幕間 アーシャとの修行、最終日
時は遡り、魔闘祭から約1ヶ月半ほど前。
とある森。
アーシャの魔燎創造による魔燎空間『常世現世』。
その中でアイトは期間にして約6ヶ月分の修行を積んでいた。
彼女は時魔法の使い手。時を止めるだけでなく自分が作り出した魔燎空間内の時間を早めることなど、時に関することなら自由自在。
アイトの修行時、空間内は通常の6倍の速さで時が経過していた。
結果として通常は1ヶ月くらい(夏休み)しかなかった修行期間が大幅に伸び、アイトは確実に成長した。
身体能力、剣術、体術、魔法。どれをとっても修行開始時の自分から遥かに凌駕した。
それをアイトは身をもって実感していた。
「ヴボォァッッッ」
‥‥‥彼女に完膚なきまで叩きのめされることによって。
アイトは自分から意識出せなさそうな汚い声を上げながら地面を転がり、仰向けに倒れる。だが木剣は手放さない。
「16時間前の手合わせより14秒だけ長く耐えたな。
最後は約4分ってとこか。まあギリ及第点かな」
ドS師匠(アイト曰く)ことアーシャは後ろで結んでいた銀髪を解きながら瀕死の弟子を見下ろしていた。
(し、死ぬ‥‥‥)
彼女の弟子ことアイト・ディスローグは完全に力尽きていた。目が虚で完全に精魂尽きている。
仰向けに倒れたまま動かない弟子に対し、アーシャは近くにしゃがみ込む。
「おいおい、情けないぞアイト〜?
私の弟子って名乗られると私、恥ずかしいかも〜」
そしてニヤニヤしながらアイトの頬をつつく。悪意以外の感情は存在しない。
(このクソアマっ‥‥‥!!!)
内心では完全に怒り心頭だが、口には出さない。口に出した途端、自分自身の死が確定するとアイトはわかっているからだ。
「というのは冗談で、まあお前は頑張ったさ」
そう言ったアーシャは、軽くデコピンをお見舞いする。アイトは額を抑えながら、視線を逸らす。
「で、でも魔力解放と魔燎創造の両方とも
習得できなかったし‥‥‥」
「前にも説明しただろ? どっちも修行で
習得できるものじゃない。大体は運だって。
だから使える奴はかなり限られてくる。
そんなに落ち込むことじゃない」
アーシャにそう説明されるが、アイトはあまり納得していない。
なぜなら、ルーク・グロッサが魔力解放を使えることを知っているからだ。
これまでアイトたちは何度かグロッサ王国最強部隊『ルーライト』と交戦してきた。
その隊長である現グロッサ王国最強、ルーク・グロッサに対抗できる手段を持っておきたいのだ。
すると考え込んでいたアイトに、アーシャがデコピンする。
「いたっ!?」
「限られた時間でやれることはやった。
この私を相手に、4分耐えられるようになったんだ。
最初は6秒くらいで倒れていたのにな。
どうだ、これで前よりは自分に自信がついただろ?」
アーシャはふっと微笑みアイトの頭を撫で始める。綺麗という言葉では表現しきれないほどの美貌に、銀髪の髪が輝いている。常人ならずっと見惚れてしまうほどだ。
それはアイトも例外ではなく、彼女から目を逸らしながら口を開いた。
「いや、毎回ボコボコにされてむしろ自信はーーー」
「ついたよな???」
「つきましたぁ!!」
完全なる上下関係。微笑みから圧を感じたアイトは自分の失言を必死に誤魔化した。
「外はもう夜遅い。明日から学園だろ?
だから飯を食べて早く寝ろ」
「わ、わかりました」
アイトは身を縮こませながら【異空間】を発動し、中から備蓄していた食料と水を取り出す。
アイトが食べ始めると、アーシャはじ〜っと彼が食べる姿を眺めていた。
「あ、よかったらアーシャも食べる?」
腹が減ったのかと悟ったアイトはパンを手渡そうとするが、アーシャは目を瞑って顔を横に振った。
「いや、いらない。今はお腹が空いてない」
「え、でも今食べなかったらいつ食べるんだ?
それにアーシャ、ずっと食べてないんじゃーーー」
「お前が眠った後にそういうのは済ませてる」
「え? あ、食べる姿見られるの恥ずかしいとーーー」
「あ???」
「ごちそうさまでしたああ」
アーシャに対しては、なぜか小言が飛んでしまうアイト。
彼女が自分に対して容赦がない意地悪でドSであること、やられっぱなしは癪なことからつい反撃したくなるのだ。それが完全に裏目に出るのは分かりきっているのに。
大急ぎで食べ終えたアイトは横になる。修行による疲労のためか、すぐに眠気がやってくる。
「あ、前にも言ったが私のことは誰にも話すな。
これは絶対だ。わかってるだろうな?」
「もちろん。約束したから当然だし、
それにアーシャは俺の師匠だから。
弟子の俺がそんなことで迷惑かけたくない」
「ふっ、そうか」
そう呟いたアーシャは近くに座る。だが寝転ぼうとはしない。それが気になり、アイトは眠る前に話しかける。
「アーシャは寝ないの?」
「まだ眠くない。だから気にするな」
そう言った彼女は目を瞑っていた。少しでも休んでることを表現しているようだった。だがアイトは言い返す。
「でもアーシャはいつも俺よりもたぶん遅く寝て、
俺よりも早く起きる。眠くないって嘘でしょ?
