黒き龍(6)
時は少し遡る。
「少しお時間よろしいですか?」
レミリアは学校を休み、占いの家へと再び足を運んでいた。ちゃんと学校へ行くべきかと思ってはいたのだが、昨日、クミトが龍に傷を負わされたことを考えれば、一刻も早く情報を仕入れ、仕留める必要があると考えた。
「ふむ、予想よりだいぶ早いの」
ベルを鳴らし、老婆を呼び出すといきなりそんなことを言われる。どうやらレミリアがまたここを訪れることは見抜いていたらしい。それなら話は早い、とレミリアは早速話題を切り出す。
「昨日、また龍が現れました。その時、私の知人が襲われたんです。幸い、大きな怪我をすることなくかすり傷だったんですが、このまま無視し続ける、なんてこと私には出来ません。ですから、ラフィンツヴァルの魔獣に関する情報をもっと教えていただけますか?」
はっきりと自分の目的を告げる。それを聞いた老婆は椅子に座るよう、勧めてきた。おそらく長い話になるのだろう、と推測したレミリアは大人しく椅子に座る。
「さて、お嬢さんはお嬢さんの現状に気付いておるかね?」
が、返ってきた答えはレミリアの望む答えではなかった。一瞬、言葉に詰まりながらも小さく首肯する。きっと、これが必要なことなのだ、と割り切って。
「はい。私が魔術師崩れで、うまいこと魔力を体内から放出出来ていないことは知っています。魔道具を使うことで平均的な人の吸収量程度の魔力は常時吸い出していますから生活する上で支障はありません」
きっぱりと現状を告げる。それを聞いた老婆はやれやれ、と首を横に振った。老婆のその行動にレミリアは思わず眉を顰める。
「一般的な人の魔力吸収量と同等の放出を常時行っている、かえ?その程度で追いつけると思っておるんかの?魔術師の魔力吸収量は一般人の数十倍はあるんじゃぞ?」
それを聞かされたレミリアは思わず黙ってしまう。
「今の私は、一般の人と同じ魔力吸収量のはずです」
しばらくして、ようやくそれだけを告げる。
「いや、お主はやはり魔術師よ。全然魔力が放出出来ておらぬ、な。少し刺激しただけで今にも爆発しそうじゃわい。儂の目にはそう見えておる」
今度こそレミリアは絶句した。魔力を見る――この感覚はレミリア自身、覚えがある。以前、魔術師としての能力があったときには出来ていたことだから。
「………そのことを告げるために私を待っていた、んですか?」
震える声で思わず聞いてしまう。先ほど、待っていた、というニュアンスを孕む言葉を告げていたので、そう勘繰ってしまった。そして、椅子から立ち上がり、後ずさる。完全に逃げ腰だった。
そう、逃げ腰だ。学園では最強、と言われているレミリアが完全に逃げの姿勢に入っていた。相手がその気になったら、いつでも自分を殺せる――そんな相手なのだ。自分の間合いなんて関係ない。武器を振るうより早く、ただ念じればレミリアは暴発する。今、相手はレミリアがそんな状態にある、と告げたのだから。
「そう逃げようとするでない。儂は何かする気はないぞ」
呆れたように老婆は告げる。まあ実際にそうだろう。もともと何かするつもりなら警告も何もせず、ただことを起こせばそれだけで済む。あえてそれを教えてレミリアを脅迫する可能性は捨てきれないが。
「どのみち、このままだとお主はもうそんな長くないぞ?儂の見立てでは1カ月も経てば勝手に暴発する。そこまでの危険域に達しておるわ」
一か月。その言葉がなおさらレミリアを駆り立てた。この老婆の言葉が真実である保証はない。保証はないが、到底無視できることでもない。
「………わざわざそんなことを教えてどうするつもりですか?」
恐怖に胸を焦がしながらレミリアは尋ねる。出来るだけその恐怖を顔に出さないようにしながら。
「ふむ、これを教えてもまだ取り乱さぬか。ますます気に入ったぞ」
ほほほ、と老婆が朗らかに笑う。だが、今のレミリアにとってそれは死の宣告のように思えた。
「何が目的ですか?」
気丈に、本当に気丈に尋ねる。今まで感じることのなかった死の気配がすぐそこまで迫っている――そんな気がして後ろを振り返りたくなった。なったが、眼の前にも死の気配が確かに存在し、目を離すことが出来ない。今にも発狂し、おかしくなってしまいそうだった。早く病院に行き、本当に今自分が危険な状態なのか調べる必要がある。この老婆が嘘を告げているのか、真実を告げているのか、それもはっきりとする。
