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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

MIA

作者: たがみ

私という存在は、物心ついたときに死んだ。


正しく言うならば、本来あるべきであった「私」だ。


両親が将来を期待した「私」。これから会っていたであろう人たちが求める「私」という理想像。


姿形、瞳の色、髪、指、爪、足も。


何もかも私じゃない。違かった。全部、間違い。設計ミス。


私はほかのみんなと違っていた。オトナの言うことが正しいことは小さくてもわかってた。


「パパ」と「ママ」が言うんだもんね。それは正しいや。


そう、彼女と出会って。


私は本物になれたんだ。

『ねえ』


『ねえってば』


『あなたってすごく可愛い、本当よ?私、あなたみたいな子と仲良くなりたかったの』


『あなたって、周りの子たちと少し違うなって。ううん、もちろん良い意味で』


『あなたのことは……そうね、「みあ」って呼んでもいい?』


『みんなが呼んでるのとおんなじだと面白くないでしょ?だから「みあ」。どう、可愛いでしょ?』


『「みあ」ー!一緒に帰ろ?』


『あ……もう五時なんだ。「みあ」といると楽しくってすぐ時間が経っちゃうね。バイバイ、また明日もお話ししようね、バイバイ」


『あーあ。最近ね、クラスの子たちとお話するのが楽しくないなって思うの。だって「みあ」とお話してたほうがずーっと楽しいんだもの。クラスの女の子たちってば、好きな男の子のお話とか、お洋服のお話とかばっかり。……みんなが「みあ」ならいいのにね』


『修学旅行は同じ部屋になれなかったでしょう?だからお父さんに頼んで「みあ」をうちにお泊りしてもいいってすっごくお願いしたの。お父さんったら、二人でなんて絶対ダメだってすっごく汗かいてたのよ?』


『ねえねえ!「みあ」聞いて!お母さんがどうしてもっていうならって、お父さんが出張でお家にいない日にならいいよって。ふふっ、楽しみだね!』


『ねえ、「みあ」?私ね、知ってるよ。「みあ」のこと、ぜーんぶ。でもそれは誰にも言えないことなんだよね。ううん、大丈夫。誰にも言ったりしないし、「みあ」が変だなんて思わないよ。ずーっと、ずーっと二人だけの秘密だよ」


『……私ね、いつか「みあ」と私が離れ離れになっちゃったらどうしようって、最近不安で眠れなくなる時があるの。ふふっ、そんなこと本当にあるわけなんかないのにね」


『……今日で小学生なのも終わっちゃうね』


『「みあ」、この後……さ、少し時間あるかな。

 大事な、私たちの話がしたいから」


彼女との想い出は、オトナたちにとったら大したたかだか数年の出来事かもしれないけれど、私たちコドモにとっては途方もないほど密度だったと思っている。


私は彼女のことが好きだ。

誰よりも彼女を好きだと思っているし、私にとっては実の両親以上に互いを信頼しあっていると思っている。……少なくとも私は。


そして彼女もそう思っている。一時の冗談ではないことは目を見ればすぐにわかった。

それなのに私の中では、彼女との想い出が始まりから今まで、加速度的に掘り起こされていく。


今は想い出に耽るべき時間ではないのに、目の前で起きている現実に思考が追い付かない。ある種の逃避。嫌だから、じゃなく、予想外の出来事に対する防衛反応……みたいなものかもしれない。


