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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

殿下、一つだけお伝えしたいことがございます

 一目ぼれして、清貧を尊ぶお父様に何日も何日も頼み込みようやく買っていただいた水色のドレスに、紅茶のシミが大きく広がった。あまりに突然の出来事で、当時まだ幼かったわたくしは呆然とすることしかできなかった。

 紅茶をわざとわたくしのドレスにこぼした子供が、何かを言ってクスクスと笑う。その笑い声がドレスのシミと同じようにどんどん辺りに広がっていくのを聞きながら、わたくしはようやく、何が起こったのかを理解した。

「卑しいのぞき魔ストークス」

 笑い声とともにそんな蔑称が聞こえる。我がストークス家が代々受け継ぐ家系魔法の性質を揶揄するその蔑称を、わたくしはその時初めて耳にした。それまでお父様にもお兄様にも、我が家の家系魔法は素晴らしいものなのだ、誇りを持てと言われ続けていたのだ。だからわたくしはてっきり、王国中の人々が我が家の家系魔法を素晴らしい魔法だと思っているに違いない、と勘違いしていた。

 今考えれば、そんなはずはないと分かる。お父様とお兄様の言葉は、世界中の人々が我が家の家系魔法を嫌っているが、という言葉が頭につくはずだったのだ。

 果たして、そんな世界中の嫌われ者、卑しいのぞき魔ストークスの末の娘は、クスクスと響く笑い声と蔑む視線の中でただうつむき、一目ぼれしたドレスに新しい水のシミを増やすことしかできなかった。

 しかし、ここでそんな娘に手を差し伸べる存在が現れる。

「大丈夫?」

 小さな手で優しくわたくしの涙を拭い、そのままわたくしをその場から連れ出してくれた人。わたくしの手を引いて歩くその後ろ姿を、握られた温かい手を、そして高鳴る胸の鼓動を、わたくしは未だに鮮明に覚えている。

 わたくしの心は、その日からその人に囚われ続けているのだ。

 

 ※

 

『一日目 晴天

 入学式は多少のトラブルこそあれ、つつがなく終了。明日はオリエンテーション、実際の授業は明後日から。

 王太子殿下は特進Aクラス。婚約者のウォルフェンデン嬢は特進B。ここまでは事前情報の通りだが、先日話題になった強い魔力を持つタッチェル嬢は事前情報と異なり特進A。要観察。

 ・特記事項

 王太子殿下とタッチェル嬢が入学式前、門で接触。転んだタッチェル嬢に手を差し伸べたとのこと。周囲の目があったため、この件を含めてタッチェル嬢を――』

「ストークス嬢」

 ペンを動かしていた手を止め、顔を上げる。いつの間にか正面に立っていた人物を確認してから、わたくしは素早く手帳を閉じて立ち上がり深く頭を垂れた。

「第二王子殿下におかれましては、ご健勝のご様子、何よりと存じます」

「あーいい、そういう堅苦しいのはやめてくれ。頭も上げて」

「かしこまりました」

 言われたとおりに頭を上げ、姿勢を正して第二王子殿下に顔を向ける。すると第二王子殿下は苦笑しながら楽にして、と言った。

「畏れ多いお言葉でございます」

「ストークス嬢は相変わらずだね」

 第二王子殿下はそう言うと、執務机の前にあるソファへと座った。それからわたくしにも改めて座るように促す。今度の言葉には大人しく従うと、第二王子殿下は早速だけど、と切り出した。

「兄上と、ウォルフェンデン嬢のご様子は?」

 今急いで報告書を用意していたが、それより口頭が早いとの判断だろう。異論は無いため、わたくしは手帳を開いて先ほどまでまとめていた内容を読み上げた。

「王太子殿下、ならびにウォルフェンデン嬢におかれましては、事前に報告いたしましたとおり、王太子殿下が特進Aクラス、ウォルフェンデン嬢が特進Bクラスでごさいました。しかしながら、ご留意頂きたい点がございます」

「へえ、なんだい?」

「事前に調べた情報では特進Cクラスであったはずのタッチェル嬢が特進Aクラスとなっておりました。前回確認いたしましたのは五日前の夜でしたので、わたくしの確認不足でございます。申し訳ありません」

