黒き龍(5)
今回分の投稿。ちょっとずつだけど話を進めてます
体が重い。クミトは朝起きてから異様な体の倦怠感に包まれていた。まあまだ怪我した時に流した血が戻っていないのだ。そのために体力が戻っていない。だからこその倦怠感だろう。小さくため息をついて空を見上げる。どんよりと曇っていた。
「なんか憂鬱な天気だなあ」
思わず呟いてしまう。こんな天気の日はやる気があまり出なかった。
「雨降りそうだし」
再度ため息をつく。気分まで憂鬱になりそうだった。
「うーす、クミト!」
そんな気分でいると、後ろから思い切り叩かれる。軽く前によろめきながら振り返って叩いてきた相手を睨む。
「およ?」
「ラギド、いきなり後ろから叩くなよ。あんまり体調よくないんだから」
睨まれた相手――ラギドはさすがにバツが悪そうに後ろ髪を掻いた。
「わり、そんなら確かに叩くべきじゃなかったな。風邪でもひいたのか?」
「風邪、ってわけじゃないけどね。ちょっと事件に巻き込まれて怪我をしたんだよ。その時血を流しすぎちゃって」
「風邪よりやばくて物騒じゃねえか!?」
クミトが真実を告げると、ラギドは大げさに身をよじる。まあそれも仕方のないことなのだろうが。普通ならそんなこと誰も予想しない。
「その事件て、例の?」
ラギドがクミトの耳に口を寄せて囁く。さすがのクミトも例の、の一言で済まされると何を指しているのかわからない。
「さすがにそれじゃわかんないよ」
ため息交じりにクミトが答える。最もクミト自身、この街で一日のうちにどれだけ事件が起きているのか把握しているわけではない。例の、となるとそれなりに大きく、有名な事件になるはずだからある程度数は絞れるが、それでも限界はある。
「龍だよ。なんか最近噂になっててさ」
さらに声量を絞られ、告げられた言葉にはさすがに言葉を失ったが。
「ラギド、それ、どこで聞いたの?情報規制対象なんだけど?」
クミトも小さな声でラギドに尋ねる。それを聞いたラギドは逆に困惑する。
「え、だって昨日、街の上空を飛んでたんだぜ?規制も何もあったもんじゃないだろ。しかも街の近くを通りかかったワイバーンを撃退したとか。他にも街の不良たちを片っ端から倒してるって話も聞いたことあるぞ」
それを聞いたクミトは今度こそ絶句した。まさか、すでに規制できないところまで情報が広まっているなんて思ってもみなかった。それに、前者はともかく後者はまずい。この街に何度も龍が現れている、ということを示唆しているからだ。
それに、気になることがある。
「昨日、龍がこの街の上空を飛んでたの?」
思わず聞き返してしまう。そのクミトの問いにラギドは眉を顰めた。
「いや、気付かなかったの?あんなわかりやすく飛んでたってのに。気付かなかった方がやばいだろ」
何を当たり前のことを、と言わんばかりにラギドは言ってのける。それを聞いたクミトは少し考え、踵を返す。
「ごめん、ちょっと今日は学校休むわ」
「え、あ、おい!」
クミトのその突然の行動にラギドは困惑した。なんだかんだで真面目なクミトが学校を休むなんてことはほとんどなかったのだ。それなのに、急遽ずる休みをする、なんてなったら驚かない方が無理であった。
「みんなにはうまく言っておいて!俺は自警団の詰め所に行くから!」
それだけ言い残してクミトは行ってしまった。一人残されたラギドは呆然と呟く。
「俺にどうしろと………」
「父さん!」
自警団詰め所についたクミトは勝手にドアを開け、叫ぶ。
「クミト!?学校はどうしたんだ!」
するとすぐに詰め所の奥から声が返ってきた。そちらの方に向かいながらクミトは説明する。