じりじりと後ろに下がるレミリアを見て、老婆は困ったように口を開いた。
「そんなに恐れなくてもよかろうて。儂はただ、親切心からお主の治療を行ってくれるであろう魔術師を紹介しようかと思っているだけじゃ」
それを聞いてレミリアの目が見開かれる。
「魔術、師?」
レミリアの返しに老婆は無言で頷く。
「儂はもうお主のその魔力を受けられる自身がなくての。この街に住む、もう一人の魔術師を儂は知っておる。そ奴はお人好しだからの、ダメとは言えないはずじゃ」
と、そこで老婆は言葉を区切る。レミリアを通り越して、別の誰かを見ていた。
「噂をすればなんとやら、じゃ。お主はそのカーテンの裏に隠れておれ。声が漏れないように一方的な遮音結界を張っておこう」
といきなりそんなことを言う。レミリアは困惑したが、指示された通りに従う。もしかしたら罠かもしれないが、今は信じるしかない。
「おや、こんな時間に坊やが来るなんてね」
誰かが入ってくると同時に老婆がそんなことを言う。予め気付いておきながらこの反応。かなりの狸である。それと、遮音結界は確かに、向こう側の声を通した。軽くレミリアも声を発してみるが、相手に届いた様子はない。どうやらそこに嘘はないようだ。
「まあさすがに無視できなくなりつつあるからね」
そんな声が聞こえてきて、レミリアは驚いた。知っている声だからだ。つい昨日、聞いたばかりの声。それは、クミトのもの。
「ラフィンツヴァルの魔獣――これ自体はわからなくても街に龍が潜んでいるなんてことは普通の人にも理解できるみたいだし」
だが、それ以上の驚きにレミリアは襲われた。クミトがはっきりと告げたのだ。ラフィンツヴァルの魔獣、と。おそらくは魔術師でしか知ることのできないであろう単語を、はっきりと告げた。
それから二人は簡単に情報を交換し、雑談を始める。それはルミアのこと。さすがのクミトもそのことには切れて、途中で遮ってしまった。老婆を怒るべきか、ルミアに同情するべきか、レミリアは本気で悩んだ。その時ばかりは自分のことを忘れられた。ただ、これでわかったことがある。決してあの老婆は信頼してはいけない、と。ただの趣味、とは言っていたが、こんな裏があるなんて思ってもみなかった。
それからすぐに、話題はレミリアのことに移る。それだけで胸が恐怖に締め付けられる。それどころか、クミトの目から見た自分の状態まで知らされてしまった。そうなると、もうあの老婆の戯言では済まなくなる。そのくらいには、レミリアはクミトを信頼していた。
そしてすぐに、レミリアの治療の話に移る。このことに関して、クミトは消極的ながら治療は行う方針で話を進めていた。
そして、ついにレミリアの登場を促す言葉が告げられた。その途端、遮音結界が消滅し、音が双方向とも通るようになる。そのままレミリアは前に出た。呆れた様子でクミトはこちらを見ていた。怒っている、という感じはしない。しないが、それでもどこか苛立ちは感じているようにも思えた。もしこれが原因で、クミトがやっぱりやらない、と言い出したらレミリアはどうしようもなくなる。いつ訪れるかわからない、死の恐怖に怯えながら暮らすことになる。それだけは避けたかった。
「お願い、します」
だから深く、深く頭を下げる。クミトの気が変わらないうちに。
「私も、さっき知りました。今、私の状態がどうなっているのか………。それを知ってから、怖くてたまりません。今にも爆発するんじゃないかって、怖くて怖くて堪らないんです」
震える声で必死に言葉を紡ぐ。そうしなければ、今にも足場から崩れて行きそうで。
「私に出来ることなら何でもします。なんでもやります。ですから、助けてください。お願いします」
必死だった。ここまで必死になったのは初めてかもしれないってくらいに必死だった。死を感じたことは何度もある。あるけれど、ここまで明確な輪郭を伴って訪れたことはなかった。だからこその恐怖。今にも飲みこまれそうなほどの、恐怖。これを払拭する鍵が、目の前にある。どんな手を使っても、それを手にする。そんな覚悟で頭を下げ続ける。
「レミリアさん」
しばらくして、クミトが声を出す。
「正直、ちょっと呆れてるんだけど………」
