幕間 2つの噂
エリスが『使徒』シャルロット・リーゼロッテの弟子となり、旅立ってから2日。
彼女がオーナーを務めていた王都南地区に位置する店舗『マーズメルティ』は、カンナが代理を務めることになったのだが。
「青髪女っ!!! いい加減手伝えっ!!!」
「アク、がんばろよ」
「zzz〜‥‥‥」
大声を出して激昂するミア、恐る恐る話しかけるリゼッタ、そして全く起きる様子のない問題児。
(ど、どうしよ‥‥‥アクアが言うことを聞かない!
やっぱりエリスじゃないと指示を出せないんだっ)
カンナは戦慄していた。
アクアが、完全に唯我独尊状態に入ってしまっていることに。
アクアは元々、エルジュ代表『天帝』レスタ(アイト・ディスローグ)の指示しか聞かない。
その理由はアイトすら分かってない(というよりアクアが自分の指示しか聞かないことを知らない)。
それを僅かに変えたのは、彼女と一騎討ちをして指示権を得たエリス。
とは言っても『アイトがいない時は言うことを聞く』、『アイトがいる場合は言うことを聞かない』という条件付き。
つまり、アクアの中での優先順位はアイトが独占しているということ。
そしてアイトは代表としてエリスの仕事を肩代わりしているため以前よりも忙しく、エリスは旅に出て不在。
そのためカンナや他の仲間の指示など聞くわけが無く。
(どうしよ‥‥‥レスタくんにこんな事で
悩ませたくないし、解決するしかないよね。
もう、私もアクアに決闘を申し込むしかないのかな)
「ふぁ〜。ねー髪してー」
「えっ!? あ、うんっ」
考え事をしていたカンナは、突然起きたアクアに話しかけられて素っ頓狂な声を出す。
アクアは店内の椅子にちょこんと座ると「んー」と言いながらぼんやりし始めた。
カンナは急いで櫛やヘアゴムなど、髪をセットするための道具を用意して座ったアクアの隣に立つ。
これも普段の習慣。アクアは自分で髪を整えない。
これまでは基本、エリスとミストが行っていた。
アクアがギルドに潜入していた時期はミスト、今のように『マーズメルティ』の店員(?)として滞在するようになってからはエリス。
だが今、エリスは不在。
ミアが他人の髪の手入れをするわけがない。
リゼッタは前日、懸命にアクアの髪を触っていたが失敗。
つまり消去法で、彼女の髪セット係はカンナに回ってきたのだ。
カンナは前にいる悩みの原因である少女の髪を櫛でといていく。
(手っ取り早いのはレスタくんに伝えること。
いや、それはダメ。
今は忙しそうだし、エリスが旅立ったことで
少なからず普段よりも弱ってるはず。
そんな時にこんなこと話して負担かけたくないっ)
少女の髪を右手で触り、用意していたヘアゴムを左手に持つ。
(それなら、エリスみたいにアクアに決闘を申し込む?
レスタくんに負担かけなくて済むけど、
ただでさえ今は店内の人手がギリギリなのに
オーナー代理の私がそんなことしていいのかな‥‥‥)
「ねーこれってー」
(休みの日だとアクアは絶対、自分の部屋から
出てこないだろうし、私が声をかけても
起きないだろうし、アクアが自発的に起きるまで
目視で確認しながらベッドの前で待つしか‥‥‥
って休みの日に私、そんな怖いことするのっ?)
カンナは手を止めることなく、髪のセットと思考の両立を継続していく。
「ねーってばー」
(ダメ、手を動かしながらだと考えがまとまらない。
やっぱり就寝前に改めて作戦を練るべきーーー)
「おいー」
「わひゃっ!?」
店内に小さく響くカンナの声。
ジト目をしたアクアが、後ろ手で腰をつねってきたからである。
「な、なに?」
「なにじゃない。これ、なにー?」
アクアが指を差した方向に、カンナはゆっくりと視線を向けるとーーー。
「‥‥‥ツイン、テールだね!?」
見事に、カンナとお揃いの髪型が完成していた。
考え事をしていたカンナは、無意識にツインテールにしてしまっていた。
アクアは自分の髪に指を差しながら、ゆっくりと口を開く。
「あーし、こんな髪型したことないー。
なんでこんな髪型にしたのー」
(今その髪型である私に失礼じゃないかなっ!?)
アクアがカンナの内心に気づくはずもなく、今の髪に手を伸ばして触り始める。
カンナよりも長い青髪は、ツインテールになったことで普段よりも髪の位置が高い。
だが長い髪を束にまとめているため、カンナよりも量が多い。
「っぷふっ。な、なにあれ‥‥‥」
「アク、え、アク?」
そんな彼女の見違えた姿を見たミアは口を押さえながら笑いまくっており、リゼッタは目を擦りながら確認を繰り返している。
その雰囲気を感じ取ったアクアは、明らかに機嫌が悪そうだった。
「これ、重いー」
「アクアの髪、すっごく長いからね。
な、なんで切らないの?
いかにも『短い方が楽ー』とか言いそうなのに」
カンナが戸惑いながら話すと、アクアはジト目のままポカポカと彼女の肩を叩いた。
「あーしのこと、なんだと思ってるのー」
(さっき言った通りだけど‥‥‥)
珍しく恥ずかしそうなアクアを見て、カンナの困惑はますます加速する。
だが、この状況の中でカンナは閃いた。内心ドヤりながら、外面は微笑んでアクアに話しかける。
「‥‥‥じゃあ髪戻してあげるから、
店の仕事手伝ってくれないかなっ?