 わたくしの報告した内容に、第二王子殿下はわかりやすく考え込む仕草を見せた。しかしすぐに結論を出したようで、少し俯かせていた顔を上げた。

「その件については僕の方で調べよう。他に気になることはあるかい?」

「王太子殿下とタッチェル嬢が入学式前に接触しております。転んだタッチェル嬢に対して、お手をお貸しになられました。周囲の目がありましたので、噂が立つ可能性がございます。いかが致しますか」

「ふむ……。兄上のお優しさと、タッチェル嬢への妬みが噂になれど、兄上の威光に傷はつきそうにないな。対処は必要ない」

「かしこまりました。タッチェル嬢につきましては、要観察対象とさせていただきます。後ほど、内容をまとめた報告書を送らせていただきます」

「わかった、明日以降もよろしく頼む」

「かしこまりました」

 立ち上がった第二王子殿下にあわせて立ち上がり、深く頭を垂れる。第二王子殿下はそれを見ながら堅苦しいな、と少し笑った後、わたくしの肩に手を置いた。

「信頼しているよ、ストークス嬢」

「勿体ないお言葉にございます」

 わたくしの言葉にくすりと笑って、第二王子殿下はわたくしの肩から手を離した。いくつかの足音の後、ドアの開閉音と錠の閉まる音が聞こえてからようやく頭を上げる。

「信頼しているのは、わたくし自身ではなくわたくしの魔法だけでしょうに」

 でなければ、わたくしを王宮の一室に閉じ込めておく必要などないのだ。

 やたらと豪華で快適に作られた、実質的な牢獄の中でわたくしは一人自嘲した。

 

 ※

 

 マグノリア王国の貴族の多くは、その家系の者のみが扱うことのできる『家系魔法』を受け継いでいる。

 例えば、マグノリア王室。王族には『守りの魔法』が受け継がれている。代々王族はこの守りの魔法を王国中に張り巡らし、魔獣や他国から王国を守っているのだと言う。

 建国当時の王弟を祖とするウォルフェンデン公爵家にも、王族と同様の魔法が受け継がれている。しかしこちらは守護の範囲が狭く、数人守るのが限界だそうだ。その代わり、より強固なのだと言う。

 他に王国内で有名なのは、コール伯爵家だ。騎士団に所属する者が多いコール伯爵家には、炎や水などの攻撃魔法を剣に纏わせる『魔法剣』が受け継がれている。極めれば、攻撃魔法そのものを剣にすることができるそうだ。

 そして、我がストークス伯爵家。『卑しいのぞき魔』と揶揄される我が家には『五感を傍受する魔法』が受け継がれている。対象がその時に見ているもの、聞いているもの、食べているもの、触れているもの、嗅いでいるものを知ることができる魔法だ。大体の居場所さえ分かれば対象の顔や名前が分からなくても問題ない。距離は近い方がより鮮明になるが、王都の中であれば内容を間違えることなく傍受可能だ。ストークス家はこの能力を王家より重宝され、伯爵という地位を手に入れた。しかし、その『のぞき見』とも言える能力故に貴族中……いや、国民中に嫌われている。

 現ストークス伯爵の末の娘であり、兄弟たちの中で一番この魔法を上手く使えるわたくし、リリー・ストークスが親元から引き離され、貴族学校に通うことも許されず王宮に囲われているのも、この家系魔法を疎んじた貴族から幾度も暗殺されかけたからだ。

(出入り口は王族のみが開くことができ、窓には侵入防止のための鉄格子。使用人は全て自動人形。そして王族の指示で重要人物の監視。……本当に囚人みたい)

 報告書を完成させ、それを自動人形の一人に託す。王族の魔力で動いているその自動人形は出入り口の扉を開けられる、王族以外では唯一の存在だ。

 自動人形が部屋を出て行くのを見送った後、用意された上等なソファーに腰掛けた。何も言わずとも自動人形がすぐにわたくし好みの紅茶を用意し、軽食を持ってくる。ありがとうとお礼を言っても、自動人形が反応を返すことはない。

(一休みをしたら、タッチェル子爵家をもっと詳細に探らなければ。今朝の様子を見る限り、タッチェル嬢自身はなにも知らなさそうだったから、子爵を探る必要がある。王太子殿下は先ほど王宮に戻られていたから、今日は他の監視の目がつくはず。第二王子殿下はそういうところで抜け目がないから安心ね)