その一言を聞いた瞬間、レミリアは絶望に包まれた。失敗した、と。掴み損ねてしまったのだ。恐怖を払拭する鍵を。それでも頭を下げ続ける。今、顔を上げたらどんな顔をしているのかわからなかったから。
「あーと………」
クミトが困ったように声を出す。
「とりあえずまずは顔を上げてよ。そうでなきゃ落ち着いて話も出来ないからさ」
クミトがやさしく語りかけてくる。だからゆっくりと顔を上げる。最初に視界に飛び込んできたクミトの表情は、どこか怒った表情で、どこか呆れた表情をしていた。
「ふぉふぉふぉ。歳よりは撤退するとするかの」
そんなことを言い残して老婆は姿をくらました。それを横目で捉えたクミトは、大きくため息をつく。
「今度、絶対仕返ししてやる」
変な決意を漲らせていた。
「とりあえず座って。酷い顔をしてるし」
と、すぐさま表情を真剣なものに切り替えた。そのために、レミリアは素直にクミトの指示に従って椅子に座る。
「さて」
とレミリアが椅子に座るのを見てからクミトは言葉を紡ぐ。
「まず最初に言っておくけど、俺はそうそう簡単に誰かが死ぬのをほっとける人間じゃないよ。俺に出来ることならやってみる」
「ほんと!?」
その言葉を聞いた瞬間、レミリアはクミトを肩を両手で強く掴んだ。そのまま前後にゆする。
「あぐっ!?」
「ねえ、ほんとに助けてくれる!?ねえ!?」
急にテンションが上がったレミリアに対し、体調を崩しかけているクミト。ただでさえ物理的な力ではクミトは大きく劣っている中、歯止めがなくなったレミリアの揺さぶりを、本調子でないクミトが耐えられるはずもない。あ、このまま死ぬかも、と本気でクミトは考えた。すぐにレミリアがやばいことをしていることに気付き、やめなければ本当に死んでいたかもしれない。
「………ごめんなさい」
すぐにシュンとなって謝るレミリア。クミトは苦笑しながら乱れた服を直す。
「いいって。感極まっても仕方のない状況だったし。俺も同じ状況だったらやらかしたと思うよ」
レミリアのフォローをし、今度はベルトに吊り下げてある一つの黒い物体を手に取る。ぎりぎり手に収まる大きさで、装飾は特になし。なんの変哲もない四角柱をレミリアに手渡す。きょとんとしたまま、レミリアはそれを受け取った。
「これは?」
さすがにわけがわからず、それを目線の高さまで上げる。
「魔力を蓄えられる魔道具、って説明すればわかるかな?いろいろ欠点あるから実用性はないんだけど、今のレミリアさんなら十分に役立つものだと思うよ。内容量も結構でかいからそれなりにレミリアさんの魔力を減らしてくれるはずだし」
それを聞いてレミリアははっとする。確かに一時的にこれに自身の体内に蓄えられている魔力を移せば、時間を引き延ばすことは可能だ。試しに普通の魔道具を使う感じで魔力を四角柱に流してみる。これくらいなら誰にでも出来る芸当であり、レミリアも普通に行えた。どれだけの量の魔力が流れ込んでいるのかはわからなかったけれど。
「………うん、だいぶそっちに魔力を移せたみたいね。俺が一週間くらいかけて蓄えられる量だよ」
代わりにどれだけ魔力が流れたのか、それをクミトが見た。
「一週間………」
レミリアは四角柱に目を落とす。今ので、クミト換算なら一週間の延命が出来た、ということになる。それだけキャパシティが空いた、ということなのだから。もっとも、レミリアとクミトでは吸収できる魔力の量が違うので確かなことは言えないけれど。
「で、そいつの欠点だけど」
とクミトがこの魔道具の説明を始める。
「蓄えられる魔力量は多いんだけど、継続時間がすごく短いんだよね。一日放っておくとせっかく蓄えた魔力を全部自然放出しちゃってさ、全然実用性ないの。せめて1週間は持ってもらわないと。しかも10回蓄えて放出したら壊れちゃうし」
それを聞いたレミリアは呆れた表情でそれを見る。今のレミリアにとっては願ってもないものだが、本来意図していたものとしてはまるで機能していないのだ。しかも10回使うと壊れる、というおまけ付き。
「とりあえずそれはレミリアさんに渡しておくから壊れたら俺に会いに来て。交換するから。壊れたら白いラインが入るようにしてあるからすぐにわかると思う」
「わかりました」
