悩み相談の場所(5)
そう、練習をぶつけられそうになったところで、教室の中に、控えめなノックの音が響いた。
「あ、どうぞ」
リーサリスが外へ向けて返事を送る。おかげで何とか殺されずに済んだ。
命拾いしたことに安堵している間にも、教室のドアは開き、
「し、失礼します」
一人の女の子が、この教室へと入ってきた。
一見すると地味な印象を受ける。
この学校の、ブレザーのような制服に身を包んだその姿は、どこも特別な感じがしない。【呪い】だけの学科に用事があるようには見えない。
トーバードさんにはある物静かな感じすらも彼女に無く、本当に一般人的雰囲気がそこにはあった。その雰囲気こそが特別だと言わんばかり。
背丈も普通で顔立ちも普通。
トーバードさんのように小柄で少しふくよかな訳でもなく、けれどもリーサリスのように長身でスラりとしている訳でもない。
本当に、普通なのだ。
覚えていられる特徴の数が少ないのが特徴――と言ったら失礼か。
ボクも似たようなものだし。
「で、どうかした?」
「えっと……ここって、悩んでいることを聞いてくれるん……ですよね?」
「……ええ、もちろん」
よく分かっていないボクに変わって、リーサリスが彼女に近づきつつ応対してくれる。
「とりあえず、その入口から近い席にでも座って」
「はいっ」
リーサリスに促され、少し安堵した表情を浮かべる女子生徒。
緊張していたせいだったのだろう。
その浮かべた表情は少し可愛く見えた。きっといつもは愛嬌のある子なんだと思う。
「……悩み相談なんて、やってるの?」
「い、いえ……やってない、です」
「え? そうなの?」
静かにトーバードさんの隣に移動して小さな声で訊ねると、思いもよらぬ返答がきた。
「リーサリス、なんか手慣れてる感じがしたから、てっきり日常茶飯事なのかと……」
「何かと変化がある、という意味では……はい、日常茶飯事です。
この学校もこの国も、何もかもを含めて、この世界は常に変化していますから」
緩やかに成長している……という意味合いで使っているのではないことが分かった。
その“変化”というのはきっと、文字通りの変化なのだろう。
勉強において物理科目を覚えるだけ無駄と言っていたけれど、きっとこういうのと同じだ。
覚えた常識は、記憶に残っていればいるほど違和感として残ってしまう。
変化したという結果を知るためには必要な知識なのだろうけれど、それとは別に、変化しているということが分からづらい事柄は、覚えていてしまっては不利なこともある。
だからこの国や世界のことを、社会科目で覚えておくのは良いけれど、イザという時にしか変化に気付けない物理法則は、慌てて覚える必要がないと言ってきたのだ。
「……もしかして今更だけど、ボクが転校してきた翌日から増えていた、この席数も……?」
「……はい。いつの間にかこうなっていました」
「マジか……」
転校初日は八席ぐらいしか無かったはずなのに、翌日には今日のように二十五席になっていた。
てっきりルーベンス先生が増やしたのか、はたまた学校側が増やしたのだと思っていたが……。
……なるほど。
未だに壁の向こう側にある、普通の学校クラスは騒がしい。
それなのにこの子はそこを抜け出して、こうして相談に来てくれた。
これもまた、急に起きた変化の一つということか。
この【呪い】を教えるクラスは、悩み相談を受けてくれる。
そしてそれは、授業中に抜け出して訪れても問題ないようになっている。
【呪い】の影響を受けた二人と転生人であるボクには、その新しく変化した“当たり前”を覚えていなかったが……そうでないあの子は当然、その変化を覚えていた。
そしてそのことをすぐに把握したリーサリスは、ああして彼女の応対をしてくれた。
……もし一週間前に彼女が辞めていたら、ここは軽いパニックになっていたな……。
「それで、悩み相談の内容は?」
訪れた彼女の隣に座りつつ、事情を聞き始めるリーサリス。
この変化を受け入れて話を進めているのは、こうした変化が転生人の仕業でしかないことを知っているから。
もしかしたらここから、この気安く世界を変化させる転生人に繋がる可能性があると、考慮しているからだろう。
無自覚の世界改変。
ソレを自分が行っていると知った転生人は、二度と使えない特殊能力。
コレを止めるために、この【呪い】を扱う学科は出来ているのだから。
「……と、その前に、名前は?」
「あ、すいませんでした。
私、カナコと申します」
「カナコ……?」
「えっ?」
いきなり遠くから気安く名前を呼ぶボクに驚くカナコさん。
「なに、知り合い?」
窓際、トーバードさんの近くに立っていたボクを振り返りながら、リーサリスは訊いてくる。
「ああ、ううん。知り合いじゃないよ。
えっと、始めまして、です」
「あ、ですよね。良かった……覚えていなかったので」
「ごめんごめん。急に馴れ馴れしかったよね、カナコさん」
「いえ。別に問題はないですよ」
それならばと、これからもカナコと呼ばせてもらおう。
「それなら良いけど……彼女の話を止めないようにしてよね。
で、あたしはリーサリス。
さっき話を止めた男子がイオリ。
そこの机に座って真面目に勉強してるのがトーバードよ」
トーバードさんが座ったまま軽く頭を下げたのを確認し、改めてリーサリスが先を促す。
「それで、悩みってのはなに?」
「その……漠然としたものなんですけど……良いですか?」
どうぞ、と手を差し向けられたカナコは、言うのが少し恥ずかしいのか、少し視線を彷徨わせて間を開いた後、ようやく覚悟が決まったのか、その言葉を口にした。
「……私、このまま生きていくのが、不安なんです」