 三年前、わたくしはストークスの屋敷で食事に毒を盛られた。ストークスは悪名ゆえに王族よりもその命を狙われることが多いため、使用人の雇用にもかなり気をつかっていたのだが、針の穴のような抜け道を見つけられてしまったのだ。結果として、愚かにも屋敷の中であれば問題ないだろうという思い込みを持ったまま食事を口にしたわたくしは、数日間生死の境を彷徨った後、王宮に保護されることになった。

(だとしても、タッチェル家の動きを見逃してしまったのは大きな失態だわ)

 この部屋に軟禁され始めてからは、家族以外との交流を行っていない。茶会や夜会にも一切参加していないので噂話を耳にすることもなく、タッチェル家が養子をとっていたことを知ったのはつい最近のことだった。しかし、タッチェル家の現当主が野心的な男である事は知っていたのだから、これらの違和感を見逃してしまったのはわたくしのミスに他ならない。

(タッチェル家、そしてシンシア・タッチェル嬢が妙なことを考えていなければいいけれど)

 ため息を吐きながら、わたくしは窓の外に広がる空を見上げた。鉄格子越しの空は、それでも広かった。

 

 ※

 

『四十日目 曇り、のち雨

 入学から一月が経ち、王太子殿下、ならびに婚約者のウォルフェンデン嬢も学園生活に慣れたご様子。クラスメイトとの仲も良好。

 本日は魔法学基礎の授業にて、各人の適正調査が行われる。王太子殿下は水魔法、ならびに婚約者のウォルフェンデン嬢は金属魔法。幼少期の調査との差異なし。

 タッチェル嬢、光魔法に適正有り。こちらも入学前に行われた調査との差異はなし。

 ・特記事項

 ウォルフェンデン嬢を敬愛する貴族令嬢の数人が、タッチェル嬢の持ち物を破損させる事例あり。ウォルフェンデン嬢の名を出される可能性があるため、早急な対処を求める。

 関わった貴族令嬢のリストは別途添付』

『報告書をありがとう。リストに記載されていた令嬢にはそれぞれ釘を刺すように指示済み。

 ところでこれは純粋に興味本位だけれど、ストークス嬢の適性は何属性だったんだい?』

『五感がどのようにして脳に伝わるかご存じでしょうか。電気信号と言われております。ストークス家で家系魔法が使えるものは、代々雷以外の適性を持ちません』

「雷、は風の派生だっけ」

「そのとおりでございます」

 わざわざそんなことを聞きに来たのだろうか。王族とはもっと忙しくしているものだと思ったが、どうやら思い違いだったようだ。あまりに突然の訪問だったため、そこら中にわたくしが記載したメモ用紙が溢れている。自動人形達がそれらを慌ただしく処理していくのを面白そうに眺めながら、第二王子殿下は珍しいね、と言った。

「光魔法の適正を持たれる御身ほどではありません」

「あはは、君も嫌味が言えるんだねえ」

「ご気分を害されたようであれば、申し訳ありません」

「いいよ、気にしていない。本当のことだし」

 王族は代々水魔法に適性を持っている。王族の家系魔法自体が水魔法だからだ。逆に言えば、水魔法に適性がないと王位継承権すら与えられない。

 第二王子殿下は数少ない光魔法の適性者だった。それはつまり、彼には王位継承権がないことを意味している。

「周りが権力争いに巻き込むのを最初から諦めてくれるから、悪いことばかりでもない」

「さようでございますか」

「興味なさそうだね」

「とんでもございません」

 しれっと否定しておいたが、正直少しも興味なかった。第二王子殿下が王太子殿下を敬愛していることは有名な話だし、度々わたくしの部屋に報告を求めにくる様子からしても、間違いはないだろう。

「君は何になら興味があるかな」

「何も。わたくしはただ、尊い御身からの命令を遂行するまででございます」

 寝る間も惜しんで監視しなければならない上、外に自由に出ることも出来ないのに、何に興味を持てというのか。思わず笑いそうになってしまった。

 

 ※

 

『百五日目 雨

 先日報告した件について、進展あり。タッチェル家はタッチェル嬢を王太子妃、ひいては王妃に据えたいご様子。

 タッチェル嬢にその意志はなし。タッチェル家からの指示に酷く困惑しており、遂行する様子はなし。指示の詳細については別途資料を添付。

 ウォルフェンデン嬢、根も葉もない噂を流していた数人の生徒にご注意なされる。生徒のリストを別途添付。

 王太子殿下、本日はご公務のため学園に登校せず。

 ・特記事項

 王太子殿下がタッチェル嬢を気にかけているため、ウォルフェンデン嬢との婚約破棄が囁かれている。早急な対処を求む』

『こちらでも、タッチェル家のものと思われる間者を始末した。君の部屋に入るため、自動人形の真似事をしていたよ。なんとも無様だった。対処済みだが、君も重々気を付けること』

