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田辺さんのクラスは渡辺さんだらけ

作者: 伊角 せん

「先生、これは一体全体どういうことですか」

 

 ホームルームが終わるや否や、私は教室を出て職員室へ向かう担任の先生の背中にそう言い放ちました。普段の私からは想像もつかないであろう怖い顔をしていたと思います。いつもなら男の人と目を合わせることすら大変な私ですが、今日は睨み付けることにためらいもありません。


「ん、どういうことってなにがだ?」

「なにがだじゃないですよ! それはこっちのセリフです……なんですかあのクラスは!?」

「おうおう落ち着け。ほら、まずは深呼吸だ」


 先生は私をなだめようとしますが、そのとぼけた態度がかえって私の気持ちを逆撫でします。心のモヤモヤは晴れるどころか一層雲行きを怪しくさせました。

 先生はとりあえず話を聞こう、と人通りの少ない非常階段に移動し私はそれに付いていきます。


 今日から私、田辺優香の高校生活がスタートしました。中学の頃は眼鏡におさげと今どきレアな地味っ子スタイルを決め込んでいましたが今日からは違います。眼鏡はコンタクトに、髪の毛は結ぶのをやめて肩まで伸びた黒髪ロングにと、他にもいとこのまどかちゃんにお化粧を教えてもらったり、早朝のランニングや食事改善で長年連れ添った脂肪さんたちとお別れしたりと自分磨きに没頭しました。

 そしてそれらが実を結び、今日この日から私は中学時代の灰色のような学校生活とは決別する算段でいたのです。高校は地元から離れたところを選んだので知り合いは一人もいません。後は学校に行けば万事オッケー、周りからほどほどにチヤホヤされそれを軽くあしらい、取り巻きなんかもできちゃったりしてそして……そしてゆくゆくはこ、こい……恋人なんかもできちゃったりなんかして――そう思っていたのですが全くもって人生というのは順風満帆にいかないものです。まさかこんなことが起きるだなんて誰が予想できましょう……。


「……先生、クラスの出席名簿、見せてもらっていいですか?」

「ああ、別にいいけど」


一つ深呼吸をして一旦脳を冷静にします。もしかしたら私の勘違いかもしれませんから。きっと昨日の夜、ベッドに入るのがいつもより少し遅かったせいで寝ぼけているのでしょう。

渡された出席名簿を恐る恐る開きます。私が所属する一年一組の生徒三十二名の名前が五十音順にずらりと並んでいます。

それを上の方から目でなぞると、まず一番「田辺優香」……ええっと、い、一番「田辺優香」……どうやら見間違いではないようです。目をこすったり、今一度深呼吸して落ち着いてみても間違いなくそこには私の名前が記載されています。もう一度言いますが出席名簿は五十音順に並んでいます。

はあ、と私は一つ大きなため息をつきます。つまり、三十二名もいる学級の中で「田辺」が一番最初に来ているということになります。私のクラスには出席番号一番率の高い「青木さん」、「荒井さん」もいなければメジャーな名字である「佐藤さん」や「鈴木さん」だっていやしません。

 ……ま、まあここまではまだいいです、そういうクラスだってあるでしょう、問題はその次からなのです。

 私はゆっくりと目線を下に落としていきます。そして出席番号二番の生徒名にピントが合うと、そこでピタリと動きを止めました。そこには「渡辺歩」と記載されています。

 こんなことがあっていいのでしょうか。「田辺」のすぐあとに「渡辺」が来るなんて……。

 更にその下――出席番号三番以降に目を滑らせるともっとおかしな事実が飛び込んできます。

 「渡辺恵美」、「渡辺快斗」、「渡辺啓子」、「渡辺」、「渡辺」、「渡辺」…………。

 その「渡辺」という文字は出席名簿の一番下まで続いていました。もうゲシュタルト崩壊を起こさずにはいられません。

 ――つまり、このクラスは三十二名中の三十一名は「渡辺」であるということになります。

 

