黒き龍(4)
今回も適当投稿。意見等ありましたら連絡ください
「レミリアさん、ちょっといい?」
昼休み、昼食を食べるために学食へと足を向けていたレミリアは突然、話しかけられる。声の高さから女子生徒だろう。また、多少ながら声の内側に苛立ちを感じられたのでレミリアに擦り寄ってこようとする人でもなさそうだ。
「魔工学の生徒が戦闘学最強のレミリアに何用だ」
振り返るより早く、隣にいたルーチェが答える。それにつられるように周囲にいた取り巻きの数人が賛同するかのように声を上げる。それを聞いたレミリアは小さくため息をついた。
「やめなさい。用があるのは私なんだから必要以上に脅さないで」
魔工学、と聞いて即座に話を聞くことをレミリアは決断した。おそらくはクミトに関することだろう、と推測をたてて。
「………姉御がそうおっしゃるのなら」
と、取り巻きの一人がレミリアと話してきた相手の間から退く。そこには赤い髪の、生真面目そうな女子生徒が気丈に、それでも顔を恐怖にわずかに引き攣らせながらそこにいた。実際、荒れくれ者の多い戦闘学の生徒に凄まれたら誰でも恐怖を抱く。それに対してこの少女は気丈に振る舞っている分、マシだろう。少しだけまだ名も知らぬこの少女の評価を上げたレミリア。顔は見覚えがあるけれど。
「すいません、戦闘学の人はちょっと気が短いんですよ」
レミリアの姿か見えたことで、少しほっとしたような少女に丁寧な言葉で話しかける。それに周りが騒ぎ始めたが、無視した。取り巻きに関わっていると話が進まなくなる。そのことは経験上わかりきっていた。
「あなたたちは先に行ってて」
だからそう指示を出す。その言葉にしぶしぶと従い、取り巻きがいなくなる。
「………いいの?」
相手が聞いてくる。その問いにレミリアは頷く。
「はい。彼らがいると話しにくいでしょう?」
その物言いに相手は苦笑いを浮かべた。実際、その通りだったからだろう。レミリアとしても彼らがいると話しにくいこともあるのでこの対応で間違っていない。
「それで要件はなんですか?」
すでに何を聞かれるのか、それをほとんど把握しながらもレミリアは聞く。聞く以外他はない。
「クミトのこと。昨日、あなたに関わったことでクミトは怪我をした。しかもかなりひどい怪我を」
淡々と、それでも凄みを持ったその発言は、レミリアの心を罪悪感で蝕んだ。が、これは受け入れるべき痛みだと割り切る。
「………はい。そのことは大変申し訳なく思っています。私が不注意に彼を巻き込んだばかりに怪我をさせてしまった。これは私の落ち度です」
素直にレミリアは謝る。間違いなく悪いのは自分なのだから。
「一体何にクミトを巻き込んだの?クミトに聞いたところで答えるはずもない。あいつ、そういうとこ融通利かないから。でもあなたは違うでしょ?」
「………すいません、それは私からも答えられません。ただ、私が関わった件は、自警団の秘密主義に反することです、とだけ伝えておきます」
少女の言葉に、素直に頭を下げる。昨日、街のナンパに絡まれたレミリアを救出すべく飛び込んだこと自体は話せる内容だ。だが、どうしてレミリアが何もしなかったのか、レミリアが何を考えて行動していたのかを相手は疑問にもつ。そうなると秘密主義に触れてしまう。だからこれ以上は話せなかった。
その答えを聞いた少女は顎に手を当てて考える。それを見たレミリアはふと疑問に思う。どうしてこの少女はクミトのことでわざわざ自分のところまで苦情を言いに来たのだろう、と。クミトの恋人だろうか。それなら申し訳ないことしたな、とさらに深く反省する。
「ごめ――」「龍」
この少女はクミトの恋人だろう、と推測をたて、昨日一日振り回してしまったことを謝ろうとした矢先、少女に先を越されて別のことを言われる。そして、その内容に絶句する。