 

 ※

 

『二百日目 くもり

 王太子殿下とウォルフェンデン嬢が口論。タッチェル嬢が不用意に王太子殿下の近くにいた為、ウォルフェンデン嬢がタッチェル嬢に苦言を呈したが、その際のお言葉が厳しかったことから口論に発展。

 口論の内容は別途資料を添付。早急な対処を求む。

 ・特記事項

 昨日自動人形が持ってきた紅茶に毒が混入。自動人形が早急に気がついた為、影響はなし。報告書と共に提出いたします』

『報告ありがとう。兄上は口論に発展させてしまったことを後悔していた。明日、すぐにウォルフェンデン嬢に謝罪をするとのこと。

 また、紅茶の報告もありがとう。その紅茶を仕入れた業者と、業者と取引していたメイドは対処済み。新しい紅茶を自動人形に持たせておいたよ。もちろん、既に毒が入っていないか確認済みなので安心して欲しい』

 

 ※

 

『三百三十日 晴天

 学年末の試験も無事終了。王太子殿下、ならびにウォルフェンデン嬢の成績については問題なし。

 シンシア嬢がタッチェル子爵のご子息の手を借りて屋敷を抜け出し、コール伯爵家に保護を求める。身体に多数の折檻の痕あり。これらは全て、子爵とご夫人に依るもの。コール伯爵はすぐに保護し、怪我の手当を行った。また、王家への報告もあげている。

 ・特記事項

 最近前代コール伯爵の庶子の息子であると判明したアイザック青年だが、シンシア嬢の昔なじみであるとのこと』

『コール伯爵からの報告は受け取った。シンシア嬢本人もタッチェル子爵とそのご夫人にやられたものと証言している。裏では証拠が集まっていたが、これで名実共に動けそうだ。期待していて欲しい。

 アイザック青年については一度会ったことがあるが、どうやらコール伯爵家で働き始めたのは貴族に連れ去られた幼なじみを追ってきたとのこと。恐らくこれもタッチェル家が関与している』

 

 ※

 

『四百日目 晴天

 問題なし。本日も王太子殿下とウォルフェンデン嬢は仲睦まじいご様子。

 ・特記事項

 アイザック青年とシンシア嬢について、無事に国境を越え隣国の村に着いた様子。以降、観察対象から外す』

「無事に国境を越えられたようでよかった。いろいろと手配をするのに苦労したし、これで無事じゃなかったら潔く死んで貰うしかなかったからね」

 わたくしの部屋でソファーに座りながら、第二王子殿下はそんなことを言って笑う。わたくしはその言葉にそうですね、と適当な相づちを打つ。すると、第二王子殿下はくつくつと喉を鳴らして笑った。

「君は心にもないことを言うのが得意だね。それもストークス家で得た技術かい?」

「そのようなことはありません」

「そうかな?」

 第二王子殿下は笑顔のまま、懐から折りたたまれた紙を取り出した。それを自動人形に渡すと、そのまま自動人形がわたくしの執務机まで持ってくる。その紙を開くと、細かい表が書かれていた。

「学園で働いていた教師の一人から善意で聞き出したものをまとめてみたんだ。詳しく聞けば、彼はストークス家の遠い親戚で、家系魔法も味覚のみだが受け継いでいると言うじゃないか」

 そう言って、第二王子殿下は優雅な仕草で紅茶を飲む。わたくしはそれを横目で見ながら、心の中で舌打ちをした。第二王子殿下から渡されたのは、わたくしとその教師が事前に打ち合わせして決めた暗号表だ。全てを網羅しているわけではなさそうだが、これだけあればそれなりの意思疎通が可能だったことが分かるだろう。

「彼はタッチェル家がウォルフェンデン嬢を陥れるために仕掛けた罠を排除しながら、シンシア嬢とアイザック青年の仲を取り持っていたようだね。流石に一人で全てをこなしていた訳ではなかったけど、司令塔ではあった。黒幕は君だね?」