「例の龍に関する噂が出回ってるみたいなんだ。さすがに無視できなくなってそのことを報告に」
ラディオが詰め所の奥から顔を出す。その顔には見るからに疲労が浮かんでいた。肉体的疲労ではなく、精神的疲労だろう、とクミトは推測する。
「………ああ、俺たちも今そのことで追われているんだ。昨日、あれだけはっきりと姿を現しちまったからもう情報規制をするのは無理だ。街全体に警報を出そうと思っている」
どうやらクミトが伝えるより早く、自警団は動いていたらしい。まあ学生のクミト一人動いたところでどうにかなるわけなかったのは本人も自覚していたのだが。
「一部の人からはその龍が平和の護り手、なんて言う噂も出ている。確かにあの龍は犯罪者関連の相手しか襲っていない。昨日姿を現したのもワイバーンなんてやばい相手を追い払うためだった。だから完全に否定できないのが口惜しい。今はよくても将来的にどうなるかわかったもんじゃないってのに」
その話を聞いてクミトは額に手を当てる。確かにそのことはクミトも知っている。平和の護り手、なんて大げさな名前をつけるものではないけれども。
「それと、目撃情報におかしなところがあるんだ」
とラディオが街の地図を広げる。それをクミトは覗き込む。それと当時にユリアスが声を出した。
「団長、それは最重要機密事項ではないんですか?」
ユリアスの声は普段と違い、鋭さがあった。彼もまた、やっぱり自警団に所属する人間なのだ。有事の時は意識を切り替えられる。
「わかってる。けど、こいつを解決するのにはクミトの力が必要だ」
それをラディオは切り捨てた。それと同時にクミトも意識を切り替える。ラディオがクミトの力が必要、と言ったからには息子のクミトではなく、もう一つの顔としてのクミトの力が必要、ということだ。
「この地図に円があるだろ」
と、地図の中央部に書かれている赤い大きな円を示す。どう見ても予め書かれていたものではなく、後から書き加えられたものだ。
「この円の中心部に昨日、例の龍が舞い降りたんだ。即座に近くにいた自警団の人間を派遣してその龍の居場所を突き止めようとしたんだが、それはわからなかった。それでも聞きこみ調査は行った。どこに龍が降りたのか、ってな」
そこでラディオは言葉を区切る。その区切られた言葉の間にクミトは言葉を挟む。
「だけど、誰もその龍のことを知らなかった、とか?」
クミトのその言葉にラディオは頷く。
「ああ。あれだけわかりやすく舞い降りたってのに誰一人目撃情報がない。円の外になると目撃情報が現れるというおまけつきで、だ。つまりあの龍は何かしらの魔術を発動させている可能性がある。周囲の人間の記憶から自分の記憶を消す魔術だな。それが事実だとしたら想像以上に厄介な魔物だぞ、こいつは。もしかしたら被害者が出ているのにも関わらず、その事実が消されているかもしれねえ」
それを聞いてクミトは顎に手を当て、考える。そして首を横に振る。
「いや、それはないよ。本当に被害者がいるなら不自然な死傷者が出ているはずだ。昨日のワイバーンだって倒されたんでしょ?なら記憶から消すことは出来ても、物理的な影響は消えないと推測できる。これからもずっと同じだ、なんて保証はないけど」
クミトのその意見にラディオは頷いた。
「ああ、俺も同じ考えだ。だが、それでも最悪は推測しておく必要がある。手遅れになってからじゃ遅いからな。
そこで、だ。クミト、お前は同じことが出来るか?」
ラディオのその質問に即座に首を横に振る。不可能、そんな意思表示。
「”魔術師”としての俺の才能は平凡だからね。記憶の操作、なんて高等魔術、マティルダさんですら出来ないんじゃないかな?」