俺の前で寝てるのを見たことないけど、まさか」
「‥‥‥まさか、なんだ?」
アーシャが目を開いて目線を合わせると、アイトは直感を口にする。
「寝顔を見られたくないとか可愛いとこあるーーー」
「へえ? 私に可愛いとこあって、悪いか??」
アイトが言い切る前に、アーシャが何かを飛ばす。それはアイトの目元付近の地面に衝突し、数センチほど抉り取った。
それは前に一度だけ見た、アーシャの【悠久】。おそらく防御不可の一撃である。
「か、カッコいいと思いますぅぅっ」
それを見たアイトは、自分でも何を言ってるか分からないほど震えていた。
「まあ私も乙女だからな。寝顔なんて好きな奴以外には
見せるものか。ま、好きな奴にも見せる気は無いが」
「あ、ちなみにアーシャって好きな人っているの?」
会話の流れから、思わず興味深い話に展開する。師匠の意中の相手。全く想像がつかない。単純に気になったアイトは即座に問いかけていた。
「いない。私が好きになるほどの魅力を持つ男なんて
存在しない。ま、可愛いと思った奴はいるが」
「そ、それはさぞ相手も大変でしょうね。
アーシャの目に適う男なんて、いるか‥‥‥?」
今でも底が全く知れない、意味不明なまでの強さ。これまでの見た女性のなかで1番の美しさ。気が強くて茶目っ気もあるのに、なぜか掴みどころのない性格。
アイトは考え込んでいると、それを見たアーシャがため息をつく。
「‥‥‥お前の自己肯定感の低さは相変わらずだな。
そこで『俺なんてどう?』くらい言ってみせろ」
「はっ!? そんな滅相もない!?」
「おい、なんで嫌そうなんだ?」
(正直、人間離れしすぎてて怖いとは言えないっ!?)
ジト目を向けてくるアーシャに対して、アイトは目を逸らすしかできなかった。
「冗談だ。ま、今のお前は足元にも及ばないが、
成長して大人になり、私よりも強くなったら
その時は考えてやってもいい」
アーシャは、意味ありげに微笑んだ。アイトは驚きのあまり思わず上体を起こす。
「えっ‥‥‥」
「大金と土下座と私に絶対服従込みで」
「わ〜そりゃあいないわけだ〜。そして理解した〜。
そもそもアーシャの性格に問題がヴォッ‥‥‥!?」
アーシャの拳が鳩尾にめり込み、アイトは呻き声を上げながら眠った(意識を失った)。
「おやすみ。クソ生意気で、可愛いバカ弟子」
その後、数時間で目を覚ましたアイトは、全く眠れた気がしていなかった。ほぼ気絶だったので仕方ない。
そして最終日も、アイトが目を覚ました時点でアーシャは起きていた。アーシャがアイトを起こしたのだ。
起きたアイトはアーシャに頭を下げる。
「1ヶ月、いや6ヶ月の間ありがとうございました!」
「ああ。これからが大変だと思うが、負けるな。
お前を慕う奴らがいる限り、お前自身が勝手に
自分の価値を決めつけるのは許されない」
「‥‥‥はい」
「お前は自分のことを周囲が過度に勘違いしていると
思ってるが、それは半分正解で半分不正解だ。
お前は周囲に合わせて普段とは違う自分を
着飾っているように思っているかもしれないが、
そんなお前もお前自身なんだよ」
「え、でも俺は実際みんなが思ってるほど
完璧なんかじゃなくて、それに凄くなんてーーー」
アイトの発言を、アーシャは額にデコピンすることで止める。当然された方は「いたっ!」と声を出したが。
「お前自身が悩み、そして気にしてることを
他の人が気にしてるとは限らないぞ?」
そんなアーシャの言葉は、アイトの耳にはっきりと伝わる。
そしてアーシャは、言葉を続けた。
「自分が他人のことを全て理解するのは不可能だ。
だが逆に他人が自分のことを全て理解するのも
不可能なんだ。確かにお前が完璧という点は違う。
でもそれが全て間違ってるわけじゃない。
『完璧』であろうと必死に足掻いているからこそ、
そう見えている時もあるということだ。
そもそも完璧などという途方もない存在になろうと
みんなの期待に答えようとがんばるから、
お前にはそんな一面が垣間見えるのさ。
だからお前は周囲に疎まれず、慕われている。
連中はお前の力、能力を慕っているんじゃない。
完璧と思わせてくれる、そんなお前を慕ってるんだ」
そう言ったアーシャは、アイトの肩に手を置く。
「私は、お前のやってきたこれまでのことが
間違いだなんて思わない。今回の修行も」
「アーシャ‥‥‥」
気づけば、アイトの頬には涙が伝っていた。
アイトは普段の自分とエルジュの代表である自分。その線引きがうまくできていなかった。
だから自分の本心とはかけ離れている『天帝』レスタを、どうしても自分自身であるとは思えなかった。そしてそんな偽物の自分を、エルジュの構成員たちは慕ってくれている。
つまり、本当の情けない自分には何もないのだと。
だが、アーシャはどちらも自分自身だとはっきり教えてくれた。仮面をつけ、普段の自分とはかけ離れた自分も、自分自身であると。
アイト・ディスローグと『天帝』レスタ、どちらの自分も初めて理解し、認めてくれた。
それが嬉しくて、安心して。
感情の昂りが抑えられず、涙が溢れてしまったのだ。
「ああ、もう! 泣くな泣くな!