……いやいやいや、おかしいですこれは。改めて現状を把握しても理解できないです。


「先生、なんでこんなに名字が『渡辺』の人ばっかりなんですか?」

「んー、なんでって……まあ、そういうこともあるだろ」

「いやいやないですないです」

 

 先生はけだるそうな様子で爪をいじいじしています。早くこの場を去りたいという気持ちが痛いくらいに感じ取れますが、私は一歩も引きません。


「先生、クラスで一人だけ明らかに違うものがあるとどのようなことが起きると思われますか?」

「人気者になるんじゃないか」

「どうしてそうなります!?」

「だってほら、足速いとか勉強できる奴とかみんなに慕われてるだろ」

「それは『違う』というよりも『優れている』からです」

「おお、確かに。お前いいこと言うな」

「いいこと……ほんとですか?」

「ああ、流石だぜお前ほんとすごいすごい」


 先生はポンと手を叩き、感心した目を私に向けます。

 私はそれにちょっと照れそうになりますが、いけませんいけません。かぶりを振って話を仕切り直します。


「そうじゃなくて! 一人だけ違うものがあると仲間外れにされる可能性があるでしょう!」

「そうか? 目立って逆にいいと思うけどな」

「目立つは目立つでも悪目立ちってやつですこれは!」

「んー、でもそのくらいの違いどうとでもなるんじゃないか?」

「ふっ……先生なめて貰っては困ります。私のコミュニケーション力は最底辺に位置しています」

「……それ、胸を張って誇らしげに言うことかよ」

 

 先生は呆れた顔で一つため息をつきました。


「私は自分から話しかけるなんて高等なテクニックなど到底できる気がしません。よって、友人関係を築くにはまず相手から話しかけて貰わないといけないわけですが、」

「なんだそのクソ方程式。よって、じゃねーよ頑張れよ」

「……い、いけないわけですがっ! それすらも相手の態度次第では返答を噛み倒してうまく会話ができない恐れがあります」


 先生に茶々に軽くダメージを受けつつも私は続けます。


「だから私が普通に初対面の人と話すには相手が物腰柔らかく下手に出て話しかけてくれないといけないわけです」


 証明終了――Q.E.Dとでも言わんばかりに私はそう言い切りました。見た目はある程度変化を遂げましたが中身の陰キャ精神はそう簡単に変わらないので自分から話しかけるだなんてハードルが高すぎて無理です。


「あと、無口で休み時間は常に本を読んでいる深層令嬢風なキャラ設定でいきたいと思っているので、なるだけ自分から話しかけるのは避けたいというのもあります」


 人差し指を立てキリッとした表情で、いかにも重要そうに私は付け加えます。

 

「あー、わかったわかった。俺の授業では二人一組になって――とか言わないし教科書忘れたら横の人に見せてもらえとか言わないようにするよ」

「全然わかっていませんね先生。でもそれはくれぐれもお願いします」


 私は直角に腰を曲げ、深々と礼をしました。


「なんなんだお前……ていうかほら、俺とこんなに話できてるじゃねーか。それに自分から話しかけてきたし」

「……それは、確かに。でも、いてもたってもいられなくてというか――怒りで我を忘れていたと言いますか……あとそれに、みんな名字が『渡辺』さんなので先生と私だけ違う名字同士でなんだか親近感? みたいなのがあったのかもしれません」


 普段の私ならこんなに感情を露わにして話すことは滅多にありません、それも男性に対してとなるともっと少ないです。


「先生とこうしてお話しできたのは、皮肉にもこういうおかしな状況だったからかもしれませんね」

「あー、いや……まあそういうことにしとくか」

「とにかく、私がクラスから浮かないように先生も尽力してくださいね。これから一年間、ご迷惑かけます」

 

 私は先生に右手を差し出し握手を求めます。男性に物理的接触を自ら求めるだなんて恥ずかしいことこの上ないですが、ここはなけなしの勇気を振り絞りました。

 先生は少し戸惑いつつも、おそるおそる私の手を握ってくれました。私の手より一回り以上大きい先生の手は、見た目の印象とは違い、優しい力で握り返してくれます。

 