魔術師、とクミトは自分を称した。そのことにユリアスは飲みかけたお茶を思わず噴き出す。
「げほっ、げほっ」
「あれ、ユリアスさん?どうしたんですか?」
突然咽たユリアスにクミトは怪訝そうな顔を向ける。それに対してユリアスは口を即座に開く。
「いや、だって!今、魔術師って!」
それを聞いたクミトは首を傾げ、ラディオはバツが悪そうに後頭部を掻く。
「あー、わり、クミトが魔術師だってこと、自警団の中でもごく一握りの人物しか知らせてないんだよ。俺からしたらクミトは最後の隠し札なんだ。出来るだけ晒したい手札じゃない。ユリアスも他言はすんなよ?」
それを聞かされたユリアスはからからと笑う。なんという秘密があったのだ、と。そしてこれを誰かに漏らしてしまったら自分の命が危うい、ってことも痛いくらいに理解した。間違いなくラディオは怒り狂うし、場合によっては魔術師としてのクミトが敵となる。そうなれば文官であるユリアスなんて紙切れも当然だ。
「あー、そうなんだ。まあ魔術師は数が少ないからね。俺みたいに隠してる人もいるだろうけど、それでもこの規模の街で一人か二人、いるかいないかだからね」
と、クミトが人差し指で空中に円を描く。その指が描いた軌跡に火が残っていた。魔道具を用いたところで出来る芸当ではない。間違いなくクミトが魔術師であるという証明だった。
「それにさっきも言ったけど俺の才能は平凡だからね。父さんはおろか、自警団の上位の人たちには到底敵わないよ」
そんなことをクミトは言うが、それだけでも十分、ユリアスは潰せるのだ。その事実に笑うほかなかった。
「ならクミト、頼みがある」
「マティルダさんのところに話を聞きに行けばいいんだね?」
クミトのその問いにラディオは頷く。そして顔を顰めた。
「すまねえな。自警団ですらなく、技術師志望のお前にこんなことを頼むしかなくてな」
「気にしないで。本来、俺の方が歪んでるんだから。魔術師になれるのに技術師を望むなんてそうそうないことなんだからさ」
そう、クミトは歪んでいる。魔工学に頼ることなく魔術を扱えるクミトにとって、本来魔工学なんて必要のない物でしかない。それどころか、自由さという点においてはクミトの魔術より大幅に劣っている。それなのにクミトは技術師になることを望んだ。それでも、必要とあれば魔術の力を使うことにためらいを覚えることはなかった。
「とりあえず行ってくるよ。この時間ならすぐに話を聞けると思う」
それだけ言い残してクミトは自警団の詰め所から出ていく。
「いや、学校帰りでいいんだが………」
ラディオはクミトが出て行った後にぽつりとそう呟いた。
「おや、こんな時間に坊やが来るなんてね」
クミトはすぐにマティルダ――占いの家へと足を運んだ。当然、出て行った後にラディオが呟いた一言のことなんて知らない。知るはずもない。
「まあさすがに無視できなくなりつつあるからね。周囲にばれ始めてる。ラフィンツヴァルの魔獣――これ自体はわからなくても街に龍が潜んでいるなんてことは普通の人にも理解できるみたいだし」
クミトが肩を竦める。
「しかし、儂に助言できることなんてなんもないぞ?坊やが知っていることは普通には伝わらんことだしの。ラフィンツヴァルの魔獣が今現在、どこにいるかなんて皆目見当もつかんの」
それを聞いたクミトは息を吐き出す。
「マティルダさんの魔術でも捕捉出来ないんですか?」
老婆はほほほ、と気軽に笑う。
「無理な相談じゃ。まだ姿の見ぬ存在の捕捉は出来んの。闇雲に探せばよい、というわけではないからの」
まあ当然か、とクミトは額に手を当てる。