「昨日、レミリアさんはクミトにその話を持ってきた。だからその関連で聞いてみたんだけど、その顔、当たりそうね」
鋭く少女に指摘される。その指摘は正しかったので、何も言えない。言えないが、これ以上の言及は避けるべきだと考えた。ただ、素直に賞賛は贈る。
「私から答えることは出来ません。ただ、鋭いですね、クミトの恋人さん」
その発言を聞いた少女は一瞬、きょとんとした。その後、一瞬で顔が真っ赤に染まる。
「だ、誰が恋人か!」
そして怒鳴る。これでもか、ってくらいのボリュームで。それを聞いたレミリアはあ、一方通行だった、と思った。ちなみに少女がその手の感情をクミトに抱いているのはすでにレミリアの中で確定事項だ。本人には否定されるかもしれないが。
まあそれはそれとして、この手の話題で攻め立てたら楽しそうだ、とレミリアは内心ほくそ笑んだ。今回は反省の意味を込めてやらないが、今後話すことがあれば話題にしよう、と心に誓う。
「注目集めますよ?」
そのため、今は注意に留める。注意された少女ははっとし、顔を赤くしたまま周囲を見渡す。幸い、誰も気にしてはいなかった。こほん、と咳払いをし、少女は口を開く。
「と、とにかく!」
ビシッ!と音が聞こえそうな勢いでレミリアを指さす少女。
「あんまりクミトには近づかないで!また怪我されても困るし!」
その言葉がレミリアには意中の相手が自分以外の相手に目移りしないか心配する乙女な気がしてならなかった。怪我をされたくないのも本当だろうが。
「それは約束しかねます。彼にはまだ用がありますので」
だから答えはこれだ。この少女を困らせたい気持ちが湧き上がってきた。もっとも、まだレミリアがクミトに用があるのも事実である。無茶をする気はないが、それでもこの街のどこかに龍が潜んでいることは決して許されることではない。龍に関する情報をクミトから聞き出す必要があるし、もし討伐隊を組むのならレミリア自身も参加を表明する。つもり、ではなく確定事項として。
「なら用が済んだのなら近づかないで!」
今度こそ恋する乙女の叫びにしか聞こえなかった。自警団絡みの用があるからクミトが怪我をする可能性があるのであって、その後にクミトが怪我をすることなんてまずないだろう。そうなると本当にクミトを別の異性に近づけさせたくないだけの願望に聞こえる。とくにレミリアは自他共に認めるほどの容姿をしている。意中の相手に絶対に近づけさせたくない相手だろう。
「まあそれなら」
と困ったように首をかしげるレミリア。実際、龍の件が終わった後にクミトとの縁を切ること自体に抵抗はない。この少女のようにクミトに惹かれているわけではないのだ。クミト本人もそれを望んでいるし、レミリアもクミトの調合する魔法薬以外惜しい物は何一つない。魔法薬の比重はかなり大きいが。
「でもあなたも必死ですね。そんなにクミトさんが好きなら告白したらどうなんです?」
そのため、意趣返しと言わんばかりにこの少女の弱いところを突く。今回はそこには触れない、と決めていたのを取り下げて。当然、一瞬で少女の顔は沸騰した。とてもわかりやすかった。これ、気付かれてるんじゃないかな、とどうでもいいことを考えた。
「な、なんでこ、こく、こく、こくhakuなじぇしなくぁならんじゃけ!?」
もはや言葉として意味不明な回答が返ってきた。やっぱりわかりやすい、とレミリアは思った。
「そういえばよく当たると噂の占い師を知っていますね。とくに相性占いが得意なそうですよ」
ふと思い出したことを口にしてみる。実際にレミリア自身が占ってもらったことはないが、取り巻きで実際に占ってもらったことがある人がいるのだ。ちなみに結果は芳しくなかったらしく、落ち込んでいた。
するとどうだろうか、少女は身を乗り出さんばかりにレミリアに詰め寄った。
