第2話 夢になった日
午後19時過ぎ、気がつくとガラスの向こう側は真っ暗になっていた。
「山田君、ここの資料とさっきのまとめといて」
「了解です」
入社してから約1年ほどで大体の業務を任されるようになった。
それに伴い、この会社のこともだんだんと分かるようになってきた。
ここが…。
「山田…今日も俺、残業だからコンビニ行くけど…何かいる?」
「あぁ俺も残るから、コーヒーお願い」
この会社はいわゆるブラック会社の部類に入るらしい。
入社当初のことだ、0時手前まで業務をしていたところ上司が話しかけてきた。
よく覚えていないが、とりあえず俺を褒めたたえる
激励の言葉と缶コーヒーを渡してくれた。
ここの会社は人が温かいなぁ…、と当時は感じていたがすぐに理解した。
その月の収入明細を見てみると残業代の文字はどこにもなかった。
どうやら、あのお言葉と缶コーヒーがお金の代わりだったらしい。
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22時になったところで、今日のノルマが終わった。
同僚に一言挨拶してから一人で会社を出る。
約45分つり革とともに電車に揺られ、最寄り駅に着いた。疲れてはいたが
いつもより足取りは軽く、家に着く途中の公園前で足を止めた。
「よっ」
「おーっ、仕事お疲れー」
まるで酔いつぶれたおじさんのようにベンチで
寝転んでいる女子高校生がいる。
「家みたいに過ごしてるな…」
「実質私の家みたいなものだもん」
数日前、真夜中の公園で出会ったのは女子高生の幽霊だった。
あまりに現実的じゃない、頭のおかしい話である。しかし、俺は
この現象をすんなりと受け入れてしまった。
日々の疲れのせいだろうか…、初めて見た幽霊は亡くなったおばあちゃんとか
ではなく、見ず知らずのJKお化けなんて…。
その日から俺は、仕事が終わるたびに公園に寄り道し、JKお化けこと
陽と他愛もない話をするようになった。
なぜだろうか、このお化けと話をすることを楽しみにしている自分がいた。
一人暮らしで、会社でもあまり会話をするわけでもないため、この時間が
自分でもびっくりするほど心地よかったのだ。
「ねー、なんでそんな会社にしたの、辞めちゃいなよ」
「…もう辞められねーよ」
「自分の好きな所に行けばいいのに…」
「…そりゃ、まぁ…」
本当は自分の夢のためにこの会社に決めた、昔の夢だ、今は口にするのも
恥ずかしい。あの頃はすこしでも夢に近づきたかった、すこしでも…。
だが…気がつけば、夢からどんどん遠ざかっていく。
「覚えてないの?昔の夢とか」
「いや全く」
「えー、何かないの卒業アルバムとか」
「それがどうしたんだ」
ベンチに深く腰を下ろし、目を瞑る。
「卒業文集とかで書くでしょ、将来の夢的な」
「あー確かに、まぁ、帰ったら見てみるわ」
「うんうん、一回見てみたら自分の原点みたいなのが
分かるよ!」
「何言ってんだお前…」
この日も数十分だけ話して家に帰った。
家に着くと急に眠気が襲ってきた、風呂は明日でいいか、
飯も…。仕事着のままベットに倒れこむ、先ほどのおばけとの話を
思い出して、視線を本棚に向けた。
本棚の一番右端に、大量のクリアファイルと共に横詰めになっている。
最後に開いたの…何年前だっけ…。
全開になったカーテンから入る大量の日光で目が覚める。
寝落ちしてしまった、時刻は…6時15分。
タイマーをセットしなくても目覚められるようになっていた。
さっとシャワーを浴びて、朝食をとり、革靴に足を通す。
「……何もしたくねー…」
会社に着くと、もうすでに部内は慌ただしくなっていた。
「山田さん、先日まとめて提出したデータの方なんですが
上の人が内容を大幅変更してほしいそうで…」
「…わかりました」
席に座ると、パソコンに手を伸ばした。
すでに送られていた、ファイルを開く。
「あの、倉木さん、この納期って…」
「…明日だって」
パソコンに入力している数時間の間、ほとんど記憶がない、ただ永遠に
修正部分を入力していった。
「山田、お前今日の飲み会行けるの」
「飲んだ後に会社戻ってくるだろ、全員」
「だろうな」
「…いく」
普通ならありえないだろう…、ごくたまに部内の人たちで
