不安が暴れる日々
人生予期せぬことはいつだってくる。
私は大学四年生で医療系の学校に在籍している。もうここまできたら卒業が見えてくる。残りの授業を受ける日数は100日を切っていて、12月と1月にある卒業判定試験に受かれば卒業はできるし、3月にある国家試験に受かれば、目標である資格取得が達成する。あと少しだ。しかし、人生というのは予期せぬことがいつだって起こる。それは他の誰かのことじゃない。私にも当てはまる。
何かを感じ始めたのは8月27日だ。8月というのは夏休みであるが、私は学校の図書館に行き勉強していた。図書館が閉まっている時は自分の部屋で勉強をした。恥ずかしい話、中学、高校と私はスポーツの実績があったので受験勉強、定期試験の勉強もろくににしてこなかったので、この大学四年生の夏が人生で一番勉強をした。しかし、その8月27日。まるでピンと張っていた糸が切れたように勉強に対する意欲がなくなった。どの教科の勉強をしても、勉強の方法を変えてみても、集中ができなくなり、身に入らなくなった。そして9月になり、夏休みの成長をみるテストが行われた。8月の後半は勉強をしてこなかったが、夏休みの前半は人生で一番勉強をしたわけだし、そこそこの点が取れているかも知れないと期待をしていた。しかし、後日。点数が発表されたが私の点数は上がるどころか、10点以上も下がっていた。(このままだとヤバイ)そう思った。当然、国試の合格出来る点数を取っていないし、それは卒業が出来ないことを意味する。『卒業判定試験で卒業を決めるのだが国試合格出来る点数が取れない者は落ちるからだ。』私は焦った。結果を知った後日。私は9時から20時まで学校で勉強をした。(もっとやらないと合格できない。卒業できない。もっと勉強しないと、もっと覚えないと)という気持ちだった。しかし次の日。シャーペンが握れなかった。イスに座り、机に向かうこともできなかった。勉強をすることが怖かった。
自分で勉強ができなくなった私は、授業だけでも受けよう。授業を受けていれば、少しは点数も上がるだろう。そう思った。朝起きて、教科書をノースフェイスのリュックに入れ、クロスバイクの空気圧を調整して学校に向かった。しかし、学校に進むにつれて心臓がバクバクなり、鼓動が速くなってくる。それに喉が閉まってきて、吐き気もする。私はとうとう自転車を漕いでいられなくなり、遊歩道に止めて、どうにかこの鼓動が収まって、吐き気が収まってくれとしゃがみ込みながら必死に耐えていたが、もう苦しくて苦しくて、いっそ殺してくれと思うけど死なないし、辛いのは治らなくて、ついに道の真ん中で倒れてしまった。
実は私はこれが初めてではない。高校3年の6月に、心にこれまでにない大きな傷を負ってしまい、不安になると、もうどうすることもできない吐き気がするようになった。私は当時、身体がおかしいくらいにしか思わず、おそらくは逆流性食道炎か何かの病気だろうと消化器内科に行き、検査をしたが全く異常は見られず、先生は
「数値を見てもおかしい所はなく、健康です。精神的なものだと思われますので、精神科医に見てもらって下さい」
そう言った。しかし私はスポーツでインターハイを目指すような学生であり、メンタル面では誰にも負けない。自分との勝負だと言い聞かせて精神科には行かないことに決めた。それから何度か苦しくなることがあったが、保健室にお世話になりながら、無事に高校は卒業できたし、大学も合格したのでもう大丈夫だ、克服した、勝ったんだと思っていたがまたこれだ。そして今度は学校に行こうとするだけで発症してしまう。
大学の授業は1教科15回あり、4回休んだら単位はもらえない仕組みになっている。だから(何とかして授業にでないと)と思い、車で行けば良いんだ!朝に散歩をしてから行けば良いんだ!筋トレをしてから行けば良いんだ!と、ネットにあるパニック障害を治す方法、ストレスを少なくする方法を色々試してみるがうまくいかない。そして、高校の時に心に傷を負った私は、自信をなくし、人を避けていたがために、心から信頼できる友人はいなく、日が進むにつれプレッシャーと焦りに押しつぶされてしまった。部屋の明かりを消して、外の雨の音に耳を澄ませ、天井の一点をぼーっと見つめている時、とうとう近くの精神科に行くことを決めたのだった。
9月14日。メンタルクリニックが営業を開始したすぐに電話をかけた。(今日でこの不安とはおさらばだ。やっと解放されるんだ)胸は期待でいっぱいだった。しかし電話に出た受付の人は
「予約があって診察は10月の2日16時15分になります。」
と言ったのだ。(そんなバカな!あと二週間も私をほったらかしにするの?!)と思ったが私にはこれしかないのだ。予約があるなら仕方がないと思い。
「分かりました」
と力無く返事をした。
「保険証と普段飲まれてる薬があれば持って来てくれるか、お薬手帳を持って来てください。お待ちしてます」
この二週間、できるだけ学校に行って授業を受けよう。幸い、月曜日の授業は、敬老の日と振替休日でお休みだ。私ならできる。私はできる。目に涙を浮かべながらそう唱えた。
不安です。吐き気がします。辛いです。でも生きたいです。幸せになりたいです。ちょっとだけ力をください。ちょっと頑張ってみます。
良い人も悪い人も幸せになって下さい。