「しかしお主も難儀のよう。魔術が扱える、というだけで儂の元へと派遣されるんじゃからの。まあ儂の言葉は魔術師にしかわからぬものが混じる故、仕方ないというしか他ないのお」
「………出来ればそういう言葉抜きで説明してほしんだけどね。いろいろと誤魔化したり、調べたりするの大変なんだよ?」
あくびれないマティルダの様子にクミトはため息をつく。
「ほっほっほっ、それより今日は面白い話題があるでの。聞きたくはないかね?事件とかは一切関係ないがの」
「………拒否しても勝手に話すだけでしょう?ほんといい趣味してますよ。占い師やりながら人のプライバシーを勝手に話すなんて」
そう、この占いの家の本質はこれなのだ。相手の思考を読み取り、助言する――それだけならいいのだが、実際はその内容をまるで関係ない第三者に平気で提供してしまう。実際に占いをしていて、的中率も高いのだが、プライバシーの保護という点において最悪、の一言でしかない。その恩恵を強く受けている自警団は何も言えないのだが。マティルダがそのような話をする相手はきっちりと選んでいるのでやばい相手に情報が漏れることもない。
「ほっほっほっ。気に行った相手にしか話さぬよ。坊やはそのうちの一人さね。昨日、もう一人、気に行った娘が来たがの」
………裏を返せばクミトの情報も平然と漏らしてしまう、ということなのだが。だからこそ、クミトはここで占ってもらったことはない。あまりにも危険すぎて。それでもかなりの情報を渡してしまってはいるけれども。
「俺の情報、渡さないで下さいよ?頼みますから。魔術師だなんてばれたらえらいことになります」
ため息交じりにクミトが告げる。まあ無駄だと考えていたが。
「相手によるのお。昨日来たお嬢さん方には教えてもいいと儂は思っておるしの」
やっぱりか、とクミトは額を抑えた。しかもさっきは一人、新たに気に行ったと言った割には二人以上に教えるとか言い出している。一体誰が来たんだよ、と内心毒づく。
「そのうちの一人がの、恋愛占いだったのじゃ」
「ほんと最低ですね!」
マティルダの一言に思わずクミトは叫び返してしまった。
「最重要プライベート情報じゃないですか!そんなもんばらそうとすんな!」
ぜえぜえと肩で息をしながら叫びきる。ただでさえ体調が悪いのに、一気に悪化した気がした。
「それでの、そのお嬢さんの想い人がの」
「だから言うなっての!」
それでも話を続けようとするマティルダにクミトが再び叫ぶ。ほんとプライバシーも何もあったもんじゃない。
「なんじゃ、クラスメイトの意中の相手を知りたくないんかえ?」
楽しげに笑いながらマティルダが告げる。それだけでクミトは誰が来たのかを察した。お嬢さん、クラスメイト。この二つを同時に満たす人は一人しかいない。
「………ルミアに後で忠告しとかないと」
この占いの家に二度と行かないように、と。
「忠告されたら二度とここには来なくなってしまうのお」
それでも楽しそうにマティルダは笑う。それを見てクミトは確信する。別にルミアを気にいったわけじゃない、と。別の誰かを気に入り、そっちが本命だということを。
「別にルミアが誰が好きとか俺には関係ありません。それより、本命の話をしたらどうですか?」
と、話の最重要人物がそのことに気付かず、話を変えてしまう。これでは報われないのお、とマティルダはため息をついた。ここでクミトが話を聞いておけば多少、二人の関係がうまくいく可能性が上がったというのに。
