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油の海  作者: 厠谷化月
東京湾哀愁(トーキョーベイブルース)
6/29

05

コンビニでは店長が暇を持て余して雑誌を読んでいた。シフト交代ギリギリの時間に着いたが、急なシフト交換を知っている店長は僕を不問に付してくれた。シフトに入っても、結局店長と同様雑誌や新聞を読んで時間をつぶす羽目になった。しばらくして夕立で、一面硝子張りの壁に雨粒が当たり店の中が少しにぎやかになった。

いつものように中年のお客が1人来て、今日はおにぎりの他に傘を1本買っていった。その後大分時間が経って、高野君がシフト交代に来た。

「先輩、僕今日早く来たんでもうお帰りになっても結構ですよ。」

高野君が本棚から漫画雑誌を抜き出してこう言った。早く帰れることに越したことはないのでその言葉に甘えることにして、事務所へ引っ込んで着替えた。雨がまだ降っていたので、事務所のロッカーから取り置きしてある傘を取り出した。帰ろうと思い時計を見ると、11時40分を示している。いつもより10分早く帰れるが、晶子さんが来る10分前でもある。今日はせっかく香水を使ったんだし、僕はもう少し待ってみることにして、とりあえずトイレに行った。

トイレで時間をつぶそうと思ったが、トイレでできるのは用を足すことくらいなので、思ったより時間を費やせなかった。しょうがなくいつもは水に手を付けるだけだが、今日は石鹸を使って、入念に手を洗って時間をつぶした。それでもまだ5分くらいしかたって居らず、いったん事務所へ戻って自分のロッカーを整理した。といってもロッカーには大して物を入れているわけではなく、底の方に置いてあった古いポケットティッシュを取り出して、ゆっくり鞄に入れた。

ゆっくり鞄を閉めていると、チャイムが鳴った。客が来たということを示している。事務所から店の方を見てみると、そこにはやはり晶子さんが、襤褸布のようなスカートをまとって来店していた。僕は鞄と傘を持って店へはいった。彼女は傘の売り場で、傘を取ろうとしていた。

「僕、傘を持っているから送ろうか?」

僕は思い切って言ったみた。

「じゃあ、野口君、お願い。」

そう言ってレジの方へ向かった。考えてみれば、20年ぶりにあった顔見知りにそんなことをする義理などなく、下心が透けて見える。晶子さんが断っていたら大変な醜態をさらすことになっていただろう。

彼女は今日も風邪薬を3箱買ってこちらの方へ戻ってきた。

「ちょっと遠いけど大丈夫?」

「今日暇だから大丈夫。」

 雨脚はまだ弱まっていない。1本しかない傘なので、相合傘をすることになった。巨漢の僕は晶子さんが濡れないように、外側の肩が傘から出さざるを得なかったが、それでも20年余来の思い人と相合傘をするという喜びはそれに勝る。喜びに歩調は早まろうとするが、かろうじて理性が押しとどめ彼女の歩調に合わせる。足元は悪く、襤褸布が水を吸って重そうだった。

コンビニから先は僕の家とは反対方向へ進んだ。コンビニと自宅とを往復してしかいないので、その道はマンションを見つけた時に通って以来通っていない。おまけに彼女がどこに住んでいるのか知らないので彼女が進むがままについていくような形となった。20年という時間はあまりにも僕と彼女を隔てていたようで、特に話すこともなく歩き続けた。20分くらいすると太い道に出たが、左右には静寂と暗黒に包まれた高い建物に挟まれて窮屈に感じた。桜石事件以来整備もされていないようで、暗い中足元に常に気を配らなければならず神経を擦り減ってしまう。左右のビルの窓ガラスはほとんど割れ放題だ。ところどころにある朽ちたサラ金の看板は、それが活躍していた当時に引けを取らず、その単純な意匠が目を引く。

「ごめんね。もう少しだから。」

彼女がそう言った。

「気にしないで。この道をいつも通ってるの?」

「ここ1週間は毎日。近所じゃ風邪薬が品薄になってね。」

「その、スカート?履いてたらこの道を歩くのに難儀しない?」

「もう慣れた。」

「いつも履いてるの?」

「うん。これ履いているうちは、きれいだったころの私のままでいられる気がしてね。」

彼女は諦めたような口調でそう言った。

「いまでもきれいだよ。」

自然とその言葉が出た。しかし、その言葉を聞いた彼女は僕のことを訝しむのではないかと怖くなった。彼女のありがとうという一言で、僕たちの間に静寂が戻ってきた。足元に三角形の板が落ちていた。この太い道が国道だったようだ。