要望があればアクアの好きな髪、してあげるよ?」
カンナはニコニコしながらアクアの返事を待つ。明らかにアクアは普段よりも悩んでいるような姿を見せる。
内心では『大成功っ!!』と自分を讃えているカンナだが、表情は笑顔を崩さない。
「だったらこのままでいいー」
「ええっ!?」
だが、すぐにカンナの笑顔は驚きへと変わる。
「別に自分でゴム外せばいいしー」
「えっ、えっ!? アクアなにを言ってるの!?
そんなことできるのっ!? いつの間にっ!?」
至極当たり前というかそれ以前の話だが、カンナは目を見開いて後ずさりしていた。
「あーしのことなんだと思ってるのー」
「アクアが感じた通りだと思うよっ!?」
さすがに馬鹿にされてると感じた(でも自堕落を超えた超自堕落を直す気は無い)アクアは頬を膨らませそうな勢いで不機嫌になる。
「もういいー。これ外して寝るー」
「あああ待って待って待って!!!」
カンナの忠告を聞かず、アクアは自分の髪を留めている2つのヘアゴムに両手を伸ばすとーーー。
ガチャッ。
営業開始前にも関わらず、突然開く扉。店内にいるカンナたちが全員音がした方を向く。
「あ、よかった。まだ営業前だ」
そんな声を発して入ってきたのは、銀髪の少年。
普通なら断りを入れて、営業開始まで外で待ってもらうのが店の規則。
だが、4人は注意する様子もない。それどころかーーー。
「えっ! お兄ちゃん!? お兄ちゃーんっ♡」
「うわっ」
最も性格がキツい毒舌メイドで評判(?)のミアが、目を輝かせて少年に抱きつく。
「えっ!? レスタくん!?」
「え、レーくん」
「あ。あるじだー」
その後に、カンナたちも驚く様子を見せる。
そう、入ってきたのはエルジュ代表、『天帝』レスタことアイト・ディスローグだったのだ。
黒髪で王都を歩けば学園の生徒たちに知られる可能性がある。とは言っても銀髪仮面の状態だと『天帝』レスタとして目立つことは避けられない。下手をすれば王国の兵士が集う。
そのため、アイトはどちらとも気づかれないように銀髪だけの状態で来たのだ。
「みんな、昨日の売り上げ見たよ。すごいな」
アイトは妹分(?)のミアの頭を撫でながら、カンナたちの顔を見渡す。
「ん? あ、アクア?」
そして、アイトの目はアクアの髪を見て目を見開いている。
「そーだよ。なに?」
「いや、そんな髪型してるの珍しいと思って。
なんか新鮮で良いな。似合ってると思う」
「‥‥‥そー」
アクアのなんとも言えない反応を見たアイトは少し困惑したが、すぐにここに来た理由をカンナに伝える。
「カンナ、昨日の集計を詳しく見たい。
今少しだけ時間大丈夫か?」
アイトはそう言ってミアを(少し強引に)引き剥がし、カンナの前まで歩く。
「え、あっ、うん! もっちろーん!
今用意するから、座って待ってて!!」
「え、俺も手伝うよ」
「いいから大丈夫っ! 任せてっ!」
何故か顔を真っ赤にして焦った様子のカンナに背中をグイグイ押され、椅子に座らされるアイト。
「はい、こーひ」
その直後に、いち早く準備していたリゼッタはアイトの前にコーヒーを置く。
「さとう、おおめ」
「ありがとう」
アイトにお礼を言われ、リゼッタは「ども」と呟いて向かいの席に座る。
「ミア、隣に座る〜♡」
言うよりも早く左隣を陣取ったミア。
「‥‥‥」
そしてアクアは、何も言わずに髪をもじもじ触り続けるのだった。
それからカンナが持ってきた資料に目を通したアイトは、用が済んだので店を後にする。
「急に来てごめん。ありがとう。
エリスがいないから大変だと思うけど
みんな、これからもよろしく頼む」
アイトがそう言い残し、いなくなった後。
「それじゃあアクア、今からその髪ほどくからっ。
どんな髪型がいいか教えてっ?」
カンナが話しかけ、アクアのご機嫌を取ろうとするが。
「いやー。今日はこれでいいー。
あーしは何をすればいいのー?」
「えっ? 今、なんて‥‥‥?」
「なにをすればいいのー」
そんな必要もなく、アクアが話を聞くモードに入っていた。
「えっ! あ、まずは店の前の気温調節かなっ!!
今日は少し暑いから、空気中の水分を制御して
涼しくしてほしいの!」
「りょー。じゃあ行ってくるー」
「あ、待って!」
これまでが嘘のように素直に話を聞いてくれるアクアに対し、カンナは思わず話しかけていた。
「なにー」
「な、なんで急にやる気になったのかな〜って」
カンナが恐る恐る聞くと、アクアは髪をいじりながら答えた。
「やる気はない。今も眠いし。
でもあるじに『よろしく頼む』されたから」
「‥‥‥あ、そんなんでもいいんだね‥‥‥」
「もーいい? 行ってくるけど」
「あ、うんそうだねっ!! これからがんばろ!!」
「ん」
アクアは短く返事をしながら扉を開けて外に出ていく。
「はっ、何よあれ。お兄ちゃんに媚びちゃって」
ミアはそんな愚痴を溢しながら髪を結び始めていた。ヘアゴムを2つ用意して。
「カンナ、おねしゃす」
するとリゼッタも、カンナの前に立ってヘアゴムを2つ手渡した。
「‥‥‥よーしっ! 今日はツインテール日和だね!」
カンナは嬉しそうに、リゼッタの髪を結っていった。
後日。常連客の中で、2つの噂が広がった。
「‥‥‥ん〜♪」
いつも無表情の青髪店員が、髪を触りながら微かに微笑んでいたと。
そして、全店員が髪を2つに結っていた日があると。