「それ、どこ?」
目がマジだった。あ、失敗したかも、とレミリアは思ったが、もう遅かった。
「えっと、どこでしたっけ………?」
あまりの剣幕に必死に記憶を探る。それですぐに答えは出てきたのだが、場所がかなり入り組んだところで、説明できなかった。
「ごめんなさい、場所がかなり入り組んだところにあって、説明しにくいです」
そのことを正直に伝える。これで諦めるだろうと踏んだら、少女はさらに踏み込んできた。
「ならそこに案内して!放課後、すぐに!」
「え、えぇ」
どうしてそうなる、とレミリアは思った。しかも断ったところでしつこくまとわりつくだろう。となると一緒に行く以外の選択肢がなくなる。内心げんなりしながらレミリアは頷いた。頷くほかなかった。小さくガッツポーズをする少女。なんか日常が崩れていくのを感じながらレミリアはため息をついた。
ちなみにこの後、少女からルミアという名前を聞き出すのにそれなりの時間を要した。恋する乙女の強さには勝てないことを悟ったレミリアだった。ちなみにまるで悔しくなかった。
その日の放課後、実際にレミリアはルミアを連れて件の占い師の元を訪れた。最初は逃げようかと考えていたが、それよりも早くルミアに捕まってしまったのだ。その呆れる早さにレミリアは半分呆れていた。
「ここが占い師の家、なの?」
ルミアが困惑したように声を出す。まあそれも無理はない。ルミアが声を出さなければレミリアが声を出していた。それほどまでにその家が独創的――というわけではない。むしろ普通といっていい家だ。あまりにも普通すぎて民家と勘違いするほどに。実際、レミリアもルミアも最初は民家だと思ってスルーした。その後、あまりにも周囲で見つからず、探しまわった結果、小さな、本当に小さな占いの家、という看板を見つけた。事前に聞いていたとはいえ、なんのひねりのない名前である。しかも目を凝らさないとまず気付けない。商売する気あるのか、とレミリアは思ってしまった。
「とりあえず入って、みる?」
ルミアがおそるおそるレミリアに尋ねる。レミリアとしたらこのまままわれ右をして帰りたい心境だ。もともとも占いにはさほど興味ないのだ。入らなくても問題はない。
「お任せします………」
それでも本心は言えず、そう答えるしかなかった。もうなるようになれ、と投げやりだ。するとルミアは一瞬、悩んだ後、えい、とその民家の扉を開けた。ノックすらしなかった。
扉の奥にはいかにも、といった部屋が広がっていた。紫色のカーテンに小型のテーブル、その上には水晶玉。明りは最小限のろうそくだ。なるほど、占い師というのは嘘ではないらしい。占い師本人が座るであろうテーブルの反対側には誰もいなかったが。その代わりにテーブルの上には呼び鈴が置かれていた。
「ろうそく、灯しっぱなしで平気なの………?」
ルミアが呟く。レミリアはろうそくの台を指さす。
「魔道具ですよ、これ。おそらくは火事にならないように細工をしてあるのでしょう」
なぜか戦闘学のレミリアが気付き、魔工学のルミアは気付かなかった。観察眼の違いだろうか。その魔道具をしばらく眺めたルミアははっとして、呼び鈴を鳴らす。チリン、と軽やかな音が部屋中に響く。
「音、ちっさ………」
ルミアが呟く。が、それも無理はなかった。部屋の中にしか響いていないような音しか出なかったのだ。これでは占い師に聞こえているのか怪しい。
「はいはい」
が、それは杞憂に終わった。ルミアの呟きに反応するかのように、テーブルの向こう側に老婆が湧き出るように出現したのだ。それを見たレミリアは目を見開き、ルミアはキャッ、と小さく悲鳴を上げる。
「おや、見ない顔だね。初見さんかい。よくここがわかったね」