「そこはよろしくお願いしますっていうところだろ……」


 先生はぼそっとそんな言葉をこぼします。もしかして照れ隠しでしょうか、そういえばさっきからこっちを真っ直ぐ見ないし胸元を左手でおさえています。

 そんな先生を見ていると私にも恥ずかしさが伝染してきました。というかこんなところ見られたりでもしたらマズいですね、クラスでのけ者にされるどころか学校から追い出されてしまいます。でもそういうのってなんだか少し憧れる気持ちもあります。

暇さえあれば恋愛漫画ばかり読んでいる私の妄想力がここで火を吹きます。

許されざる二人の関係、授業中に目配せなんかしちゃったり、わざと難しい問題の解答を私に迫る先生、後で文句をいう私そして――


「すまん、俺職員会議あるから。じゃ」


 先生はバッと私の手を振りほどき、そそくさと逃げるように去っていきます。私もそこでハッと我に返……ればよかったのですが尚も私の妄想は止まりません。

 クラスでの問題なんてそっちのけで私は妄想の世界へと浸りました。


――数分後(妄想がヒートアップしてしまったので詳細は割愛)、次第に縮まる二人の距離にその呼び方も「田辺」と「先生」から「優香」と……あ、そういえば先生の名前ってなんでしょうか。

 私はやっと我に帰り、先程行われていたホームルームでの先生の言葉を思い出します。

 しかし、クラス全員の名字が「渡辺」という現実にダメージを受けていた私はろくに話なんか聞いていませんでした。どうしましょう、これじゃあモヤモヤしたままで妄想が終わってしまいます。あれですよあれ、夢見てる途中で目が覚めたみたいな感覚です。


あ、そういえば出席名簿に先生の名前も書いてあります、どれどれ……


「おーい! すまん田辺、出席名簿持たせたままだった。それ職員室に返さないと、いけないから……」


 先生が戻ってきて、そう声を掛けてきたのと私が出席名簿から先生の名前を見つけたのはほぼ同時でした。

 名簿の一番上――担任名の書いてある場所には、


「渡辺卓也……わたなべ…………」


 思わず言葉が漏れます。先生はしまったという表情で私を見ています。先生は駆け足でここまで来たのでしょう、首から下げているネックストラップが踊っています。そこには大きなフォントで「渡辺卓也」と明示されていて、それが私にありありと現実を見せつけているように思えました。なるほど、さっき胸の辺りをおさえていたのはこれを隠すためだったのです。

 

「おい田辺、話を聞け。な?」


 わなわなと震える私に先生はおそるおそる近づいてきます。どう釈明するのか聞いてみたいところではありましたが、私はいてもたってもいられなくなり先生に踵を返し走り出しました。


「卓也の裏切り者~~!!」

「おい泣きながら名前叫ぶのやめろ誤解を生むあと名簿返して!!」





「――っていうことがあってさあ、どうすればいいかなまどかちゃん……」

「……ちょ、ごめんそ、それって……ほんとの話?」

「私が嘘でこんなこと言うと思う? ていうか真剣に聞いてよ~!」

「い、いやむりっ……おもしろすぎるこの子っ……」


 まどかちゃんはクククッと笑い声を漏らしています。自分のベッドの上で腹を抱えバタバタしてる姿は、いつも凛としていて完璧なお姉さんなイメージとはギャップがあって新鮮です……じゃなくてっ! 人が相談してるというのにひどいです!



「ごめんごめん拗ねないでよ。よし、もう大丈夫ほら、笑わないから」


 ひとしきり笑い終えたまどかちゃんは仏頂面の私を見て、いつものように頭を撫でて慰めてくれます。これをされるといくら腹を立てていようと私の機嫌は直ってしまうので、ほんとまどかちゃんの母性たるや恐ろしいです(私が単純なだけかもしれませんが)。


「それで……どうすればいいと思う?」


 たっぷりと頭を撫でて貰ってから、私はまどかちゃんに問いかけます。

 今日学校であったことはとても一人では抱えきれません。まどかちゃんには高校デビューしたいと相談し、それから色々アドバイスを受けてすごくお世話になりました。これ以上心配掛けるのは……と思ったのですが他に相談できる相手もおらず――本当に頭が上がりません。