 ニコニコと誰もが見惚れるような笑顔を浮かべながら、第二王子殿下はわたくしの表情を伺っている。わたくしは努めて表情を崩さぬように視線を第二王子殿下に戻した。

「ええ。ウォルフェンデン嬢と王太子殿下が無事に婚約関係を維持できるよう、彼に指示を出したのはわたくしです。責はすべてわたくしにあります」

 元より、首が飛ぶ覚悟で行ったことだ。その結果としてストークス家が取り潰しになったとしても、お父様もお兄様も理解してくださるだろう。リスクを理解した上で、彼を学園の教師にしたのはお父様とお兄様だ。

「おや、随分と素直に認めるじゃないか」

 第二王子殿下が微笑んだまま立ち上がる。ゆっくりとわたくしに近づいて、執務机の上のペーパーナイフを手に取った。それをそのままわたくしに向ける。

「どうして僕を裏切るようなことをしたのかな?」

「申し上げる必要性を感じません」

 ひたり、とペーパーナイフの切っ先が首に当てられる。切れ味はさほど良くないが、それでも男性の力で思い切り突き刺せばわたくしの命を奪うのは簡単だろう。この場には他に自動人形しかおらず、わたくし自身も家系魔法以外はまともに使えないため身を守る手段はない。

「君はここまでされても怯えの一つも見せないね?」

「覚悟して行ったことでございます」

 いっそ、死んだ方が楽かもしれない。少なくともこの窮屈な日々からは抜け出せるだろう。そう思っていれば、第二王子殿下がくつくつと喉を鳴らして笑った。

「ウォルフェンデン嬢にも内通の疑いをかけるといったらどうする?」

 ひゅ、と意図せず喉が鳴った。その反応を見て、第二王子殿下が笑みを深める。

「ははっ、相変わらずだね君は」

 声を上げて笑って、第二王子殿下はわたくしから距離をとった。わたくしは咄嗟に思いつく言葉もなく、第二王子殿下を睨みつけることしかできなかった。何が面白いのか、第二王子殿下は笑い続けている。

「今も昔も、君が感情をあらわにするのはウォルフェンデン嬢の事ばかりだ」

「……ウォルフェンデン嬢は関係ございません。全てわたくしが勝手に行ったことでございます」

「知ってるよ。君を罰することもしない。例の教師だって、傷一つつけてないさ」

 肩を竦めながら、第二王子殿下はそう言った。思わず口から出そうになる罵倒を飲み込んで、わたくしは静かに呼吸を整える。

「それは、わたくしの婚約が決まったからでしょうか」

「おや、流石に耳が早いね。本当についさっき、ようやくストークス伯爵から了承を貰ったところだというのに」

 拳を握る。胸の内に渦巻く感情は、明確な怒りだ。

「君がウォルフェンデン嬢に懸想していることは知っているし、今回の事件を解決に導くため尽力した、という功績もある。よって、兄上とウォルフェンデン嬢の結婚式に参加することを許可しよう」

「……ありがとう存じます」

「ふふ、まあその前に何度か外に出る必要があるけれどね。君の父に侯爵の位が授けられることは聞いたかな? もちろん、お祝いの席には参加を許可するよ。そのあとは婚約式もある。僕は仮にも王族だからね、婚約にもいろいろ手間がかかるんだ」

 ため息を吐いている割には楽しそうに話している。わたくしの反応が面白くて仕方が無いのだろう。第二王子殿下は改めてわたくしの表情を伺い、おや、とわざとらしく首を傾げた。

「王族の一員となれるのに、ずいぶんと嫌そうだ」

「とんでもございません。わたくしには身に余る光栄でございます」

「そんなこと、少しも思っていなさそうだけれど」

「常よりこのような顔でございます」

 指摘されたとおり心にもないことを言えば、第二王子殿下はまた肩を竦めた。呆れ返りたいのはわたくしの方だ。しかしながらここでそれを言ったとしても何の意味もない。怒りの感情があふれ出しそうになるのをひたすら我慢する。

