出せない。当然抑揚のないアクアの声も届いていない。
そして苦しむ2人の努力に答えるかのごとく、青年の身体は徐々に癒え始めていた。
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ソニアは息を呑む。そして湧き上がる一つの感情。
「こんなことをして、タダで済むと思うなっ!!」
光魔法【シャイニーズ】を発動したソニアは怒りの矛先、ヴァドラ・ヴォンへと迫り寄る。
「軍人だったのが不幸中の幸いだ。
近くのガキどもに当たってたら、
俺の株が落ちるところだった!!」
「すでに堕ちきっている!! この外道が!!!」
ソニアとヴァドラの体術がぶつかり合う。ソニアは右手に持ったミリタリーナイフも併用していた。
ソニアのナイフは呪力で阻まれ、切るまでには至らない。
「外道!? ははっ、そんなの誰もがそうだ!!
俺たちからしたら魔力を持つ奴は外道!!
魔法は外道!! 国は外道!!
正義ヅラしたお前らみたいな国の犬も外道!!」
ヴァドラの鋭い横蹴りを左腕でブロックしたソニアは後退する。
「もう黙れ。貴様は、ただ命を持って償え」
ソニアはナイフを構え、魔力を膨張させる。怒りで気が狂いそうになっていた。
(! この気配と威圧感! 面白えっ!!!
こりゃあ俺も、出し惜しみ無しだ!!)
ヴァドラは笑い、顔に手を当てる。身体の呪力が疼き出していたのだ。
(奴らの意識が私から逸れてる。使うなら今‥‥‥)
そして少し離れた位置で状況を伺っていたノエルはすぅっと呼吸を深くする。
3人の声が発せられるタイミングが、偶然にも全て重なる。そしてそれは、切り札を使うタイミングまでも。
「全て解き放つ!!」
「開眼だァァァ!!」
(魔力‥‥‥解放)
ソニアとノエルから魔力解放による魔力の波が、ヴァドラは呪力に覆われていた左眼を見開くことで、呪力の霧が漏れ出す。
日常では、いや並の戦闘では味わうことのない濃密な魔力と呪力の波が周囲に発生する。
そしてそれは、ミルラたちにも届いてしまう。
「ッッ‥‥‥」
「ウッ!」
触覚はまだ失われていないミルラとリルカは、重圧な気配を感じて震えていた。
「守らないとー」
アクアは水の壁を自分と2人の前に作り出す。
鬼畜なのか意識してないのか、治療中の青年を無防備に晒したまま。
だが、それが決定打になる。
「えっ‥‥‥」
まだ視覚が機能しているリルカは自分の目を疑った。
ーーー青年が手をついて立ち上がっていたからだ。
「ありえないでございまするっ!!」
「‥‥‥?」
リルカの大声にミルラは?の顔を浮かべる。ミルラはまだ機能していた聴覚で聞き取ったのだ。
「‥‥‥おー」
アクアは珍しく興味を宿した視線を青年に向ける。
青年はその視線に気づかないまま、無意識に走り始める。
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ソニアVSノエルVSヴァドラ。
三つ巴の戦いはそれぞれ力を解放し、いよいよ佳境に入ろうとしていた。
「ああああああああッッ!!!」
そんな3人に割り込むように響く叫び声。その中で誰が最も驚いたのは言うまでもない。
「ーーーセシルっ!!!」
ソニアは涙を目に浮かべながら安堵するも、やがて気持ちは別のものへと移り変わっていた。
(あの子たちが助けてくれたとしても
こんなすぐに治るなんて、いったい何がーーー)
そう、それは疑問。瀕死の重傷から一転、どこか様子も変だった。
その答えは、彼の身体から発せられる魔力の気配で知ることになる。
「魔力‥‥‥解放?」
あまりの驚きにソニアは呟いた口以外、全く動かない。
幸か不幸か。彼は短時間で危険な体験を積み重ねた。
今まで味わったことのない全身を覆うほどの呪力の塊。
ミルラとリルカによる【聖天の祈り】の特異性。
そして先ほどのソニア、ノエルの魔力解放とヴァドラの開眼による魔力と呪力の濃厚な波。
それが、『何事にも変えがたい経験』という魔力解放におけるたった一つの共通条件を悠に飛び越えた。
『魔闘祭』の時のアイトと同様、セシルは初めての魔力解放により意識が混濁していた。
「生きてやがったかっ!! やるじゃねえか!!!」
ヴァドラは呪力を胸の中央に集める。開眼による全開状態によって、これまでの中で最大の呪力が集まっていた。
「【ヴォル・ヴァリ・バースト】!!!」
それはセシルを死の淵にまで追いやった時よりも高密度な呪力の放出。
それを見たセシルの両眼が写し取る。
「おいおいっ、最高かっ!?」
ヴァドラは思いもよらない反撃に、歓喜の声を出す。
それはセシルから放たれる同規模の呪力放出。
その光景を見たノエルは動かない、いや動けない。
(まさか‥‥‥『無色眼』っ!)
魔力解放は、本人の素質を開花する。
「セシ、ル‥‥‥?」
魔力解放を果たしたセシルの両眼の瞳は、無色透明に輝いていた。