それに名門と呼ばれる女子高に通い、生徒会長まで務めているまどかちゃんならなにかいい打開策を考え付くのではと思ったのです。


「うーん、『事実は小説より奇なり』とはこのことだね」

「え、あ、うんそうだねきなりきなりー」

「あんた意味わかってないでしょ」


 まどかちゃんは、私のその場しのぎの相槌に呆れた顔を浮かべます(その場しのげなかったですね)。

 そして口元に手を当て真剣に考え始めました。ありがたいことこの上ないです。

 そう考えている様はとても絵になっていて、Tシャツにショートパンツというラフな格好だというのに思わず見とれてしまいます。

 いけません、いけません。まどかちゃんにばかり問題を押し付けてはダメです。私も無い頭をフル回転させ、どうすればいいか考えます。

 それから数分後、私がぐぬぬと考えているとまどかちゃんが口を開きました。


「よし、思い付いた」

「え、ほんと!? 流石まどかちゃん!」

「でしょ、流石私。もっと褒めてくれていいいよ」

「うんすごい! 頭の回転早い! 頼りになる! 美人!」


 まどかちゃんにひっついて思い付く限りの褒め言葉を並べます。しかし、まだまだ足りないようで、私は言葉を振り絞ります。


「天才! 頭脳明晰! 寝顔もかわいい! お父さんのこと避けてる癖にたまに寝言で『パパ』っていってるの可愛い! あと意外といびきうるさいのがギャップがあっていい! それと外では気をつかってるけど家でくしゃみするときはおっさんみたいなくしゃみで、これもギャップがすごくいい! あと――」

「やめなさいやめなさい! 後半ほぼ悪口じゃないの!」


 まどかちゃんに口を塞がれ、その流れでヘッドロックをかけられてしまいます。なので、私はその先の言葉を言えませんでした。でも今の具体性のある褒め言葉でだいぶ顔を赤くしてるので、これは十年後くらいにお酒を飲みながらやっと受け入れられるくらいのものですね、たぶん。危ない危ない、恩人を誤って言葉で殺めてしまうところでした。


「あんたって子はまったく……まあいいわ、聞きなさい」


 まどかちゃんは呆れた様子でひとつため息をつきます。ちなみに「まあいいわ」とかいってるくせに私をヘッドロックしたままの状態です。どこがいいんでしょうかって痛い痛いっごめんなさいっ!


「ズバリ、恋人をつくることよ」

「……こ、恋人?」


 顔を目一杯上に向けるとまどかちゃんの自信ありげな顔をローアングルから拝めました。つまり、真面目にいっているということです。


「そう恋人、『LOVER』よ」


 いい発音でまどかちゃんは言い直してくれました。しかし、私はもちろん戸惑います。


「え、あの卓球のラケットの」

「そういうしょうもないこといわないの。彼氏つくれってことよ、そしたら解決」


 まどかちゃんはそう言って、私の頭を解放してくれました。まだ少しばかり痛みの残る箇所に手を当てがって、私は情けない顔で「無理だよ」とこぼします。だってそうでしょう? 友達をつくるというのも十分高いハードルなのに、その先の先にある恋人をつくるだなんて絵空事のように思えます。


 今日、先生と話をしてから、私は私なりにクラスメイトと接触を図りました。自分から挨拶したり、席の近い人にこれからよろしくと声を掛けたり、落とし物を拾ったりと、普通の人からしたらちっぽけな行動かもしれませんが、それでも私にとってこれらはとても勇気のいる行動で、昔の自分が見たら泣いて喜ぶほどのものだったと思います。

 しかし、それら全てはあまりいい反応を貰えませんでした。みんな他人行儀でよそよそしく、目も合わせても貰えず挙げ句無言で去っていく人もいました。


 まどかちゃんの言い分はこうです。クラスメイトの中で恋人をつくり、それを周知のものにしてしまえば、たとえ私が煙たがれていようと「友達の恋人」という位置付けになります。そうすれば私に冷たい対応を取りづらくなり、ある程度は友達の関係にまで持ち込めるというものです。