 さらに進むと道路を横断する高架が見えてきた。そのころには足元も少し見やすくなっていた。気づくと、周りのビルの窓がいくつか明かりを漏らしていた。さらには、何やら音楽もかすかに聞こえてくる。高架の下には火が焚いてあり、その周りに4,5人の人が集まっていた。さらに進むと高架下に集まる人のシルエットに違和感を抱いた。よくよく見てみると、彼らには角なり尻尾なりが会えているのである。

「エルフ?」

僕は思わずそう言った。エルフの存在はまことしやかに語られてきたが、実際に見たことはないのである。それが目の前には多数のエルフが集まっているのである。

「盲腸街道よ。忘れ去られたこの道を私たちはそう呼んでいるの。盲腸街道はね、のけ者にされたエルフの集落になってるの。」

さらに進んで高架下を見渡せるようになると、なるほど彼女の言う通り、高架下は一つの村邑を成していた。最盛期の東京ほどではないものの、当世東京でいちばん栄えているといっても間違いではないのではないか。高架を屋根として、このビルとビルの細い間に店が点々とある。店で騒ぐ酔っ払い、彼らに愛想よく酒を出す店主、柱のそばで楽器を奏でる者すべてが異形のエルフであった。彼らの着ている服は様々なものであったが、どれもすすけていたり、シミだらけであったり、襟が広がりきっていたりした。神話やファンタジーの世界で語られるエルフの牧歌的なイメージとは違い、彼らは猥雑さが目立った。彼女の履く襤褸切れのようなスカートは、そんなエルフたちの中では珍しいものではなかった。

 高架下に着くと僕は傘を畳んだ。

「傘、ありがとう。」

「暇だったから気にしないで。」

「ごめんね、肩濡れちゃってるね。家、すぐそこだから寄ってく?」

願ってもいない誘いだった。昨日今日再開したばかりの仲なのだが、あらぬことを期待してしまう僕もいるが、一方で彼女とはプラトニックであるべきだと冷静でいる一面もある。答えあぐねていると、彼女が僕の腕を引いて高架下を進んだ。

 エルフばかりの中で僕ら二人、おそらく唯一の人間だろう。いつもとは違う類の孤独に僕は落ち着かない。そもそもエルフとは人工的に作られた、使役のための肉人形の類であり、彼らがここで生活しているのは不可解である。使役のために作られたので集団で生きていくほどの能もないはずである。おそらく彼らは脱走してここに隠れ住んでいるのであろう。僕は少し怖くなった。

「ちょっと汚いけど、上がって。」

灰色のすすけたビルの前で止まった彼女が言った。そのビルは、よくある東京に残されたビルの1つで、入り口は他にあるのか、高架下に面する壁を壊して入口にしている。その穴から入る。そのビルは何かしらの企業が入っていたようで、廊下には「総務課」と書かれた白い長方形の板が落ちていた。黒ずんだリノリウム張りの黴臭い暗い廊下で、彼女は突き当りまで進んだので、僕もついていった。

 右側のドアを開けて中へ入った。彼女が電灯をつけると、おそらく仮眠室であったのだろうそこにベッドが4つ並んでいることが分かった。そして不思議なことに、ベッドの1つには流木が寝かせてあった。部屋は窓がない分外寄りは涼しく、空調も聞いているのか、断続的にブーンと音がする。

「奥がシャワーになってるから先に入ってて。後でタオル持ってくるね。」

そう言って奥のドアを指した。ドアの奥はタイル張りになっていて、洗面台や、カーテンで仕切られたシャワールームが横に並んでいる構造だ。廊下とは打って変わって、清潔に保ってあった。僕は洗面台で服を脱いだ。雨でぬれたため、服が体に張り付いて脱ぐのに難儀した。裏返ってしまったがなんとか脱ぐと、いつもはやらないが、服を畳んで、シャワールームの1つへ入った。半畳ほどしかなく、太った僕には窮屈だった。蛇口をひねると、お湯がすぐに出てきた。ドアが開く音がしたので、彼女がタオルを持ってきたのだろう。彼女が出た後も、しばらくシャワーを浴びていた。

 シャワーから出て洗面台に置いてあるタオルで体をふいた。着てきた服は乾かしてくれているのか見当たらなかった。代わりに白いタオル地のガウンがあったので、それを着てシャワールームを出た。

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