老婆はその反応を気にすることなく、のんきな口調で話しかけてくる。ちなみにこの老婆はローブを目深く被っていて素顔は見えない。ただ声だけで老婆と判断できるだけだ。
「魔術師………」
レミリアが小さく呟く。その呟きを聞いた老婆は軽く顔を上げる。
「おや、魔術師を知っておるのかい。希有な存在だから知っている人は少ないんだけどねえ」
意外そうな声でそんなことを呟いた。それもそのはず、魔術師は世界中探しても数えるほどしかいないと言われている。その上、その希少性からそのほとんどが大国で雇われている。そこでお抱えになっていることが当たり前なのだ。比較的大きな街とはいえ、ラガニアの街にいるなんてレミリアは思ってもいなかった。しかも、こんなところで占い師をやっているなんて思ってもみなかった。
「魔術師………?この人が!?」
ルミアが声を張り上げる。
「ふぉふぉふぉ。そうじゃ、儂は魔術師じゃよ。といっても、さほど優れた魔術師じゃないけどの」
しゃがれた笑い声を上げ、老婆は魔術師であることを肯定した。その内容に、レミリアは眉をひそめる。
先ほど、この老婆が現れた魔術。それは空間転移と呼ばれる系統の魔術であることはレミリアは気付いていた。その魔術が最高位に属する魔術であることも知っていた。それ故に、優れた魔術師ではない、という一言に疑問を持った。ただの謙遜にしては度が過ぎている。
が、その疑問をぶつけるような無粋な真似はしなかった。少なくとも初対面の相手に聞いていいような内容ではない。
「それで、二人は占いに来たんじゃろ?占って欲しいことは何じゃい?学生みたいじゃし、初回料金として今回は安くしとくよ」
と、老婆は親指と人差し指で丸を作る。それを見たレミリアとルミアは軽く顔を引き攣らせる。なんてったって、魔術師が行う占いだ。いくら安くする、と言われてもおいそれと出せる金額ではないことは簡単に推測できた。
「い、いえ、普通の占いならともかく、魔術師の占いとなるとさすがに………」
ルミアが遠慮するそぶりを見せる。まあ仕方ないか、とレミリアも軽く頭を下げる。レミリアとしても、魔術を使った占いには後ろ髪を惹かれるが、さすがに頼む気にはなれなかった。
「そうかの?儂はかなり良心的じゃと思うんじゃがな。これが料金表じゃ。今回は半額じゃからお得じゃぞ」
と、一枚の紙を見せてくる。試しに見てみると、なるほど、かなり安い料金が書かれていた。それの半額となるとかなり気前がいい。
「あ、これなら」
とルミアが頷く。確かにこれなら、とレミリアも占いをしてもらう方向に気持ちが切り替わった。ただ一つ、疑問が生じた。
「あの、この料金で利益出てるんですか?」
そう聞きたくなるほどに、安いのだ。それを聞いた老婆は朗らかに笑う。
「ほっほっほっ。この占いは趣味みたいなものじゃよ。だから利益なんてほとんど考えちゃおらんのお。それにもう老い先短いからの。余生を遊んで暮らせるの蓄えはあるんじゃよ」
恐るべし魔術師。レミリアはそう思った。
だがそれも無理はない。魔術師、というのは魔道具なしで魔術を発動できる希少な人間なのだ。それも、魔道具に比べ強力で、柔軟な魔術を。それ故に、その価値は計り知れない。
「それで、占うのかえ?」
老婆の再びの問いかけに、二人は頷く。料金、という巨大な壁が取り払われた今、ためらう理由はなかった。それからルミアが財布を取り出し、お金を払う。レミリアもそれに続いた。
「毎度あり。それじゃ、まずは赤髪のお嬢さんから椅子に座り、水晶に手を置くのじゃ」
ルミアは老婆の言葉に従い、テーブル前の前の椅子に座り、水晶に手を置いた。
「何を占って欲しいのか、頭の中に思い浮かべるのじゃ。声に出してもよいぞ」
老婆は続ける。ルミアは特に口を開くことはなかった。それを気にした様子もなく、老婆はぶつぶつと喋り始めた。どうなら魔術を発動させる詠唱のようだ。そんな状況がしばらく続き、やがて老婆が詠唱をやめる。