「ね、わかった? 簡単、とは言わないけどそうも言ってられないでしょ。やるしかないのやるしか」

「……うん、わかったやってみる」

「ほんと? ならもう一回、ちゃんと目を見て」


 まどかちゃんは私の頬を両手で挟んで、うつむいた私の顔を無理矢理上げさせます。ゆっくりと目線をまどかちゃんに合わせると、そこには真剣な表情のまどかちゃんがいました。

 そうです、今日まで私は華々しい高校生活を送るために頑張ってきたのです。それを応援してくれたまどかちゃんに嫌な報告だけして終わり、なんてことがあってはなりません。


「わかった、ありがとうまどかちゃん。次来るときは笑顔でいい報告できるようにするよ」


 頬を手で挟まれながらも、はっきりとした口調で私はそう宣言しました。すると、まどかちゃんの表情は柔らかなっていき、両手を私の顔からどけてベッドから立ち上がりました。


「よし、約束ね。楽しみにしてるよ。さ、今日は早いとこ帰りな」

「うん、ほんとにありがとう」


 まどかちゃんが部屋を出たので私もその後に続きます。そして、軽くまどかちゃんのお父さんお母さんに挨拶を済ませると、玄関の扉を開けます。


「じゃあ、また!おじさんおばさんもありがとうございました!」

「うんうん、次はご飯食べていってね」

「寄り道せず日が沈む前に返るんだぞ」


 三人ともわざわざ家の外まで出て来てお見送りしてくれました。ちなみにまどかちゃんはお父さんがいるのでお父さんからだいぶ距離を置いたところで軽く手を振ってくれています。そういうところもかわいいです。


 私は三人にしばらく手を振ってからやがて踵を返し、自分の家へと向かいます。角を曲がるとき、「ぶえっくしょん!!」と大きなくしゃみが聞こえましたがあれはおじさんのくしゃみかそれとも――まあ、次お邪魔するときおばさんの煮込みハンバーグでもご馳走になりながら直接聞くとしましょう。

 そのとき、私の身に降りかかったこの問題も煮詰まっていればいいな~なんてくだらないことを思いながら私はほんの少しだけ歩調を早めました。


 そして翌日、私は気合いを入れて学校へ向かいました。そのせいか、だいぶ早くに学校に着いてしまいました。まだ部活の朝練がある人たちくらいしか学校にいない時間帯です。いくらなんでも早すぎた気がします。

 まあ、でも教室の軽い掃除とかしておけばあっという間でしょう。そうすればクラスの人たちとお話しできる機会も増えるってもんです、私ってばもしかして天才なんじゃないでしょうか。


 と、思っていたのですが早々に予期せぬ事態が起きました。靴箱で靴をはきかえようとしていたらなんと、クラスメイトのほとんどの靴がすでに靴箱の中に収まっていました。みんなこんな早い時間にみんな登校してきているということです。

 もちろん、部活に入っている関係で早く来ている人もいるにはいるでしょうがまだ入学したての仮入部期間の段階でこれだけの人数が朝練に参加しているだなんて考えにくいです。これはなにか裏がありそうです。