体中が強張り、目が泳ぐ。さっきまで私の「普通」でいてくれた彼女が、今では目も合わせられない。


動揺する私を見て、彼女は決心がついたように、背中を向ける。


「ごめん……こんなこと言われても困っちゃうよね」


「みあと私はただの友達で、みあが私をそういう風に思えないんだって言うのもわかってたのに。本当、ずるいよね、私」


「……さっき言ったことは忘れて。本当に、本当になんでもないから」


そう言って彼女は私に背を向けた。

……彼女は今どんな表情をしているだろうか。


いつもの拗ねた時みたいに唇を嚙み、眉間にしわを寄せたりしているかもしれない。

それとも、今まで私に見せたこともないような哀しみに暮れて、ぐしゃぐしゃに泣きじゃくっているのかもしれない


「みあもさ……そろそろ”普通のお友達”と一緒に居たほうがいいんだよ。

 私たちももう、そういう時期なんだと思う」


「今までも何回も囃し立てられてきたでしょ?これからだってそうだよ。だって、私たちは”普通”じゃないんだもん」


「……ごめん、それを一番気にしているのはみあだよね」


「……」


「今までありがとう。……あと、バイバイ」


それが私と彼女が交わした最後の言葉。いや、彼女は一方的に置いて行ってしまった。

彼女が長い時間をかけて紡いだ言葉の意味、勇気、決心。それらがどんなものであったか。いつもみたいに聞いてみたりさせて欲しい。


叶わないとわかっていても。


私は沈黙することで、彼女を深く傷つけ、そして遠ざかっていった。


──私は中学生になった。


先日の出来事は悪い夢か何かで、新しい校舎になればそれが覚めるんじゃないかなんていう考えもどこかにあった。


しかし、それは初日にして崩れ去った。……彼女は私を極端に避けていた。

理由は明白だった。そして、それが彼女なりの優しさでもあることはわかっていた。

「新しい環境」を構築するならば、彼女の存在を遠ざける必要があるのは確かだった。


そんなのわかってるけど……酷い。


……


……酷いのはどっちだ。


慣れるまでに時間はかかったが、彼女の言う通り、私たちはそれぞれに新しい友達を作った。

私は一緒に居た時には考えたこともなかったが、彼女は意外に世渡り上手だった。


すぐに何人もの女の子の友達を作っていたし、一部の男子とも繋がりがあるように見えた。

一方私は、女の子の友達を作るどころか、会話すらほとんど出来ないまま、クラスで真ん中くらいの立ち位置の男の子の友達二人といるようになった。


別に上位にいたいとは思わなかったし、かといって下位にいれば嫌な目に遭わされることは明白だったので、私にとってはちょうどいい立ち位置だったと思う。


彼らとの時間は最高とは言い難かったけど、孤独を紛らわすには十分だった。

むしろ、周囲から浮いている私に気を使って話しかけてくれているだけ、私は彼らにそのような評価を下す権利なんてないのだ。


彼らとの話は専ら、クラスの女の子に対する不平不満だとか、上位の男子の振る舞いに関する文句、最近発売したゲームの話だとか、そんなことばっかりで、私は彼らに共感することで日々をやり過ごしていた。


二人が熱中しているときはいつもついていけなくて、苦し紛れに愛想笑いをした。


それが伝わってしまうと二人は決まって申し訳なさそうに、私にも理解できる日常の限りなく平凡な出来事について私に話した。


「友達」ではあるのだけれど、「親友」ではない、という感覚。

常に気を張っているわけではないけれど、緩められるかと言えばまた違った。


私は彼らを「友達」と思っているけれど、彼らにとってはクラスの「隣人」かもしれない。

そんなことを考えることに時間を浪費し、日々をもどかしいままに過ごした。


そうしてようやく、私はすっかり、「友達」という人間との関わり方を忘れていることに気づいた。

私という存在は、つまるところ彼女という存在にすべてを構成させられていたのだ。

そうすることで”私”を保っていたのだ。


今の私は不完全な、見た目だけを模した肉の塊。電池か、バッテリーか、なんだかわからないけれど、”私”を動かすには不十分であることは確かだった。


……わかっている。そう考えても仕方ないってわかってる。



それでも私は未だ割り切れなずにいた。数か月前まで、私を輝かせた彼女との想い出は、今ではむしろ、私を傷つけた。


反面、廊下ですれ違う彼女はいつも楽しげで、私のことなど頭の隅にほんの少しだって残っていないみたいに通り過ぎていった。私と彼女の違いは白と黒みたいに正反対を向いていた。