そう、今マティルダはただ単に二人の仲を取り持とうとしただけである。クミトが突っぱねてしまったが、ちゃんと聞いていれば二人がくっつく可能性は幾分か上がっていた。これはルミアの想い人を知った時からやろうとしていたことであり、ルミアから受け取った占い料金のうちに含んでおくつもりだった。無駄になったが。
「そうじゃの。前座はこれまでにしておくかの」
と、マティルダの雰囲気が切り替わる。その姿に今度はクミトが困惑した。
「儂が気にいったお嬢さんの名は、レミリアと言う。美しい銀色のお嬢さんじゃの。お主のクラスメイトと一緒にこの店に訪れたのじゃ」
なんだその組み合わせ、とクミトは天井を仰ぐ。あの二人がつるむなんてこと、考えたこともない。馬が合うかどうかは別問題として。
「で、その人がどうしたの?占いとか興味無さそうなんだけど」
クミトがマティルダに視線を戻して尋ねる。もっとも、これはクミトの主観的な評価であり、事実は異なる可能性がある。実際は間違ってはなく、レミリア自身に占いに対する興味はなく、魔術を用いた占いに興味が湧いただけである。
「確かに興味はないみたいじゃの。儂が魔術師だと看破して占ってもらうと決めたのじゃ」
なるほど、とクミトは納得する。普通、魔術を使った占いなんて受けることは出来ない。その実態はただただプライバシーを侵害しているだけなのだが、それでも魔術の占い、と聞けばその魅力は計り知れない。
「そこで気付いたのじゃ。あの娘は、普通じゃないの」
「………でしょうね。俺だって近くにいるだけでレミリアの持つ異質さに気付けるんですから。あなたなら一目見た瞬間に彼女の”ずれ”を理解できるはずです」
マティルダの言葉をあっさりと肯定してのけるクミト。レミリアの持つ異質さ、異常さはクミトですら簡単に見破られた。クミトよりはるかに優れた魔術師であるマティルダならそれを見るのは息をするよりたやすい。
「身に秘めた魔力があまりにも大きい。それこそ、魔術師である俺なんかよりも。それなのに魔術師としての能力が備わっていない。そんな魔力を身に秘めたままじゃいずれ爆発するだけですよ。一気に放出する術がないわけなんですから、たまっていく一方です。正直、今にも臨界点に達しそうで近づきたくないです」
あっさりと現状のレミリアの状態を口にするクミト。散々プライベートのことを言っておいて、本人はこれである。人のことを言えた義理はなかった。
「そうじゃの。人の身に秘められる魔力量は決まっておる。魔術師だろうとこれは人間である以上、皆同じじゃ。皆、少しずつ魔力を蓄えていく。最も、普通に生きている分にはこの限界量に達するなんてことは起こり得ないがの。魔道具を使う際にわずかにせよ放出するしの。あり得るとしたら魔力をより多量に蓄えられる魔術師が、一切の放出をしていない場合じゃ」
マティルダの言葉にクミトは頷く。そう、これが普通の人と魔術師との違いである。普通よりも多く魔力を吸収することができ、かつ放出できる、ということが魔術師を魔術師たらしめている。
「じゃが、稀にいるのじゃ。普通よりも蓄える力だけが強い人、もしくは蓄える力は変わらないのに放出する力がある人がの」
続けたマティルダの言葉にクミトは目を細める。
「初耳です。つまり、レミリアさんは蓄える力だけが強い人、ってことですか。その場合、あんなアンバランスなことになる。下手したら命にかかわりますよね?」
クミトの問いにマティルダは頷く。
「そうじゃの。普通なら蓄える力が強い者も、放出する力だけがある者も、10年も生きられぬ。その前に暴発するか、枯渇するかのどちらかになっての」
それを聞いたクミトは首をかしげる。10年も生きられないのなら、なんでレミリアは今、普通に生活しているのだろうか?
