部活選びの弊害
「ただいま……。」
息子が、やけに暗い顔をして帰ってきた。
おかしいぞ、朝は友達と一緒にワクワクしながら登校していったというのに、これはいったい。
「ちょ…何があった、どうしたどうした!」
いつも無口ながらニコニコとしている口元をへの字にしながら、息子がおずおずと差し出したのは…中学校の入学説明会のしおり……。
うちの学区では、六年生の冬休み前に中学校入学説明会なるものが開かれている。
中学校とはいかなるものか、どんな行事があるのか、青春を謳歌する部活にはどんなものがあるのか、教師と先輩が足を運んで直々にありがたい説明をしてくださるのである。
「陸上部、ないって。」
「はあ?!マジで!!!」
息子はその昔、保育園帰りに中学校の運動場を見るのが大好きだった。
保育園は中学校のすぐ横にあって、ちょうど陸上部のトラックがよく見えて…いつも部活中の学生さんたちに手を振ってもらっていたのだ。
―――おっきくなったら陸上やってね!
―――はい。
―――いつも応援ありがと!
―――はい。
言葉の遅かった息子は、いつだって「はい。」としか返さなかったが、中学生のお兄さんお姉さんたちはそれはそれは優しく声をかけてくださってですね。
その時の思い出があるので、息子は中学に入ったら絶対に陸上部に入ると決めていたのだなあ。
「残念過ぎる。」
なんか気の毒になってきたので、晩御飯は息子の大好きなチーズハンバーグにしたんだけれども。
「ちょっと聞いた!!!東岸中ねえ、陸上部ないらしいよ!!!」
年末という事もあり連日の忘年会続きで帰りの遅い旦那がたらふく食べて増量して帰ってきたので、開口一番今日の出来事を伝える。
「ああー、ないかも!なんかねえ、市内で陸上部あるのって四校だけらしいよ!」
「はあ?!マジで!!」
PTAやら市P連やら学校評議会やらいろんなところに顔を出している旦那によると、市内に15校ある中学校では、軒並み陸上部が廃部になっているのだそう。
陸上部は昔からある部活ではあるが、短距離や長距離、高跳びに幅跳び、砲丸投げにハードル、専門分野が多すぎて先生が確保できないのが一番の問題になっているらしい。
……専門の先生なんていたのか。
私は何を隠そう中学生の時一瞬陸上部だったことがあるのだが…、その時…顧問の先生は一人しかいなかったぞ……。
教育実習生の先生が来て、すごく喜んでいた覚えがある。競技だって先輩に教えてもらったしさあ。
……今にして思えば、危険な競技もあるのに、ずいぶん危なっかしい事やってたもんだ。
そういえば先輩がハードルで転んだ時、ちょうど先生がいなくて呼びに行くまでかなり時間がかかって…足が折れてるのに三年生が無理やり立たせてってことがあったな……。
うん、確かに、競技ごとに先生が存在していないのは、やばい。
「そんなんじゃさあ、日本のスポーツ界ってはっきり言って育って行かないじゃん…中学で運動に目覚めるパターンが消滅してるじゃん……。」
「そうだよ!だから、今は陸上やりたい人は小さいうちから英才教育受けるために学校を選ぶ時代なんだって!!先週もさあ、越境通学の申し込みがあって中央中なんかてんやわんやだったらしいよ!」
ああ…通うべき学校を変更してでも陸上をやりたいと願う子供は、今はまだ存在しているという事か。
それほどの情熱を持って取り組んだら、そりゃあいい成績を残すだろうな……。
だがしかし、埋もれたまま発現しない陸上の才能ってのは……ずいぶん多くなりそうだ……。
「せっかく保育園から足掛け八年陸上部に入るって決めてたのに…弟が気の毒でならないよ、姉の時はあったじゃん、陸上部!!」
運動会の時リレーでめちゃめちゃカッコよくってさあ、息子が大喜びしてたんだよね。
「お姉ちゃんが卒業した次の年に廃部だったよ確か。教頭先生が転任したじゃん、それであっけなく。」
「はあ?!全国大会出た子いたのに!!!」
なんという世知辛い世の中だ……。
「おかえりなさい。」
「なに、まだ起きてたの!!」
旦那と部活談義をしていたら息子が二階から降りてきた…ムム、手に持っているのは、中学校のしおり。
よほど悔しくて眠れぬ夜を過ごしていたというんですか、君は……。
「聞きたいことがある。」
パラパラとめくるのは、部活のべージ……。
なるほど、陸上部入部の道が断たれた今、別の部活を探さねばならないという事か。
わりと切り替えの早い人だな……。
「パソコン部と、マイコン部と、プログラミング部と、ウェブデザイン部、どれを選んだらいいのかわからない。」
「なにそれ!そんなにあるの?!ちょっとみせてみ!!」
弟のしおりを、メガネを外してのぞき込む…くう、小さい文字が見にくいのなんのって……ナニナニ……。
運動部が…バスケ、テニス、剣道、水泳、卓球、サッカー、野球、柔道、バレーボール、バドミントン…10種類。
文化部が…吹奏楽、美術、ボランティア、調理、手芸、合唱、茶道、パソコン、マイコン、プログラミング、ウェブデザイン、作曲…12種類。
なに、この…パソコン系の充実は!!
それだけ得意な先生が多いという事なんだろうか、時代はずいぶん様変わりしたな……私が中学の時は確かワープロ部のみだった気がする。
文化部の方が多いのかあ、ちょっと意外だ。
体操部って今ないんだね…ハンドボール部もないし、ソフトボール部もない、サッカーも女子はナシ…。
「うーん、詳しい事は入学してから決めたら!お父さんのおすすめはマイコンだけどね!プログラミングも面白いよ!」
「パソコン?は全般的?マイコンは…なんだろう、もしかしたら自作パソコンのこと?プログラミングはパソコンの基礎を知ってないとたぶん難しい奴で、ウェブデザインはおそらくグラフィックソフトを使う奴、たぶんこの作曲ってやつも多少パソコン系だと思われる?グラフィックやりたいなら、まあ私のパソコンでやれるけど……。」
「考えてみる……。」
次の日から、やけに精力的にパソコンに向かう事になった息子はですね。
私のパソコンで絵を描いてみたり、古いパソコンを旦那と壊してみたり。
古いノートパソコンをあげたら、あっという間にいろいろ小難しい事をやるようになり。
色んなことをやっているうちに、どんどんパソコンの知識を身に付けていきましてですね。
……すごいなあ、若いってこういう事を言うのか、あっという間に知識を吸収していくぞ!
私なんかいまだにたまにパソコンの設定がおかしくなって直せなくなっててんてこ舞いする日が月に一回ぐらいあるのにさあ!!
「デフラグとクリーンアップしといた。」
最近じゃあ、私の知らない単語まで使うようになってきてさあ……すごいぞ、見たことのない画面が出てる。
「昔のデータが出てきた。」
何やら微妙な顔をしている息子が差し出したのは…USB…?
「……みてないよ。」
消えたと思っていた、はずかしい文章が入ったフォルダを発掘されてしまったという悲劇がですね。
あったっていう、悲しいお話、ですよ……。