この前までは同じ色だったのだ。二人が”合わせた”色じゃなく、私たちは二人”合わせて”白だったのだ。彼女はそれを私から吸い取って、手の届かない場所へ行ったのだ。黒だけを残して。


……今日も彼女とすれ違う。


そのたびに私は、それまでのことを全部忘れたいだとか、知らない人のふりをしてみたりだとか、トイレなら次の休み時間に行けばよかっただとか、下を向いて歩いていればよかっただとか、つらつらと後悔を頭に綴った。


そう考えだすようになってからは、私は自分の席からはあまり動こうと考えなくなった。


それはつまり、彼らとの会話が増えるという事でもあったが、私の頭の中はいつもそれどころではなく、前よりも耳に入らなかった。


かといって気まずい時間を作るのも嫌で、不眠症というキャラ付けのもとに寝たふりに没頭した。

最も、不眠症はあながち嘘でもなかったわけだが。


腕で覆い隠された闇が怖かった。自分自身の作った暗闇に怯えていた。

それでも隙間からこぼれる光を、腕をきつく組むことで隠した。


……何も聞きたくない。ふと机から顔を上げれば、教室中が私に指をさして、貶して、ありもしない噂を広め、どう苦しめようか話し合っているんだと考えていた。


誰も彼も、私を笑っている。

そうに決まっている。理由がない?


それならば私が笑われない理由とはなんだ。

いつも下ばかり見ていて、目立ちもしなくて、何も得意なことがない。

好きなこともない。何かに熱中したこともない。


この前もクラスの上位の生徒に、バスケットボールで相手にボールを取られたことを怒られたし、サッカーも絶好の場所からのシュートを外して呆れられた。


嫌いになる要素ならいくらでも浮かんだ。私を笑うことはそれほどに容易なことなのだ。


……じゃあ彼らはどうだ?

影では私を笑っているのかもしれない。二人は私を寝坊助キャラだと理解してくれたけど、全部嘘だってわかっていて、体よく無視しているだけかもしれない。


どこかへ遊びに行こうなんてなっても、私だけは呼ばないで二人だけで楽しんでいるのかもしれない。後から聞けば家にいたなんて平気な顔して私を一人にするかもしれない。


どうして誘ってくれないのか。私は二人の友達なのに。


私は「友達」にはなれないのか。


……ありもしない被害妄想が頭の中を何度も駆け巡ることがその頃から当たり前となっていた。


──それからはほんの些細なことに傷ついたり、慰められたりを繰り返していた。

あまり話したことのない同級生に話しかけられると、彼らは突然光を放ち、救世主のように輝いて見えたし、しばらく話しかけられなければ何がいけなかったのかを小一時間考えた。