一週間。少なくとも現状でその余裕が出来たので、多少ながらもレミリアの心に余裕が出来た。継続的にこれを使えばもっと長く時間を確保することが出来る。その事実がレミリアの心を軽くした。
最も、これは一時凌ぎにしかならない。根本的には何も解決していないし、もしもクミトに何かあった場合、レミリアもすぐ後を追うことになる。また、クミトが急にこれをレミリアに渡さなくなってもジ・エンドだ。そういう意味ではまだ油断ならない。
「それで、魔力を放出出来るようになる訓練は俺の体調が戻ってからでもいい?正直今現在の体調でやりたくはないんだけど」
「はい、構いません」
クミトが自分の体調を気にするそぶりをすると、レミリアは即座に頷く。本当はすぐに開始したいのだが、クミトが体調を崩しているのも事実。それもその原因が自分にあるとなると否とは言えなかった。クミトの機嫌を損ねるわけにもいかない、という理由もあった。
「それで、報酬なんですが」
と、レミリアは胸に手を当てる。先ほどレミリアは勢いで色々言ってしまった。けれど、今更それを撤回するつもりはない。クミトが望むのなら、自分の出来る範囲でなんでもするつもりだった。
「あー、と」
クミトが頬を掻く。
「ならさ、後払いでいいからさ、あの空間収納の魔道具を貰えるかな?あれ、欲しくてもなかなか手に入らないんだよね」
クミトの望みを聞いて、今度はレミリアがきょとんとする。最初にレミリアが提示した報酬に比べたらあまりにも安すぎるのだ。望めば、レミリアの全てが手に入るのに望んだものは、所持品一つ。あまりにも安すぎる。
「それはいいですけど、いいんですか?」
そんなのでいいのか、と確認を含めて尋ねる。それを聞いたクミトは苦笑する。
「ある意味レミリアさんを助けることは俺のためにもなるんだよ。考えてもみてよ、俺はこの街で生きる魔術師だ。今は父さんが睨みを利かせているから何もないけれど、それもいつまで続くかはわからない。父さんが現役を引退したらおそらく今度は俺に白羽の矢が立つ。当たり前だ、伝説と呼ばれた父さんの血を引いた魔術師――実力はともかく、隣国との境目にあるこの街でその肩書は大きな壁となりうる。けど、俺としたらそんなもんになりたくない。技術師でいたいんだ。なら俺の代わりとなる人物が必要になる」
と、そこでレミリアを見る。これだけ言われればレミリアも何を言いたいのかわかった。
「あなたのお父さんに迫る実力を持った剣士兼魔術師ならその代わりになる、ってことですね」
そう、旗頭をただのお飾りではなく、本当の実力を持った人物に。それがクミトの狙いだ。今回の報酬にそれは入っていないが、それは必要ない、ということなのだろう。仮にレミリアが旗頭になれなかったとしても、そこにはレミリア以上の実力者が入る。それならそれで、問題はない。
「わかりました」
とレミリアが立ち上がる。
「クミトは私が魔力を自由に放出出来るようになるための治療を行う。私は魔力が自由に放出できるようになったら空間収納魔道具をクミトに差し上げます。その後、自警団に入りあなたのお父さんの後を継いでクミトに白羽の矢が立たないようにする、これで契約ですね」
それを聞いたクミトは苦笑する。
「そうだね、最後のは出来れば、でいいけど。ただ、自警団には入って欲しいかな?レミリアさんほどの実力者なら父さんも歓迎するだろうし」
と、ここでクミトが手を差し出す。
「それと、今この街で起こっている龍の調査も協力してほしい。こればっかりは俺たち魔術師がやらないとダメだからね。ラフィンツヴァルの魔獣――敵か味方かはわからないけれど、あれだけはっきりと姿を現してしまったからには、さすがに無視できない」
レミリアはクミトの手を取る。それが意思表示である。
「そうですね。私もそれは同意見です。ラフィンツヴァルの魔獣を、これ以上野放しにはできません」
確固たる意志を持ってレミリアはクミトの協力をすることを誓う。どのみち、最初から探すつもりでいたのだ。それがクミトの補佐に切り替わっただけである。それだけの話だった。
だが、この時レミリアは大事なことを見落としていた。突如、自分の身を襲った不幸に完全に意識を持って行かれ、大切なことを完全に見落としてしまったのだ。
なぜ、昨日クミトが怪我をしていたのか。なぜ、クミトも龍が地上に舞い降りた記憶がないのか。このことが完全に抜け落ちていた。