 私は恐る恐る教室へと足を進めました。壁づたいに移動したり人目を気にしながら動くその姿、さながら忍者のようだったと思います(いや不審者ですね)。


 教室の前まで来ると、すでに明かりがついていて人の声も聞こえてきました。やはり、みんな早々に登校してきているようです。

 中に入ろうとも思いましたがそこまでの勇気は出ず、とりあえず廊下から聞き耳を立てることにしました。


「で、どう思うみんな? 意見はまとまったか?」


 学級委員長の渡辺君の声が聞こえてきました。どうやら何かしらの話し合いをしているようですね。

昨日クラスの係決めで多数決により委員長になった渡辺君は渋々引き受けた、という感じでしたが早速クラスの中心となって活動しているようです、偉い。


「どうって言われてもなあ……直接聞いてみればいいんじゃねえの?」

「直接ってあんた、相変わらずデリカシーないわね。これはすごくデリケートな問題なのよ」


 ああこの声は渡辺君と渡辺さんです。二人は家が近所で幼なじみらしいです。


「じゃあどうしろっていうんだよ」

「それを今ディスカッションするって言ってんの」

「ああめんどくせえ、てかお前いちいち横文字使うなようっとうしい」

「え……だってあんた英語とか話せる女の人が好きってこの前」

「ん、そんなこと言ったっけ」

「言った! この前映画観に行った時! 忘れたの!?」

「ああ、そういえばそうだったっけ。あん時主演の女優が流暢に英語話してるのがすごくてすげーってなったんだわ。あれ面白かったなー、続編出たらまた観に行こうぜ」

「え、また一緒に? うん……行く」


 なんか声だけでもものすごいラブコメが展開されてるのがわかりますね。渡辺さんは渡辺君のことガンガンに異性として意識している感じですが当の渡辺君は気づいていない様子。これは胸アツな展開です。そういう男は鈍いので自分の気持ちはまっすぐ伝えることが大事ですよ、渡辺さん!


「とりあえずみんな思い付いたことをドンドン言ってくれ。早くしないと来ちゃうだろ」


 ゴホンゴホンッと渡辺君が咳払いし脱線しかけた空気を戻します。流石委員長。

 そして、「来ちゃう」とは何のことでしょうか。


「第一、こんな話し合うようなことなのか」

「そうだよ、二人の自由じゃない」


 渡辺君がぼやき、渡辺さんが賛同します。


「じゃあそんな人たちと普通に接することができるの? 現に昨日、みんなほとんど無視してたじゃない。私も声かけられたけどどうしたらいいかわからなくて……」

「誤解ってことはないのか? ……ってそれはないか、あれはどうみても、な」


 渡辺さんが異議を唱え、渡辺君が暗い言葉をこぼします。誤解とはなんでしょう、とにかく楽しい話題についての議論でないことは確かです。


 あ、言うの忘れてましたが昨日の今日でクラスメイトの名前を覚えきれる筈もなく、ましてや声だけ聞いてる状況なのでほとんど男性か女性かでしか区別できません、申し訳ないです。


 その後も、渡辺君が意見を投げ掛けそれに渡辺さんが答え、渡辺さんが賛同し、渡辺君が別角度からの意見を飛ばし、渡辺さんが質問し、渡辺君が答えます。

 そして話がまたそれてしまいそうになると、すかさず渡辺君が軌道修正します。ああもうややこしいったらありゃしないですね。

 そして、話し合いが進んでいくうちに段々となんのことについて話しているのか見えてきました。私も薄々そうなんじゃないかと思っていましたがみんな直接的な表現を避け、分厚めのオブラートに包んで話しているのでまるで某人気魔法使い映画のボスキャラみたいな扱いです。小学校の頃借りてる男子をたくさん見ましたが絶対中身読んでないですよね、あれ。


 とにかく話をまとめるとこうです。まず二人の男女の恋仲に関する話し合いだということ、そしてその二人はこのクラスに関係ある人物で、かつ昨日の――入学式初日に勃発した出来事であり、二人の関係はなにかしらの障害があって表だって言える状態にないということです。


 私が頭であれこれ考えていると、ついにしびれを切らした渡辺君から核心に迫る言葉が飛び出ました。


「あーもうまわりくどい! 田辺さんと先生がどういう関係でどこでなにしようが知ったこっちゃねーぜ! なんで朝からこんなこと話し合わなきゃなんねーんだよ!」


 あ、ついに出ました。今までの私の長考していた時間が無に帰しました。

 

「だって教師と生徒がそんな風になるなんていけないことよ!」

「でも僕たちがどうこうできる問題じゃない気がする。それに二人は昔から知り合いとかなんじゃないの? ほら、僕たちも先生と田辺さん以外中学から一緒だし」


 なんか誤解が誤解を生みまくってるようですね。そしてみんな中学から顔見知りとは――どうりで仲が良いわけです、どうやら名字が同じだからとかあまり関係ないみたいです、早とちりしちゃいました。