後になってから、あの時の返事はああすることがベストだった、とか、あの話もできた、とか、出来もしないことでくよくよした。


つまるところ、私の心の浮き沈みの激しさにクラスメイトを巻き込んでいるだけなのだ。

その日、その日ごとに都合よく、この人は良い人、悪い人、良い人、悪い人を繰り返しているのだ。


彼らは本当は何もしていない。むしろ、私のことなど本当の意味で気にしてなどいないのだ。

背景。どこにでもいるモブキャラ。空気みたいな存在。


そういう想いを家に持ち帰って、ベッドの上で独り天井を見上げては酷く自己嫌悪した。


朝目が覚めれば、今日も世界は滅んでたりはしなくて、止まってと願えど部屋の時計は止まらなかった。電池を抜き取っても、隣の部屋の時間は進んだままだった。


そうするうちに、私は何もかもを恐れた。全ての出来事を自分に結び付けて、意味を与えた。

つまるところ、私は主人公気取りの人間なのだ。


世の中に起きることなんて、本当に意味のないことの集まりでしかないのに、一丁前に主人公を気取って、悲劇を演じようとする。


誰も通っていない真っ暗な路地。壊れかけて点滅する街灯。

電線を埋め尽くすカラスの群れ。全てが悪意に満ち満ちているかのように私の頭は演出した。


私を見ていた。いや、見せていた。

生きる価値のない存在だと常に後ろ指を指した。それらに指はないけれど。


こうも酷く妄想をこじらせている原因。


……私が独りだからだ。


学校へ行けば、彼らは友達として傍にいてくれるし、話もしてくれる。でも、彼らを”親友”とも呼べない。


誰かと素顔で語り合いたい。私をわかってもらいたい。私よりも小さな子供のみたいに笑い転げたり、大人のように強く抱きしめて互いの存在を確かめ合ったり、必要だと囁いて欲しくて仕方がない。


”普通”になりたい。それ以上は望まない。

私を苦しめてきた多くの人のように、健全な魂を。肉体を。

誰か戻してくれたならいいのに。


誰か、誰か。



──彼女は今や、正反対どころか対極。学年の人気者になっていた。

一方の私は酷く心を病んで、それでも呼吸だけを続けているような人間だ。


二年生になった私は、二人の男友達と別のクラスになり、最初の頃は本当に鬱病と思うくらいに苦しくて、辛くて、毎日死ぬことしか考えていなかった。


それでも彼らは休み時間の度に私に会いに来ては、他愛ない話をしてくれた。後から何の話をしていたかも覚えていない程内容の無いものだったけれど、傍にいてくれることで私をこの世界に留まらせてくれていた。


彼らを心の底から信頼をすることはできなくとも、わざわざ駆けつけてくれた優しさを無下にもできなかったのだ。素直に言い換えられたらよかったのに。


相も変わらず今でも、たまに彼女を目で追ってしまう。髪飾りが少し変わったとか、少し前髪を切ったとか、制服の袖が少し汚れているとか、彼女の友達でさえ気づきもしないことを目ざとく見ていた。


かといって、前ほど深く執着はしていない。と、自分に言いつけた。


彼女がそうしたように、私たちはそれぞれに生きていかなければならないのだと、理解し始めていた。……一年以上もかかったけれど。


私のために駆けつけてくれる彼らに応えるためにも、寝たふりの回数は減らすことにした。クラス内での活動に関してはどうしても我慢の連続だったが、そういった不満も含めて、クラスメイトには聞こえない程度の声で彼らに「愚痴」った。


最初の頃は自分ばかりが悪いと思っていたのもあり、人のせいにしたり悪く言うことは気が引けたが、彼らのポジティブさだったり、生きるための図太さに感化され、私はこの時初めて「愚痴」を覚えた。


相手のせいで嫌な思いをしているのに、そいつを嫌な思いにさせてはいけないなんて道理はない。

彼らが言っていた言葉だ。正しいのかどうかは……わからない。


そうすることで私は徐々に鬱を克服して……いた?んだと思う。通院してたわけじゃないから、あくまでメンタル的に、だ。


あまりに苛烈を極めた一年生や、二年生前半に比べ、後半は驚くほど気持ちを楽に過ごすことが出来た。私のような思慮深い人間も、考え方一つで意外と生きやすくなるのだと気づけた日々でもあった。


一年半に渡り私を苦しめた一喜一憂とは、なんと扱いづらいものか。


──時は早いもので、三年生になってすぐの頃。私は受験に追われ、もはや生き死にの悩みに苦しめられている場合ではないくらいに多忙を極めた。私の学力はさして高くはなかったが、親は地元では一番の公立高校に行くことを望んでいた。


