02
「先輩、唐揚げ揚がりましたよ」
という高野君の声で、唐揚げを頼んでいたことを思い出してレジに向かった。
「さっきのお客さん、よく来るの?」
僕は突然の再開に歓喜して上がりそうになる口角を抑えながら高野君に聞いた。
「ここ3,4週間くらいからたまにいらっしゃいますよ。お知り合いなんですか。」
高野君は唐揚げを袋に入れる手を止めた。
「昔のね。」
「もしかして、片思いしてました?」
「そんなことない、ただの知り合いだよ。」
僕は悟られないようになるべくそっけなく答えた。
「でしょうね。先輩の嗜好は猫耳ですからね。」
高野君は目で3年前からおいてある、景品用のフィギュアを指した。僕はそのフィギュアの少女の現実から乖離した身体が好きだった。しかし、僕は高野君の言うような猫耳好きなのではない。尾てい骨から生えた尻尾が好きなのであり、大概の尻尾のついた少女のフィギュアに猫耳が付いてくるから猫耳好きに見えるだけなのである。
「先輩、250円です。」
僕は高野君に言われるがまま旧円で唐揚げの代金を支払った。高野君はレジスターに小銭を律儀に分け入れて、POSへも入力をした。
「現金も時代遅れかな。」
「よそじゃ第3次情報産業革命が始まっていて、現金はほとんど使ってないみたいですよ。」
「旧東京は見捨てられてしまったか。このコンビニもいつ店じまいかわからない。」
「この辺は桜石の人間がいるから、東京油田が枯渇するまではこのコンビニも安泰ですよ。」
高野君は鷹揚に言った。
コンビニから一歩出ると、生暖かい風に乗ってガソリンスタンドみたいなにおいが鼻をついた。海沿いのこの辺りは、始終ガソリンのにおいが漂っている。僕は弁当を2人分持ち帰ってしまったことに気づいたが、直後に彼女にまた会える可能性があるという気づきが頭を満たした。左腕の時計は11時50分を示していた。
僕は彼女と旧東京で再開できたことに驚いていた。桜石事故とそれによる製油生物・アブラヅクリの流出で引き起こされた首都機能と都民の地方分散が起きた。僕はいままで彼女もそのあおりを受けてどこかへ行ってしまったと思っていた。
思ってもみない彼女との再会に、私が興奮を抑えられるはずがない。なぜなら、その女、石村晶子は、僕の初めてのそして唯一の想い人だからだ。いつも通り街灯が一つもともらない中、唯一僕を照らす頭上の月が私を祝福しているように感じた。もはや隘路となった国道の成れの果てでも足取りは軽かった。
海沿いの道に出ると、ガソリンのにおいが強まった。この道は数年毎にアブラヅクリの侵蝕を防ぐための加工を兼ねた整備がなされており、通行人が少ないのも相まって瀟洒なさまを保っている。
しばらく歩くと中型マンションに着いた。僕は贅沢にもこのマンション1棟まるごと住処としている。
東京から人が逃げてから、ほぼすべての建物が空き家になった。僕はそのうち、電気や水道が通っている建物を探しているうち、定期的に整備されている道沿いのこのマンションを見つけて住み続けている。住民が逃げだしたマンションは、もはや現役の状態を維持しているはずもなく、201号室の風呂場と和室、303号室の台所と居間、308号室の寝室など、かろうじて使用できる状態の部屋を使いまわして住んでいる状態だ。
僕はマンションの裏側へ回り込んだ。駐車場だったと思われる空き地は、アスファルトを突き破って雑草が生えて草原のようになっているが、それをいとわずに駐車場を突っ切った。そこには、コンクリートの壁が崩れてできた穴があり、マンションの建物内へはいれるようになっている。マンションの正面玄関もあるが、電灯で明るさを保つ造りになっているがために窓が少なく、日中でも明かりが入らないのに加えて、水道管が割れて適度な水を随時補給しているのもあり、気持ちの悪い生物の巣窟となってしまって、通りたくないのである。
扉が開き放たれ、割れたタイルに枯れ草が積み重なっているエレベーターを横目に、階段で3階まで上がり、308号室の台所の壊れかけの冷蔵庫に持って帰ってきた弁当などをいれた。
コンビニからの帰り道は夜でも蒸し暑かったのでいち早く汗を流したかった。お母さんの遺体のある201号室を避け、予備の風呂場のある402号室へ行った。
中産階級の家族向けに設計されたであろうこのマンションはどの部屋も似たり寄ったりの3LDKだが、4階の部屋は他の部屋より高い部屋だったのであろう。部屋も1部屋多く、各階に9室ある部屋も4階だけは6室しかない。402号室の風呂場も、他よりも広いので使うのがもったいないと思い予備の扱いにしていた。だが、晶子さんに会えた今日くらいは使ってもばちが当たらないだろう。柄にもなく鼻歌なんかを歌ってシャワーを浴びていると、耳の奥で叫び声が聞こえた。明らかに死んだはずのお母さんの声だった。和室でまだ叫んでいるのだろうかと思い、シャワーも早々に切り上げて、碌に体も拭かず402号室を出た。階段も2段飛ばしで降り、201号室の扉を開けると、叫び声が消えた代わりに、饐えたにおいが鼻の奥を刺激した。
重い足どりで部屋の奥へ進むにつれその匂いは強烈になっていく。和室へ着くころには、着ているシャツの襟で口元を抑えないと耐えられたいほどに強くなっていた。和室を見ればそこには脱ぎ散らかした服のように体を捻じ曲げたお母さんが横たわっていた。散々暴れて乱れた布団には茶色い液体が広がっていた。
夏の日に半日放置した遺体は、既に人としての尊厳を守る勤めを放棄していた。僕は遺体がそんな様になっている心積もりをしておらず、それを片付ける気が起きないまま、部屋の隅のところどころに綿が出ているソファーに座り込んだ。