「もう離してよいぞ」
その言葉に従い、ルミアはひと息ついてから水晶から手を離す。
「ふぉふぉふぉ。青春じゃのお」
そして老婆が朗らかに笑う。それを聞いたルミアは顔を赤らめ、俯いた。何を占ったのか、とてもわかりやすかった。クミトとの相性とかそんなとこだろう。
「なかなか可愛らしい坊やじゃのお。性格も悪くないし、優良物件じゃのお」
そこまでわかるのか、とレミリアは驚いた。一体何を思い浮かべたらそこまでわかるというのか。
「それで坊やとお嬢さんの仲じゃが、悪くないのお。坊やもお嬢さんのことは憎からず思っておる。うまくいけば末長く幸せを掴めるじゃろう」
それを聞いたルミアは小さくガッツポーズをする。よい結果が出てうれしいのだろう。
「じゃが、それもうまくいけば、じゃ」
が、すぐに老婆が言葉を続ける。
「機を逃したら坊やとは決してうまくいかん。いつ、どう動くのかしかと見極めよ。さもなくば、うまくいくことはない。別の者に坊やの心が移るじゃろう」
「……別の人」
急に感情をなくしたような声でレミリアを見るルミア。なぜそうなる、とレミリアはため息をつく。自分の容姿については自覚はあるが、だからと言って恋愛対象とは話は別だ。クミトがレミリアを恋愛対象として見ることはないだろうし、レミリアもクミトを恋愛対象として見ることはできそうにもない。
「急ぐこともなかれ。その時はよいかもしれぬが、続くこともない。機を見るのじゃ」
「わかり、ました」
老婆の忠告に、ルミアは深く頷く。
「その時さえ逃さなければ、うまくいくはずじゃ。応援するからの、頑張るんじゃぞ」
「はい!」
ルミアが元気よく返事をし、椅子から立ち上がる。それからその椅子にレミリアが座り、先ほどのルミアと同様に水晶に手をのせる。それから頭の中で占って欲しいことを思い浮かべる。
それは、龍。この街に潜む、龍の居場所と目的。最初はルミアを案内するだけのつもりだったが、魔術師による占いとなると話が変わった。もしかしたら、あの龍を仕留める手掛かりが手に入るかもしれないと思って。
「なんじゃと!?」
その思考を、老婆の驚いた声が遮る。
「どうしたんですか?」
その声にレミリアは反応した。内容が内容なだけに、老婆が驚くのは無理はない。なにせ、この街に龍が潜んでいる、なんて知らなかったはずだから。
「………お主はこれを追いかけるつもりなのか?」
老婆が静かな声で問う。その問いに、レミリアは深く、深く頷く。
「やめるのじゃ。あれは、手を出すべき存在ではない」
「ならほっとけというのですか?魔物をずっと?勝てないからと?」
老婆の制止に、レミリアは硬い口調で返す。一人、事情のわからないルミアは疑問符を浮かべている。
「そうじゃない。勝てないなんて理由じゃないのじゃ。それに、勝つだけならこの街に暮らすランディやお主がいれば不可能じゃないしの」
そのレミリアの疑問を、老婆は否定した。それも、倒すことは可能だ、とほのめかして。
「なら」
「あれを殺せば、主はひどく後悔する。一生、消えない傷を負う」
老婆はレミリアの言葉を遮り、重たい口調で告げてくる。それを聞いたレミリアはむっとする。
「魔物を殺して、後悔するなんてありえません」
きっぱりとした口調でレミリアは断言する。魔物を殺して後悔するなんてレミリアからしたらあり得ないことだった。
「あれは魔物じゃないのじゃ」
それを、老婆は否定した。
「あれは、魔獣。ラフィンツヴァルの魔獣じゃよ」
静かな口調で老婆は告げる。
「ラフィンツヴァルの、魔獣?」
聞いたことのない単語にルミアは首を傾げる。レミリアもまるで意味がわからなかった。魔物と魔獣、何が違うのだろうか。
