大きな胸は好きですか?
女主人公は体型コンプレックスを愚痴ります。
カリカリカリカリ・・・
規則正しく響いていたペンの音が止まる。
執務机の前に座った魔王はふと書類から顔を上げ、同じように机に着いて書類を処理する幼馴染を見た。
蜂蜜色の少し癖のある短い髪の幼馴染のほうからはまだペンの音がしている。美しい顔は伏せ気味なせいか、憂いを帯びているように見えるがそれはいつものこと。青い宝石のような瞳は紙面に注がれている。
幼馴染を見ていると魔王は自分の髪が気になった。
何の特徴もない、くすんだ茶色の髪。侍女たちの完璧な手入れがされているとはいえ、冴えない色は冴えない色。
胸にかかる自分の髪を見ているうちに、魔王は谷間のない胸も気になり始めた。
そう、魔王は女だった。
胸の谷間がないというのはまだ甘い。谷間ができそうにない胸。
胸を強調する、袖も襟もない服を着てみたことがあるが、見事にスッカスカで臍が見えそうだったことを思い出して、涙が出そうになる。
髪は冴えない色。
今は涙で潤む目もカカオのような色。
その上、顔も男である幼馴染に負けている。
勝っているのは、魔力と筋力ぐらい。
魔王は自分が情けなくなってきた。
「?・・・陛下?」
気付くと幼馴染がこちらを見ている。
「す、すまない。なあ、ノーチラス。胸は大きいほうがいいと思うか?」
そして、魔王は魔族としては嫁き遅れ予備軍と呼ばれる年齢に達していた。
「さあ? 大きいほうがいいの?」
幼馴染は不思議そうに言った。
「質問を質問で返すな」
失礼だとは微塵足りとも思っていない様子で幼馴染は言った。
「申し訳ございません」
「胸は大きいほうがいいと思うかと尋ねたのだ」
「個人の好みの問題じゃない? 貧乳はステータスだと言う奴もいるし、巨乳はロマンだと言う奴もいるからね」
改まった言い方をいつもの言葉に戻して幼馴染が答える。
「う、うむ」
魔王は恥ずかしさのあまり俯く。
顔どころか耳まで真っ赤にした魔王を見て、幼馴染は笑みを浮かべる。
「大きくしたいなら手伝おうか?」
「え?」
思わず顔を上げた魔王は幼馴染の笑みを見て、嫌な予感を感じた。
幼くして父親を倒し、引退させた魔王はそれ以来の付き合いである幼馴染のことを熟知している。こんな表情をする時はロクでもないことが起こるとハッキリわかった。
「言わなくていい! 言わなくていい! 言わなくていい!」
慌てて、魔王は幼馴染を止めようとした。
幼馴染は不思議そうな顔をする。
「何で?」
「絶対、聞きたくない。聞いたら負け。聞いたら負け」
「負けたりしないって(笑)」
「牛乳も豆もちゃんと毎日食べてるから、それでダメなら諦める」
「嘘ばっかり。気にしてるから訊くんじゃないか」
「うう・・・」
本当は諦められない魔王。
身長は平均的な魔族の男並にあるのに、胸に関しては子供並というのはかなりコンプレックスになっていた。
「胸なんか揉めば大きくなるんだからさ~・・・」
「破廉恥!!!」
魔王は咄嗟に机の上にあったものを手当たり次第に投げつける。
ペンやら文鎮やら、インク壺やら、インクを吸わせる砂やら、書きかけや書き終わった書類まで。
「うわっ。やめてくんない? 当たると地味に痛いし、作業をやり直さなきゃならないから」
「お前が変なことをいうからだ! ノーチラス!」
投げる手を止めて魔王が叫ぶ。
本当は手近な机の上に物がなくなったので、投げられなくなったのが実情だが。
「変って、ネモもいい歳なんだし、過剰反応しないで欲しいよ」
幼馴染は溜め息をつき、呆れた顔で言った。
「過剰反応じゃない! お前がおかしいんだ!」
「おかしいって、ね~。普通だと思うけど」
「・・・。何でお前はこんなことを真顔で言えるんだ」
ガックリと脱力し、机に肘を付いて頭を抱える魔王。
魔王の反応に得心のいかない幼馴染は考え、言った。
「ネモ。俺の種族、憶えてる?」
「?」
唐突にされた質問の内容に魔王はついていけず、ポカンと幼馴染を見る。
「俺、インキュバスなんだけど」
「!!」
「ハレンチだ、何だ言われても、そういうことしないと生きていけない種族なんだけど」
魔王は目を逸らした。
「・・・」
「もしかして忘れていた?」
幼馴染は笑みを浮かべる。
図星を指された魔王はもう既に顔を背けていた。
だが、自分の身に危険が迫っていることには気付いていた。
魔王はどう逃げようか考えていた。
幼馴染の顔を見たら動けなくなることは経験上わかっていた。
幼馴染は笑みを深める。
幸運なことに魔王は幼馴染の黒い笑顔を見ずに済んだ。
「ネモ・・・」
執務室の扉をノックする音がする。
「陛下」
扉の外からかけられた宰相の声に、魔王は安堵した。
助かった、それが魔王の心情だった。
チッと舌打ちする音。
淫魔であるインキュバスは下級魔族。宰相は上級魔族だ。種族の身分差は絶対である。
自分が魔王であることを完全に忘れていた魔王は、下級魔族から魔王が宰相に助けられるという珍妙奇天烈な現象に気付かなかった。
「入れ。入ってくれ」
自然、声音も歓迎モードだ。
宰相は訝しげに入ってくる。
ぬばたまのような黒髪に金の瞳。文官と思いきや、人間の騎士並の筋力ぐらいは備えている宰相は魔王城にいる女性陣に人気のイケメンだ。幼馴染もそうだが、魔王の側近はイケメンでなければなれないのでは、と囁かれるほどのイケメン率だった。
そんな彼らにコンプレックスを刺激されまくる魔王だが、この時は少しも気にならなかった。
「宰相、待っていたんだ」
声をかけられるまで、待っているどころか存在すら忘れていたのをおいて、魔王が笑顔で言う。
魔王は抱き付きそうな勢いだった。
実際、抱き付きたいくらい感謝していた。
宰相は一瞬目を見開くが、魔王に非常に歓迎されていることに気付き、優しげな笑顔を魔王に向ける。
「心待ちにして頂いて恐縮なのですが、実は・・・(中略)」
色気も何もない、ただの業務連絡に過ぎなかったが魔王はニコニコと聞いていた。
・ネモ
幼くして父親を倒し、引退させた魔王。
冴えない茶色の髪にカカオのような焦げ茶色の目。
男の平均身長並の長身(人間の基準で180強)で断崖絶壁の寄せるものすら無い胸。
現在、嫁き遅れ予備軍の年齢。
・ノーチラス
ネモの幼馴染で側近(秘書か近侍)のインキュバス。下級魔族。
蜂蜜色の金髪にサファイア色の目。
母親同士が仲が良く、他の幼馴染よりもネモと親しい。
魔王への忠誠を誓っている為、魔王に対してインキュバスの特殊能力は使えない。
・エレク
ぬばたまの黒髪に金の瞳の宰相。
上級魔族。