「二人は元々知り合いってのはないと思う。だって私見たの、出席確認の時田辺さんがずっと先生を見つめてたのを……たぶん、一目惚れってやつだと思うの。はじめてみたわ、それもあんな間近で」


 あらら、それは妄想が飛躍しすぎていやしませんか。クラスのみんなの名字が同じということにびっくりして思わず出席確認している先生を凝視してしまってましたがそういう風に捉えるとは。

私も妄想のぶっとび具合には自信があるのでこの渡辺さんとは仲良くなれそうです。しかし、いくらなんでもこの発言に賛同する人なんているわけが、


「確かに。そう考えれば辻褄が合うな」

「私も田辺さんが先生をじっと見つめてるな~って思ってた。なるほどそういうことか~」


 自分でフラグを立ててしまってました。ヤバイです、このまま私が先生に一目惚れして猛アタックしてたということで話が固まってしまいそうです。

こうして考えている間にも話し合いは着実に進んでいきます。マズいです、こうなっては……ええい! なるようにようになれっ!


「みんな誤解だよ聞いて!」

 

 教室のドアを開けた勢いそのままに私は嘆くように言い放ちます。


「先生と私はなんでもないの、みんなの勘違いなの!」


 だから少しだけでも話を聞いてほしい、お願いみんな!


「だから少しだけでも話を聞いてほしい、お願いだ!」


 あれ、心の中で思った言葉が声に出ちゃってましたかね。でも私の声にしては低いし語尾も男性みたいで――それに今向こう方から声が聞こえたような……。


 声のした教室前方のドアの方に顔を向けると、そこにはなんと渡辺先生がいました。そして先生の顔は錆びた機械のようにぎこちなく教室後方のドアにいる私の方を向きました。

 どうやら先生も私とは反対の方から教室に聞き耳を立てていたようです。話に夢中で全く気づきませんでした。


私と先生はしばらく口をパクパクさせながら見つめ合っていました。これでもかというくらい最悪のタイミングです。さっきなるようになれとは言いましたがここまで酷い状況になるとは思いませんでした。


 そんな私たちの様子を見て、教室内は嘘みたいに静まり返りました。まるでテレビの消音ボタンを押したかのようにピタリと声が止みました。


 そしてしばらく間があってから「本当だったんだ」とポツリと声が漏れます。それを皮切りに徐々に渡辺さんたちは口を開いていって、また教室は元の喧騒を取り戻し始めました。


 私は先生から目線を外し、ゆっくりと自分の席に腰を下ろしました。

そしてクラスメイトの様子をどこか他人事のように思いながらぼんやりと眺めることにしました。いわゆる現実逃避というやつです。

 

 朝のホームルームのチャイムが鳴って現実に引き戻されるまで、私はずっとそうしていました。



 

「よーしみんな席つけー、ホームルーム始めるぞー」


 先生が教室に入ってきてそう言うと、パタパタと音を立ててみんな各々の席に座ります。厳しい先生ならここで一つ喝を入れるところでしょうが、うちの先生は気にも留めず点呼を始めます。


「田辺優香」


 私の名前が呼ばれます。「はい」と返事すると先生はちょっと気まずそうにこちらを見るので私は余裕ある笑みを向けます。先生はあからさまに私から目を逸らすと点呼をやや早口で点呼を再開します。

 そんな様子を見て何人かはヒソヒソとなにかお話ししています。私はそれを煽るように先生に向かって小首をかしげる仕草をしました。


 先生と私の関係がクラスの中で確信に変わったあの日から、私はもうこの状況に開き直るしかないと思いました。

 この大きな誤解を解くことは現時点では不可能、ならばあえて先生を好きという設定でいた方が都合がいい――そう考えた私はクラスのみんなに先生のことが好きであることを打ち明けました。

 すると、「禁断の恋」好きな女子生徒数名が取材記者のように私を取り囲み、私を中心に会話が始まりました。そこから友情が芽生えるのは早く、みんな「応援してるよ!」「私も好きな人に気持ち伝えてみる!」などと私のカミングアウトに明るい言葉で応えてくれました。