「魔物は自然の摂理の一つじゃ。それ故に、人を襲う危険がある。じゃが、魔獣は違う」
老婆がゆっくりとレミリアの目を覗き込む。初めて見えた、ローブのその奥の顔はしわくちゃの老人の顔だった。それが、今はなぜか、とても恐ろしく感じられた。
「魔獣は、魔術の呪いによって生まれた存在じゃ。それ故に、自然に反する。摂理には従わぬ」
静かな老婆の声が、レミリアの中に染み込んできた。なぜか、何も言えない圧力をその言葉は孕んでいた。
「その魔獣の中でも、ラフィンツヴァルの魔獣は別格じゃ。ラフィンツヴァルの魔獣は、歴史の転換点に必ず現れる。現れて、その牙を振るう。時に人のため、時に自然のため。今回、ラフィンツヴァルの魔獣は人のために現れたのじゃろう。あれを取り除いては、何が起こるのかわからんぞ」
「………そんな話、聞いたことありません」
老婆の話を聞いたうえで、レミリアは反論する。歴史の転換点に必ず現れるというラフィンツヴァルの魔獣?ばかばかしい。それならなぜ、誰もそんなことを言わないのだ。最低でも、おとぎ話にはなるはずだ。
「そうさね。誰も魔獣に関する話はしない。できない。それが盟約だからね。そういうものなんだよ、ラフィンツヴァルの魔獣の魔獣は。伝えられるのは儂ら盟約から外れし魔術師だけだね」
「………馬鹿馬鹿しい。一体誰とそんな盟約を交わすというんですか。どこからか話は漏れます。確実に」
レミリアは吐き捨てる。交わす相手のいない盟約――約束事なんていきる筈がない。間違いなく無効になる。それに、今結んだところで人の心は変わる。何かの拍子に漏らしてしまうこともある。だからこそ、この話は眉唾ものだ。それがたとえ、断片的な情報だとしても。現に今、その情報が漏れている。
「信じられないのなら、隣に聞いてみるとよいぞ」
老婆がレミリアに助言する。その言葉に困惑したレミリアは軽くルミアを見る。
「えっと、何の話?」
それにルミアが反応する。
「何って………。今の話ですよ。ラフィンツヴァルの魔獣です」
ため息交じりにレミリアが告げる。その言葉を聞いたルミアは困惑顔をする。
「………ごめん、もう一回言って」
レミリアは心の中で小さくため息をつく。どうして何度も同じことを言わなければならないのだ。
「ラフィンツヴァルの魔獣です。さっきからこの魔術師と話をしているでしょう?」
「ラフィンツヴァルの、魔獣………」
ルミアが小さく呟く。ようやく伝わったか、とレミリアは小さく息を吐く。
「え、あれ?何の話だっけ………?」
すぐにルミアがその反応をしなければ。即座に口を開き、再びその単語を伝えようとする。そこに老婆が割り込んだ。
「そろそろやめたらどうじゃ?何度やっても伝わらんよ。これが盟約じゃからの。何度伝えようとも手で掬い上げた水のように、即座に記憶から流れ落ちてしまうのじゃ。文章に書き起こすことも不可能じゃ。勝手に儂らの手が止まる」
老婆の忠告からメモを取り出し、それで伝えようとしたレミリアを老婆は先に制した。が、それを無視してレミリアはメモに書こうとした。その結果として、老婆の忠告したように途中で手が止まり、書けなくなってしまった。その事実に唇を噛みしめる。
「どうして――」
「なぜ自分が平気なのか、なんてつまらん質問はするんじゃないぞ。その問いの答えはわかっておろうしの」
レミリアの言おうとした言葉を老婆が遮る。それを聞かされたレミリアは口ずさむ。
「………ならなぜ黒い龍は平気なんですか。あれが魔獣だと言うのなら目撃証言ですらなくなるはずです」
レミリアが必死の反論を考える。ラフィンツヴァルの魔獣――その話は真実だろう。ルミアの反応がその証明となる。だが、それなら自警団の人や、黒い龍に襲われた人たちの証言はどうなる?それが消えてなければおかしいはずだ。