私の独力では合格できないことは目に見えていたため、年度が変わるとすぐに塾に通わされた。

最初の頃はまだ周囲の目を気にしていたこともあって、勉強に集中するどころではなかったが、自分の判定を見てからはそれどころではないと勉強に打ち込むようになった。


そうやっているうちに、嫌な気持ちは勉強して晴らすことにした。

元々勉強が好きなわけではなかったけど、何かに打ち込んでいる時間は私に悩む隙を与えなかった。


もちろん、塾での出来事を彼らに愚痴ることも継続していた。


そのころにはもう、彼らが私を友達と思っていないのではないか、だとか、周りはみんな私を嫌っている、だとか、私を苦しめていた持病のようなものはすっかりなくなっていた。


彼女がそうしたように、私も彼女のことを記憶の奥底へと仕舞った。


──受験が終わった後の、ある日の学校でのこと。

私は同級生の女の子から呼び出された。


この子とは特に面識はなく、名前を知っている程度でしかなかった。生来のマイナス思考の私からすると、卒業を前に、一体どんな罵詈雑言を浴びせられるのだろうか、そんなことしか頭にはなかった。


人気のない空き教室まで呼び出され、おずおずと扉を開けると、その子は跳ね上がるように驚いて、強張った。


「ほ、本当に来てくれ、たんだ。」


「べ、別にそんな大事な用事ではないんだけどね、って……大事といえばすごく大事なんだけど……その」


この子は私を前に言葉を選んでいるようで、言葉に詰まると髪を指に巻いて考えを巡らせていた。

目は泳ぎ、とても冷静には見えなかった。


少し唇を嚙み、決心がついたように口を開く。


「ほ、ほら、あなたと私って、三年間で全然話したことない、よね。その……でも、ずっとあなたって可愛いなって思ってて、可愛いっていってもあの、友達に言うようなのじゃなくって……」


「ずっとあなたのことが好き……ってことなんだけど……」


沈黙。動揺。遅れてやってくる激しい動悸。

その子は私に、告白をしているのだ。その事実を理解するまでに少し時間を要したが、この子の目は真剣そのもので、鈍感ではいられなかった。


互いに顔を赤らめ、目線はお互い違う方向を向いていた。

しばらく気まずい時間が続いたが、その子は焦るように続ける。


「って、いきなり言っちゃった……あ、あの」


「その……聞かないの?どうして、とか、いつから、とか」


そう言われてようやく、私はこの子に対してまともに言葉を発していない事実に気が付き、復唱するようにその子に質問した。


「あ、あのね、私──ちゃんと仲良いんだけど、それで、少し前に言ったの。宮川さんって、いつも暗くて、人の目ばっかり気にしてるみたいで情けないって。って、ごめん……本人を前に言う事じゃないよね」


この子が女の子の名前が出した瞬間に、脳の奥底に無理やり手を突っ込まれたみたいに記憶が蘇った。──ちゃんとは、彼女のことだった。


「で、でね、そしたら──ちゃん、そんなことないよって。あの子はすごく優しくて、素敵で、面白くって。本当に好きになってくれた人にはそれを見せてくれるんだよって」


「……最初はなにそれって思ってたんだけど、それを聞かされてからずっとあなたのこと目で追ってたり、あなたの本当ってなんだろって、いつも考えたりしててね」


「どうしてそんなこと知ってるのって聞いても、あの子は私と似てるからって。それしか言わないの。

そしたらますますあなたのことが気になっちゃって、でも、勇気が出ないから……」


「もう、中学生もこれで最後だから、ほら、もしあなたが私のことなんて嫌いー!ってなっちゃっても、お互いに顔が見れなくて気まずくなったりしないでしょ?……って、まだ返事も聞いてないのに私。さっきから一人で喋ってばっかり」