確かに私の言葉は最高だったが、泣くな!」
「ひとごど、多いぃ〜!!!」
「そこは言うのかよ!」
アーシャがパシッと頭を叩くと、アイトは普段のやり取りを思い出し、つい笑ってしまった。
「ああ、ったく。ほらアイト、手の平出せ」
アイトは何も言わずにただ手の平に出すと、アーシャは何か小さい物を置いた。置かれたものは微かに銀色に輝いており、魔力が宿っていた。アイトはそれを見て呟く。
「魔結晶?」
「私にしか連絡できない、私専用の魔結晶だ。
お前は周囲に真意を話しづらいんだろ。
だから悩んだ時は話ぐらい聞いてやる。
いつでも連絡を受けられるかは保証しないが」
「アーシャ‥‥‥ありがとうっ。
俺、本当にアーシャが師匠でよかったッ」
アイトはまた涙が溢れ出していた。
「だから泣くなって!
ったく、弟がいたらこんな感じなのか?
泣けば私に優しくしてもらえると思うなよ!」
「むじろなぐるだろぉぉ〜!!!」
そう言った直後、アイトは頭を叩かれるのだった。
その後アーシャは魔燎結界を解除し、アイトは準備をし始める。1ヶ月(体感は6ヶ月)ぶりに、グロッサ王都に戻るために。
荷物はすぐにまとまり、アイトはアーシャに頭を下げた。
「それじゃあ、また連絡する。
修行、ありがとうございました」
「ああ、もう泣くなよ?」
「泣かんわっ!!」
アイトは思わず強めに返してしまう。小っ恥ずかしいことに変わりはない。
「あ! もう少ししたら魔闘祭あるんだけど
アーシャ、見にこないか? 面白いらしいし」
時系列だとこの後、アイトは王都に戻ってすぐに姉のマリアに拉致され、ミルドステア公国の舞踏会に参加することになるのだが、今の時点では知るはずもない。
だから直近のイベントを、魔闘祭だと思っているのだ。
「魔闘祭か。ん〜悪いが遠慮しとく。
わざわざ見に行かなくても、
お前は今よりも成長してるだろうし」
「べ、別に見てもらいたいってわけじゃ‥‥‥」
「うわ〜アイトに言われても全然ときめかないわ〜」
そんな軽口を挟み、いよいよ2人の別れが近くなる。
ただ、最後にアイトはどうしても聞きたいことがあった。
「なあ、アーシャ。前から思ってたんだけど」
「ん? なんだ」
「なんで俺の素性とかエルジュのこと知ってるの?」
素朴な疑問に対して、アーシャはこう返す。
「ん〜、そうだな‥‥‥ナイショだ♪」
「悩んだ意味あった!?」
アイトの発言を聞いたアーシャは笑い、踵を返し歩き出す。
「じゃあなアイト。これから相談が少ないことを祈る」
「まさか相談料とか言わないよな〜!!?」
冗談っぽく大声で言うと、アーシャは一瞬だけ振り返り、不敵な笑みを浮かべる。そして手を振りながら、今度こそ歩いていった。
(‥‥‥『無い』じゃなくて『少ない』か。
アーシャは素直じゃないなあ。ま、アーシャらしい)
アイトは何も言わず、アーシャの背中に手を振り続けた。
これまでの感謝と、これからの交流を胸に秘めて。
アーシャは、魔闘祭に姿を現さなかった。アイトは少し残念な気持ちがあったが、それで良かったのかもしれない。
魔闘祭は、混沌へと堕ちていくのだから。