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油の海  作者: 厠谷化月
東京湾哀愁(トーキョーベイブルース)
8/29

07

それからというもの、僕は彼女がいつもコンビニに来る時間にシフトに入るようにしていた。コンビニにはほとんど客が来ないので、バイトと言っても店番に近い。特にやることがないので、ずっと彼女とのことを考えていた。

実を言うと、僕はあの日のことを後悔している。僕は20年彼女に恋をしていた。しかし、僕が望んでいたのは、彼女と一線を越えることではなく、ただ、一度も経験したことのない恋愛というものにあこがれ、その真似事をしたかっただけのようだ。子供が、働く大人や、テレビのヒーローにあこがれて、お友達とごっこ遊びをしたがるように。

そう思うと、自分の未熟さが嫌になった。こんな生活を送っているのも、父の暴力という適当な理由をつけて、続けているが、本当は僕が東京の外でやっていく勇気がないだけだ。母を殺したのも、自分の未熟さゆえだ。

あの日から5日経ったが、以来彼女はコンビニに来ていない。それも当然だろう。僕は彼女の母におびえて、逃げるように帰るという失礼を働いたのだ。結局僕には、所帯を持つほどの力量などないし、このまま、猫耳少女の人形を集めては愛でる生活を死ぬまで送り続けるのだろう。

嫌なことを考えていると、より嫌なことを思い出してしまう。この悪循環を断ち切ろうと、僕は今日届いた雑誌の窓際の本棚への陳列を始めた。東京まで交通の便が悪いので週刊誌は3週間分一気に送られてきている。めったに客も来ないし、仮令来たところで、彼らはほとんど今後も東京に居残りを決めているので、外界の情報を急いでほしがらない。だから他ではありえない3週間遅れが許されるのだ。

片や東京の外はと言えば、とめどなく電脳空間に情報が発信され、それをどれだけ早く、大量に手に入れられるかに躍起になっている。それは物も同じで、人々はほしいと思ったものはいつ何時でもすぐ手に入れたがっているらしく、千葉や横浜には阿武隈物産の商用飛行船が浮かんでおり、そこからは絶え間なく小型無人機が吐き出され、制御された無駄のない動きで客のもとへ商品を運んでは帰ってくる。彼らは時計の秒針に急かされているようだ。東京は情報収集に急げるほど、電脳回線が立派ではない。外の発展に取り残された東京ではいまだに電脳通信網への接続に電話回線を使っていて、急ぐに急げないのだ。

遠くから、保健衛生局のサイレンいくつかが聞こえてきた。何台もの車がサイレンを鳴らしているようだ。だんだん近づいてくることがわかる。顔を上げると、ずんぐりとした保健衛生局の車が3台僕の家の方からきてコンビニの前を通り過ぎて行った。後続がいるようで、サイレンがまた近づいてくる。

アブラヅクリが生体に侵入すると、生体を漸次石油に変えていき、処置が遅れれば五臓六腑がアブラに変わり死に絶える。僕らは暢気に東京に住んでいるが、アブラヅクリの魔の手から完全に逃れられているわけではない。漏れ出してから20年、除染は進んでおらず、東京に住んでいれば、四六時中アブラヅクリにかかる危険性がある。それは飲み水や食べ物を経由することも、傷口から入ることもある。

もしアブラヅクリに感染して、死亡した場合、下手に遺体に触れてしまうと、触れたものも感染する恐れがある。それを防ぐために、保健衛生局が厳重に遺体を収容し、周囲の除染を行うのだ。しかし、人が1か所で10人死んでも、1台の車で処理できるとうわさされている局が、3台以上も出動させるとは、大ごとだろう。そんなことを考えていると、後続の車がコンビニの前を通り過ぎた。その後ろには、局の車より1周り大きな黒い車がついてきていた。道路のアブラヅクリを除染する無人車だ。人を乗せることを考えていない車体は、窓がなく、所狭しと、除染のためにノズルやブラシが生えていた。

後続の車のサイレンが聞こえなくなるころには届いた雑誌の陳列が終わった。次いで古くなった雑誌の回収を始めた。東京に残るという決断をするほどの気概のある若者も、20年という長い年月には屈したようだ。今や原宿にも若者は残っちゃいない。なので、若者向けの雑誌は軒並み売れ残っていて、長いこと日を浴びて紙が褐色に染まっているものもちらほらと見つかった。回収が終わると、そんな若者向けの雑誌を1冊取って、レジの奥で座って読んだ。

若者を鼓舞する内容が多い印象だった。成金らしい悪趣味な格好をした若い男の取材では、「人生はやり直せない。悔いのないように行動せよ。」だの、「やってみなければ成功しえない。」など、説教臭い文句が目についたが、僕はまんまと彼の言葉に鼓舞された。さっきまでの後ろ向きの考えを改めて、もう一度、晶子さんに会ってみようと決意した。

シフトを交代すると、僕は手土産を買おうと、店の棚を見て回った。10分店内を回って、あの日呑んだものより少し高いビールを4本買った。晶子さんの家でもビールが出たくらいだから、晶子さんも嫌いじゃなかろう。

西日が眩しい時間帯なので、ビルの影を歩いた。旧国道の周りのビルは高いので、影に困らなかった。ビール4本は重いが、晶子さんに会える楽しみに比べれば大した問題じゃない。

しかし、夕方というものは、人を不安にさせる魔力でも持っているらしい。僕はあと少しで盲腸街道だというところで、晶子さんが果たして僕と再びあってくれるか不安になった。3万円の支払いで、娼婦のような扱いを受けたとして怒っているかもしれない。僕も3万円を、一夜の相手のお代として出してないとも言い切れない。とにかく、あれは、思い付きで、後から考えれば、彼女のことも、娼婦ととらえていたかもしれない。第一、ご母堂への無礼もある。仮に今日会っても、流木のような異形のものを前に平静でいられる自身もない。

などと考えているうちに盲腸街道が見えてきた。今日も明るかったが、この前とは様子が違った。高架の下には焚火のような光が見えるが、何か違和感がある。遠目ではそれが何か判断できなかったので、僕は急ぎ足で向かった。

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