私は懸命に言葉を紡ぐその子の勢いに、ただただ圧倒されるばかりだった。

わかること、この子はすごく喋りたがりだということ、私のことが好きだという事、私のことは彼女から聞いたということ。


そして何より、この子が私に求める人物像は、小学校の頃の、彼女と一緒に居た時の「私」ということだ。


この子は私がそうやって考えに耽っていると、


「で、ど、どうなの?その……」


「付き合って……くれる?」


付き合う。ツキアウ。つきあう。


この子は私に求めているのだろうか。

一緒に買い物にでも出かけたり、電車にでも乗って街のほうに行って、お洒落なカフェだとか、遊園地だとかに行けばいいんだろうか。

付き合うってなんだろう。って、どこかで前も、こうやって考えていた気がする。

……三年前とか、そのくらいに。


その時も私は付き合うことの意味を考えて黙りこくって、一言だって気の利いたことなんて返さないで、彼女を傷つけた。


好きも、嫌いも、どうして人をこんなに愛おしくさせたり、悩ませたり、傷つけたりするものか。

どうして私は、いつもその真ん中に座らせられているのか。


──これ以上黙っている状況は私にとっても、この子にとっても耐え難い時間であることはわかっていた。だから、答えを出すことにした。


この子の熱情とは裏腹に、私は真っすぐ瞳を見据え、静かに首を横に振る。


この子が好きな私は、過去の私だ。私は彼女が語ったような優しい人間ではなくなってしまった。愚痴も言うし、直接は言わなくたって悪口だって言うようになった。


容姿も特別綺麗ではないし、私のなりたい「私」には、年を重ねるごとに遠ざかっていく。素敵と言ってもらえるところがどこにも見当たらないのだ。


目の前の、私を好きだと言った子は泣き出した。それをなるべく隠そうと、すぐに後ろを向いた。

震える肩から、悲痛な感情が伝わってきた。酷い嗚咽。それでも必死に出そうとした言葉にならない言葉たち。


私への好意はたった今、深い哀しみ、或いは絶望に変わった、と。


立ち去る前、私に何か言おうと振り返り、ためらい、踵を返した。


その子が振り絞ろうとした言葉も、今では聞きようもなかった。


──何日かが過ぎて、私は卒業式を迎えた。

散々練習させられた返事から、卒業証書の授与まで、すべてが想定通りに進み、何の問題もなくどこにでもある普通の卒業式は終わった。


私は結局、中学に入ってから一度も彼女と言葉を交わすことなくその生活を終えようとしていた。

突如として思い出された彼女の記憶は、彼女との別れをより鮮明にし、悲しくさせた。


もう彼女と廊下ですれ違うこともないのだ、と。


──最後のクラスでの集会。ただただ退屈で、涙を流す教師や女の子を後目に、私は彼女のことばかり考えていた。彼女はどこの学校へ進学したのだろう。


彼女に限って、中卒で働くなんてまずありえないし、ほとんど知らないとはいえ彼女の学校での立ち振る舞いは優等生そのものだった。私の学校の合格した高校は地元でこそレベルが高いが、、彼女にとっては小さなスケールでの話ではないだろうか。


こうやって、一言も交わさないまま、学校も別々になって、大学生にもなるころには別々の場所に住んだりして、知らない場所で働いて、二度と交わることもないままに私たちの想い出は萎んで、蒸発して、霞んでいく。