「あのお嬢さんは壊れた魔術師じゃよ。過去、何かしらの事故か何かに巻き込まれて放出する力を失ってしまったのじゃ。そのくせ、蓄える力が強いものだからあんなことになる。本人もそれを理解しているのか、常時魔道具を駆動させておったぞ。おそらく過剰な魔力を少しでも放出させるつもりなのじゃろう」
「………なるほど」
クミトの顔に疑問が浮かんでいたのか、マティルダが勝手に捕捉する。確かにそれなら辻褄があう。同じ街、同じ年に二人の魔術師が生まれた、という奇跡を前提としていたが。
そしてレミリアが空間収納魔道具を身に着けていたのを思い出す。あれはかなりの魔力を消費する。日常生活に支障をきたすことはないが、過剰に蓄積されている魔力を放出するのにはもってこいのアイテムだ。それでも吸収量に追いつくことはないけれど。
「それで、俺にその魔力放出を手伝ってくれ、って言いたいんですか?確かに他人から魔力を受け取る術は知っていますけど」
ここまで話したのだから、何か裏があるはず、と思いその内容を口にする。が、クミトの顔は嫌そうに顰められていた。あまりやりたいことではないらしい。
「そこまでは言わんよ。あの魔力じゃ、下手したら逆に坊やが壊れてしまうからの。それにあれほどのお嬢さん相手じゃ溺れてしまう可能性もある」
ほほほ、と楽しそうに笑う。それを聞いたクミトはもう何度目かになるため息を吐いた。
「じゃあなんですか?俺に過剰魔力を放出させる装置でも作れって言うんですか?確かにそれなら可能ですけど、装置の方がそんな長持ちしないんで定期的にメンテナンスが必要ですし、費用もばかにならないんですが」
「一時凌ぎにはそれも手じゃのお。お願いできるかえ?」
と、本人がいないのに勝手に装置を作ることになった。まあいいか、とクミトはまた息を吐く。誰かを助けることに理由なんていらないからだ。プライバシーの侵害はしまくっているけれど。
「で、一時凌ぎってことは本命は違うんでしょ?何をしろっていうんですか?」
「話が早くて助かるのお」
クミトが話を進めるとマティルダも続く。そう、本命は別にあるのだ。クミトが手伝うことができ、根本的に治療する術が。
「過去、お嬢さんは魔力を放出する力を持っていたのは間違いないのじゃ。そこまでは見た。失った原因はわからぬが、それは問題ではない。もともと放出出来ていたのなら、再び放出できるように感覚を取り戻してやればよいのじゃ。時間はかかるじゃろうが、お主がそれを教えてやればよい」
そういうことか、とクミトは額を抑える。確かにそれは可能なはずだ。確かに最初、クミトもマティルダから魔力を放出する感覚を無理矢理理解させられた。それをレミリアに施せ、と言いたいのだ。
ただ、その時と状況が違うのがレミリアの放出機能が壊れている、ということだ。クミトの場合、無意識化で放出出来ていたのだからそれを感覚的に掴ませればよかっただけだが、今回それがない。そうなると時間がかかる。下手をしたらマティルダが生きているうちに繋がらないかもしれない。だからクミトに頼んだ。
「何年かかるんですかね、それ?てか、俺も魔術師だってこと、教えなきゃ始まりませんよね?それはそれで嫌なんですが」
クミトが必要な時間を聞く。下手をしたら一生繋がらないかもしれないのだ。そんなことに協力する気にはなれなかった。自分の秘密だってあるのだから。
「早ければ数日、じゃのお。この手の感覚的治療は他の魔術師がいなければ出来ぬから試していないはずじゃ。長くなる場合、一生終わらんじゃろうな。その場合、お嬢さんと共に暮らしてみるのもありじゃないかの?そのうち床を一緒にするかもしれんの」
セクハラだろ、とクミトは半眼で睨んだ。マティルダはその視線を何とも思っていないような態度で平然と受け止める。
「それと、お主が魔術師であることを告げる必要はないぞ。すでに十分伝わっているからの」
「は?」
マティルダの物言いにクミトは不審な目を強くする。まあそれも無理はない。ただでさえ信頼のおける相手ではないのだ。下手したらすでにばらしてしまっているのか、とクミトは疑った。まあこのままだとレミリアを見殺しにする可能性があるので、真実を知ってしまったからにはちゃんと自分の正体を明かすつもりではいたが。
「もうよいぞ」
突然、マティルダは許可を出す。何がだよ、とクミトが口を開きかけたところでガタッ、と後ろから物音がした。ああ、この展開はさすがに予想してなかったわ、と呆れ顔で後ろを振り返る。
予想通り――非常に疲れた顔をしたレミリアがそこにいた。その顔は、どこか焦燥している表情にも見えた。