「誰も”魔獣”なんて認識しておらんじゃろ。あれはただの魔物――それだけで盟約は満たされる。もっとも、魔物ではありえない行動を起こしたら人の記憶から消えるがの」
「それは知らないから――」
そこまでレミリアは言いかけて、やめた。そう、知らないからではなく、知れない。魔獣、なんて言葉を知らなければ当然、魔物だと思う。レミリアがそうだったように。それが自然である。そこでふっ、とレミリアは笑った。それをいぶかしげに老婆は見る。
「確かにラフィンツヴァルの魔獣は本当なのでしょう。それはわかりました」
ラフィンツヴァルの魔獣――それは実在するのだろう。ルミアの反応がそれを証明している。
だが、それはそれだ。
「今、この街に潜む龍がラフィンツヴァルの魔獣だとどうして証明できるのでしょう?」
それを聞いた老婆は小さく身動ぎする。そう、このラフィンツヴァルの魔獣とこの街に潜む龍は別件だ。この老婆が見てもいない龍をラフィンツヴァルの魔獣だと断言できる材料がないのだから。
「そんな話までして、どうしてあの龍を庇おうとするんですか?」
「………なるほど、これはかなりの恨みがあるんじゃの」
レミリアの静かな怒気に当てられ、冷静に分析を行う老婆。
「儂はあくまでも助言するだけじゃよ。その助言をどう活用するのかは本人次第じゃよ。それが生きるかどうかは別問題じゃ。ただ、後悔だけはするでないぞ。特に銀髪のお嬢さんは要注意じゃ。一つのミスが己が人生を揺るがすじゃろうて。それだけは覚悟しとくのじゃぞ。老い先短い婆の個人的な意見じゃから参考にならんかもしれんけどのお」
老婆は諭すようにレミリアを見る。レミリアはその視線から逃れるように視線を逸らす。
「ご忠告、ありがとうございます」
ルミアははっきりと御礼を告げる。レミリアと老婆の話のほとんどを理解していないのだろう。一体、どのような力があれば、このような真似が出来るようになるのだろうか。レミリアは内心震えあがった。それを誰かに見せるような真似はしなかったけれども。
「なんというかすごい人だったね。まさか魔術師が占いをやってるなんて思ってもみなかった」
ルミアが占いの家を出たのちに口を開く。それは当然、先ほどの魔術師のことだった。
「………ええ、そうですね」
ルミアとは反対に、レミリアは先ほどの魔術師に強い警戒の念を抱いた。あまりにも底が知れない。何を思い、何を考えて占いの店を構えているのか。まるでわからない。それに、魔術を用いていったい何を見ているのか――それですらわからなく、恐ろしい。
「それにしても、レミリアとお婆さんはどんな話をしていたの?なんかよくわからない話ばっかりだったんだけど、レミリアは理解できたの?」
ルミアがそんなことを尋ねる。それを機と捉え、レミリアは口を開く。あの魔術師がルミアの記憶に残らないように常時魔術を使っていた可能性をレミリアは疑っていた。それなら魔術の影響下から逃れた今なら通じるかもしれない、その可能性を疑って。
「ラフィンツヴァルの魔獣についての話ですよ」
「ふーん」
その話をしようとした瞬間、ルミアは途端に興味を失う。まるで呪われているかのように。ルミアの記憶の中からその言葉の情報が抜け落ちる。どれほど強大で強力な力が働けばこのような真似が可能になるのだろうか。レミリアは心の底から震えそうになる。
「………あの魔術師の影響じゃないってことね」
そのことを確信しレミリアは呟く。
「ねえ、あれ!」
その呟きは聞こえなかったのか、急に空の一角を指さし叫び声をルミアは上げた。つられてレミリアもそちらを見る。そして、空に浮かぶ、黒い影を見る。見覚えのある、その影を。距離があるので、正確な輪郭まではわからなかったけれども、鳥のような影。そう、距離があるにも関わらず、鳥のように見えてしまうほど大きな影を。