飲みに行くのだが、みんな決まってノンアルコールを飲む。
そしてしばらく飲み食いをして、会社に戻って残業をするのだ。
「頭おかしくなるわ…」
午後20時頃に会社近くにある居酒屋に集まった、今日はいつもより
人が多い。店に入り、座敷まで導かれた。
この部署は人間関係が悪いわけではないので、皆それぞれ
雑談を交わし、だんだんと騒がしくなってきた。
注文から暫くしてノンアルコールビールとからあげ、キス天、
誰が頼んだかわからないコーンの鉄板焼きが来る。
「えー、みんなお疲れ様です、引き続き頑張りましょう」
上司が音頭を取り、皆一斉に食べ始めた。
「終わったの?改案のやつ」
「まあ、後で会社に戻ったら普通に終わる…」
同期の森下とぽつぽつと話す。
「森下さーん、そこのコーン頂けます?」
「あー、はいはい…」
中途半端なビールを一口飲む、この後にまた仕事を
しなくちゃいけないにか………。
「ごめんなさい、横いいですか」
「え…、あぁ、もうちょい詰めますね」
少し遅れて女性の先輩が入ってきた。
「あーっ、倉木さん、資料いけましたかー」
「うん、なんとか…もう一度会社に戻るよ」
倉木花子さん、この会社にいて唯一よかったと思える理由だ。
仕事の出来る1年上の先輩であり、俺の憧れだった。
なにより、その整った顔立ち、清楚美人とはまさにこのことだろう。
「横ごめんねー」
「いやいや全然」
幸運なことに、隣に来てくれた。
入社してずっと憧れていたのだ、こんな人と将来をともに
できたのなら…どれほど幸せだろうか。
「何か頼みます?」
「あっ、じゃあジンジャエールお願い」
しばらく、仕事や趣味のことを話す。噂ではすでに聞いていたが
倉木さんは未婚だったらしい。ここまで完璧人間なのに…。
「山田君は夢とかないの?」
「いや特には…倉木さんはないんですか」
「そうだねー、やっぱり今は結婚かなー」
「へー、意外ですね」
そんなのすぐにできそうに思えるが…。
「そりゃしたいよ、でもなかなかねー」
周りの男は本当に見る目がないな。
「山田君ー、結婚してくれる?」
「……へっ、」
「ハハッ!、冗談だって」
冗談じゃなくてほんとに欲しい言葉だ、今の言葉だけで
これからの仕事を頑張れる。
「いや、俺倉木さんのことずっと憧れてましたよ」
「えー、ほんとーに」
「はい、まじです」
「そっか、うれしい」
「なんなら、結婚でもなんでも」
「……へっ!、」
何言ってんだ俺、勢いで言ってしまった、気持ち悪かった
だろうな絶対…。
「ハハっ、ありがとー…でも」
「私ってめんどくさいから…」
「いや、そんなことは…」
話はあやふやな形で幕を閉じた、それからしばらく
飲み、各々が直接会社に戻っていった。
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結局会社を出たのは次の日の夜21時だった。
頭がくらくらして、家に入るとすぐに倒れこむ。
なんとかベットの横まで来たが力尽きた、居酒屋でのひと時の
幸せを思い出す。
『夢とかないの?』
『覚えてないの?昔の夢とか』
そういや同じようなこと、あのお化けからも聞かれたな…。
体をヨタヨタは這いずりながら、本棚に手を伸ばした。
古いアルバム、これは中学校の時の物、パラパラと
めくっていく。懐かしい……。
体育大会、校外学習、合唱祭、修学旅行…。
「ははっ、全然写ってないじゃん俺」
所々いる自分を横目で流し、最後の卒業文集のページを見る。
テーマは将来の夢。
___将来の夢 山田柴春
僕の夢は…………___
『小説家』になることです。……___
___いつか自分の作品でだれかを
動かせるような小説家になりたいです。……___
そうだ、ずっと覚えていた、だから出版業界に
入ったのだ、少しでもその夢に近い仕事をしたかったから。
母親に将来の夢について話したとき、笑顔で、そっと
俺の肩を叩いた。
それは応援を意味するものではなく、俺を諭すものだと
いうことに気づいていた。
スマホのバイブが鳴る、情報管理フォルダに新しいデータが
入ってきた。目がその文字や数字の羅列を受けつけない。
どうやら、自分の夢は、本当に夢になったようだ。