 後日、まどかちゃんにことの顛末を伝えると、しばらくポカンとした後に思い出したようにじわじわと口角を上げてしまいには笑い転げていました。

 前に相談したときはその姿に文句を言ったものですがそのときは無邪気に笑うまどかちゃんを温かい気持ちで見守ることができました。


「よし、今日は6時限目に体育館で講話があるからできるだけ五分前には集合して座っておくように。それと田辺、このあと来い」


 先生は連絡事項を言い終えると、最後にそう付け加えました。どこからともなく「きゃー」と悲鳴じみた声が聞こえ、それを皮切りにひそひそとした声があちらこちらで聞こえます。私は一番前の席なので見えはしませんが、背中でみんながニヤニヤしてるのが伝わってきます。

 しばらくして先生がわざとらしく咳払いするとみんな話すのをやめ、委員長の「起立」の声で号令をし、ホームルームは終わりました。私は先程言われた通り先生の方へ向かいます。ここでも先生を好きな生徒としての言動は徹底します。私が今まで培ったあざとい女子スキルをふんだんに盛り込んだスタイルで先生と対峙しました。


「お前なあ、先生をからかうのも大概にしとけよ」


 先生は教卓に手をついて呆れ顔です。生徒にからかわれてることにまあまあ滅入ってる感じです。ですが私も今の状況を変えるわけにはいきません。


「からかうなんてそんな……私は本気ですよ?」


 先生は少し面食らったような様子で、しばらくしてやれやれと首をゆっくり横に降りました。


「今はまだこのクラスだけの噂に留まってるが今後、学校にでも広まってみろ、俺が社会的に死ぬ」

「先生は世間体と私どっちがだい――」

「世間体だ! 世間体一択!!」


 私がそれっぽいセリフを言い終わらないうちにきっぱりと言われちゃいました。


「大丈夫です先生。みんなには他言無用でお願いしてますし、クラスの外では私、普通に接するので。それに、」


 私は先生の耳元で誰にも聞こえないように付け加えました。


「あくまで私がクラスで浮かない為の演出なので。3月までの辛抱です先生」


 先生は苦い顔をしていますがこの渡辺さんだらけのクラス編成にした責任の一端を担ってるせいか言い返してきたりはしませんでした。


「じゃあ、また放課後会おうね卓也ってごめん先生!」


 私は最後にクラス中に聞こえるよう大きな声で言葉で言い残すと、逃げるようにその場を去りました。先生は「おい田辺!」と声を荒げますがそれと同時くらいに1時限目の予鈴が鳴ります。先生は私を一瞥してからひとつため息をついてしかたなく教室を出ていきました。

 かなり申し訳ない気持ちはありますが、私もなりふりかまってはいられません。


 そしてチャイムが鳴り一時限目の授業が始まります。歴史を担当している藤宮先生は板書を終えるとキョロキョロと教室を見渡し、やがて板書を終えていた私と目が合います。


「よし、じゃあ()()優香さんここの空欄にはなにが入る?」


 カッカッとチョークで黒板にある空欄を示す先生に私は笑顔で答えました。周りを見渡すとみんななにか言いたそうにしてますが口に出すことはせずただニヤニヤしてるだけに留めています。

 今はこれでいいのです。どれだけずる賢くて汚いやり方でも昔の私にとってこれは大きく前進したといえるでしょう。

 そして先生との禁断の恋補正がなくともみんなと仲良くできるところまでいければ私にも本当の恋が待っているはずです。先生には悪いですがもうしばらくは迷惑をかけそうです。いつか菓子折りでももってお礼を言いにいこうと思います。

 

 授業が終わり、渡り廊下を歩いていると強い風が後ろからビュービューと吹き付けてきます。その風を鬱陶しく感じつつも、もしかしたら私を後押しして応援してくれているのかなと都合のいい解釈をしてしまいます。

私はその風に助力を得ながらまた一つ歩を進めました。目指せ、ベタに友達百人! そしてあわよくば理想の彼氏! まだまだ道のりは遠く険しそうです。









 

 


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