周囲の涙に感化されたみたいに、私も泣きたくなっているようだった。周囲とは違ったことで目頭が熱くなっているのをぐっと堪え、一旦胸にもやもやとして残しておいた。


長々と語り合われた最後の集会も終わり、いつもの三人で帰ろうと廊下へ出た。


隣のクラスのドアの前には人だかりが出来ていて、皆一様に涙を流していた。どこもそんなものなのだと通り過ぎようとしたとき、聞こえてきたことは意外なものだった。


──ちゃん、あっちに行っても元気でね。

  ──、メール送るから、ずっと友達でいてね


輪の中心にいたその女の子は、周囲の友人たちと話しながら、ただ一瞬、私を見つめ、優しく微笑んだ。


──後からのこと。彼女は高校進学を機に、地元を離れ、遠く引っ越してしまうとを聞いた。

理由まではわからなかったけれど、家に帰ってからもその事は私の頭の中の同じところを行ったり来たり、答えのない問いを延々と投げかけ続けていた。


一言くらい声をかければよかったとか、彼女が一人になるまで待てばよかったとか、もうどうにもならないことばかりを頭の中だけで時間を戻して後悔した。


話ができないことは今までと何も変わらない。この三年間ずっとしてきたことだ。

それがただ住んでる場所が変わるだけ。だけなんだ。


だけ、なのに。


彼女の輪郭、声、匂い、記憶、すべてが。そのすべてが失われてしまう。彼女に傷を遺したまま。

胸が締め付けられる。いつも通り息を吸い込むことさえままならない。


……苦しい。


今までで一番苦しい。

胸が痛くて仕方がない。鼓動が激しくて、血液が体中を物凄いスピードで流れて、脳が許容量をとっくに超えてパンクしてしまいそうだった。


ずっと死にたかった。私を映すすべての目は悪意のようだった。二人の友達さえ私をあざ笑っていると思い込んでいた。そのくせ誰かが傍にいなければ酷い孤独感に襲われたし、暗闇は私をたまらなく怖がらせたし、カラスたちは私に不吉な予感だけを置いて行っていた。


主人公でいることをやめていた。やめてからそれらは私を孤独にも、笑いも、不安にもしなくなったし、何より彼女が忘れられた。本当の意味で、「普通」になれたと思っていた。


でも違った。結局私に、彼女を忘れることなどできていなかった。

彼女が認めてくれた私のあるべき姿を、どこかに引きずりながら、見えないように蓋をしていただけだ。


彼女とまた会えたなら。言葉を交わせたなら。あの時の返事が出来たなら。ただ一言でも、あの日に添えられたなら。


出来ない。全部。全部もしもの出来事。

情けない。いくじなし。あの子が言っていた通りだ。


何も間違っていない。あの子は私から離れて、落ち込んでいても、いつかはきっと私を好きだった時なんか忘れて、その時よりもずっと幸せに暮らすことだろう。私がハッキリと、返事をしたから。


返事を……したから。……忘れられる。


……彼女には。


……彼女にはまだしていないままなんだ。



──私は彼女に手紙を書いた。

結局勇気が出せずに、文字に頼ってしまうところは相変わらず情けないままだったが、溢れる気持ちをどこかにぶつけずにはいられなかった。


……手紙には沢山のことを綴った。綴りすぎた。ただ、書く手がどうにも止められなかった。


出会った頃のこと、仲良くなった頃のこと、遊んだこと、修学旅行では一緒にいられなかったこと、その後に彼女の家に泊まりに行ったこと。


──彼女が私に言った言葉のこと。


その後のこと。ぶかぶかの制服のこと、わからなかった勉強の話、体育で体育会系に嫌な思いをさせられたこと、人の目が怖くなったこと、友達が信じられなくなったこと。


全部嫌になって死にたくなったこと、死ねない自分が情けなく思えたこと、初めて人の悪口を言ったこと、嫌な気持ちを曝け出せたこと。


受験に追われたこと、生きることに必死になっていたこと、そして、人の好きに触れたこと。


好きや嫌いを考えた。今まで沢山の人と関わりあって、何度もそれに振り回された。突然優しくされたり、厳しくされたり、突き放されたり、毎日一喜一憂を繰り返していた。


あなたを見ていた。本当は触れたかった。声をかけて、あの時のことを謝りたかった。本当のことを言いたかった。


本当の「私」を知っていてくれた、唯一人のあなたに。


理解するまでに三年もかけてしまった。今更だ。遅すぎる。遅すぎた。今となっては、あなたはもう遠くへ行ってしまう。これまで書いたことも、これから書くことも、あなたにとっては何の意味もなさないかもしれない。


わかってる。わかってるけど言わせてほしい。あなたが私の知らない場所で、幸せに暮らすために、ここであったことを何も背負わないでいいように。


「みあはあなたのことが好きでした」


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