「君と僕は夫婦になるんだ、隠し事はなしにしようじゃないか」

 しかし、そう言って笑った第二王子殿下の表情を見て、ぷちん、と何かが切れる音が聞こえた。

「では一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんでもどうぞ」

「四年前、わたくしの食事に毒を盛るように指示を出したのは第二王子殿下ですね?」

 わたくしの言葉に、第二王子殿下は一瞬笑みを消した。しかしすぐに大声で笑い出す。

「ふふっ、ははは! 気づいていたのか、それは僕も知らなかったよ! いったい何時、気がついたんだい?」

「わたくしがここに囚われてすぐに、兄が突き止めました」

「流石ストークスと言うべきかな、君を無理矢理囲ったかいがある!」

 四年前、いや、彼の間者がストークスの屋敷で働き始めたのは八年も前だ。その時から全て計画されていたのだろう。毒で倒れたわたくしの身を守る為なんて建前で、王宮に『人質として』閉じ込めたのは、国王以外の命では魔法を使おうとしなかったお父様とお兄様を都合良く利用するためだった。お兄様が秘密裏に他国に赴いて間者のようなことをさせられているのも、お父様が寝る間も惜しんで不穏な動きを見せる貴族たちを見張らされているのも、わたくしの命は第二王子殿下が握っていると言っても過言ではないからだ。普段はわたくしの世話をしている自動人形たちだが、動力源は第二王子殿下の魔力である。第二王子殿下が望めば、自動人形たちはすぐにでもわたくしの命を奪うだろう。

「ストークス家の人たちは忠義心と正義感がとても強い。陛下も兄上もそれを良しとしているが、僕からすれば甘いと言わざるを得ない。けれど、それは美徳でもある」

「自ら汚れ役をなさる必要がございましたか?」

「わかっているだろう、ストークスの末の娘。君と僕は、同じ穴の狢なのだから」

 第二王子殿下は先ほどまでとはまるで違う、恐ろしささえ感じるような笑みを浮かべながら、わたくしのことを見る。

「十年前、幼かった君は初めて参加した茶会でストークスの蔑称を教えられた」

『卑しいのぞき魔ストークス』

 今でも鮮明に思い出せる。クスクスと響く笑い声と蔑む視線、一目ぼれした水色のドレスに広がる紅茶のしみ。そして、わたくしに唯一差し出された、小さくも温かな救いの手。

「笑われていた君を助けたのは、ウォルフェンデン嬢だ。

 ――そして君は、彼女に傾倒した。彼女の望みを全て叶えようとした。国王の命以外では使ってはいけないとされるストークスの家系魔法を駆使して、ウォルフェンデン嬢と兄上の婚約を結ばせるほどに」

 そう言いながら、第二王子殿下がわたくしに向ける昏い目の奥に燃えているのは、紛れもなく憎悪の炎だった。

「全部、君が招いたことだよ、リリー・ストークス」

 だから被害者面をするな。言葉にされなくても彼の言いたいことが分かる。第二王子殿下は、ずっとわたくしのことを憎んでいるのだ。わたくしが彼の最愛の人を、わたくしの最愛の人と婚約させたから。

「わたくしが手を回さなくとも、あなた様の恋は叶いませんでしたよ、第二王子殿下」

「それは君も同じだ、リリー」

 マグノリア王国の国教では、同性愛は罪だ。認められていないどころか、もし見つかれば凄惨な拷問ののちに処刑される。わたくしも、第二王子殿下も、この事が公になれば等しく処刑されることだろう。

「君が兄上を奪ってから、ずっとこの日を待っていたんだ」

 第二王子殿下はわたくしの首を掴むと、自らの顔を近づけた。鼻と鼻が触れ合いそうになるほど近くで、第二王子殿下がわたくしのことを睨んでいる。

「僕は兄上のためなら喜んで地獄に堕ちる。だがその時は、絶対に君を道連れにしてやると決めていたんだ。リリー、リリー・ストークス。僕と一緒に地獄に堕ちろ」

 憎悪の炎に身を焼かれながら、第二王子殿下は凄惨に笑った。だから私も、同じように笑い返した。

「わたくしはダリア・ウォルフェンデン嬢のためならば、地獄に堕ちる覚悟などとうにできています」

 第二王子殿下はわたくしの言葉に満足そうに笑い、突き飛ばすようにわたくしの首から手を離した。

「それでこそだよ、リリー・ストークス」

 わたくしへの憎悪を隠そうともしなくなった第二王子殿下は、そう言ってわたくしを睨みつける。

「殿下、一つだけお伝えしたいことがございます」

「なんなりと、どうぞ?」

 第二王子殿下は挑発するように語尾を上げてそう言った。だからわたくしも、挑発するように鼻で笑ってから、告げる。

「一人で地獄に堕ちろクソッタレ」

 決して、目の前の男のためには地獄に堕ちてなどやらない。道連れになどもならない。わたくしは、わたくしの愛を貫いて、その罪で地獄に堕ちるのだ。

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