「何あれ!?鳥にしては大きくない!?」
ルミアが驚いたように声を出す。その声が聞こえず、レミリアは奥歯を噛みしめる。
「まだ夜じゃないのに、堂々と姿を現すなんて………!」
その影は、龍。この街に潜む、災いの化身、そのもの。ルミアだけではなく、他の人もその影に気付き始める。人々を不安がらせないように行っていた情報規制が今、意味をなさなくなった。ざわざわと周囲の声が大きくなる。その騒音を無視し、レミリアは駆けだす。災いを落とす――そのために。
しっかりと龍を見る。すると、その龍は何かと戦っているように見えた。が、相手の姿は見えない。地上からの攻撃は、届くような距離にいない。小さく舌打ちし、レミリアは小型の筒を取り出す。いったん足を止め、龍の周辺を見る。その周囲には別の影が存在していた。拡大し、影の姿を視認する。そこには、小型の別の龍が存在していた。その存在はレミリアも知っている。ワイバーン――小型の龍種に分類される魔物だ。龍種、と言ってもワイバーンは他の龍種と比べたら脅威度は低い。と言っても戦闘訓練を積んだ人間が10人単位の小隊を一つ組んでようやく倒せるかどうか、の魔物である。それと、この街に潜む龍が戦っている。なぜ、とは思わない。縄張り争いだろう。仮にあの龍が特別な魔獣だとしても、縄張りを持つ。それは生物の本能として。この街は黒い龍が現在の支配者であり、あのワイバーンが侵略者だ。それを確認したレミリアはそっと筒を下ろす。今は手を出すべきではない。少なくとも、あの龍がワイバーンを撃破するまでは。
「けど、その後は潰す………!」
小さく呟く。そのための移動を開始する。それと同時に、龍も移動を開始した。ゆっくりと旋回し、街へと降りてくる。そのため、レミリアも降りる場所に先回りするため移動速度を上げる。が、さすがに追いつけずに龍の姿を見失う。しかたないので降りたあたりに目星をつけ、探す。ある程度目撃条件を得ることも可能だろう。そこで、近くを通りかかった女性に聞いてみる。
「すいません、この近くに魔物が現れませんでした?」
それを聞いた女性は驚きに目を見開く。
「えっ!?この近くに魔物が現れたのかい!?」
すると逆に驚き返された。そこでレミリアは額に手を当てたくなった。
ああ、これが魔獣の力か、と。魔物として普通ではない行動を起こした魔獣は、人の記憶から消える。それが、理なのだ。
「いえ、すいません。私の勘違いです………」
とっさに謝ってしまう。もう後を追えない。それだけは確信した。その上、あの魔術師の言葉が真実であることが証明された。あの黒い龍はラフィンツヴァルの魔獣――人の記憶に留まらない存在なのだ。それに気付ける人はこの街にあの魔女とレミリアの二人しかいない。その事実にレミリアは拳を握りしめた。
「あれ、レミリアさん、どうしてこんなところに?」
そこに聞き覚えのある声がかけられた。驚いてそちらを振り向くと、クミトが驚いた顔をしてこちらを見ていた。どうしてここにクミトがいるのか、それがわからず困惑した表情を向ける。その上、クミトの頬はわずかに切れていた。どうみても、転んで出来るような傷ではない。
「それ………」
「ん?」
レミリアがその傷を指さすと、クミトはその傷を拭う。
「ああ、さっきちょっと転んじゃって………」
ああ、とレミリアは天を仰ぐ。ついに、ついに龍による被害者が出たのか。記憶に残らない――だからこそ誰かを怪我させたり、最悪殺してしまっても気付けない。否、実際に被害は出ているのだろう。誰も気付けないだけで。考えてみれば、今まで龍に襲われた人は、長く龍と対峙していたことはない。あくまで、魔物にやられた、というだけで。
自分が何とかしなければ――レミリアは堅く、心に誓った。